066 東京都地下下水ダンジョン その10
「キリルがいない?」
牢のある階層に
私を牢に入れたとき以来である。
「はい、キリルさんが数日前から行方不明なんです。ユーリくん、何か知りませんか?」
牢の中、本を前に畳の上で正座をしていた私に向かって、鉄格子の向こう側から
私は息を吸って、心を落ち着けようと努力する。キリルが行方不明。どういうことだ?
私の意識とは別に、手のひらが小刻みに震えているのがわかる。
これはユーリの感情だろうか? わからない。私の感情かもしれない。
落ち着けよ、と私は
「はい。知りません。この通り私はここから一歩も外に出ていません。いえ、もちろんキリルの心配はしていますが」
「本当に? 何も知らないんですか?」
「はい。ここから出ていませんから、知りません」
双児宮様が私を不審そうに見てくる。本当に知らないのでそういう視線はやめてほしい。
(この人に対する怒りの感情が私の中にある……)
ふと、頭の中の冷静な部分が思った。
――ここでこの人を捕らえてしまうのはどうだろうか?
キリルのことは本心から心配だが、これはチャンスではないかと考えた。
地下には兵もスライムもいる。巨蟹宮様も私が強く利益を主張すれば
国の有事だ。会議室で決めるより、ここでこの人を拘束し、心変わりをするまで――。
「ユーリくん?」
鉄格子の向こう側から
(まただ。また、私はこんなことを……)
力を持ったら
「ユーリくん?」
年齢がどうであろうと、精神がどうであろうと、時折怪物に見えようとも、私にとって目の前の少女は、
――大人として子供を傷つけるわけにはいかない。
きちんと会議の場で正式な法で裁かなければならない。
一度でも暴力を振るい、枠組みを破壊する自由さに耽溺すれば、その快楽に私は抗えないだろう。
「いえ、なんでも、ないです」
私は、私の中に芽生えていた暴力的な衝動を抑えた。
努めて冷静を装い、双児宮様に向かってなるべく心配そうな顔を作ってみせる。
「双児宮様、キリルを最後に見たのは、誰ですか?」
「それを聞いてどうするんですか?」
「何か助けになりたいんです。キリルの」
本心から言えば双児宮様は私を見て少し困った顔をした。
「他ならぬユーリくんの頼みですから聞いてあげたいところですが、ごめんなさい」
それでは、と牢の前から去っていく双児宮様を私は頭を下げて見送った。
そうして暫く立ってから、ベッドの傍まで寄って、パイプを
「
『そうだね。おそらくユーリの反抗心を試したんだろう』
それはパイプを使った伝声管だった。ベッドの足を改造し、地下の拠点と接続させたのだ。
パイプに加工を施すことによって音が伝わりやすくなっているそれは、この部屋であったことを余すことなく地下に伝えていた。
『キリルという少女については心配しなくていいだろう』
地下には地上での仕事を片付けて様子を見に来た巨蟹宮様もちょうどいた。
私を心配してか、巨蟹宮様が優しい言葉を掛けてくる。
「心配しなくていい、ですか?」
『ああ、双児宮が本気で捜索するつもりならば、すでに場所の見当ぐらいはついているだろうからね』
「そうなんですか?」
『うん、双児宮は権能を使って国内の全学舎の全生徒を動員できる。その中には当然捜索用のスキルを持った子供もいる』
なるほど、と頷いていれば『そんなことより』と巨蟹宮様が問いかけてくる。
『私がいない数日で随分と拠点を拡張したね』
私もすぐに思考を切り替える。キリルは心配だが、相手は枢機卿だ。こうして親しくしているとはいえ、分別は付けなければならない。
「はい。百人の兵が活動できる空間ですので。ただ立っているだけならともかく、休んだり食べたりするならそれなりの施設は必要だと考え、拡張しました」
というか、拡張しすぎた。
物質固定や鉄骨を使って支えているとはいえ、これだけの空間を地下に作ってしまったことは少し心配だが、あとで埋めておけば……ううむ、二階層を攻略するまでだ。うん。全部終わってから考えよう。
『ははは、怒ったり責めているわけじゃないよ。褒めてるんだ。隷属化モンスターや兵たちの装備、ポーションや食料。短期間でよくぞここまで準備できたね』
「ありがとうございます。ですが私はいろいろと口出ししただけですので、力を尽くしたのは巨蟹宮様と
『それでもさ。全てが終わったら君の力になることを女神アマチカに誓おう』
「ありがとうございます。巨蟹宮様」
パイプの前で頭を下げ、私は巨蟹宮様が『では視察に戻るよ』と拠点内の見学に戻るのを聞いてから、私はパイプを改造した伝声管の蓋を閉じた。
伝声管を作ってからは、私が地下にいない間も牢の中から指示を行っていたが、巨蟹宮様が拠点にいるなら私が指示しなくてもいいだろう。
執務室にある紙束を見たり書記のカキクさんに聞けば私がやっていたこともわかるようにしてあるからな。
「……キリルがいないのか……」
神国アマチカで、子供の治安は良い、と私は考えている。
それは国民の多くに犯罪をするという思想がないのもあるが、究極的にはシステムが大人から子供への危害を守っていたからでもある。
干渉ができないならそもそも巻き込まれない。例外はモンスターだが、大規模襲撃ならばともかく平時の学舎に攻め入るようなモンスターは私が知るかぎり存在しない、はずだった。
(何が起こった?)
地上が気になってくる。
また殺人機械の襲撃があったのか。
自衛隊員ゾンビが地上に出てきたのか。
――双児宮様にそういった焦りは見えなかったが……。
だが私でさえ自分の心を隠すことができるのだ。双児宮様にそれができないはずがない。
とはいえ巨蟹宮様は何も言わなかった。そうだ。変な想像をするな。地上は安全だ。
(……双児宮様を捕らえ、キリル捜索の指揮を執らせてもらえるように脅せばよかったか?)
再び鎌首をもたげた物騒な考えを心の奥に沈める。
それに職責もあるだろう。全力でキリルを探し出してくれるはず。
(獅子宮様や、巨蟹宮様に……)
キリルの捜索を頼むだけ頼むことは――ダメだ。
私は今、私は彼らのためにこれだけ役に立ったのだから、代わりにそれぐらいしてもらってもいいだろう、という考えで彼らに頼ろうとした。
(私はそんな軟弱な考えで地下拠点の整備をしたわけじゃない)
私は、私のためにやったのだ。
そこをはき違えるな
(人間関係はプラスマイナスで考えるといけない。借りだの貸しだの考えていたら破綻する。そうだ。キリルについては二階層を片付け次第、糾弾の場で双児宮様を叩けば済む話だ)
巨蟹宮様の言葉が本当なら、彼女が真面目に捜索していれば絶対に見つかるのだ。
私があれこれと騒いでことを大きくすることこそがキリルの無事を邪魔することになるかもしれない。
――落ち着けよ
震える手を手のひらで抑え、私は息を吐いた。
教えてもらった情報では、蘇生の終わった獅子宮様が明日にはここに来る。
なぜ死んだのかはわからないが、偵察の成果を報告しにくるというのだ。
それが終われば二階層へ攻撃を始める。
戦いの予感とキリルの不在に、私の胃がきりきりと痛みだしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます