075 東京都地下下水ダンジョン その19


 それはユーリたちが陽動部隊全滅の報を聞く、ほんの十分ほど前のことだった。

 巨大な土管にも似た東京都地下下水ダンジョン二階層の階段付近で大規模な戦闘が行われていた。

「無理に攻めるな! 粛々と魔法で攻め立てよ!!」

 強力な知能補正と魔法力強化の効果がある白いローブと仮面で生身を隠した磨羯宮カプリコーンの使徒であるフィーアゲルンは、磨羯宮より預けられた魔法兵団を使って効率の良い戦いを続けていた。

 フィーアゲルンは堅実さという概念を型に押し込んで生きてきたような男だった。

 この戦いにおける彼の心情は一つだけだ。

 枢機卿様方のように特異な権能を与えられたわけではない己は無理に攻める必要はない。

 ただ役割を果たせ、と。可能な限り戦いを続けることで敵に磨羯宮様より預かった部隊を脅威だと思わせればいい。

 ここを突破できずともいいのだ。自分たちの役割は陽動。結果としてここに多くの自衛隊員ゾンビを引き付けられれば役割を果たせるのだ。

 だからフィーアゲルンは、生産スキル持ちを連れてきていた。

 大規模襲撃の際に学んだ戦法だ。戦場で即席の防御施設を生産し、敵の攻撃を受け止めるという新たな概念。

 彼はそれをここでも活かすことで、魔法兵の多い磨羯宮の魔法兵団の強みを十全に発揮できるように戦っていた。

「鉄壁と預けられたスライムを交互に使って敵の銃弾を受け止めよ! ただしスライムを魔法には晒すなよ! 敵は銃だけでなく、マジックターミナルを装備している!!」

 敵の攻撃をスライムと防壁に押し付け、フィーアゲルンは魔法兵を敵の攻撃に晒さないように戦い続けていた。

 魔法兵は知能やSPが高い代わりにHPが低い。銃弾一発でさえ、まともに受ければ致命傷になってしまう。

 だが、この戦い方を続ける限りは彼の率いる部隊は常に最大の火力を保ったまま自衛隊員ゾンビたちに痛撃を与え続けることができるのだ。

「よし、いいぞ! だが常に疲労を考えよ! 攻撃部隊は炎の球の一斉発射後に休息していた部隊と交代せよ!!」

 フィーアゲルン、二度の大規模襲撃を経験し、なおも生存している彼こそは磨羯宮が信頼する使徒にして、古参の精兵である。

 大規模襲撃のような、部隊の許容範囲を越えて敵が物量で攻めてくる場合でもない限り、彼が守戦において敗北することはないだろう。

「ふむ、徐々に敵の陣容もわかってきたな」

 自身は前に出ず、後方で兵を縦横に指揮しながらフィーアゲルンは敵の観察も続けていく。

「指揮個体がいるというのは本当のようだな」

 これだけ長時間の戦闘を続けてなお、敵の陣容に乱れがない。

 もちろんフィーアゲルン自身は無理な攻めを控えているために、獅子宮たちの部隊ほど自衛隊員ゾンビを倒せたわけではないが、それでも高火力の魔法兵を用いた戦術で百を越える自衛隊員ゾンビをすでに倒していた。

 百といえば結構な数だ。それでも敵陣に一切の乱れがないということは、敵側に指揮が可能な個体がいて、フィーアゲルンの動きに合わせて適宜、モンスターを動かしているということに他ならない。

 それをフィーアゲルンは恐ろしく思う。

(これは必ず仕留めなければならない個体だな)

