178 旧茨城領域征伐 その1


 雪原の果てには巨大な城塞が見える。

 かつて『ハバキ連邦』と呼ばれた国家がここにあった。

 目標はその首都の跡地に建てられた鬼人種オーガの城。約四万のオーガやゴブリンを収容する強大無比な城塞だ。

「様子に変わりはないですか?」

 城塞が目につく地点にまでこそこそと隠れながらやってきた私に、先に現地入りしていた天蝎宮スコルピオ様の偵察部隊の隊長がやってきて、はい、と頷いた。

 周囲の木々は切られてしまって見晴らしが良いが、私たちは白い布を被って、雪の中に横たわりながら敵を見ている。寒くはない。耐寒スキルがある。

「資材回収のための部隊が出る以外は、上位種がたまに狩りをするぐらいで、奴らずっと籠もってますね」

「資材回収部隊は城塞に戻る途中に潰すとして、ふむ、上位種が孤立してるならここで狩っておきましょうか。宣戦布告にちょうどいいですし……それで、その狩りはいつ頃ですか?」

「晩飯の足しにそのへんの動物系モンスターを狩りに出てるようなんで、もうすぐですね」

 空を見れば太陽は中天に登っている。昼食後の休みに身体を動かす感覚だろうか?

 今は気温が少し高いな……こちらの攻撃は陽が落ちてからがいいだろう。

「しかし警戒してるんですか? これで」

 城塞を遠目に見ても、旗が翻り、歩哨が歩いている以外は特に物々しい気配はない。

 一応、城塞からはまだ見えない位置に、私が連れてきた六千の軍勢が待機しているんだが。

 隊長は「そちらさんの鳥人のせいで数日前までは騒がしかったですが……」と言ってから、考える素振りを見せる。

「推測で構いません」

 では、と隊長は城塞を示してから「連中、食料が足りないんでしょう」と言った。

「小勢の我々や鳥人を嫌がらせだと判断したのか、数日前より警戒がぷっつりと止まりました。巡回部隊を動かすのにも食料が必要ですんで。根拠としては、城塞の炊飯の煙がゴブリンの繁殖地を焼く前と焼く後では随分と減ってます。それと内部で喧嘩が増えてますね。ほら、見てください。城壁に吊るされてるオーガの死体があるでしょう。喧嘩で負けた個体への制裁・・です。あれが明日には引き上げられてあいつらの食卓に並ぶんでしょうな」

 望遠鏡を手渡され、それで城壁を見れば、確かに何十とオーガの死体が吊るされている。

 日に数十か。春まで待っても千ぐらいしか減らないな……。

 ちなみに、食料が必要というのは、ただ生きていくだけならともかく、何か目的を持った行動をするためには、その余分のためにエネルギーが必要、という意味である。

「巡回すらできないほどに弱っている、というわけではなさそうですが……それで警戒を止めるんですか?」

「兵糧攻め、と判断したんじゃないですかね。その場合、周囲のゴブリン繁殖地は軒並み焼かれてますから、これ以上巡回する意味も薄いでしょうし」

 もしくは小数の偵察兵と鳥人兵五百名で城塞は落とせない、と判断したのかもしれない。

「結果として緊張は解け、食料不足で見張りの目も緩んでます。連中、満足に食えてないのか我々のことも発見できてませんし」

 我々が被っているこの白い布にはランクの高い隠蔽スキルが付与されている。とはいえ見破れないものでもないのだが……。

 望遠鏡で城塞の望楼などを確認する。

 見張りのオーガも別に弱い個体というわけではないんだろうが……それにしたって、脆いな・・・

 二ヶ月あれば囲んでいるだけで……ダメか。雪が終われば周囲の森に動物型モンスターが大量に湧くだろう。それで奴らは腹を満たす。

 どちらにせよ、冬が終わればくじら王国も動くだろうし、奴らとて無能ではない。周囲にも鬼人種の領域はあるのだ。春になれば雪が消え、連携が復活してそこらから小規模な群れが襲ってくるようになるだろう。包囲は維持できない。

