223 前夜 その6
うまくやっていると伝え聞くのと、実際にうまくやっているのを見るのではやはり実感は変わる。
「キリルはうまくやってるみたいですね」
処女宮様にそう言えば、彼女は落ち着いた表情で私に微笑んで見せる。
それは彼女が私に時折見せる、何かを隠した表情だ。
「ふふ。ユーリくんがいないこの国で、ユーリくんと比較されながら、たくさん揉まれたからね」
前任者と比べられる新人の環境は地獄そのものだろう。キリルはそれによく耐え、適応していた。
彼女ならばと私は期待し、彼女はしっかりと応えてくれていた。
――彼女に物事を乗り越える力があることを私は知っている。
その精神性は貴重なものだ。俗に言う
環境は大事だ。処女宮様がこうして調子に乗れているように、置かれた環境で人間が発揮できる力は変わる。
大の大人でも過酷な環境ではそれに適応できず投げ出す場合は多いし、他人と比較され、怒りのままに人間関係を悪くする者も多い。
それをキリルは乗り切ったのだ。
私がキリルを選んだのは、下手な大人よりも素直で飲み込みの早い才能もそうだが、叩かれてもへこまずに頑張れるその力に期待していたからにほかならない。
最初の錬金術の教室の出来事。機械の教師に失点をもらった彼女は、そのあとに努力して他のメンバーに差をつけた。
前世の記憶で子供に差をつけただけの私に並ぼうとしたのだ。
他の人間が自分はこのレベルでいいと諦める中で、私に食らいつこうと、私に教えを請うほどに彼女は努力した。
そうだ。本質的に出世できる人間に必要なのは、
最初から失敗しない人間などいない。最初から成功できる人間もいない。
極論、そもそも物事に成功など存在しない。どれだけ望みに近づけたところで、望みを手に入れた時点で所有者の景色は変わり、さらなる望みが現れる。つまり本質的に、人間は望んだものを手に入れられないのだ。
だがそれを手に入れる努力をすることはできる。錯覚だとしても。
キリルはそれができる人間だった。
――私は
深夜の庁舎だ。処女宮様以外に人はいない。
遠くから表通りで騒ぐ、人々の声が聞こえてくる。
そう、今日だけは人々は深夜になっても寝ることなく、騒ぐことが許されている。
それも明日が祝日だからだ。教皇就任祭という名の祭日。国民はそれに出席するために明日の仕事のために早く寝る必要がない。
「女帝についての処置はさっき話した通りだけど、ユーリくん的にはどう?」
「どう? とは、私が何かを言う必要はないと思いますが。そもそも本国でここまで進んでいることに私が口を出す意味も必要もありませんし」
必要がないとは方便で、口を出せない、というのが実際だ。
私が現場に関わらない以上、私としてもあまり具体的に口を挟めない。
――現場を知らない人間の意見ほど、邪魔なものはないからだ。
それは神童などと持ち上げられている私であっても例外ではない。
昔の神国と違い、ある程度の人手が確保できている現状ならなおさらだ。
だが処女宮様としては不服だったようだ。
「ユーリくん……あんまり意地悪を言わないでよ」
意地悪って……と処女宮様に言い返そうとして口ごもる。
不安に顔を染めた処女宮様がカーテンを締め切った窓の方角を向いて憂いるように見えたからだ。
キリルについて語っていたときとはまた違う、先を不安がる人間特有の目だ。
仕方なく、私も考え、口に出す。今回の件についてを。
方針については帝国のテロが発覚した時点で意見は求められていたから、そのときにいくつか返答をしたが、こうして時間が経過し、そして顔を突き合わせたのだ。
改めて考え、返答をする。
「正直なところ、周辺国の動きを読みきれなかった私のミスですね。今回の件は」
私の推測が甘かった。
北方諸国連合はもっと強いと思っていたし、アップルスターキングダムはもっと弱いと思っていた。
