第72話 取り戻す

 ウラジオストクについたあと、オクサーナはホテルをとった。この街はヨーロッパ風の家々が立っている、おだやかなところであった。


「はぁ、疲れたわねぇ。でも、これで一安心だわぁ。あの人たちが私たちの居場所なんてわかるわけないだろうし」


 オクサーナはやれやれと首を振って言う。


「さあて、ヒューゴ・ヴァンダイクさん。約束を果たしてもらうときが来たわ。私の妹、治せるわよね?」


「おそらくだが、そうだ。魔法をかけた人物はよくわからないが、自分と血が繋がっているらしいからな」


 オクサーナはイリーナに来るように言った。少女は機械のように従う。

 ヒューゴは彼女の頭に触れた。


「なるほど。記憶封印と洗脳か。だが、洗脳は中途半端だ。途中でブチぎられた感じで残っている」


「……治せる?」


「待て、集中しないとわからん」


 男はそのままじっと、数分間妹の頭を掴んだ。目は黄色に光った。彼もイリーナも動かない。

 オクサーナとキャサリンは唾を吞みながら、見守っていた。


 できることはすべてしたのか、ヒューゴは立ち上がった。その数秒後、イリーナが突然生気を取り戻し瞬きをした。


「イリーナ!!」


 オクサーナは彼女に駆け寄った。イリーナは自分の姉の顔をまじまじと見つめた。


「おねえ……」


 しかし、すべてを言うまえにイリーナは気を失って、オクサーナの腕の中に落ちた。困惑した表情を浮かべた彼女に、ヒューゴは説明する。


「記憶封印を解除したんだ。今まで溜まっていた情報がすべて流れ込んでくる。脳の処理が追い付かなくなったんだろうな。記憶を開けた人は必ずそうなる。大丈夫だ、いずれ起きる」


「……他の人も治療したことがあるのねぇ」


「まあな」


 ヒューゴは目をそらして言った。


「ありがとう」


 オクサーナは感謝の言葉を伝えた。ヒューゴはちらっと彼女を見た。


「ずっと5年もこのままで、私なにすればいいかわからなかった。でも、あなたが、あなたの存在がいたから、妹を治せた。本当に、本当にありがとう」


 涙目で彼女は言った。オレンジ髪の男は気まずくなったのか、またふいとそっぽを向いた。


「別に。君が俺を守ってくれただろう。 そのお礼だ」


「そんな謙虚にならなくていいわぁ。あれは義務みたいなものだもの。だからあなたにお礼をしたいのだけど、なにかほしいものはある?」


 うーん、と男は首を傾げた。


「そうだな、一つ目は安全な場所。君、アメリカでペストたちと一緒に暮らしていると言ったな。俺をその仲間にしてくれないか?」


 それを聞いたオクサーナは目を見開いて、手であごに触れて考え込んだ。


「どうだろう……。マダー様に聞いてみるわぁ。まあ、でも許可してくれると思う」


「そうか。それからそうだな……うまいものが食べたい」


「うまいもの……」


「ずっと一人暮らししているのだが、料理が下手でなにも作れん。いつも店で適当に買っていたが、それも飽きた。手料理が食べたいんだ。何かひとつくらい作れるだろう?」


「ええ、料理は得意なほうよ。何が食べたい?」


「……トマトスープ」


「なるほどねぇ。ちなみにどこ出身なの? あ、教えられなかったら別にいいわぁ」


「オランダだが、育ったのはロシアだ。10歳からずっと追われてここにやってきたからな」


「誰が追ってるの?」


 ここでキャサリンが口を出した。ヒューゴは肩をすくめた。


「俺もよくわからん。『神の僕』とかいう頭おかしいオカルト集団だ。俺を捕まえる命令を下してくるのは葡萄月ヴァンデミエールとかいう偉い奴なんだが、どうやらそいつは俺の同じ力をもっているらしい。微妙に働き方が違うがな。俺が幻術や読心術を使うとしたら、あいつは洗脳メインだ。俺は人を洗脳することはできん」


オクサーナとキャサリンは、黙って彼の話を聞いた。


「ま、基本、能力は遺伝で受け継がれるものだから、葡萄月ヴァンデミエールは俺の血縁者……ってことなんだろうな。そいつがなんで俺を殺したがるのかはよくわからん。だが、母親を殺したのはあいつで間違いない」


 霧月ブリュメールはあのとき、同じ立場であったけれども、「神の僕」全体はやはり友好的ではないようだ。将来ぶつかることもあるかもしれない……。キャサリンはそれを思って暗い表情をした。


 オクサーナは食材を買いにいったので、彼女を待っている間、キャサリンはぼんやりと窓の外で雪が降るさまを見ていた。

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