033 女神の怒り


 処女宮ヴァルゴは激怒した。

 必ず、かの邪智暴虐の双児宮ジェミニを除かねばならぬと決意した。


 ――別に、そんなことはできないのだけれど……。


                ◇◆◇◆◇


 神国アマチカ、その首都にある、とある廃ビルを改装したものが処女宮の屋敷になる。

 十二天座に払われている莫大な給金の多くが投じられたそのビルの地下には、他の十二天座にも気付かれないように作られたシェルターもある処女宮の精神の拠り所の一つであった。

 とはいえ緊急事態でしか使われないそのシェルターは閉じられており、処女宮は現在自室である巨大な部屋の隣に作った、こじんまりとした私室のベッドでごろごろと転がっている。

 処女宮であり、女神アマチカでもある天国千花はスマホのSNSアプリを注視して唸った。

「ぐぬぬぬぬぬぬ」

 メッセージを早朝から連続で送ってもユーリからの返信はない。

 初日はいちいち返信してくれたのに今は何を送っても梨の礫であった。

 とはいえ一応、目を通してはいるらしく既読の文字がついているので千花は構わず「寂しい」だの「構ってよ」だのとメッセージやスタンプで攻勢をかける。

 するとユーリから怒りを表した猫のスタンプが帰ってくるので千花はふふっと笑う。

「やった!」

 やったではない、とユーリがいれば言っただろうがこの場に本人はいない。

 ちなみに猫とは帝国に生息する耳と尻尾の生えた、虎のような小動物で、神国でも輸入された個体がペットとして可愛がられている。

 かつて崩壊する前の日本で千花が慣れ親しんだ猫そのままの生き物で、愛らしさによって神国でも親しまれている小動物であった。

 千花も飼いたいと思っているが、ペットを飼うとなれば弱み・・に直結するのでしないでいる。

 千花が使徒を作らないのもそのためだ。

 ユーリほど突出している子供・・であれば気軽に頼ることもできるが、人間は賢くて、強くて、成長レベルアップしすぎると、少し怖い。

 彼ら信徒は信仰ゲージを高く保つことで裏切りを防止できる。

 だがそれは女神アマチカを奉じる神国アマチカを裏切ることはない、という意味であって、処女宮である千花のことは平気で裏切ることができるのだ。

 そういった国民ですら、大規模襲撃のような状況であれば肉の壁にすることもできるが……。

 普段の生活においては独自の考えで千花の身辺を探ることぐらいは容易にしてくる。

 いざとなれば女神の勅命で操ることもできる。

 だが、危急のときに命を懸けさせるためには普段から信仰ゲージを使わず高く保っておく必要があった。


 ――神国も一枚岩ではない。


 特に枢機卿同士の争いは、ときに国民に血を流させる。

 人間は三人集まれば派閥ができる。数万の国民が暮らすこの神国アマチカでもそれは同じで、女神にしか任じることのできない枢機卿という至上の座でなくとも、その下である使徒や神官の高位を狙う者たちは多かった。

