194 旧茨城領域征伐 その17


「あ、あんなものに勝てるのかよ……!!」

 ウルファンは氷壁に取り付いた単眼巨人を見ながらも、氷壁の上より迫りくるオーガの軍団を一体一体射抜いていた。

 敵の猛進は止まらない。

 ボスの勢いも余ってどうにもならない領域にまで来ている。押し込まれるか、凌ぎきれるか、その両者になっていた。

「神国兵百名、円環法にてユーリ様の援護に入ります!!」

 報告が入ってくる。それは百人分の穴が開くということだ。

 ウルファンは怒鳴りつける。

「うちの遊軍で補充する! 狼族の精兵五十名だ!! 行って来い!!」

「はッ――!!」

 ここが際だった。勝利と敗北の境界だった。ウルファンの命令に従い、健脚にして勇猛なる狼族の勇士たちが駆けていく。

 彼方――オーガ軍の本陣の上で、バーディの氷と炎魔の炎が入り乱れている姿が見える。

 氷壁に埋め込まれたマジックターミナルから発される魔法の音が耳に痛い。いや、音だけならばもっと激しいものがある。

『おおおおおぉおおおおお!!』

『があああああああぁあぁあああ!!』

 オーガたちが叫ぶ。叫びながら進撃してくる。日中の静かで統制のとれたそれと違い、夕闇が終わり、夜の闇に支配された平野を、狂乱に陥った死兵となって氷壁へと突っ込んできている。

 空を飛ぶ鳥人たちが地上へ向け、魔法を放ち、自分たちもまた魔法と矢で迎撃し、神国兵たちも必死に迎撃していた。

 味方の死者はまだ小数だ。投石機の石と一緒に乗り込んできたオーガに殺された運の悪い兵が何名か。

(だが、氷壁が陥落したら……全員が死ぬんだろう)

 自分の背には狼族の兵全員の命の責任を負っている。

 そうはさせねぇよ。ウルファンは弓の弦を掴むと、ひときわ強そうな個体に向けて即死の矢を射ち込んだ。


                ◇◆◇◆◇


「SP即時回復薬、SP持続回復薬生産完了しました!!」

「スタミナ回復用の食料アイテム生産急げ!! 片手で食える奴だ! 飲料水はレアリティB以上のはちみつ水を持っていけよ!! 回復力強化のバフがかかる!!」

「走れ走れ! 歩いてんなボケ!! のアイテムが足りなくなるぞ!!」

 ベーアンは調剤室と調理室を往復しながら物資の確認を行っていた。

(まだ一週間は持つが、このペースで使っていたらこちらの物資がなくなるぞ……)

 ユーリに指示され、九万本のSP回復薬を今回の戦いにベーアンは用意してきた。大げさだと思うような量だった。

 だがそれが枯渇しかけている。

 現在持ち込んだ素材を消費し、作りながら補充しているが、今晩を凌ぎきれるか怪しかった。

 それにやっているのはそれだけではない。武具の補修のために兵を氷壁に行かせたり、重症を負った兵の治療に向かわせたりと仕事が多すぎてどうにもならない状態だった。

(わかっている。二千五百名のサポートを俺たちがやっているのだ。それは当然だ)

 ユーリもそれはわかっているのか、それ相応の設備を用意してくれている。

 それでも足りないのは仕方がない。あるもので間に合わせるしかない。

「円環法、準備できました! 通常矢一万本の生産に入ります!!」

 積み重ねられた木材とオーガの残した鉄装備を前に、熊族の鍛冶師が叫ぶ。円を描いた彼らからSPの光が迸り、装備を鉄へと戻し、教区から持ってきた木材を加工していく。

 『再回収』のスキルを持つ矢を教区軍は持ち込んでいるが、度重なる使用によってそれが損耗しはじめているのだ。

 この激戦において、矢の枯渇は敗北を意味する。補給は急務だ。

 ベーアンは木材の消費を確認し、低く唸る。矢もそうだが、弓の補修にも木材や弦を多く使う。

 スキル付与において失敗率が極端に低い教区軍ならば『頑丈』や『自動修復』などのスキルで装備に耐久性を向上させることもできたが、今回の戦場においてはそれらのスキルを付与するよりも攻撃力の上昇を目的としたスキルが付与されている。

(次の戦場までに部下を鍛えておかないとな……)


 ――兵站部隊もまた戦場においては重要な役割を担っている。


 彼らが住居を建築し、彼らが食事を補給し、彼らが薬剤を調合し、彼らが装備を修復する。

 まさしく戦場においての要点に他ならず、これを軽視するは兵を殺すに等しい悪行だ。

(たった三千人の戦場でこれなら、一万人の戦場はもっと物資と人員が必要だ……)

 ベーアンは物資の書かれた紙を見つめて、頭を抱えたくなる気持ちを抑え込んだ。

 この戦場で使われている矢一本でもニャンタジーランド教区の市民が一月は暮らせるだろう費用が掛かっている。

 ただの矢ではない。レベル60のオーガにダメージを与えられるだけのレアリティを持った強力な兵器なのだ。

 それが今、この瞬間にも湯水のごとく消費されている。

 半年前まではただの鍛冶師でしかなかったベーアンにとってそれは常識を破壊することだったし、それに帰還したあとに、これらの計算をして報告書にするのかと思うと頭が痛くなってくる。

(予算と物資の管理に『数学』持ちを入れるかぁ……)

