113 八歳 その8


「ユーリ、私も処女宮ヴァルゴ様についていくわ」

「なんだって?」

 私の手から滑り落ちたスプーンが、ぽちゃん、とスープ皿に落ちた。

 頬に飛んだスープの飛沫を双児宮ジェミニ様がそっと拭ってくれる中、聞こえなかったのか? とキリルもう一度それを言った。

「だから処女宮様のお仕事についていくのよ。なんか大変名誉な仕事らしいし、それを私に手伝ってほしいって」


 ――やられた・・・・


 処女宮様を侮っていた私の失態だ。

 あの女、自分が殺される・・・・危険性に気づいたうえで、仕事を受けたのか。

 だから、自分が殺される危険性を可能な限り落としに来た。

 キリルを連れて行くのはそのためだ。

 キリルがついていくなら、私は私にできうる限り、処女宮様の仕事の成功率を高める努力をしなければならない。

「あれ? 喜んでくれると思ったんだけど」

「いや、キリルはまだ学生だろ? どうやってついていくんだよ」

 私のそんな疑問には珍しく私の隣に座っている銀髪の美少女である双児宮様が答えてくれた。

「『インターンシップ』があるじゃないですか。私がユーリと同じようにしますよ」


 ――????????


 双児宮様の言葉に疑問符で頭が埋まる。どういうことだ? インターンシップはわかる。

 だが、どうして処女宮様と双児宮様でラインができている。

 双児宮様は処女宮様に対してそこまで良い印象を抱いていないはずだ。なのにどうして。

 疑問に思う私の前で、双児宮様は「まぁ、キリルが熱心に頼んできたので」とため息をつきながら、母親のような目線でキリルを見た。

 まるで就職する娘を見送るような視線に一瞬思考が止まる。

(十二天座同士のラインじゃなく、キリルから双児宮様……?)

 嘘だろ。まさか、双児宮様はそこまでキリルを買っている、のか……?

 私も彼女は優秀だと思っているが、あくまで私の贔屓目だと思っていたが……。

「ありがとうございます! 双児宮様!!」

「キリル、処女宮になにかされたら言ってください。私から怒っておきますから」

「わかりました! そのときは頼っちゃいますね!」

 あははうふふなんて呑気な声。私はこの二人が、この仕事の危険性を理解していない可能性に思い至った。

(ち、違う……そう、じゃない……)

 理解していなかったのは、だ。

 そうだ。私が軽く扱っているだけで、神国における処女宮様の価値はけして軽くない。


 ――女神アマチカの声を唯一聞くことのできる巫女姫。


 神国アマチカの宗教的権威そのもの。

 それが処女宮様のこの国における価値・・だ。

 それはけして復活できるからといって、死亡を前提とした任務に投入して良い人ではないことを示している。

 生徒を子供のように大事にする双児宮様がキリルの同行を許すのは、その認識があるからだ。


 ――そして当然、使徒ユーリ処女宮あるじを死地に叩き込むはずがないという信頼もある。


 処女宮様の価値は高い。

 だからこそ、殺されたときに戦争の大義名分を得ることができるのだ。

(今からでも任務の撤回を……)

 いや、今から撤回するのも……私がころころと方針を変えては……そもそも他に誰を行かせる?

「ユーリ、私がうまく処女宮様をサポートするからね!!」

 喜んでいるキリル。彼女にやめろと叫びたくなる。


 ――だが、どう説得する?


 処女宮様は絶対に死ぬのだからやめろとでも言うべきか?

 いや、だが絶対とは限らない。極小だが、処女宮様にはクロ様を説得できるかもしれないという……。

 ああ、だが成功率を匂わせればキリルのことだ。自分が何をしてでも神国のためにニャンタジーランドを説得すると言い出すだろう。

(そもそも……私の真意を彼女が知れば……)

 私は、キリルに、軽蔑される。

 私にしても、自分がどれだけ非道なことを処女宮様にしようとしているかは理解している。

 死を前提の任務など……私だって、別に、他に手段があるなら……。

「――リ! ユーリ!?」

 肩を揺すられて私はキリルと視線を合わせる。キリルは心配そうに私を見ていた。

「大丈夫? 身体の調子が悪いとか?」

「い、いや、そうじゃない。なんでもない」

「そう? でも安心してね! この任務を成功させてユーリの仕事を楽にしてみせるから!!」

 笑顔のキリル。薄い胸を張って、私に任せろと言ってくれる。


 ――だが、今はその心遣いが痛い。


 処女宮様だけならニャンタジーランドに叩き込んで、彼女が失敗しようが成功しようが時期が来るまで内政に集中しておけばよかったのが、こうしてキリルが入っていくなら別だ。

 私は唇を強く強く噛み締めた。

 処女宮様だけなら成功率が1%あるかないかだった作戦を、50%ぐらいにまでは引き上げなくては。

 それと随行の人員に天蝎宮スコルピオ様を入れられるように頼まなければ。

(土下座の準備だな……)

