222 前夜 その5
(ラムゼイ……あんなところで何を?)
前夜祭の会場にいるキリルはテラスにてツクシと二人でいるラムゼイを視界の端に捉えたが、隣にいるユーリが声をかけずに使徒服であるローブの袖を引っ張ったことから、何も言わずに目の前の相手に笑顔を向けた。
目の前の男は、神国においても最近の稼ぎ頭である『商人』の男だ。
小さな使徒二人に朗らかな顔を見せる大商人はしきりにユーリとキリルに対し、媚を売ろうとする。
方や神国内におけるハブ人材である使徒キリル。
方や神国では手に入らない様々な資源を産出するニャンタジーランド教区におけるトップの使徒ユーリ。
もちろん二人からしてもこういった人物と親しくすることに損があるわけではない。
利用し、利用されるのがこの二人の立場だからだ。
「ありがとうございます。何かあれば頼りにしますね」
「はい。はい。どうぞよろしくお願いいたします。使徒様」
へこへこと頭を下げて去っていく中年男を見送れば、今度は自分の番だと待っていたかのように他の商人や神官が声を掛けてくる。
それに対し、キリルもユーリも丁寧に対応していく。
(……本当に、世界が変わったわね……)
自分よりも圧倒的に年上の男たちがいまだ九歳の少女に必死に頭を下げてくる。
様々な裏事情に精通しているキリルからすれば彼らの全てが善良でないことは知っている。
否、善良なだけの人間など存在しない。善良であるなどというのは農場に実る
善徳と悪徳、二つが均等に備わってこその人間だと。
そして上に立つには、ときには小さなものを切り捨てる選択肢こそが、多くを活かすことに繋がるのだとも。
――この綺羅びやかな催しの裏に、泣いている人間もいる。
(全てを救うことはできない……か)
わかっているのだ。それは傲慢だということも。
だが明日に控える教皇就任祭を開催するために、いくつかの小さな事業開発を延期したり、停止しなければならなかったのは確かだ。
直接的に誰かが死んだわけではない。だがそれもまた犠牲だ。
その小さなことに人生をかけていた人間がいることを知っていてなお、キリルはそれを切り捨てなければならなかった。
「
「え、あ、うん。ごめんなさいユーリ」
隣に立つユーリに小声で囁かれ、キリルは意識を切り替えた。
この前夜祭の場の人間が使徒であるキリルを無視することはないが、今は隣にユーリがいる。
キリルが意識して存在感を出さなければ今挨拶した全ての人間の意識はキリルではなくユーリに持っていかれるだろう。
今後の神国の内政に関わるキリルとしては、絶好の機会を逸することになる。しっかりしなくてはならない。
今回会った全ての人間の顔、名前。何を話したか、普段何をしているか、していないか、家族構成、全てを把握し、次に繋げなければならない。
使徒という強力な権能を得たからこそ見えるものもある。
自分だけに見える状態にしたウィンドウを横に置きながら、キリルは正面に立つ自分よりも年齢を重ねた大人たちに対するのだった。
◇◆◇◆◇
挨拶は終わり、場所が移る。
神国国内の食料供給を司るものたちの一部が催した会合の場にキリルは呼ばれていた。
そう、前夜祭といっても神国の高位の人間が集まっているならそれだけでは終わらない。
会合用にいくつかの部屋が用意されており、それは実際に使われていた。
落ち着いたような会合の場についたキリルが簡単な自己紹介をすませ、軽い話題で場の空気を把握してから、話は
「――しかし使徒キリル様。神国が豊かになったのは良いですが。どうにも神国はずっと物々しいですな」
「物々しいですか?」
食料輸送を担当する司祭の男の言葉にキリルは首を傾げた。
大規模襲撃を生き残ってきた厳つい男の司祭はキリルの問いに、はい、キリル様、と丁寧に言葉を返す。
この場を取り仕切る中年の男は、大司祭といってもよい身分の男だった。
