208 帝国にて
――誰かが勢いに乗れば、誰かが沈む。
北方諸国連合加盟国が一つ、旧新潟領域を領土とする国家『ライスハーツキングダム』は春になって一ヶ月、四月の中旬にエチゼン魔法王国の侵攻によって陥落した。
対魔法王国用に特別に編成された『魔法無効』の特性を持つ、特別な装備を持たされた兵士たちが配備されていた国境砦群が、魔法王国自慢の頑丈奴隷部隊によって抜かれたのだ。
もちろん砦に駐屯していたのは対魔法特性を持たされた部隊だけではない。
国境砦群には北方諸国連合より送られていた精兵十万に加え、神国より送られていた二万匹のスライム部隊と五千匹の殺人蟹がいた。
だが対魔法兵を失った連合軍は、魔法王国の十二魔元帥たちによる戦場魔法によって無残にも蹂躙されるのみだったのだ。
もちろん何もできなかったわけではない。
大規模襲撃で培った防衛技術を用い、彼らはなんとか戦線を保とうとしたし、魔法王国の奴隷部隊に大打撃を与えた。
選りすぐった精鋭部隊による奇襲によって魔法王国の魔法兵に大打撃を与えもした。
だが、彼らは負けた。負けたのだ。
そしてライスハーツキングダム領内の各街を、エチゼン魔法王国より放たれた奴隷部隊は蹂躙した。
それは身分差なく、ライスハーツキングダムの住民全てに徹底的に、関係なく行われた。
何も持たぬ奴隷の戦士たちによって、彼らは何もかも奪われたのだ。
家を奪われ、富を奪われ、名も奪われ、ライスハーツキングダムの人間は番号で呼ばれる家畜となった。
怨嗟が土地を覆い、絶望が彼らの心を支配した。侵攻に成功したが今後の統治は困難なものになると思われたが、この怨嗟こそが魔法王国の強みだ。
ライスハーツキングダムの土地は戦功を上げた魔法王国の貴族たちに分割され与えられ、彼らは奴隷たちを使って農場や鉱山を稼働させる。
非魔法種族への弾圧を強めるが、それによって生産力や経済力を強化する技術ツリーが魔法王国には存在する。
圧政には何も問題はなく、むしろエチゼン魔法王国にとってはこれこそが最も効率の良い統治方法だった。
――そしてそれは北方諸国連合を震撼させる出来事だった。
負ければ奴隷にされる。噂で聞くのと実際にされるのでは全く恐怖が違う。
それに戦力的にも問題だった。
これは旧茨城領域を神国が占領したことによる圧力によって、くじら王国からの圧力が減り、対魔法王国戦線へと兵を送った矢先の出来事だったからだ。
だが、まさかたった一ヶ月で国一つが落ちるなど誰も想像していなかった。
そして魔法王国戦勝の報を受け、くじら王国の鯨波も動き出す。精兵の大半を失った北方諸国連合へ向けて、兵を繰り出し始めたのだ。
鯨波の行動の裏には、神国が教皇就任祭のために動けぬという確信があった。
ユーリは少なくとも一月は動けない。教皇就任祭に参加できなくなるからだ。
自らが枢機卿へと任じられる祝祭にユーリ自身が、参加せぬなど女神アマチカへの翻意と取られかねないからだ。
ゆえにユーリ派によって教区内は盤石であっても、ユーリ派によって本国での政治的な立場が難しくなっているユーリは、教皇就任祭に参加しないという行動は取れない。
だからこそのくじら王国の猛攻だった。
――しかし、この流れに乗れぬ国があった。
旧山梨領域を有する七龍帝国の帝都『ナーガ』。
その玉座にて女帝イージスは報告を聞き、顔を青褪めさせていた。
宰相のヘルペリオンはそんな女帝を気遣い、顔を強張らせながらもう一度報告するよう、眼下に跪く騎士に問う。
「本当に敗北……したのか。我が帝国軍五万が」
女帝の目の前には戦闘で負ったのだろう、未だ癒やされぬ深い傷を負った騎士が戦塵に塗れた鎧を着たまま、片膝をついて報告を行っている。
「はッ……我が帝国軍精兵五万は旧長野領域『アップルスターキングダム』の諸都市を焼き払い王都『アップルスター』まで迫ったものの……突如襲ってきた旧岐阜領域『アマゾン』の兵に背後より襲われ、また籠城中に、反撃の力を蓄えていたアップルスターキングダムの林檎兵の猛攻に戦線を支えきれず……」
