180 旧茨城領域征伐 その3


 シモウサ城塞に対陣して一晩、我々教区軍の陣の周囲は氷壁で囲まれていた。なんとか一晩で完成したのだ。一夜城が。

 朝日が昇っている。銀の世界をまばゆい光が包んでいく。

 もちろん敵から身を守る氷壁だけではない。壁の裏側には夜を徹して行われた作業によって、簡易拠点がとりあえず作られていた。

 氷壁の上から見れば、きっと獣の皮で作られたテントが雪の上に立ち並んでいるのが見えただろう。

 地面の雪はまだ残っている。戦っていない期間に除雪などを行わねばならない。

 直接雪に触れなければ体温の低下は起こらないが、兵が安心して休める場所にしなければならないからだ。

「お疲れ様です。ユーリ。それと他の皆さんも」

 双児宮様が本陣としている士官用の巨大なテントに集まった私たち教区軍の幹部にお茶を淹れてくれる。

 本来は枢機卿でもある双児宮様がやる仕事ではないのだが、戦争では特にやることがないからと率先してやってくれていた。

 テーブルに並べたのは足が早い生鮮食品などだ。

 栄養バランスを考え、保存食だけにならないように教区からの食料補給ラインは作っているが、かといっていつでも万全に食べられるとは限らないので腐りやすいものから食べている。

「さて、夜を徹しての作業でなんとか一日目は乗り切れました。奮闘、感謝します。簡単ですが食事を用意しましたので食べながら会議を行いましょう」

 私の挨拶に皆が頷きながらそれぞれ軽食に手を伸ばす。

 そして、最初に発言したのはベーアンだった。

「ユーリ様、拠点整備、なんとか完了しました。次は持ってきた木材で頑丈な拠点を作ります」

「はい。まず傷病兵が安全に休める治療施設。次に休息中の兵が遊べる集会所やトイレなどですね。糞尿処理用のスライムを数匹持ってきていますから糞尿の処理にはそれを使ってください」

 ベーアンの報告を聞きながら私は返答をする。

「ユーリ様、そんな呑気で大丈夫なんスか? 遊ぶだトイレだって……」

 ウルファンは疑問を投げかけてくるが、私としてはこの問題は重要だった。

「二十日ほどを目安に考えていますが、こちらの兵員は少ないので、とれる疲労はできるだけ取らねばなりません。少しの休息でも最良の休息になるように努力しなければ負けるのはこちらでしょう」

 敵の方がレベルが高い。炎魔様やマジックターミナルがあるが、それだけで殺し尽くせるわけではないのだ。

 それに最終的にはどうしても近接での白兵戦に移行しなければならない。そのときに力を残しているかどうかで勝負は決まる、と言ってもいいだろう。

「トイレもそうです。私たち人間がそうですが氷結蟹だって生き物なので食べますし、糞は出します。六千の兵が出す糞の悪臭の満ちた場所で二十日もいたら頭がおかしくなりますからね」

 そう言えば、ウルファンはなるほど、と納得する。

 一応、兵の退屈を紛らわせるために数人だが、神官資格を取得させた演劇スキルを持つ獣人を雇ってきている。

 戦い続けさせれば疲れるだろうから、兵には休息日も与える(当然、緊急事態には動いてもらうが)。

「あはは、ユーリくんは戦地で内政でもするつもりなの?」

「炎魔様、戦争も政治ですよ。それよりバーディ、敵の様子はどうですか?」

「偵察兵からの報告ですが、貴族らしき個体が私たちが殺したオーガの死体で朝食を取っています。反面、下級のオーガやゴブリン兵などは飢えたまま武具の準備を始めています」