かつてのキリルであれば声を掛けることすら戸惑われるほど高位な存在。使徒に次ぐ立場にあると言っても過言ではない男は言う。
「大規模襲撃の地下での戦闘行為や、ニャンタジーランドを統合した前後で帝国や王国との外交関係が破綻し、戦闘行為が頻発するようになりました。それで、どう、というわけではありませんが、あの頃から我が国は物々しくなった気がします。いえ、気の所為ではなく物々しくなりました」
「それはまぁ…・・・・ですがあれは、殺人機械が拠点を作ったから。加えてそのあとのものは帝国、王国、魔法王国が野心を露わにしたからで」
キリルが厳しい声で言えば男はもちろん、と頷く。その顔に滲むのは疲れのようなものだ。
「ええ、わかっております。攻められたから追い返した。女神アマチカを信ずる我々の祈りを邪教扱いし、攻めてきた魔物や他国こそが悪であり、我が国は被害者であると……しかし、我々は懐かしいのです」
「
「使徒キリル様にはわからないと思いますが……殺人機械だけを相手にすればよかったときが、です。人間同士の闘争など考えなくてよかった時期が。若いものたちは他国の侵攻を跳ね除け、神国が豊かになったことを喜ぶ者たちが多いでしょう。勝つことは嬉しいですからね。それは我々もわかります。ですが……人間同士の争いなど苦しいだけではありませんか?」
男の言葉に、周囲で同意の頷きが見える。
頷くのはこの場にいる他の司祭たちだ。神国でも穏健派に属するものたち。
当然だが民間の人間はいない。
主に牧畜や国内の整備などの文官寄りの人間だ。武官がいればまた違う考えもあっただろう。
キリルはさて、と思考を巡らせた。考えはわかる。キリルも思想としては彼ら寄りだ。
攻めてくるから追い返しているし、滅ぼされたくないから戦争に協力もする。
だが、それはそれとして、戦争を歓迎しているわけではない、という感情はキリルにはある。
――それが必要であっても、だ。
そしてキリルは、大規模襲撃の時期が近いから人間同士の戦争などしている暇はないことも知っている(まだ十二天座やその使徒だけでとどめている情報だ)。
この場の会合の表向きの意見には全面的に同意したいのが内心だ。
だが内心は内心に過ぎない。キリルとしては自身の感情よりも上にある神国の政治状況に配慮しなければならない。
「それはわかります。しかし、女神アマチカを非難する彼らに対し、我々は温情を示してきました。それに対して刃で返してきたのは帝国や王国です。我々は女神アマチカを奉ずるものとして、断固として屈しない姿勢を見せなければなりません」
渋々と頷く者たちがいる。しかし司祭の目は
キリルとしてはそれは慣れた目だ。気にならない。
「使徒キリル様。それでは闘争は永遠に終わらないでしょう。過ちを許すことも寛容だと女神アマチカは言っております」
司祭の言葉に、それもそうだ、という空気が広がっていく。
(面倒くさいけど……)
キリルは内心のため息を外に漏らさないように注意しながら言葉を選んでいく。
――彼らが望んでいるのは平和論だけではない。
もちろん、平和も望んでいるだろう。
だがキリルは知っている。目の前の大司祭とも言うべき人物は、帝国との貿易で使われていた神国産ワインを生産し、流通させ権勢を得ていた人物だ(彼が活躍していた頃は、収益の十割が神国に徴収されるので儲けていたわけではないが)。
神国国内での影響力をそこで培っていた彼としては、自身の影響力を戻すためにも帝国との外交状況を以前の水準に戻したい(それをキリルが知っていることをこの司祭は知っている。知っているから、建前として和平を結んでくれと頼んできている)。
以前貿易に関わっていた立場としても商人たちが特区によって稼ぎ、大きな顔をし始めていることが歯がゆいのだろう。
豊かになった神国国内でもワインの需要は増えているが、帝国の貴族との貿易よりも、というわけには中々いかないのだ。