戦争を前提に国力を増強していた帝国はもっと強いはずで、そもそもがアマゾンの狂人じみた動きも厄介だった。
――机上の空論とは、どういう意味だったか……。
結論として神国は帝国を牽制しすぎていたし、帝国に神門幕府への盾としての役割を期待したいなら、彼らとは早期に和平を結ぶべきだったのだ。
そんな私に慰めるように処女宮様は言う。
「でも神国は大きくなったから、ユーリくんは十分以上に働いてるよ……」
「働きも頑張りも結果を出してこそですよ。結果が出ていないならそれは頑張ったと本人が思い込みたいだけです。何にせよ、今回の件に関しては本当に厄介でしたね。我々としても旧山梨領域の保持はできませんから。女帝を捕獲できたら適当な身代金と国境からの撤兵を要求して女帝を返還するのが一番ですよ」
十二龍師と同じようにはできない。相手が高位すぎるからだ。
やられるだけやられるが、世の中にはそういう毒にしかならないような出来事はある。
そしてそれをやり込めようとして、なんて考えるのが一番浅はかでどうしようもないことだ。
――先手を取られてしまっている。
こちらは対応するしかない。これ単一ならばともかく、国内内政と周辺外交に貿易を神国は様々なことに労力を使いすぎている。
下手に手を出して泥沼になった場合、他のことまで失敗しかねないのだ。
(そしてもっと厄介なのが、そういった状況で部外者が絡んできて、更に物事が複雑になった場合だ)
関係者が増えれば手を引けなくなる者も出てくるだろう。だから、神国と帝国の問題だけに治めるためにもこちらとしては女帝は返還するのが一番というわけだ。
テロを起こさせ、女帝を動かし、そして制圧し、それを帝国軍に伝えて、軍事行動を起こさせなくすることが必要だ。
もちろんだが起点であるテロは不発にはできない。
一度やらせて、拳を下げさせてからでなければ余計なことを帝国は考えるだろう。
不完全燃焼というのが一番厄介だ。
ああしておけば勝てたのだ、などと思われてずっと反感を持たれるよりは、一度爆発させたあとの方が心が灰になっているので何かとやりやすくなる。
「ま、そうだよね。獅子宮なんかは一戦やりたがってるけど。うちとしても来年の大規模襲撃に備えたいし」
「獅子宮様は武官ですからね。彼自身はともかく血気盛んな部下たちの暴走を抑えるためにも戦っておきたいのでしょう。ただ次は三ヶ国分の大規模襲撃防衛ですから。今年と来年は神国に戦争をする余力はありません」
――ここ数年、神国アマチカでは大規模な軍事行動が多かった。
勝っていても度重なる軍事行動に兵の戦意は下がっている(兵に戦時手当を与えても、使うタイミングなければ与えてないのと同じだからだ)。
だから今年ぐらいは安心して過ごさせないと来年の大規模襲撃のときの戦意が恐ろしい。
信仰ゲージで無理やり戦わせることもできるが、あれは平時の治安を保つためにも必要なので無闇に消費をしたくない(使わずに高い状態を維持するのが一番効率が良いし、使ったら使ったで回復に時間がかかる)。
それに帝国と本格的に開戦した場合、おそらく相手は神国の防衛技術を警戒して攻めてこないが国境に兵を張り付け続けるだろう。
その場合、こちらも兵を国境傍の廃ビル地帯に張り付け続けなければならない。
道路は整備しているが、国境が空だと敵の攻め気を誘ってしまうからだ。防衛拠点を無人にして廃ビル地帯の前に砦など作られたら溜まったものではない。
シモウサ城塞のときのように、相手に攻めさせて殲滅するのが楽かもしれないが、その場合帝国が弱体化し、今度はこちらの攻め気を誘われる恐れがある。
侵攻を受けているのはこちらなのだ。国民の打倒帝国の声は大きなものになるだろう。
(帝国など、奪えるものじゃない……)
