第8話 就職

 日向たちの「家」は、厳密に言えば広く、豪華なマンションの一部屋だった。一階だけではなく、2階もある、いわばメゾネット型のものである。なぜ社会の危険物である彼らがそんなところに住めるのか、キャサリンは少しあとに知ることになる。


 ガチャガチャと鍵をまわして入った先はかなり騒がしかった。どこからかカツカツと何かを削る音がし、誰かの話し声が聞こえた。日向がリビングに着く前に、声の主がにゅっとそこから顔を覗かせた。それは長い栗色の髪をした少女で、頭には深紅のカチューシャをつけていた。


「あ、今帰ってきました! 渡しますね!」


 その子は早口で言い、受話器を日向に押し付けた。それから彼女は褐色の瞳を、新人に向けた。


「おいで」


 彼女は日向の電話を邪魔しないように、小声で言い、キャサリンをとある一室に案内した。キャサリンの目になかなか奇妙な光景が映った。普通の部屋の天井から長い氷柱つららがぶらさがり、それを赤い髪をした少女がハンマーで落としていた。


「ごめんね、これちょっと手伝ってくれる?」


 茶髪の子はキャサリンに道具を握らせ、自分も氷を砕き始めた。


「アリシア、これあなたの能力でなんとかできない?」


 茶髪が赤髪に言う。


「私の能力は弱いから無理。誰なんだろ、これやったの」


 キャサリンはふとベッドが自分の寝ていたものだと知る。そして自分の能力が水系統のものだと思い出す。


「ごめんなさい! これ……たぶん私が……」


 彼女が顔を赤くして詫びると、二人は目を瞬かせてそれから顔を見合わせた。


「才能あるわね……」


 茶髪の感心したような言葉に、キャサリンは首を傾げた。


「はぁ……」


 そこで電話の終わった日向が疲れた顔で、部屋に入ってきた。


「なんて言ってた?」


「また説教よ。あんたは俺のマンション以外の人は救わなくてもいい云々」


「社長ねちっこいもんねぇ、そういうところは」


「ええ、でも新しく雇える子がいるって言ったらすぐにその話題に飛びついたよ」


 日向の目はキャサリンに向けられた。


「キャサリンちゃん、あなたには今から二つの道のいずれかを選ばせてもらうの」


「二つ……?」


「うん、あなたはもうペストになってしまったから、普通の人間として暮らせないのはさっき嫌ほど見たからわかるよね。でもなんとか生きる方法があるのよ。まず1つ目は南米かアフリカに移住すること。あそこは国連の出した対ペスト安全対策法を批准してない国が多いから殺されることはない。だから多くの人たちはそこで暮らすの。でもお金は支給できないから、一人で頑張って仕事探すしかないわね。まあペストだから見つけやすいのかもだけど」


 そうだ……。キャサリンは思い出した。南米、特にブラジルでは彼らの能力が産業に活かせるという理由でペストを自由に住まわせており、国際的な批判を浴びていた。

 他にも、ペストに軍で働いてもらうことを条件に、普通の生活を送ることを許されているロシアや中国などといった国もある。昔、キャサリンはそれに憤慨したものだったが、今はそちらのほうが先進国の傲慢な法律よりも何百倍もマシな気がした。


「そして2つ目の方法。それは私たちと一緒に働くことよ」


「働く……ですか……?」


「ええ。フロスト株式会社って知ってる?」


「はい、もちろん。今最も人気なアメリカの不動産会社の一つですよね」


 キャサリンはそれをイギリスのテレビの特集で知った。その会社は「安全な家」を提供することを最大のモットーとしており、建物には日本の耐震技術なども取り入れられている。しかし、それとペストにはなんの関係が……?


「今の不動産会社はペスト安全対策をするのが必須になっているでしょ。でもフロスト社の社長が実はとてもケチ……節約家で、ペストの安全対策にはあまりお金をかけたくないようなの。でも民間ペストハンターを雇うにはすごくお金がかかるし、しかもぼろぼろ死ぬ。そこで彼が考えたのが、ペストを雇ってペストと戦わせることよ」


「え?!」


 ようするに目には目を、歯には歯をってことなんだろうけど、まさか大手株式会社がそんなことをするなんて……


「大丈夫、バレない対策はきちんとやってるの。今まで結構な人数のペストがここで勤めてきたけどまだ誰一人正体を明かされたことはないよ。衣食住は無償。給料はもらえるし、学校にも行ける。ただ命を落とすリスクは高い。このチームでも少なくとも二人は亡くなっているから……。キャサリンは、どうする?」


 顔をわずかに悲しみで歪ませながら、日向は尋ねた。キャサリンは考えた。南米。そのような平和で暖かい国で穏やかに暮らすのもいいかもしれない。

 だけど。おばあちゃんはどうなるんだろう。一体誰が彼女の世話をしてくれるのだろう。ここで働いて、稼ぐことができたら、そのお金を送っておばあちゃんを助けられるかも。キャサリンは決心した。


「私はここで働きたいです!」


 少女は力強く言った。


「ほんと? あら、嬉しい。じゃあ今、書類持ってくるね」


「わーい、新しいメンバーだ!」


 茶髪の子は嬉しそうに言った。


「この班女の子のメンバーが3人しかいないからちょうどいいわ!」


 キャサリンは書類に自分の名前、生年月日などなど、必要な個人情報を書き、正式にメンバーとなった。


「ではまた改めまして。私は紅井日向。フロスト社フェアリー団3班の班長よ」


「フェアリー団……?」


「マダー様っていうあんたを助けたうちらの中で一番偉い人がね、ペストは嫌だから名前変えてフェアリーにしたの。かわいいでしょ」


 赤髪の娘がハキハキと言った。

 フェアリー、確かに羽を持ち、魔法で戦う私達にはぴったりな名である。


「いいね、好き!」


 キャサリンの反応に、茶髪がふふっと笑って、言った。


「じゃあ、今度は私の番ね。リーナ・シュワルツよ。昔、ドイツに住んでたわ。趣味は作曲。そして能力は風。よろしくね!」


「私はアリシア・リード。オーストラリアから来たよ。戦うっていうよりは食事管理担当って感じ。能力は水と、火」


「能力が2つあるの?!」


 キャサリンは彼女の発言に驚く。


「能力を複数持っている人はフェアリー軍団には結構多いよ。中には3つ持っている人もいるから。」


「なるほど……」


「男子メンバーの紹介は食事のときでいいよね。今日のご飯はラーメンにしましょう」


 日向の発言に女の子たちは嬉しそうに笑った。

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