137 二ヶ国防衛戦 その8


『降伏せよ! 命までは取らない!!』

 『這いずり平野の戦い』にて、『応援』スキルを持った神国兵の一人が『拡声』のアビリティで神国幹部である十二天座巨蟹宮キャンサーの言葉を繰り返した。

 命は取らない。この言葉に決死の表情を浮かべていた王国兵たちの緊張が緩んでいく。「死なずにすむのか」という安堵が吐き出される。

『我が神国アマチカが誇る錬金術師、宝瓶宮アクエリウスによって、すでに諸君らの退路には簡易だが砦が作られている! 撤退は諦めよ! 降伏せよ!!』


 ――当然嘘である。


 宝瓶宮は船の建造や港の改修で忙しい。というより、彼女の部隊の多くは各地に貸し出されていて戦場になど連れてくることはできない。

 だが、この情報の真偽を、偵察部隊を潰された王国兵に確かめることはできなかった。

 そして神国兵一万二千が叫ぶ。『降伏せよ』と。

 一万二千人の降伏勧告。空気がびりびりと震え、地や森が揺れる。

 その威迫に王国兵は怯む。圧倒的な戦力差を見せられたことで彼らから戦う気力は失われていた。

 怯み、死以外の選択肢を与えられたことで、死の恐怖で維持していた戦意が萎えていく。

 王国兵には戦う気力を完全に失った者たちが現れ、棒立ちになってしまう。

 兵の中央で、大将軍である武烈クロマグロが鼓舞するために叫ぶが、兵たちは次々と槍や剣を取り落していく。

「王国の精兵よ! 立て! 立ち上がれ!!」


 ――戦う気になれるわけがなかった。


 これが戦う前だったなら別だった。神国弱しの風潮のあったくじら王国である。

 双方の戦力差が明らかになる前ならば、数倍の兵力を相手にしても戦う気概は得られただろう。

 だがすでに王国の精兵であるペガサスナイトと精兵騎兵部隊が全滅したあとなのだ。

 歩兵たちの頭によぎるのは、近づくこともできず、炎の玉に焼かれ、スライムに食われた、強かった戦友たちの姿だ。

 空を飛ぶペガサスが撃ち落とされる姿。あの輝かしい、王国の最強部隊が何もできずに焼かれていく姿。

 そして、その死体はスライムたちに食われてしまった。恐ろしい。ああ、なんと恐ろしい邪神の軍勢よ。

 神国の兵は一兵足りとも死んでいない。包囲は狭まっている。自分たちがまず戦うことになるのはスライムになるだろうか。

 食われながら、焼かれながら死ぬ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。


 ――槍も剣も捨てた王国歩兵が両手を上げて、神国側に歩いていく。


 そのあとは雪崩だった。助けてくれと走っていく・・・・・。それはもう兵ではない。恐慌するただの人間だ。

「待て! 歩兵どもよ! 待て! 止まれ!!」

 将軍や兵長たちが叫ぶも、止まらない。

 そして神国の陣地に迎えられた彼らは鎧を脱がされ、縄で縛られ、奇妙な指輪を指にはめられるものの、それだけだ。

 命は奪われない。それでまた逃亡が加速する。

 スライムたちも何かを命令されているのか、逃げる兵は襲わず、包囲をそのままに動こうともしなかった。