 諜報特化の十二天座である彼女は子供好きでも有名だ。彼女さえいれば、最悪キリルは生きて帰ってこられるはずだ。

 私は心配そうに私を見つめてくるキリルになんでもない、と言いながら立ち上がる。

「ユーリ?」

「双児宮様、やらなければならない仕事を思い出したので、失礼させていただきます」

 キリルの言葉を後にして、私は司書室から走って出ていく。


 ――用意しなければ……。


 私は処女宮様にSNSで連絡をとると、彼女の枢機卿服を宝瓶宮様のところに送るように要請した。


                ◇◆◇◆◇


 出発の日のことである。

「ユーリ、どうしちゃったんだろ?」

 神国のもっとも大きな通り、ニャンタジーランドに向けて走る復旧された国道を前にして、キリルは隣に立っている処女宮に対して問いかけていた。

 彼女は不満だった。

 数日前に処女宮からニャンタジーランド行きの随行員に相談された。あの傲慢で頭の悪そうな処女宮が珍しく、キリルに力を貸してほしいと言ってきたのだ。

 キリルは最初怪しんだものの、処女宮にユーリの役に立てると言われれば黙っていられない。

 じゃあやるわと志願して、子供を学舎の外に出せる力を持つ双児宮にも熱心にお願い・・・をして、そうしてこの名誉ある役目に就任したというのに、一番に褒めてくれてもいいだろうユーリが全くの無反応だったからだ。

 むしろ、あの呆然としたような、愕然としたような姿。

 そのあとの焦ったような姿はまるで予定外の……。


 ――迷惑だったのだろうか?


 自分がどれだけ勇気を出してこの役目に志願したのかわかっているのだろうか。

 少しでもユーリの負担を軽くするために、処女宮様の、いや、この神国の役に立てるように、今までの勉強の成果を……。

「大丈夫だよ」

 にこりと処女宮がキリルの肩を叩いた。

 処女宮はユーリに関してはある種の確信を持っているようで、それがキリルには少し以上に羨ましい。


 ――祭りの喧騒が聞こえてくる。


 目の前では、この交渉使節の出立のためのパレードが行われていた。

 神国が誇る巫女である処女宮が直々に隣国への友好を示す使節の代表として隣国首都へ向かうのだ。

 これは神国の未来をかけた重大な任務であると同時に、盛大に祝われるべき行事でもあった。


 ――こんな盛大に送り出されるのだ。絶対に失敗はできない。


 キリルが気合を入れる中、ほら、と処女宮が自分たちの進行方向とは別の方向を指差した。

 そこには今まで姿を見せなかったユーリが神官服を着た者たちを伴って、姿を現している。

 使徒服を来たユーリの登場に国民が沸き立つ。

 十二天座である処女宮が初めて作った使徒である神童ユーリの人気は神国でもそれなりに高い。

「……遅れました」

「遅いなー。ユーリくんは」

 処女宮に煽られてユーリの顔が悔しげになるも、彼は処女宮様に枢機卿服を渡している。

「可能な限り知能特化にして『交渉』と『話術』のスキルを付与してきました」

「ふーん、それだけ?」

 枢機卿服を着ながら処女宮がユーリに問いかければ、いえ、とユーリは首を振った。

「白羊宮様に可能な限りの食料系アイテムを融通させました。あちらでの交渉に使ってください。管理は、キリル、君がするんだ」

 ユーリが連れてきた人員が出発前の馬車に木箱を積み込んでいく。

 そしてユーリがキリルの前に立った。

 この祭りのために綺麗な服を着て、多少の化粧もしているキリルにユーリがなにか言ってくれるかとキリルはドキドキしながらユーリの言葉を待つ。

 だが深刻そうなユーリから渡されたのは頑丈な鞄だ。

「……怪人アキラの残したレシピからいくつかアイテムも作った、使い方の説明も入れておいた。キリル、君がうまく使え……」

 少し残念に思いながらも、キリルはこくこくと頷く。なにかを言おうと思ったが任務の重大さを思えば緊張して言葉が出てこない。


 ――それに、ユーリの顔がきにかかった。


 大規模襲撃のときぐらいに必死そうなユーリの様子に、キリルは、自分がなにかとんでもないことに志願してしまったのではないかと思い至る。

 処女宮からは、友好国へなにかの交渉をしにいくとしかキリルは説明されていない。

 そんな処女宮は国民に向かって手を振りながら、キリルに対してあれこれと世話を焼いているユーリを意地が悪そうな顔で見るだけだ。

「ユーリくんってさ、私一人だけだったらここまでしてくれなかったよねー」

「処女宮様、ここまでしたんですから、必ず成功させてくださいよ」

「ふふ、期待して待っててよ。クロちゃん相手だから余裕だよ」

 深い溜息をつくユーリ。そうしてからキリルにユーリは向き直った。

「キリル、無事に帰ってきてくれよ。無理に成功させようと思わなくていい」

「ユーリ、私。が、頑張るから!」

「ああ、だが……」

「私がユーリを楽にさせてみせるから!!」

 その言葉に何を思ったのか、ユーリが黙り込み、ほんの少しだけ口角を緩めてみせた。

「ああ、期待してる」

 時間だとキリルは馬車へ連れて行かれ、馬車の中で処女宮が楽しげにキリルの正面に座った。

「キリルちゃん、楽しみだね?」

 気楽そうな処女宮と違い、キリルの心は任務への熱意で燃え盛っていた。

(絶対に成功させてみせるわ!!)



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