騎士の報告に力がなくなっていく。顔は涙で濡れ、言葉には悔しげな響きが交じる。
「申し訳ありませぬ。女帝様、宰相様。あと一息でアップルスターを陥落させられたというのに、このような……このようなことで……」
「いや、構わぬ。貴公はゆっくり休め」
宰相が穏やかな声で騎士に言う。騎士は頷き、涙に濡れる顔を手のひらで覆いながらも頷いた。
この報告は、彼らにとっては、インターフェースによる情報で理解していたことだった。
だが、こうも他国との戦闘で連敗すればインターフェースが間違っていたのだと思いたくなる。
ゆえにわざわざ前線で戦っていた騎士の一人を呼び寄せ、報告をさせたのだ。
よろめきながら立ち上がった騎士が近衛騎士たちに支えられ、退場していく。
彼らが完全に退場するのを確認してから、女帝イージスは玉座に向かって腕を叩きつけた。
「『アマゾン』だと! あのクソ女、何を考えている!!」
宰相が同意の表情を浮かべ、酷評する。
「神門幕府の要請で近畿連合を背後から襲ったと思えば、今度はアップルスターキングダムの要請に応えて、我が軍に襲いかかる。かといって、何か得たものがあるかと言えば何もなし、つまりアマゾンの君主は何も考えておらぬのでしょう」
「仲の良い友人の要請に答えたぐらいの感覚か? それとも今の世界に対応しきれず迷走しているのか? 明確な同盟関係も何もないだろう、奴らは」
本来ならば近畿連合も七龍帝国もそのような狂人の相手をする義務はなかった。
だが、アマゾンの兵はとてつもなく強かった。神門幕府の攻勢に耐え続けていた近畿連合の軍や、アップルスターキングダムとの戦争で疲弊していたとはいえ、帝国軍を壊滅に追い込むぐらいに。
「
「アマゾンは――なん、だ」
宰相ヘルペリオンの声には、それ以上の愚痴は許さないという力が籠もっていた。
「
同盟国家は意気軒昂。弱国と見なしていた神国は三ヶ国を領有する危険な強国へと成長し、国境にはアップルスターキングダムの兵が虎視眈々と弱体化した帝国の領土を狙っている。
固有技術である『
帝国は早急に手を打たなければならなかった。
「徴兵を行い、兵の増強を……いや、王国に援軍要請を」
去年、帝国は王国と魔法王国の二国と人質を出し合うことで同盟関係を強固にした。
お互いの国家制度を考えれば同盟を反故にするのは悪手だ。いや、弱体化した北方諸国連合を食らうことに夢中な二ヶ国の状況を考えれば、彼らが帝国に襲いかかってくることはないだろう。
そんなことをするぐらいなら、北方諸国連合を貪ってから襲いかかった方が良いからだ。
特に三方に敵を抱えるくじら王国にとっては、まだ後背を守ってくれる帝国は必要な存在だ。
しかし魔法王国はそうではない。
北方諸国連合をくじら王国と共に食らった魔法王国が考えることは、弱体化した帝国に襲いかかることだろう。
逆に言えば、そのときまでは信頼できる同盟相手ということだが……。
そしてくじら王国はそのときどう動くだろうか。同盟破りの魔法王国に襲いかかるのか、それとも魔法王国に蹂躙される帝国に襲いかかるのか。
人質がいようが、好機であることに変わりはない。彼らは必ず帝国に攻め込んでくる。
それに三国同盟が破綻すれば次に危ういのは強大になった神国アマチカに接するくじら王国だろう。そのためにもくじら王国は帝国の領土を襲う必要がある。
時間が経過すれば周辺国家が敵となる帝国にとって、時間は敵だった。
女帝の頭の中で近隣諸国の計算が行われる。座して死を待つつもりはなかった。
どうすればまだ
「神国は、教皇就任祭を行うのだったな……」
「はい。我が国からも外交官を出しますが」
「……なんとか、教皇を暗殺できないものか……」
絞り出したようなその案にヘルペリオンは顔を顰め――否、と思い直した。
窮余の一策だが、今の帝国が打てる手としてはまずまずのものだろう。
「不死たる