 安心した歩兵たちがそれで更に逃げ出す。

 さすがに王国への忠誠の高い貴族にして精兵である騎兵部隊は一人も逃亡せず、残っているものの、攻城兵器部隊の兵員も将軍を残して大半が神国側へと逃げてしまっていた。


                ◇◆◇◆◇


「歩兵どもが逃げるのを止めよ! 後ろから矢でも魔法でも撃ってやれ!! 逃げる者は殺せ!!」

「……余計逃げますよ、それでは……」

 愛馬に跨った武烈クロマグロが叫ぶも、侍従にして兵でもある壮年の男は呆れたようにクロマグロを止めた。

「それに、もはや歩兵がいたところで何の役にも立たないでしょう。まだ士気を維持している騎兵千だけの方が戦えます」

「ぐ、ぐぅうううううう!!」

 降伏勧告を聞いてしまったこと自体が間違いだった。何も考えずに突撃していれば、とクロマグロは唸る。

「く、クロマグロ様。陛下から通話が来ています!!」

 クロマグロは若い侍従の差し出したスマホを受け取った。

「なんだ? このようなときに」

 君主の権能でこの事態を把握したのだろうか。ほんの少しだけ通話ボタンを押すことを躊躇するクロマグロ。

 ああ、だけれど陛下、待っていてくだされこの武烈クロマグロ。今からこの囲いを突破し、神国に大打撃を与えて……恐る恐る通話を繋ぐ。

『馬鹿野郎!!!!!! このクソったれの無能野郎が!!!!!! なんで全滅しかけてんだてめぇ! 神国の軍が一万二千にスライムまでいたってんなら連絡しろってんだ! 脳みそ空っぽかてめぇ! 知能が馬並なのか? ああ? 馬は危険は避けるもんなぁ、馬以下か!! おい! おい! てめぇ!! 地図見てどれだけ俺が驚いたと――』

 君主による数分間の罵倒を聞きながら、クロマグロは槍を握る手に力を込める。

 無言で祈る。待っていてくだされ、せめて全軍を上げて、あの憎き神国に、我が槍による王国の強さを……!!


『――あー、もういいわ・・・・・。もういい。もういいぜクロマグロ』


 ひとしきり怒鳴って満足したのだろう。王である鯨波げいはの言葉は、クロマグロの耳に、いやに軽く聞こえた。

『爆薬が残ってんだろ。攻城兵器は神国に奪われないように全部破壊しろ。食料も焼け、武器も壊せ、それでお前らは自殺しろ。馬は残すなよ、王国で大事に選別した最高の名馬だ。奪われたらそれだけで王国に重大な損害が生じる』

「は?」

 クロマグロの冷静な部分は、鯨波の言いたいことを瞬時に理解した。

 もう負けたから、終わりだから、何もできないから、せめて敵の利にならないように、徹底的に終わってしまえ・・・・・・・と……。

『残った連中も捕虜にだけはなるなよ。神国には【教化】があるかんな。つーか、クロマグロ、てめぇだけは絶対に捕まんなよ。つか攻城兵器とかどうでもいいから馬とお前だけは絶対に死ね・・・・・! いいか! 絶対にだぞ! 必ず死ね!! てめぇがまず戦場から離脱しねぇと【武烈クロマグロ】もてめぇの【スキル】も回収できねぇんだからな! いいか! 君主の【絶対命令】だ! 部下にてめぇの馬の処分を命令して、てめぇはいますぐ死ね!!!』