「さて、遊んでないで仕事しよ」

 寝転んでいた千花はスマホを放り投げるとメモ帳を取り出した。

 ユーリから大規模襲撃のときにアドバイスされたことを纏めた「やっておいてくださいリスト」だ。

「うん、できてないね」

 それは何一つできていない。

 壁の建設も、防衛施設の建設も、道の整備も、何もかも。

 戦争用の軍隊を作ることなど口にすることもできていない。戦争を避けるべく活動している双魚宮ピスケスに怒られるからだ。

 そもそも千花が担当している処女宮は会議においてそこまで強い権限がない。

 担当している部署が特にないからだ。

 もちろん以前の会議のように女神アマチカの言葉である、と勅命で無理を通しても良かったが……。

「そこまで信仰ゲージ回復してないんだよね……」

 大規模襲撃の影響が未だ残っていた。

 大規模襲撃を乗り切ったことでゲージの上がった枢機卿もいるが、大半の枢機卿の信仰ゲージは下がっている。

 特にユーリが便利に使い倒した人馬宮のゲージやバリスタで飛ばした金牛宮の低下は酷い。

 他国との外交においてユーリが機嫌を大いに損ねたらしい双魚宮のゲージもまた下がっている。

「あと……双児宮あのこも……」

 信仰ゲージとは別に存在する忠誠度もいくらか下がっている。

 彼らのゲージを回復しなければユーリが言う案件を無理やりでも通すのは厳しい。

 もっとも、千花はゲージを使いたくなかったが。

 何か危急の際に枢機卿が言うことを聞きませんでは困るし、大きく忠誠度の下がった枢機卿は稀にだが国益を無視して自分の利益となる行動を取りたがってしまう。

 とはいえ、大規模襲撃を乗り越えた成果として獅子宮と巨蟹宮、宝瓶宮のレベルと忠誠度は大きく上がっている。

 彼らを上手く使えればな、と千花はメモからインターフェースに視線を移しつつ、手足をベッドの上で大きくばたつかせた。

「あああああああああもおおおおおおおおおおおおユーリくんがやってよこういうのは!!」

 せっかく任せられる人を見つけたのに、と千花はユーリがいる学舎をマップの上からつんつんとつついた。

 タップしても出てくるのは学舎にいる教師とドローン教師、それと生徒の数に設備の質の情報ぐらいのものだ。


 ――詳細情報の閲覧を双児宮が禁止ロックしているのだ。


 総力戦のように君主ちかの生命が左右される状況になれば強制的にロックが解除され、あれこれと操作もできるが、平時であればこんなものだった。

 とはいえ以前は生徒の名前ぐらいは調べられたが……。

(双児宮、怒ってるなぁ……完全にロックされちゃってるし)

 学舎の生徒を徴兵した結果死人が出たことで千花、というより女神アマチカは双児宮の機嫌を大分損ねていた。

 信仰ゲージの減少はこういう部分でも出る。無理を通せばそれだけ枢機卿たちの権能に干渉できる部分は減っていく。

 逆に言えば宝瓶宮アクエリウスの技術ツリーなどガバガバも良いところで、頼みもしていないのにあれこれと現状を知らせてくる状態になっている。

(宝瓶宮だってユーリくんとアドレス交換したって言ってたのにさ……調子いい人だな宝瓶宮も)

 だいたい私が先に使徒にしたんだから自重してほしいよ、と千花はユーリのSNSに何度もスタンプを送って反応を催促する。

 反応してほしかった。返信してほしかった。

 こうして双児宮によってステータスを見ることもできないことが苦痛だった。

 でなければ……。


 ――本当に、ユーリという少年がいたのか、疑ってしまうから。


 あんな都合の良い存在。千花がこのわけのわからない崩壊した日本に招かれて、10年の間に一人も存在したことがなかった。

 悩みを全部解決してくれて、千花の言うことを全部聞いてくれて、何もかもやってくれて、頼みもしないのにやっておくべきことまで教えてくれた。

 そして怖くない。子供だから・・・・・、危険を感じない。

 だから使徒にしたいのだ。双児宮みたいにならないように。

「ユーリくん。何か教えてくれないかな……」

 見ているのに返信してくれない。それが寂しくて、千花はじっとスマホを見つめていた。

「寂しいなぁ……」


 なお同時刻、宝瓶宮が研究の合間にユーリに対して大量のメッセージを送っていたことを千花は知らない。


                ◇◆◇◆◇


 白い少女が学舎の図書館にいた。

「ふぅ、今日は平和でしたね……争いもなく、子供たちは元気でした」

 ユーリが毎日図書館で見かける少女である。

 一度も話したことはなく、少女も話しかけたことはない。

 それでも問題はなかった。

 今まで・・・は、問題がなかった。


 ――これからはそうでないかもしれない。


 さて、と少女は椅子に座ったまま、宙空に向けて手を振ってみせた。

 それはただの生徒であればあり得ない仕草。あり得てはならない仕草。

 だが、彼女がただの生徒でないならば自然な動作となる。

「これが大規模襲撃を指揮したローレル村のユーリが選んだ生徒ですか……」

 そう、たとえばこの少女が宙空のウィンドウ、つまりインターフェースを開き、そこに映る様々な生徒の情報を把握できる立場にあるとするのならば。

「ふぅん、面白いですね。これが六年後に必要な人材になると……なんででしょうか?」

 書類を提出した神官が添付した説明を見ながら少女がふむふむと可愛らしく頷いてみせた。

 少女はユーリを知っている。

 一年間見てきたのだから。

 少女はユーリを知っている。

 ずっと注目してきたのだから。

 彼が関わると様々な生徒に良い影響がある。成長がある。発見がある。

 教育に関わる枢機卿としてそれはとても喜ばしいものだった。

「ああ、なるほど。面白いですね。そういう視点ですか。わかりました。がそう決めたのなら信じてみましょう。ただ最近は蟲が多い……いえ、女狐でしょうか……狐というものは見たことがありませんが。女狐。ふふ。女狐」

 処女宮、宝瓶宮、と呟いた少女は可愛らしい顔に似合わない嘲笑を浮かべてみせた。

「あのあばずれども。私の可愛い子供たちを取ろうなんて、なんて酷い奴らなんでしょう」

 十二天座の一人にして、国内の生徒の教育を一手に引き受ける双児宮の信仰ゲージは最低の値にまで減少していた。

 それは大規模襲撃によって、自らの守護する領域の生徒を連れ出され、殺されたからだった。


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