 飢餓状態の兵に力が出るとは思えないが、私がそんなことを考えていると炎魔様は面倒くさそうな顔をして「厄介ね」と言った。

「厄介、とは?」

「魔法王国でもたまにやるんだけど、あえて飢餓状態に追い込むことで死兵にして、短期的なパワーを上げるのよ。持久力はないし、脆いけどね」

 極限にまで判断力を削ればどんな弱兵でも死を恐れず戦うようになる、と彼女は言う。

「その突破力でまずは氷壁にとりつかせるつもりでしょうね」

「なるほど。で、あるなら今日は快晴なのが痛いですね」

 雪が降っていれば体温の低下で足も鈍っただろうが、今日はそうはならないだろう。

「とはいえ作戦通りであるなら完璧に守るつもりはないのでしょう? ユーリ様」

 シザース様の質問に、はい、と私は頷いた。

「今日は、壁を一部壊されるぐらいの抵抗でお願いします。完璧に守りすぎると敵の攻め気を挫いて籠城されてしまいますので」

 かといって、本気で負けても困る。我々が全滅する。

 だから、この難しい役目は防衛戦慣れしている神国兵に頼むことになる。

「ウルファン、ドッグワン、バーディは本気で抵抗して大丈夫です。ベーアンは補給や壁の修復を。シザース様、神国兵は敵に疲れが見えたところで敢えて弱めに抵抗し、穴を作ってください。そこに敵を誘い込みます」

 氷壁は脆く作っては居ないが、オーガどもの力なら破ることもできるだろう。

 だからあえて破らせることで敵にやれる・・・と思わせて、明日以降も氷壁に攻めてきてもらうようにする。

 そう説明すればドッグワンが感心した風情で口を開いた。

「攻める側のこちらを逆に攻めさせることで相手に砦攻めを強要するとは、さすがはユーリ様です」

「まともに城攻めができればそれがよかったんですけれどね」

 弱小国が強国に挑むならばどうしてもこういう形にせざるを得ない。

 四万の(建築作業中に多少は削ったが……)敵兵をせめて一万程度にまで削らなければ、敵城を崩壊させようが、兵糧を枯渇させようがどうにもならない。

 敵の拠点を破壊したり、食料を焼き払ってしまったせいで完全に余裕がなくなり死兵となったオーガどもが一度に攻めてきた場合、我々はこの氷壁だけで防げるだろうか?


 ――そこまでの自信は持てなかった。


                ◇◆◇◆◇


 グゴグゴと、巨大な玉座にオーガのボスが座っていた。

 それはオーガ種の特異進化個体であるサイクロプスが、レベル80になったことで更に進化したグレーターサイクロプスだ。

 十メートルにも到達する巨体を手に入れた単眼の鬼人種は、氷壁攻撃に失敗した部隊の隊長である、槍で串刺しにされた下位オーガを頭からバリバリと食らっていた。

 ボスの固有名は『グレタ』。

 ただしその名前で呼ぶことが許されているのはグレタのあるじ以外にはいない。

『人間か……ふん、わざわざ攻めてくるとは小癪な奴らよ』

 強大な王の威圧に、王の前に並ぶ配下のオーガたちが怯えて震える。

『我が出てもいいが……』

 グレタは最近は狩りにも出ていない。寒くて面倒だったからだ。

 それに敵軍一万にも満たない小勢だ。身体を動かすのにもちょうどよいと思えるが――ふむ、と顎を撫でるグレタ。

 自らの腕に埋め込まれた水晶を見る。

 それに主からの命令はない。威力偵察で判明した敵軍の内容は、人間兵とモンスターの混成軍六千程度だ。

 報告はしたが、主は命令不要と考えているだろう。

 グレタに与えられた指示はこの領域の維持だ。

 最初に人間兵がやってきたころは楽しげな主からあれこれ迎撃しろだのと命令が来ていたが、最近ではこの水晶から命令が来ることも少なくなっていた。

 この狭い領域から出られるときがいずれ来るからそれまで兵を鍛えておけ、というのがの指示だったが……。

(で、あるならば我の責務はこいつらを育てろ、ということだろうが……)