 一ヶ月であの巨大城塞を落とす方法か……。

 実際に目にすると、巨大都市にも見える城塞を落とすにはとても頭を使う必要を感じた。


                ◇◆◇◆◇


「ユーリ様! 連絡にあったオーガども、倒しておきました!!」

 軍の一時的な陣地に戻ってきた私はドッグワンから狩猟に出たらしい上位オーガの首を見せられる。

 周囲には犬族の戦士たちがそれぞれ護衛らしきオーガの首を両手に抱えてついてきている。

「よくやりました。ドッグワン、その頭はあとで使うので大事にとっておいてください。ああ、事前に目玉を抉って……目と口に糞を詰めておいてください。それで負傷者は?」

「数で圧迫して囲んで殺しましたが、数名。治療は終わってます。死者はいません」

 ドッグワンはついてきていた兵士に頭を押し付けると、言われた通りにしろ、と命令した。

「ベーアンは準備していたものを作りましたか?」

 確認しろ、とドッグワンが言えば駆け出していく部下。

 スマホで聞いても恐らくベーアンのスマホは部下からの報告でいっぱいだろうから、今は人を向かわせた方が早い。

「しかし、あんなものどうするんですか?」

「冬場ですからね。鉄や石より効率が良いので」

「木と藁が、ですか? ユーリ様を疑うわけではありませんが、気になりますね」

「安心してください。変なものではありませんよ。ちゃんと実験もしてきましたからね」

 しばらく兵の様子を見ながら待っていれば、ドッグワン配下の兵が雪原を平地を走るよりも早く戻ってくる。

 彼はスマホで撮影しただろう画像を見せてくれた。

「できていました! いつでも移動できるそうです!!」

 よし、と頷いた私は、陽が落ちかけていることを確認すると全軍への移動を命じるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 城塞の望楼。そこに三メートルにも達しようという巨体の赤肌の巨人がいた。

 レベル50ほどのそのオーガは空腹に呻く腹を抑えながら、遠目に見えるそれに反応する。

 軍勢だ。人間の軍勢。最近はちょっかいを掛けてこなくなったが、以前は頻繁に隣国から兵がやってきたものだ。

 その度に撃退して、釜茹でにして食ってやったことを思い出すと口の中がよだれでいっぱいになる。

 ぐごぐごと隣に立っている同僚に声を掛ければ、そのオーガもぐごぐごと呻きのような彼ら特有の会話を交わしていく。

 しかし、奇妙な軍勢だった。

 獣人混じりの人間の軍勢は巨大な木組みの柵を掲げていた。あんなもので弓矢を防ぐつもりかとも思ったが板が張られているわけでもなく、干し草のようなものがひらひらと幕のようにくくりつけてあるだけ。

「ぐが?」

 よくわからないが、敵は敵だ。歩哨のオーガたちは銅鑼を大きく鳴らす。

 すでに他の歩哨も敵を発見していたのか、大きく銅鑼を鳴らし始める。

 人肉は久しぶり――いや、肉であるならなんでもいい。周辺の食料庫を焼かれたために今は場内で飼っているゴブリン女王が産むゴブリンしか食べるものがないからだ。

 気が早い連中――白狼に乗ったゴブリンライダーが開門した門から飛び出していく。ぐがが、とオーガたちも弓を構え、遠目に見える軍勢に向かって射掛けていく。

 だいぶ距離は遠いが、スキルの補助がある。進化系統――『オーガの弓手』のパッシブスキル、飛距離と威力を増強させる『鬼人の剛弓』。

 かつてこのオーガの歩哨は人間兵どもをこの矢で二、三人まとめてぶち抜いたのだ。


 ――空に影が見えた。


 空腹で集中力が下がっていた。夕闇の空に溶け込むような、迷彩服の鳥人兵が空に大量に出現していた。

 記憶に新しい連中。ゴブリン繁殖地を焼いた奴らだ。恨みがある。殺してやりたい。だが、鳥ごときに何ができるのか。歩哨のオーガが考える間もなく彼らが翳した筒のような道具から小石が散らされる。忘れていた。いつもの手だ。

 大量の小石をぶつけられて勢いを失った矢が失速し、方向を変えられて、地面に落ちていく。

 風魔法の膜ではなく、小石を散らすあたりがいやらしかった。以前この地にいた人間の軍は、オーガの弓を風で散らそうと考えてはそのまま腹を貫かれて死んだというのに。

 まぁいい。まずは先鋒のゴブリンライダーが雪上に展開している人間どもをかき回す。

 耐雪スキルはないものの、白狼種の移動力は高い。

 援護もなしに突っ込んだから、人間どもに槍だの剣だので突かれて死ぬだろうが、雪で弱った人間の軍をかき回すぐらいの役目は……。

 人間の軍勢の中にいる狼族が構えた弓矢で五百名ほどのゴブリンライダーは何をするまでもなく殺されていく。

 ほう、とオーガの歩哨は唸る。ゴブリンライダーがいくら死んだところでどうでもいいが、これで敵の戦力がだいたいわかる。


 ――強敵だ。


 とはいえ数の差は覆せない。なぜか人間の軍勢の前に蟹の軍勢が並んでいるが、総数はそう多くない。

 オーガの歩哨は望楼の上から大きな手と手をあわせて、遠目に見える人間の軍勢を指で四角く囲むと、囲みの中の人数を数える。

 整然と並んだ百人。この囲みを人間の軍勢に合わせて頭の中で並べていく。三千ぐらいだろうか? 蟹も同じやり方で見れば三千。あとはなんだかよくわからない鉄の塊が十ほど動いている。派手そうな赤い女がその上に座っていた。