 遠くに巨大な巨人が見えるが、ベーアンはそちらに関してはあまり心配をしていない。

 ベーアンが恐れるのはあの単眼巨人や、オーガの軍勢でもなんでもなく、自分の子供より年下の少年だけだ。

 ニャンタジーランドを救った神童にして、教導司祭たる処女宮ヴァルゴの使徒ユーリ。


 ――あの少年の目に見つめられると、背筋が寒くなる。


(最も怖いのは、あれ・・だ……)

 人間になど従わないと思われていた獣人が今はたった九歳の少年の命令を守るために命を懸けていた。

 だがきっと、いずれ全て・・がそうなる。

 あの少年が望もうと、望むまいとそうなってしまう。

 ベーアンは、それを考えると、怖くて怖くて仕方がない。


 ――だから必死に働くのだ。


                ◇◆◇◆◇


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』

 グレーターサイクロプス。十メートルを超える怪物の叫びが氷壁を揺らす。地響きと共にその巨人の傍にいたオーガが潰される。腕がやたらめったらに振り回され、巻き込まれたオーガたちが死んでいく。

 巨蟹宮キャンサーの使徒シザースは遠方の攻城兵器を円環法で潰しながら、横目で城壁に向かって拳を振り上げた単眼巨人を見た。

(なるほど、なんとも簡単な処理方法だな……)

 ユーリがやったことはとても単純なことだった。

 グレーターサイクロプス――単眼巨人が壁にとりつき攻撃を始めた直後に、氷壁の上にいた神国兵が、単眼巨人の目に生活魔法で生成した水を大量にぶちまけた。そこに氷魔法による氷結がかかり、目が氷で閉じられたのだ。

 もっともすぐに瞼を強引に開けた単眼巨人だったが、そこに再び水がぶちまけられ、今度は眼球ごと凍らされた。

 それは氷系魔法を受けたときに生じる『凍結』の状態異常とはまた別の、とても単純な現象だ。

 この氷壁を作り出したものと同じ、ただ水が凍るだけの自然現象だ。


 ――ボスモンスターに状態異常は効果がない。


 ダンジョンボスを狩り慣れている神国の兵士の間では当たり前に周知されている情報だ。

 だから即死魔法はもちろん、混乱魔法や暗闇魔法などの、物理攻撃に特化したモンスターに強力に作用する魔法をあのボスに使うことはできない。

 だからユーリが水魔法を凍らせるのではなく、ただの凍結魔法を使ったなら、あのグレーターサイクロプスは氷結を耐性で無効化し、なんの問題もなく、この氷壁を破壊して乗り込んできたことだろう。

(そうだ。なぜ俺はそんな簡単なことを思いつかなかったのだろうか……)

 シザースは指示を出し、氷壁を崩そうと突撃してきた危険そうなオーガの部隊を集中攻撃しながら考える。

 ダンジョンのシステム化や集中法など、ユーリという少年は時折そういった、ステータスを無視した行動をとることがある。

(しかしユーリ様……それだけではあのボスを倒すことは……――)

 シザースは単眼巨人を見る。そうだ。まだ目を潰しただけだ。あの強力な自己回復スキルがある限り、あの巨人を殺すことはできない。

 そうだ。単眼巨人は自分の目をえぐり取ることでその氷結を取り去ってしまう。

 欠損再生ができるのか、驚異的な再生力で目が再生していく。そこに水がかかる。凍る。足止めができただけだが、それだけだ。

(雷神スライムの到着を待っている……? いや、ユーリ様が円環法を使っている)

 シザースはユーリが円環法を行ったことで、また何かをしたのだと考えた。

(あれは……オーガの死体か?)

 変化は氷壁の真下だった。そこにはオーガの死体が積み重なっている。

 ユーリの円環法の効果で地面の死体が加工されていく。敵の食料を潰すために還元するのかと思えばそうではない。

 骨は槍に、肉と血は粘性を伴った油に。次々とオーガたちの死体が錬金されていく。

 油は滑る。転ばせるのか? シザースが期待するも結果として、ボスは転ば――ない。

(スリップ無効……!! ボス特性だ)

 だが、骨槍を踏んだグレーターサイクロプスが『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』悲鳴を上げた。

 レベル60のオーガ素材で作られた槍だ。

 消耗品として使うには高価すぎるそれが、ブーツを破壊された単眼巨人の素足に突き刺さっている。

 肉に突き刺さった槍の大きさは単眼巨人の体長から比較すれば小枝のようなものだが、それが足の裏に大量に突き刺さっているようだった。


 ――結果として、今度こそボスが痛みで転ぶ・・


 氷壁を攻めていたオーガたちが巻き込まれ、踏み潰される。

 死んだオーガが即座に槍や油に加工され、痛みに転がる単眼巨人の身体に突き刺さり、まとわりつく。

 転がる単眼巨人に大量の戦車砲が叩き込まれた。油が発火し、単眼巨人が炎に包まれる。

 炎自体にそこまでダメージはない。ボス特性で『燃焼』の状態異常にはならない。HPは削れない。だが炎としての現象が単眼巨人の肉体を痛めつけた。

 膨大なHPを削れなくとも、炎による痛み・・で転げ回る単眼巨人が暴れまわり、氷壁は崩れずとも氷壁を攻めていたオーガたちが巻き込まれ、次々と死んでいく。

 シザースは絶句する。あの恐ろしい巨人が手玉に取られていた。

 そして、そう思ったのはシザースだけではない。


 ――いつのまにか、オーガたちの歓声は消え去っていた。


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