周囲に敵の多い帝国の地を取った場合の面倒など想像したくもない。神国では保持ができない。
ただし今の情勢で帝国を開戦した場合、国内情勢を抑えるのに苦労させられることは簡単に予想できる(前回の侵攻から不戦条約を結んでいないので現状、戦っていないだけで開戦しているも同然だが、最近では和平論が出るぐらいには沈静化している)。
トップである十二天座や私たちが抑えたとしても、配下全員が侵攻したがった場合、それを止めるのに様々な労力を使わされるだろう。そこで帝国に向けて神国に侵攻させたい魔法王国や王国の挑発があれば、他の十二天座が侵攻に
(そうなれば泥沼の戦争だ。嫌だな。嫌だ。いずれやるにしてもまずは国力の回復と充実を行いたい)
スライムだの蟹だのマジックターミナルなどがあるが、結局のところあれらで都市の占領はできない。
兵器で敵を滅ぼすことはできても、都市の占領には歩兵がいるのだ。
加えて神国は拠点を作っての防衛戦は得意だが、侵攻戦は得意ではない。
例えば今回のテロで攻め込んできた帝国軍を退け、大打撃を与えたとして、そのあとに弱体化した帝国に攻め込んで、三国同盟の連合軍が待ち構えていたなら、簡単に神国軍は殲滅されるだろう。
(女帝は……それが狙いか?)
挑発して、一度負け、神国側から攻め込ませる策か? 殻にこもって出てこないから神国の兵を引きずり出したい? そこまで自虐的か? こちらを釣り出せなかったら帝国としては自国の評判と国内貴族の反感を買うだけだろうに。
(それとも私や処女宮様が勘違いしているだけで。このテロが成功した場合、神国国民は制御不能なほどに怒るのか?)
わからない。考える必要のないことまで考えている気がする。頭を整理しようか。
大事なのは一つだ。
私としては大規模襲撃に使う予定の大事な兵を、必要のない戦いで消耗したくない。
これ以上土地を増やしても維持できる戦力がない以上、これに尽きる。
とはいえ帝国を放っておくわけにもいかない。
弱体化している帝国が時期のずれた大規模襲撃に襲われた場合。
やけになった帝国軍の兵が神国国内の殺人機械と一緒に首都アマチカに攻めてきかねないからだ。その場合、教区も教区の防衛をしつつ、増援として兵を神国に向かわせる必要がある。
(大規模襲撃を利用してまで攻め込むのは帝国からしたらだいぶ自滅的な考えだが……追い詰められて神国内でテロなどを起こそうとする国だからな。そういう可能性はある。前科もあるしな)
ただ弱体化した今の帝国が、強くなった神国に向かわせる兵は前回の比ではないだろう。帝国の守りも疎かになるかもしれない。その場合、大規模襲撃で滅ぶのは帝国だ。
どうにも自滅的すぎるが、神国を傷つけたいだけならそれが一番だった。国を守れないなら、気に食わない奴の顔面を殴って滅びたいぐらいは考えるかも知れない。
私が一番やられて嫌なのがそういった計算できない行動だ。
恨みという意味でならアップルスターキングダムに行く可能性もあるかもしれないが、やはり立地から考えると神国の方がいい。
仮に奇跡が起きて、彼らが神国や殺人機械に勝てたなら旧東京の立地はそのあとの防衛と外交が楽だろう(楽なだけでそのあとに他の勢力に滅ぼされるだろうが)。
そのあとを少し考え、ため息を吐いた。考えが妙な方向に進んでいる。余計な妄想までしてしまった感がある。
「ユーリくん。いろいろ考えてるみたいだけど、何か面白い結論は出たかな?」
考え込んでいた私を黙って眺めていた処女宮様が問いかけてくる。
私は首を横に振った。
「こんな直前でそうそう良い案など浮かびませんよ。決まっているとおりに動くのが最善でしょう。テロは起こさせ、阻止する。それだけです」
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