 放っておけば神国の脅威となるだろう。

 そう、通常はモンスターが大規模に集まったところで、数の暴力はともかく、戦術については大したことがない。

 ただ集まり、塊となって突っ込んでくるだけ。

 それはそれで脅威ではあるし、大規模襲撃のような規模になれば国一つが崩れるようなこともある。

 だが前回の女神の指示によって神国は学んでいる。適切な戦術で対応すれば大規模襲撃にも勝利することは可能だと。

 それはフィーアゲルンが今使っている戦術を見ればわかることだ。

 以前の神国がこれほどの自衛隊員ゾンビと真正面から撃ち合いをすれば必ず神国には多大な被害が出ていただろう。

 だが見よ。女神アマチカによって生み出された最新の神国の戦術に、新たに開発されたスライムや隷属マジックターミナルなどの強力な装備。

 それにこの十年で蓄積された魔法兵運用を加えれば、神国の魔法戦はかの魔法大国、エチゼン魔法王国にも勝るだろうという自負がフィーアゲルンには生まれる。

 だがこの戦術に敵が戦術で返せるならばフィーアゲルンの認識も変わってくる。

 敵が経験を積み、さらなる強敵となる前に必ず倒さねばならないと。

 その欲が、ほんの少しの焦りを、フィーアゲルンが気づかない程度に与えていた。

「敵の指揮官はわかったか?」

「いえ、使徒様。見当たりません。どこにいるのかも」

「ううむ、どこだ? 必ずこの場にいるはずだぞ」

 内心の焦りを表に出さず、フィーアゲルンは指揮を続け――そこで異音を聞いた。

「なんだ? 今なにか音が」

 それは笛の音のような音だった。

「どこかで聞いたような……」

 フィーアゲルンがどこかで聞いたような覚えのある音だった。

 しかし思考を進めるわけにもいかない。状況が変化したのだ。

「使徒様ッ! 敵の攻勢が激しくなりました!!」

「なんだとッ! 壁を厚くせよ、甲羅に籠もる亀のように! こちらから無理に手を出すな! 敵の攻撃の合間に反撃せよ!!」

 使徒様、使徒様と報告が入ってくる。まるで先程までの攻撃が前菜といわんばかりの圧倒的な銃撃の嵐。

 それはフィーアゲルンが率いる部隊をその場に留まらせ、背を見せ撤退することすら許さないほどの圧力となって襲ってくる。

 だがフィーアゲルンは焦らない。激しい攻勢をするということは崩れないフィーアゲルンの部隊に敵も焦りを見せているのだ。

 こちらが耐え続ければ、そら、とフィーアゲルンは敵の変化をすぐに察知する。

「む、スライム部隊を下げろ! 攻撃に多くの魔法が混じりだしたぞ! 奴ら相当無理をしておるな! 敵の銃身を見よ! 熱で赤く輝き、銃弾一発放てなくなっておる! 今だ! こちらも顔を出して、一斉攻撃だ!!」

「使徒様ッ、敵が下がっていきます!!」

「わかっている! バテたのだ! 攻めあぐねて焦りおった奴らの負けぞッ! 攻撃せよ! ただし攻めすぎるなよ! SPが半減したならば交代し、控えと入れ替われよ!」

 それは堅実な将が見せた乾坤一擲・・・・の指示だった。

 結果論で語ってしまうならばこの指示はフィーアゲルンらしからぬと言えば、らしからぬ・・・・・ものだっただろう。

 だが彼の判断を焦らせる要素がふんだんにこの場にはあった。

 敵の指揮官が見つからない焦り。

 戦線の硬直からの焦れたと思わしき敵の一斉攻撃。

 そしてじつに攻めたくなる・・・・・・敵の後退の仕方。

 だから彼の頭からそれがすっぽりと抜け落ちた。


 ――このダンジョンの、本来の敵・・・・の存在を。


「使徒様ッ!! 背後より敵影!!」

「敵ぃッ! 後方にも鉄壁は作ってあっただろうがッ!!」

「鉄壁、一瞬で破壊されましたッ! 敵は掘削蚯蚓トンネルワームです!!」

「なッ、魔法で蹴散らせ! レベル40オーバーだろうが集中攻撃すればそう脅威では!!」

「レベルが鑑定で測定不能です! こちらの攻撃もレベル差でッ!! ああッ、使徒様ッ!!」

 フィーアゲルンの付き人の焦ったような表情。なんだ、と言おうとしたフィーアゲルンはそれ以上言葉を発することができないでいた。

 額に穴が空いていたからだ。

「――――?」

 銃弾ではない。それはのようなものだった。付き人には見えている。背後からフィーアゲルンの後頭部を貫通した、血に濡れた細長い爪。それがフィーアゲルンの額から突き出ていた。

 だがその背後には何もいない。何もいないのだ。

 ぐるん、とかき回すように爪が回転すると、引き抜かれてフィーアゲルンの額から血がこぽりと流れ出す。

「え、あ、み、見えない・・・・人?」

 フィーアゲルンの付き人の呟き。彼はフィーアゲルンを殺した存在が見えたわけではない。ただなんとなく人だと、そう思っただけだ。

 フィーアゲルンの額から突き出た爪で、身長や体格のようなものを戦闘経験から判断しただけ。

「あ、で、でも、し、使徒様……う、嘘だろ。なんでこんな」

 土管にも似た丸みのある地面に倒れるフィーアゲルン。付き人が慌てて治療に走るもすでに彼の命は失われている。

 指示に使うため、手に持っていたスマホからは続々と付き人に指示を求める通信が入ってくる。

 背後からは掘削蚯蚓。そして正面からは逃走から一転して反撃に移った自衛隊員ゾンビたち。

 前後の動きが連携しているように見えたが、トップである使徒を失った付き人には焦りから判断ができなくなっていた。

 ただわかるのは、このままでは全滅するということだけ。

「ぜ、全員、に、逃げろッ!! 使徒様が殺されたッ、逃げろッッ!!」

 神国の軍事ツリーは進んでいない。軍制が弱いのだ。

 だから、勝っている場合はともかく、負けると弱さ・・が露呈する。


 ――神国では、こういった場合に次の指揮官が定められていないのだ。


 獅子宮や巨蟹宮のようにトップが死になれているなら独自に緊急時のルールを定めもするが、磨羯宮の軍は基本的に研究職や城壁警備が多い。

 こういった戦場には大規模襲撃を除き、あまり出てこないので、大部隊での戦闘で指揮官が死んだ場合の、明確な権限移譲ルールが定められていなかった。

 というよりこれは宗教国家独自の弱さだ。

 使徒がよく死ぬ獅子宮や巨蟹宮を除き、枢機卿や使徒が死ぬ場合を想定することが不敬だという暗黙のルールが神国全体にあった。

 だからこそ、付き人にできるのは、ただ逃げろと叫ぶことだけ。

 その付き人もフィーアゲルンが死亡して統制の乱れた陽動部隊の兵たちが次々と倒れていく中、放たれた銃弾によって地面に倒れる。

 どこかから笛の音が鳴り響き、掘削蚯蚓は激しく鳴動し、陽動部隊を背後から飲み込んでいく。

 付き人は思った。

 どこかで聞いた笛の音。

 そうだ。

(磨羯宮様の研究室で見た、外国から輸入された猫とかいう生き物に使う笛が似たような――)

 銃声。思考は途切れ、命もまた――。

 

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