 傍にいる小さな子どもに何かを聞いているようにも見える。赤い派手な女が指揮官だろうか? 腕をぽきぽきと折って、悲鳴を聞きながら食べたらうまそうだ。

 そんなことを考えていれば、上司のオーガがやってくる。隊長だ。隊長はオーガの歩哨を城壁の上に並べると、その頭を殴りつけて回った。

 部下を殴ったオーガ隊長は溜飲を下げてから、どうしてここまで近づけさせた、などの言葉をひとしきり叫んで報告を求めてくる。

 この隊長も冬場のつらい時期に餌がやってきたぐらいに認識で、人間が来てむしろ嬉しいだろうに、偉そうに、と内心で罵ってから歩哨のオーガたちは見たままを報告した。

 彼らがそんなことをしている間にも城下では迎撃の兵が集まっている。雪の影響もあるがオーガは強い。正面から揉み潰して終わりだ。

 それはオーガたちにとっては冬の間に来た、つまらなくも楽しいイベントのはずだった。

 餌の大軍が自ら来てくれた、その程度の出来事。


 だが――その認識も変わる。


 人間たちの中から派手な赤い女が進み出て、呪文を唱え始める。生まれるのは小さな赤い鳥だ。

 雪の精霊種エレメンタルに似ている。炎の精霊種だろうか? 鳥のようなそれは足に何かを掴むと、城に向かって飛んでくる。

 同僚の歩哨が反撃のために弓矢を撃とうとすれば隊長に制止された。隊長は掴んでいる何かが気になるのだろうか?


 ――否、否である。


 凄まじい圧迫感を覚え、歩哨のオーガは城壁の上にいつのまにか片目のオーガがいることに気づいた。

 鬼眼将軍ヒデヤス。小柄ながらもその剛力はオーガの中でもトップクラス。それでいて動きは疾風のように早く。その用兵は雷神がごとき鋭さ。

 まさしくオーガの中のオーガ。オーガの英雄である。

 その彼は弓を構えると、炎の鳥を次々と射ち落としていく。それはオーガの英雄の、ほとんど一射に近い早業だ。

 オーガたちがその強さを讃えて、叫びを上げる。ヒデヤスは片手を上げて、兵の歓声を受け止める。

 そして彼は兵たちに地面に落とされたものを確認するように指示を出す。

 城門の前に落ちたそれに数匹のゴブリンが向かう。

 拾ってきて戻る。上司のオーガに報告していた。そして、そのゴブリンは憤怒のままにオーガに殺された。


 ――グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!


 城門付近のオーガが叫ぶ。オーガの勇士が人間に殺された。侮辱された。その目と口に糞を詰め込まれて首が投げ込まれた。

 情報が伝わっていく。歩哨のオーガも内心から怒りが湧いてくる。憤激である。仲間が殺されたことの怒りではない。オーガという種が舐められたことへの憤激である。

 怒りによって出兵準備が素早く整っていく。気が急いたのか突撃していく者も現れる。誰も止めない。むしろ応援する。


 ――人間よ! 人間よ! その愚かさを、我らが鉄槌にて理解するがいい!!


 そんなオーガたちは、その直後に、愚かしきものを見ることになる。

 蟹の前に立った熊族の兵たちによって、次々と建てられていく木の柵。木の柵だと――そんなもので防げると思っているのか!!

 歩哨の目には駆け出していくオーガたちが矢で次々と射られ、炎や氷の魔法で傷つけられるのが見える。

 だがその程度ではゴブリンならともかくオーガは止まらない。一人のオーガが木の柵にとりつき、そのままを頭から被った。


 ――水?


 冷たさに、思わずオーガたちの動きが止まる。

 大量の水が、鳥人兵によって上空より降り注ぐ。水源を持っているわけではないのに、石礫を出した筒から水が出ている。人間が使うスマホ魔法だろうか? 

 だが気温は低い。周囲の雪の影響もある。場は冷えている。木の柵に水がかかり、凍っていく。ぶら下がっていた藁の周囲を氷が覆っていく。

 木の柵に取り付いたオーガがそのまま凍っていく。雨でもないのに大量の水が降っていく。攻撃魔法でもなんでもない、ただの水が永遠とも言える時間降っている。

 オーガたちがその様を呆然と見ていれば、慌てた隊長によって、矢を放つように命じられる。

 だが流石に遠すぎる。英雄たるヒデヤスが放つ矢は届くが――石の魔法によって落とされていく。

 オーガの部隊が小数飛び出すも今度は強力な炎の魔法によって焼かれていく。近づけない。

 そして、数分もしないうちに立派な氷の防壁が目の前に出現していた。

 その氷の上にまた木の柵が建てられる。水が降ってくる。

 馬鹿な、とオーガの誰かが呟いた。

 誰が想像しようか。

 この極寒の地で、資材もろくに持ってきていない人間どもの手によって、城塞の前に、巨大な氷の防壁を作られるなど……!!



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