112 八歳 その7


 未来を予測できる能力があるなら、私はきっと何も予測しないだろう。

 確定することが恐ろしすぎるからだ。未来予測が確定した・・・・未来を予測するものであったならそれはどうやっても不可避の未来になってしまうのではないか?

 不幸な未来を予測したらどうする? それは回避できるのか? それともできないのか?

 努力してもしなくても未来が訪れるなら何もしないことが吉となるではないか?

 そういうことをきっと考えてしまうから、私は未来予測なんて能力はあってもきっと使わない。


 ――未来がわからないほうが人間は幸福なのだ。


 そういうくだらないことを考えながら、私は不確定の未来を少しでもよくするために努力しなければならなかった。

 とはいえ、これはもう賭けでしかないが。

「と、いうわけで処女宮ヴァルゴ様にはニャンタジーランドに向かってもらいます」

 学舎での授業が終わったあとの、庁舎の執務室での話である。

 相変わらず狭い事務所には文官がひっきりなしに訪れて私から書類を受け取っては新しい書類を持ってくる。

 処女宮様も私も決済とかそういうものに関する権限はないので、これらの書類はほかの部署からくる相談だったり、特定のスキル持ちを貸してほしいので誰々との交渉を頼む、などの依頼書だ。

 この国の横のつながりは派閥争いによってひどく円滑ではなくなっている。

 だから私は、もう少し潤滑油となる部署を増やすか、組織を再編した方がいいと思うのだが、現状そこに手を入れるにはこの国の権力構造はいびつに過ぎた。

(そのツケを私が支払っているわけだが)

 手元にあるのは始まった港の整備に関してのものだ。

 ニャンタジーランド側の港が予想以上に設備が貧弱だったので、神国の港の技術ツリーを進めて整備しなくてはならないという嘆願書。

 私はその嘆願書に宝瓶宮アクエリウス様に人員の増加を願う依頼書をつけて文官に渡した。

 あとで宝瓶宮様へのご機嫌取りに私がいくらか働く必要があるだろう。

 そんなことをしている間に、私がお願いしたことに対して理解が進んだのか、処女宮様が目をぱちくりと瞬かせた。

「え、え、へ? どういうこと?」

「ニャンタジーランドがくじら王国につかないようにクロ様に直接交渉をしてきてください。何日でも何十日でもかけてもいいので」

「……え、やだ……」

 やだじゃねーんだよ!! と服を掴んで怒鳴り散らしたくなる感情を抑えながら私はにこりと笑ってみせた。

「私が不戦条約の更新に失敗した責任をとって前線の防備に行く話をしましたね」

「う、うん。それは聞いたよ。それで帳消しなんだよね?」

「私の分だけはそうですね。ただ、処女宮様の分は別に帳消しではありませんので」

 失点は失点だ。処女宮様だから許される、という話でもない。天秤宮様たちの心象は最悪だし(別にもともと高かったわけではないが)、信仰ゲージもこの苦境でちょっぴり減少傾向にある。

 せっかく最近上向いてきたのに、このままではうちもニャンタジーランドのように王国へしっぽを振るやからが現れかねないし、そもそも私がこういった横紙破りをしても許されているのはこのゲージが高いためだ。

 つまり『女神アマチカの指名によって選ばれた処女宮が選んだ使徒だから』という免罪符がなくなれば、政策一つ通すのにも紹介書一つ書くのにも今後非常に面倒になる。

 そのためにも処女宮様には頑張ってほしいところだ、というのを説明したところでほかの要因で補填すればいいじゃんと反論してくるから私はわざわざ注意しない。

 ただ、ほかの枢機卿を納得させるためにがんばってこいと言うだけである。

「え、とユーリくんは、ついてきてくれないのかな?」

「私が行ったら神国の開発が止まりますから駄目です」

 それに失敗しても処女宮様だけなら殺されたところでこちらに復活して戻ってこられるという利点がある。

 それを警戒して監禁されるかもしれないが、まぁニャンタジーランドが要求するだろう身代金ぐらいなら払ってもいいし、最悪自殺すれば戻ってこられる。


 ――そもそも、この方を選ぶ最大の要因は別だ。


「そもそも私ではクロ様を説得できませんので、処女宮様だけですよ。あの方の心の天秤を神国側に傾けさせられるのは」

「へ? わ、私?」

 はい、と頷く。

 そうだ。クロ様と親しいこの方しか、クロ様を説得することはできない。

 私ではどうやっても利と得での勝負になる。

 それではどれだけ積み上げたところで王国と一戦して勝利・・するまではクロ様は神国を信用しないだろう。

(それが嫌ならお茶会でミカドが言ったような方法を使うしかないが……)

 ニャンタジーランドを攻める、か。

 実際にやるなら時間の勝負になるな。

 神国には攻城戦のノウハウがない(地下で要塞戦じみたことはしたが、あれは地形や資材の有利があった)。

 ニャンタジーランドの首都を囲んでも力攻めでは被害が大きくなる。

 そして内応させて門を開けさせる手段も確実ではない。神国は諜報能力が低いので内応は運頼りになる。

 首都を囲んで降伏を要求しても、ニャンタジーランドが防衛で粘って、その間に帝国と王国が攻めてくれば神国は攻め損。撤退しなくてはならなくなる。


 ――もちろん全力で攻め落とせば無理ではないかもしれないが。


(運任せすぎる)