 眼下に並ぶオーガの将軍たちを眺めるボス。

 それぞれ特徴的な姿と名とスキルを持った特別なオーガたちだ。

 そして城の外に整列する、毎日狩りと訓練ばかりをさせたオーガども。氷壁攻撃で多少数を減らしたが三万以上の大軍。

 自慢でもなんでもない兵。ただの消耗品・・・だ。


 ――こいつらが集まっても、自分一人の方がよほど強い。


『おい、全軍の指揮権をくれてやる。お前が滅ぼしてこい』

 一番立派な軍装の『鬼馬将軍ハルトモ』へと命じるグレタ。『はッ、必ずや』と頷いたハルトモはオーガ特有の太い腕で大槍を掲げて、『生贄を!』と叫ぶ。

 オーガの呪術師たちがやってきて、夏に捕らえ、生かしておいたどこぞの国の人間兵たちの首が切られる。

 恐怖に固まった表情のまま、無数の頭が玉座の間に転がった。

『我が軍に勝利を!!』

 オーガたちが叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。その勢いは城を震撼させ、外にいるオーガたちへと伝わるぐらいに。


 ――広域呪術付与『祝福と怨嗟』。


 多量の生贄を使うことで味方の身体能力を向上させ、敵軍に身体能力を低下させる呪いを掛けるオーガの呪術だ。

『さて、では我がお前たちの援護をしてやろう。槍を寄越せぃ!!』

 グレタが玉座から立ち上がれば、人間の骨を呪術師たちが錬成して作ったグレタの二倍ほどの長さもある怨嗟で黒く染まった大骨槍が、十数名のオーガの手によって持ってこられる。

『炎の加護を!!』

 再び捕らえてあった人間の首が切られ、呪術が発動する。呪炎――けして消えぬ呪いの炎が骨の槍に付与される。

 バルコニーへと出たグレタ。眼下からはボスであるグレタを見たオーガたちからの歓声が聞こえてくる。

 グレタはそれに構わず、ぐっと、槍を掲げた。投槍の姿勢だ。

『ぬううううううううんんんんん――』

 弓をひくように力いっぱいに引き絞られたグレタの全身の筋肉が音を立てて震える。

『――があああああああああああああああああああ!!』


 ――ごう、と十メートルを超える骨の大槍が射出された。


 ぐん、と飛んでいく大骨槍。朝の静謐な空気を、青い空を引き裂き、呪炎を散らしながら敵陣へと向かっていく。

 鳥人どもから迎撃らしき小石がぶつけられるがそんなものではこの槍は止められない。

 着弾・・!! 大氷壁にまで成長した、人間軍の作った巨大で分厚い壁を大槍がぶち抜く・・・・

 その炎は氷に燃え移り・・・・、氷壁をみるみる溶かしていく。


 ――まばたきの間に氷壁に巨大な穴が出来ていた。


 居並ぶオーガの諸将どもがグレタに恐れと憧憬の混じった視線を向けた。

 そして骨の槍が飛ぶ過程で散った炎が戦場の雪に燃え移り、広がっていく。

 いずれ消えるだろうが、これで地形効果である『雪』も戦場から消え去る。

『ふん、こんなものだな』

 グレタの目が、氷壁に燃え移った呪いの炎がすぐに鎮火され、氷壁に水が掛けられ修復していく姿を捕らえる。

 なるほど、聖職者と工兵がいるようだが関係はない。

『氷壁の弱所を我自らが作ってやったのだ。ハルトモ、うまくやれ』

 グレタ自らが出ればあの程度の人間軍、すぐに終わっただろうが、部下を育てるのも主に忠実な将の仕事だった。

 配下のオーガどもが駆けていく。今日の夕方は蟹と人間どもでグレタは腹を満たすことになるだろう。

『オーガどもにも楽しみをくれてやらねばな……』

 人間狩り・・・・、退屈な冬に訪れた久しぶりの娯楽をグレタだけが味わっては流石に部下が哀れだった。


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