キリルとしては和平自体はともかく、和平を利用して儲けようと考えるその動きは、あまり歓迎できないが、上に立つ人間は個人の好き嫌いで配下の行動を否定すべきではない。
(ユーリが言っていたわよね。平和だ戦争だ善だ悪だで政治を考えると失敗するって)
善いもので国を満たしても、善い国になるとは限らないのだと。水清ければ魚棲まず(キリルは知らない言葉だ)、善政の果てが国家の繁栄とは限らないし、良いと思ったことをしたところで良い結果は出てこない。
天秤が重要だ。為政者が善だ悪だと言いすぎれば(建前として善は必要だ)結果として流れが淀み、民の思考が硬直し、愚直な国家ができあがる。
第一、内々の話であったが帝国や王国からは和平の打診は何度か来ていた(王国などは共同で北方諸国連合を攻めようという話も来ていた)。
それを断って彼らの戦力の全てを他国侵攻に使わせないようにしてきたのは神国であり、帝国に神国でのテロリズムをさせるまでに追い詰めたのは神国でもある。
帝国が発端だとしても、その動きを神国は利用しているのだ。
ゆえに民が帝国が悪いという分には問題はないが、上に立つ者が良いだ悪いだと言い出せば収拾がつかなくなる。
(そして、今は帝国自体は重要ではないのよ……)
この会合をキリルの望む方向に導くことの方が重要だ。
未だ九歳の少女であるキリルとしては、こんなこと考えるだけでも辛く、そして自分の父親よりも歳をとった中年男性と話すことに緊張がないわけではない。
使徒という身分がなければきっと何を言っても一蹴されていただろう相手だ。
キリルは知っている。
そもそも善悪論では勝てない。相手は司祭のジョブで説得アビリティを持っている。キリルにも通用するレベルのものだ。
良い悪いの善悪論では論破されるのはキリルの方だ。
――ゆえに、状況でハメなければならない。
視野を広く持つ。この場の論争で勝っても意味はない。むしろ負けてもいい気持ちで望む。
目の前の男と違い、キリルは
「そうですね。過ちは許す。良い言葉です。帝国との和平を考えても良くなるほどに」
司祭が眉を寄せる。とはいえ、自分の娘よりも年齢の低いキリルがミスをしたのかと思ったのか、ええ、ええ、と朗らかに言う。
「神国上層部は和平を考えていると?」
「ええ、もちろんです。皆様には秘密にしていましたが、神国に今、とても重要な帝国のお客様がいらっしゃっています。神国としても永遠に帝国と戦争をしているわけにもいきませんから、我々からも誠心誠意をもって、その方と話し合い。帝国との和平を前向きに進めたいですね」
おお、という言葉が部屋に響いた。
誰が来ているのか教えて下さいだのと言われるがキリルは微笑むに任せる。
キリルのこの発言はこのあと、神国の穏健派に広まっていくだろう。
穏健派は希望を持って帝国との和平を望むはずだ。神国から歩み寄るのだと思ってくれるはずだ。
――その空気を、帝国に壊させる。
期待を裏切られれば、人間の感情は反転する。
あまり過激派が増えても問題だが(相手が攻めてくるなら侵攻しろ、という空気になると危険だからだ)、現状の神国の政策としては国内の軍備増強が急務だった。
神国の軍は去年から増員をしてるが、単純に兵を二倍にするというわけにはいかない。様々な費用と労力がかかる。
もちろんそこには単純な兵だけではなく兵站を担う、穏健派であるこの会合の人物たちの協力は不可欠なのだ。
反発は良い仕事を生まない。あまり考えたくないが、手を抜かれるし、消極的な反対をされれば意見を通しにくくなる。
(別に、今まで協力してくれてなかったわけではないけれど……)
だがやはりこう毎年毎年軍を動かし、兵を使うようなことがあれば、今までは協力してくれていた眼の前の人物たちも先の見えない闘争に、疲れ果ててしまう。反発してしまう。
ゆえに理由が必要だった。
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