「まずくじら王国に要請して、ニャンタジーランドの国境で動いてもらう。使徒ユーリは教区を守るために帰還するだろう。我が軍はその隙を突く」
「下手をすれば、全軍壊滅し、我が帝国は何もできずに周辺国家に飲み込まれることになりますが……」
「あとで死ぬか、今死ぬかのどちらかだろうが。ゆえに教皇が死に、神国が混乱した隙を狙い兵を押し込む。敵を殺すことではなく、玉璽を破壊し、処女宮を殺すことだけに専念する。玉璽を破壊できれば君主とそれに纏わる権能は全て停止する。奴らの軍は機能停止する」
「敗北した場合は?」
「お前でも十二龍師の誰でもいいから次の帝位に座り、神国には私の首でも送ってやれ。あとは好きにしろ」
「なんとも無責任なことですな。それで我が帝国が兵を繰り出した隙に、周辺国家に攻め込まれるかも、という危険性は?」
「アップルスターキングダムには停戦の使者を送れ、賠償は帝室の財産を処分し、それに当てよ。敗戦の補償を要求する諸侯にもだ。兵を動かす鯨波には『武龍剣』をくれてやれ。この際だ。権能一つで動いてくれるならば、それでいい」
なるほど、と宰相は女帝の目を見て頷いた。
追い込まれたものの目をしている。それはかつてこの地が荒野であったときに、宰相ヘルペリオンがモンスターによって息子を奪われた、ただの失意の老人であったときに仰ぎ見た女帝イージスの目と同じものだった。
「一戦だ。一戦で全てを決める。最後まで足掻くぞ私は。無様だと嗤われようが、最後に勝てばそれでいい」
そして女帝は言った。
神国には私自身が出向く、と。
宰相が目を見開き、イージスを見る。
「神国は、不死を殺さずに保存する技術がありますが……捕まりますぞ?」
「それならばそれでいい。最悪失敗しても神国は国事行為の最中に来賓を捕縛するような卑劣な国だと喧伝できる。私の身体一つで私のあとに帝国を治める者が楽になる」
「先年、攻め込んだのは我が国ですが? 女帝を捕縛する大義が奴らにはあります」
「賠償はした。謝罪もしてやった。そのうえで許さぬというならば、どの国家も神国と戦うときに徹底抗戦するようになるだろう。目先の利益に踊らされ、そのような軽挙をするようなら神国も我が国と同じように
帝国がそうなれば、神国との交戦経験のあるくじら王国とエチゼン魔法王国は神国には絶対に降伏しなくなる。
いや、同盟国の君主が捕まったのだ。彼らは大義名分を得られるし、帝国の諸侯にとっても死ぬまで戦う理由ができる。なりふり構わなくなれる理由ができる。
「そうなったなら、魔法王国に我が国への通行許可を出せ、王国にもだ。諸侯も反対はするまい。奴らにとっても神国は邪魔だからな。全軍を上げて攻め込んでくれるだろう」
「であるならば神国は三国によって分割され、我が国の
「そうなったら鯨波にでも降伏しろ。あいつはあれで
「降伏するならば神国でも同じだと思いますが?」
帝国臣民が下手に傷つかない以上、神国と戦わず降伏した方が得だと彼は女帝に進言する。
「鯨波ならばまだいいが……処女宮は
「嫌……ですか?」
「あの甘ったれに頭を下げたら、奴のことだ。私の命はとらんだろうが、私を下僕のように扱うだろう? 鯨波ならば最悪ばっさりと殺してくれるかもしれんが、不老不死のまま処女宮に嬲られ続けるのだけは嫌だな」
それに、とイージスは言う。
「帝国が神国に降れば魔法王国が南下し、帝国本土に侵攻してくるだろう。であるならばまだ同盟関係にある王国の方が時間が稼げる」
ふん、とつまらなそうに彼女は言う。
「そして力を残したまま鯨波に降伏するより、戦いきって何もできなくなってから降伏した方が諸侯どもも納得ができるだろう? 下手に力を残して鯨波の奴を苦労させるよりも徹底的に負けてから降伏した方が奴にとってもマシなのさ」
「結局、私たちは神国と戦うしかないのですな」
イージスは自嘲するように口角を釣り上げた宰相に向かって、同意するように兵の準備をするよう命令した。
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