「お、おぉおぉおおぉぉぉ……!!」

 槍が、力なく下がる。必死に保持していた鋼鉄の槍が重い・・……。

 君主が持つ権能『絶対命令』は、王権を持つ君主による絶対的な命令だ。その強制力は忠誠値の高さに影響し、王国国民の身体を支配する。

 クロマグロの鯨波に対する忠誠値は高い。死ななければならない・・・・・・・・・・

 だが……だが! クロマグロにはまだやるべきことが残っていた。

 身体が命じる自殺への衝動と戦いながら、クロマグロは必死に意思を絞り出す。

『おい聞いてんのか、この俺がてめぇが死ぬ声聞いててやっから! さっさと死ね!』

「……か、家族の……」

『あ?』

「兵の家族の、無事を……保証していただきたい」

『ああ、兵の家族な。わかったわかった。保証してやっから』

 背に乗るクロマグロの力ない様子に、愛馬が首を向けてくる。

 愛馬の目が自分を見て、どうしたのかと訴えかけてくる。

 こんな愛らしい生き物を殺さねばならないのか……戦友を、殺せと命じなければならないのか。

 クロマグロは、自分の身体から戦う意義が消えていく感覚を覚えながらも、必死に抵抗の意思を絞り出した。

 神国の降伏勧告は続いている……まだ時間はある。

 傍にいる侍従に手振りで紙をペンを要求し、クロマグロは侍従に使者となって神国へ降伏に関する交渉をしてくるように指示を出す。


 ――当然ながら降伏はしない。これは王との交渉が終わるまでの時間稼ぎ・・・・だ。


 侍従が神国の陣地へ向かっていく姿を確認しながら、クロマグロはゆっくりと鯨波に向かって口を開く。

 クロマグロは、冷徹で残酷な君主である鯨波を信用している。

 だから、鯨波が言葉どおりに家族の無事を保証するとは考えていない。

「……王国宰相と、他の大将軍は、その場に……」

 誰かいるなら、保証となってもらえる。だが……返答は無情だ。

『いるわけねぇだろうが! いねぇとこで通話してんだよ! てめぇ、負けたんだぞ? わかってんのか?』


 ――負けていない・・・・・・。まだ王国兵の意地を見せていない。


 そして自分たちが自殺するなど王国に悪しき前例を作ることになる。

 それを鯨波はわかっていない・・・・・・・。理解していない。

 もちろん今から鯨波を説得するなどクロマグロは考えていない。まずは連れてきた兵たちの家族の無事を保証してもらわなければならない。

 だが、鯨波王よ、理解してほしい。

 神国がこの勝ち方を覚えれば、きっと神国は癖になる。

 大量の兵で囲めば、王国兵は戦うことなく自殺する・・・・。そんな邪神教徒に相応しい勝ち方を覚えてしまう・・・・・・

 ゆえに、今ここでクロマグロが死にものぐるいで戦って、神国に王国兵侮りがたしの印象を植え付けなければならない。

 軽々に王国に戦争を仕掛ければ、火傷ではすまないとの印象を与えなければならない。

 だが、鯨波はそれを許さないだろう。優先すべきはクロマグロたちの処分だ。捕虜になる危険性を潰さねばならない。

 そしてクロマグロとしても、今優先すべきは兵の家族の無事だった。

「王よ。我が王よ、魔術契約を……兵の家族の無事を保証すると……!!」

 王国は今、人で溢れている。ここまで盛大に負けたのなら、負けた見せしめに家族の財産を没収されるなどは普通に有りえた。

 自分の家族は構わない。しょうがない・・・・・・。大将軍という地位にいながら、ここまでの敗北を喫してしまったのだ。

 だがクロマグロは兵たちが哀れだった。自分のミスでここまで酷い敗北を味あわせてしまった。

 教化は行われるのかもしれないが、うまく鯨波が交渉をすれば、身代金の交渉などがあるかもしれない。

 降伏した歩兵どもは殺してやりたいほど憎かったが、だからといって、帰れないなどあってはならない。そして帰って家族がひどい目にあっていれば、それこそ、自分の責任だ。

 そして鯨波の命令で突撃し、死んだ兵たちも浮かばれない。

 不甲斐ない戦いをさせてしまったうえに祖国に家族が害されたとなれば死んだ兵も亡霊となりかねない。

 だがクロマグロの度重なる懇願に、鯨波は応えなかった・・・・・・

『だから守るってんだろうが、何いっちょまえに忠誠値下げてんだ馬鹿。魔術契約なんか今すぐできるわけねぇだろボケカス! いいからお前が今すぐ死ねばいいんだよ! 早く死ね!! 早く!! 俺の地霊十二球が処女宮ヴァルゴのクソに奪われんだろうが!! あああああああああああ!!』

 スマホの先で何か破壊される音が響く。メイドが悲鳴を上げる声が聞こえた。

 その気持ちはわかる。クロマグロも先程まで同じ気持ちだった。

「なにとぞ! なにとぞ鯨波王よ! お頼み申します!! 王よ!!」

『うるせええええええええええええええええええええ!! 逆らうんじゃねぇよ!! 【絶対命令】だぞ! 逆らってんじゃねぇよ!! クソ、なんで効かねぇんだクソがッ!!』