 そして力攻めは勝ったあとが問題だ。

 ニャンタジーランドの治安回復や、破壊された施設の補修。民心の低さも問題だ。

 そのあとの帝国と王国との戦争を考えれば、忠誠値が低く、反乱しかねない獣人はとても使えたものではないだろう。

 戦争狂で民心を気にしないミカドからすれば、兵士の家族を人質にして戦わせれば済むのかもしれないが、私としてはやはり降伏させた方がその後がだ。

 私は、処女宮様にしかできない、という言葉で照れた顔をする処女宮様に向かって頭を下げた。

 危険で重要な役目だが、私ができるなら私がやっている。

 だが、この方に頼むしかないのだ。

「処女宮様にはなんとしてでもクロ様を説得していただきたいんです。この国のために、どうしても」

「え、っと。その、私にしかできないんだよね?」

「はい、もちろんです。処女宮様にしかできないことなので」

 そうかな~、とちらちらと私を見ながら聞いてくる処女宮様に「はい、そうです。処女宮様にしかできません」と断言する。

「えっと、で、クロちゃんを説得したらユーリくんはそれで喜ぶのかな?」

「もちろんです。深く感謝します」

「そっか。そっか~」

 にやにやと私に優位をとれて嬉しがっている処女宮様は、私を見下しながら嫌な顔・・・をした。

(また、この人は調子にのってるな)

 ついでに言えばこの方は、いつもの十二天座会議で政策を提案するだけの依頼ではなく、移動して説得ということで渋って・・・いる。

「どうしよっかな~。お願い聞いてあげようかな~」

「是非とも、よろしくおねがいします」

 為政者として無様すぎる処女宮様の姿に、私は残っていた文官たちに手で外に出るように仕向けた。

 処女宮様は調子に乗っていて文官が出ていくことに気づいていない。

 最後の一人が頭を下げて扉を閉めてから、私はもう一度、渋っている処女宮様に頭を下げた。

「ぜひともよろしくお願いします。処女宮様にしかできないことなんですから」

 この人は私がなんでもできると勘違いしている節があるので、断ってもなんにも問題がないと思っているのだろう。

(ここでこの人に断られたら、王国が手を出すまで我慢するしかないぞ)

 それともニャンタジーランドが神国に攻めてくることになるか。

(そもそもこの人が説得できるかもわからないんだよな)

 誰がやるよりも成功率が高いというだけの話で、私は失敗することも考えている。

 降伏交渉は戦略の要ではあるが、私は処女宮様に依存した戦略を立てようとは思わないので、ただ、何もしないよりはマシというだけだ。

 そもそも処女宮様は顔がかわいく扱いやすいという以外に美点がないしょうがない人なのでたぶん説得は得意ではない、と私は考えている。

 私がそんなことを考えているとも知らず、どうしようかな~と私を焦らして楽しもうとしている処女宮様に向けて、私は仕方ない、とため息をついた。

「え? ちょ、ちょっと待って、な、悩んでるだけだから。やらないとは言ってないから」

 私が処女宮様の説得を諦めたのかと思ったらしい処女宮様に私は違います、と首を横に振る。

「しょうがないので、説得に成功したら何か、まぁ無理のない範囲で一つだけ言うことを聞いてあげます」

「え? なんでも? ユーリくんが」

 はい、と私は頷いた。

 この方がやりたい政策があるなら実現に奔走するし、買いたいものがあるなら可能な範囲で購入するし、作ってほしいアイテムがあるなら用意しよう。

 ごくり、と私を見ながら生唾を飲み込む処女宮様。

 なんだろう、食べ物だろうか? 輸出用の羊の実バロメッツで焼き肉でもしたいのだろうか? まるまる一頭は白羊宮アリエス様にだいぶ貸しをつくりそうだが、この人がそれでやる気になってくれるならなんとかしようじゃないか。

「ほ、本当になんでも?」

「はい。説得に成功したらですが」

「……ちょっとやる気出てきたかも……」

 ちょっとじゃ困るんだよ~~~~!! と襟首掴んで頭を揺らしたい衝動に駆られたが、私と彼女の間には危機感にだいぶ差があるので、私はそれはよかったです、と処女宮様の様子に素直に喜んでみるのだった。

 さて、これで処女宮様をニャンタジーランドに送り込める。

 正直な所、交渉はど・・・・ちらでもいい・・・・・・


 ――処女宮様が死ねば、ニャンタジーランドからの奇襲を防げる。


 あれこれと副次的な効果を考えていたが、私が求めるのはこの一点だけだ。

 処女宮様が死んだら攻め込んできたニャンタジーランドの兵を平野で全て打ち滅ぼしてそのままニャンタジーランドの首都を占拠する。

 野戦でニャンタジーランドの兵を皆殺しにすれば、ビビったクロ様がそのまま降伏してくれるかもしれない。

 くじら王国の兵との速度勝負になるだろう。街道整備を強化しておかなければな。

 私は安堵の息を吐く。

 もちろん裏切らないのが一番だが、これで猫の首に鈴をつけることができるはずだ。


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