003 六歳 その2
『知能学習』はその名の通りだった。
本をとにかく読む。記憶する。数式を詰め込む。覚える。そういう学習だ。
ぞっとする。ここは少なくとも私が生きていた時代より先だろう? なんて前時代的なんだ。
スマホがあるんだぞ。記憶なんてしなくても登録された辞書なり計算機なりを使えばいいだろうに。
少なくとも学生時代の知識を私は社会人になってから使うことはほぼなかった。
使ったのは四則演算や多少の数式ぐらいで、いやもちろん専門職となればその限りではないだろうが……。
「いいですか。毎日学習の終わりにテストを行います。最も出来の悪い生徒には罰則がありますからね。それと最も成績の良い生徒にはご褒美として50アマチカをスマホにチャージします」
教壇に立つ神官様に対して我々は行儀よく「はい、神官様」と返事をする。ちなみにここで声を出さないと神官様に罰を受ける。
さて50アマチカか……チャージという言葉から通貨だと推測する。
いくらだ? このあたりの物品の値段を私はよく知らない。とはいえアマチカ以外の通貨単位がないならたぶんそこまで高くないだろうが。
(50円ぐらいか? もしかしたらインフレしててパン一つ10万アマチカする世界かもしれないが……)
ただこれを逃すことはできない。なぜならスマホに登録できる『スキル』とやらを購入するにはお布施として金、つまりアマチカが必要だからだ。
スキル一つがいくらするのかわからないが、このボーナスはぜひとも欲しい所だった。
(だから私は能力を隠さない。全力で生きるぞ)
目立たない、なんていうのは阿呆のすることだ。前世で(私がどうして死んだのかはわからないが)理解している。頑張った奴は偉いのだ。少なくとも、頑張らないで目立たずに過ごそうなんていうのは傲慢だ。
前世である私がいるから二周目の知能で楽々人生過ごせる? そんな馬鹿な。
そもそも、この肉体の限界を私はもうわかっている。
――私は
私は特別な子供にはなれなかった。
SSR四種のスキルを女神は私に付与しなかった。
与えられたのはRのスキル。
心の内側でのみ嘆息する。ああ、今はそれはどうでもいい。
重要なのは選ばれなかった、という点だ。
女神から見て私には特筆すべきものがないらしい。
つまりこの肉体、ユーリ少年は凡才なのだろう。
共感を得る。私も私の人生において凡才だった。がんばろう
――少なくとも、
ユーリ少年の記憶の中の父母の姿を、農場での生活を思い出す。
あれは
田畑どころか物品の所有を禁じられ、寝て起きて、働き、飯を食べて、働き、祈り、働き、そして死ぬ。それだけの人生を強制される存在。
(冗談ではないぞ)
幸い私は最初の選別で女神に錬金術のスキルを与えられた。これが農奴に関わるものであればこの学舎に留め置かれることなく農場に戻されて一生を農奴として過ごしたはずだった。
最初の選別を突破したのだ。
父母もそこは突破できていたはずだ。だが農奴に落とされた。次の選別があるのだ。
(一位だ。まずは一年目を一位で突破する)
肉体的には無理だろうが、頭脳ならばユーリ少年は私の補助を得られる。そうすれば金がもらえる。スキルにどんなものがあるかはわからないが、スキルで二年目を楽にする。
それとて私たちの才能ではいずれ通用しなくなるだろう。だがその前に偉くなる。この組織の中で成り上がる。ポジションを確保する。
確保……違う。そうではない。
――成り上がらなければならない。
飯がまずい。服がダサい。一人部屋に住みたい。物を持ちたい。
――そして世界を知りたい。
この世界は崩壊した日本のように見える
この身体の前の
疑問は尽きない。
偉くなる。偉くなって真相を知る。もちろん農場に戻されないことが第一で、できるならば将来的にある程度切り捨てられない地位に立つことが目的だ。
小さく息を吐く。
(だから、そう、とりあえずさし当たって……)
今後のテストで一位をとり続けることが重要だろう。
◇◆◇◆◇
知能学習が終わり、適当に見つけた中庭のベンチで昼食を食べる。
(ふぅ、やはり一位は無理だったか)
昼食は硬いパンと小さなバターの塊だけだった。私は持ち歩いている貸与品の中から金属製のコップを取り出し、中庭に併設されている水道から水を注いでそれで喉を潤しながらパンを食べる。
やはりこの肉体は凡人だ。一位を逃した。というか、記憶系の問題がわからず、テストの一位を逃した。
私の知能がありながら逃すのはもはや阿呆としか言いようがないが、やはり知らない知識を勘で当てるのは不可能だ。
(知識を得ないとな……)
テストの結果は80点。知能学習のクラスでも上位だったが、三十歳のおっさん、いや、お兄さんの知能がありながら一位を逃したのだ。全く褒められる結果ではない。
それに最後にあった記述問題……。
あれはたぶん、一位の生徒を何人も作らないための篩分けの役割だろう。もしかしたら101点とかもあるのかもしれない。
農奴のある世界で公平性など期待しても無駄だ。私は試験官たる神官様への心証をよくすべく努力しなければならなかった。
(とにかく記憶問題を頑張らないとな。前時代的とか言ってられないぞ……)
それに、生まれはどうなんだろう? 貴族とかいるのだろうかこの世界は。さすがに血統の良い奴を農場から連れてきた小汚い奴らと同じ学習を受けさせるとは思えないが……。
とはいえさすがにそんなことがあったらご褒美ボーナスは貰えないだろうな。神官様の心証以前の問題で、血統によって永遠の二位にされてしまう恐れがある。
(……ふぅむ、これ結構面白いな……)
食事をすぐに食べた私は考えながらも、貸与品の聖書を読んでいる。
次のテスト対策だ。
ちなみにこの
だが無神論者たる平均的な日本人として過ごした私には馴染みのない文化なので、ある程度目を通しておかないとユーリ少年の記憶を引き出すのが難しかった。
――やはりあまりうまく融合できてないな。
時間が経って我々には齟齬が生まれている。私の意識にユーリ少年の意識が押しつぶされてしまっている。
乗っ取るつもりはないのだが、そういうことになってしまっている。
ユーリ少年に拒否され、あとで二重人格になってしまっても困るのでこのあたり少し気をつけておきたいところだが……。
よくあるライトノベルのようにどこかの精神空間でユーリ少年と対決! みたいになっても困るのだ。
(ただ、ユーリ少年に身体を明け渡す、ということも難しいんだよな)
なにせ私にもどうなっているのかわからないのだ。このままゆっくりと融合していくのならともかく、私がユーリ少年を押し込めるような形になるのはよくない。
将来的にも、道義的にも。
どうにか二人の意識をうまく混ぜ込めればな……。
「ふぅ……それはそれとしてだ」
聖書は読み込まなければならない。
ええと、なんだ。
魔神がやってきて星の文化は一度滅び……? ふふ、宗教家らしいライトノベルだな。
「女神アマチカの権能あまねく地上に及び、モンスターを打倒すべく人々にスキルを賜った」
モンスター……? やっぱり異世界? うーむ、と悩みながら読み進めていく。
とはいえ午後の『学習』までもう少しだ。
聖書を読み込み、明日の試験こそは一位を取れるようにがんばろう。
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