 効いていないわけがない。鯨波が命令を重ねるたびに、雷撃なような衝撃がクロマグロの身体を走っていた。抵抗するたびにSPが大きく目減りしていることはわかる。

 だがどうにかして兵の家族だけでも、とクロマグロは懇願し続ける。

「わ、我が失敗に付き合わせてしまった、王国兵一万の家族の無事を……! それと降伏した兵どもの戦後の身代金交渉を……!! 皆、王国のために戦った忠実な兵たちです!! どうか! どうか!!」

できるわけ・・・・・ねぇだろ・・・・……この無能が!!!』

 ならば、せめて、戦って死ね・・・・・と命令してほしかった。

 どうせ炎の玉で焼かれるとしても、愛馬とともに戦って死ねるならそれは王国騎兵の幸福でもある。

 何よりも愛する愛馬ともを自ら殺して、それで死ねなど、王国への忠誠を維持することも難しい命令だ。

 いや、せめて兵の家族の無事を保証してくれるならそれでもいいのだ。

 大将軍として、兵に顔向けできる報告がしたい。自害させるにも、それなりの理由を用意してやらねば、騎兵たちもまた、神国側に傾きかねない。

 愛馬は、資源ではない。友なのだ。戦ってきた戦友なのだ。

『てめぇ、負けた奴がのうのうと帰ってきてそれで何もないなんて他の奴に示しがつかねぇだろうが、馬鹿か? 兵の家族だなんだってお前、北方諸国連合との戦いに勝った兵にくれてやるもんが必要だろうが? あ? あっちは戦勝報告が届いてんだぞ? そいつらに分配する資源で手っ取り早いのが負けた奴らの財産じゃねぇか。夫のいねぇ女も家主のいねぇ家も服も土地も財だろうが? あ? てめぇ、あんま俺が優しいからって調子乗ってんな? ふざけんじゃねぇぞ! ふざけんじゃねぇぞ!! てめぇの妻だの子供だの呼び出して今すぐ処刑してやろうか? ああ?』


 ――ああ、もうだめだ・・・・・


 クロマグロの忠誠の糸が切れる。鯨波の慌てた声が聞こえる。ダメだ。もうだめだ。王国への忠誠を維持できない。

 鯨波は優秀な王だ。ただの荒野だったくじら王国を大きく育てた立派な王だ。モンスターの脅威から王国の民を守り、いまもまた、土地を広げるために他国との戦争を始めてくれた。

 失敗したのは自分だ。無様に負けたのはクロマグロなのだ。だから悪いのは自分で、鯨波の言うことは正しい・・・


 ――だから、忠誠を誓うことはできない。


 せめて戦って死ねと命じてくれたなら、と何もできずに揺れ動くクロマグロの元に交渉に赴いていた侍従が帰ってくる。

「……クロマグロ様、その様子では……」

 通話を切ったスマホを傍の兵に返しながら、クロマグロは力なく頷いた。

「鯨波王は、我らに自害せよと命じられた」

 鯨波の『絶対命令』は効いているが、もはや身体を走る電撃は無視できる程度だ。

「そうですか。こちらの交渉は、まぁ多少はマシになったかと思われます」

 マシ? と問うたクロマグロに侍従はにやりと笑ってみせた。

「はい。神国の獅子宮レオとの一騎打ちにクロマグロ様が勝利したなら、この場の全軍の本国への撤退を認めるそうです」

「……ふ……ふふふ……」

 疑う理由はない。この期に及んで罠にかける必要は神国にはないからだ。

 いや、どうしても無傷で王国兵を確保したい神国側の事情が透けて見える提案。

 鯨波が兵の家族を保護してくれたなら、きっとクロマグロは素直に自害しただろう。

 だがどうにもならなかったクロマグロは、神国の提案を了承するのだった。


 ――するしかなかった。


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