第162話 記憶
リンネアとの訓練はカメリアにとって、かなり過酷なものとなった。
なにしろ彼女の能力の規模が違う。リーダーの妻は、少女に岩を数時間動かすことをさせたり、高い丘を作らせたり、逆に低くさせたり、岩の雨を降らせたりと、まるで彼女らが天空を背負う役目を負うことになったギリシャ神話の巨人、アトラースになったかのように大がかりなことをやらせた。
もちろん細かい技や植物に関する魔法も教えることは教えたのだが、カメリア自身このような技は得意ではあったので、そこまで時間をかけることはなかった。
リンネアは訓練中は冷淡な人物ではあったが、きちんと弟子のことを思いやり、訓練が終わると必ず紅茶と菓子を、カメリアにごちそうした。
巨大樹を囲む城壁にある個室のカフェで、二人は数十分を過ごした。カフェを経営するのは、能力を失った30代以上のペストたち。もう戦えない彼らは農業か製造業などの仕事をするしかなかった。
「リンネアさまと
ふとある日、カメリアは師匠に尋ねる。リンネアは少しびっくりしたのか、しばらく動作を止め、目の前の少女を見つめる。弟子の目はきらきらと輝いていて、相当恋愛話を欲しているのだなということが推測できた。
リンネアは表情を緩め、優しく瞳を光らせた。
「そうね。それはもう何年も昔のことよ。知っているとは思うけれど、私は昔、フィンランドに住んでいたの」
彼女の話す声はいつもと同じく穏やかだ。
「知っているかもしれないけれど、私は9歳のときまで親、弟と一緒にフィンランドに住んでいたの。両親とも頭いい人で、父親は学者だった。でもあの人は気性が荒くて、冷酷でもあったから、いつもお母さんに手をあげていた。あるとき弟が泣き出しちゃって、そしてあの
私はそのとき本当に腹が立って、父親の足に噛みついたんだけれど、そんなことなんてもちろん無駄で、あの人は私の胸倉をつかんでもちあげた。服のせいで首が締まって息が吸えなくなって……私は死ぬかと思ったの。でも、そのとき能力が覚醒して、無意識に私は木の枝を床から生やした。そのままそれは父親の脳天に風穴を開けた。私は殺してしまったのよ、実の父を。でも仕方がないじゃない、弟を殺そうとしたんだから。
……ま、弟の止血を試みようとしていた母親は叫んで逃げてしまったのだけれどね。それ以来二人がどこにいるかはわからない。幸せであればいいんだけど……」
リンネアの身の上話が思っていたよりも過酷だったので、カメリアはどう反応すればいいかわからず固まった。その様子を師匠は気にすることもなく、淡々と語り続ける。
「そのあと私はなにをすればいいかわからないまま、父親の死体の横で数日を過ごした。もしたまたま下の階にペストの夫婦が住んでいなかったら、私は餓死か安保隊にでも見つかって殺されていたと思う。でも、神様のいたずらなのかなんなのかわからないけれど、私はその夫婦に引き取られて生き延びた。そのあと、私たちは人間からの迫害に恐れ、噂だけを頼りに『神の僕』を探して歩いた。
やっとの思いで、リチャードさん……つまり
楽園は美しく、平和で、穏やかだった。人間界では恐れられるペストの子供たちが野原を駆け回り、大人はただ仕事をする当たり前の生活が、この島にはあった。
他の人にとっては普通のことかもしれなかったが、ペストにとって平和とはなににも代えられない宝物であった。
島に来たリンネアたちを迎えてくれたのは12人の神官たち。当時はまだデルマーは島にはいなかった。今とは違う顔ぶれの神官たちを前に、親の後ろに隠れるようにして立っていたリンネアは、その中でも一人の青年に注目する。
銀色の髪に健康な色をした肌、黒翡翠の目を持った人物。当時18歳の彼には今の余裕はまだあまりなく、硬い表情をしていた。リンネアはその燃える意志の含まれた面差しに強く惹かれたのである。その青年こそがセオドア・リアム・フォーサイス。熱月である。
もちろん一般兵となった彼女と、島で一番偉い立場にいた彼はあまり会う機会がなかった。だが、リンネアの能力が強く、めきめきと頭角を現していったことで、彼女の噂を
「楽園」で一番美しいと言われた彼女に、
そして、リンネアが成人を迎えたとき、彼女とセオドアは婚礼をあげた。
セオドアは彼女に「リアム」と呼ぶよう伝えた。かつていた彼の家族は、そちらのほうの名前で呼んでいたからである。
その数年後、リンネアは12神官を引退した。
「家族を持つのって素敵なことよ」
リンネアは紅茶の入ったカップから立ち上る湯気をふぅっと吹いた。
「カメリアには家族になりたいなって思う人がいたりするの?」
弟子の頭に一瞬デルマーの顔が浮かんだが、慌てて消した。
「いやあ……」
「まあ、まだ早いよね。あ、そういえば児童養護施設から子供はもう引き取った?」
「子供……?」
「あら、まだみたいね。じゃ、帰りに寄りましょう」
師匠はふわりと微笑んだ。
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