076 東京都地下下水ダンジョン その20


 自分が生まれた瞬間に、何かを考えていたことは覚えている。

 それができるように知能・・を与えられたからだ。

 どうしてここにいるのかはわからない。

 わからないけれど、考えはすぐに霧散する。

 ぼく、僕は生まれてすぐに銃を与えられた。

 壊れた街を歩いて回るように言われた。

 敵を殺せと言われた。

 自分と同じように腐った身体を持ち、、自分とは違う白衣を着た者に、そう命令された。


 ――命令には、抗いがたい魅力が含まれている。


 けして好きではないはずなのに、僕は彼の命令をどうしても聞いてしまうのだ。

 命令を聞き、従い、達成するととても幸せな気分にされる。


 ――目を覚ませ!!


 その声を聞いたのはいつごろだったのか。

 街の中をうろうろと目的もなくうろついていたときだっただろうか。

 突然頭の中に声が響いて、僕の意識は覚醒・・した。


 ――僕の名前は、殿谷とのがい真司しんじ


 日本人で、ええと、日本人で?

 腐った脳は過去の記憶をなかなか思い出させてくれない。

 今ここにいるという事実、武器の扱い方、敵の殺し方、命令に関してははっきりと覚えているけれど。

 何かを自主的に考えようとするとそれがするっと流れ落ちてしまう。

 だから僕はふらふらと毎日を壊れた日本みたいな街を歩いて回って過ごした。

 一年だろうか、五年だろうか。

 年月は流れ、僕もある種の慣れがあったのか、いくらか強くなれたと思えたころに、一つの命令が白衣のゾンビから下った。

 ダンジョンに潜ってそこから人間の街を攻めろという指示だった。

 人間? 僕も人間では?

 わからない。どうして僕の手は腐っているんだろうか。どうして僕の身体は大きいんだろうか。どうして僕は銃の使い方を知っているんだろうか?

 どうして、僕は、腐った人ゾンビたちの中にいるんだろうか。


 ――あるけや。あるけやあるけ。あるけやあるけ。


 僕たちは銃を担いで壊れたビル街を歩いていく。死者の行進だ。

 下水の蓋を白衣のゾンビが開く。僕たちはついていく。ワニやスライムが襲ってくる。ワニを倒すけどスライムに仲間・・がやられてしまう。

 変な機械を渡されたのはそのときだ。この下水ダンジョンとかいうところで拾ったという、炎の球が出る機械。

 これはあんまり撃つことはできないし、使ったらを注いでエネルギーを回復させなければならない。

 でもこれでスライムを倒せるようになった。


 ――敵を倒すと強くなれる、というのはここで知った。


 敵を殺せと言われた街に、敵はいなかったから。

 でもこのダンジョンにはいる。

 そしてワニやスライムを倒していくと、僕は、僕のことを思い出せるようになっていく。

 銃のことも詳しくなるし、どうしてか銃弾の威力も上げられるようになる。

 僕はなんなんだろう。僕はどうしてここにいるんだろう。昔の僕はどうしてしまったんだろう。

(ああ、でも……)

 この身体は辛いよ。苦しいよ。醜いよ。

 なんで僕はゾンビなんだろう。なんでこの身体は腐っているんだろう。どうして僕は誰かの命令を素直に聞いてしまっているんだろう。

 辛いよ。辛いよ。辛いよ。辛いよ。辛いよ。

(うぅ……うぅぅ……)

 僕はそれでも生きていく。

 そして、ほんの少し他のゾンビたちより運がよかったのか。それとも知能が高かったのか。何かが優れていたのか。

 それはわからないけれど。

 とにかく僕はほんの少し違う進化・・をした。

 力が強くなって、爪が伸びるようになって、ワニの血を吸いたくなるようになった。

 白衣のゾンビはそんな僕を見て、喜んだ。喜んでまた別の装備をくれた。

 それは身につけると透明になる服。

 それは吹くと巨大な虫を呼び寄せる笛。

 僕はそうして他のゾンビたちを従えて動くように命令されて、警備を任せられるようになった。

 それはダンジョンの中に白衣のゾンビが作っている何かの施設を守るための通路の警備だった。

 その施設はとても禍々しく見えたのだけれど、ああ、どうしてだろう。とても懐かしくなる。これを守らなければいけないと思わされる。


 ――守らなければ・・・・・・守らなければ・・・・・・守らなければ・・・・・・


 僕は、モンスターからこの施設を守るのだ。


 ――でも、人間がやってきた。やってきてしまった。


 たくさんいた。武装していた。僕が並べたゾンビたちがどんどん倒されていく。

 ええと、こういうときはどうするんだったかな。考えながら渡されたぼろぼろの紙に書かれたものの通りにゾンビたちを動かす。

 ああ、でも人間。人間。人間? どうして人間がいて、僕の身体はゾンビなの?

 どうして、どうして人間が。

 僕、僕は、僕は、ぼく、ぼくは。

 人間、ではない? いや、いやだ。人間だ。僕は人間だよ。

 だって僕は、僕は名前があって、いや、まって、名前、名前が思い出せない。

「僕の名前を呼んでよ?」

 口から漏れる言葉はまるで人の言葉ではないように思えた。

 透明になって、敵の指揮官らしき人の背後から突き刺した爪をぐりぐりと自然と動かしてしまう。

 ええと? ああ? 誰だったっけこれは?

 目の前には驚いている人がいる。人間だ。人間? 人間を殺し? あれ?

 あれ、僕は、人間を、殺して……? 違うよね。

 ああ、あああ、ぼ、僕は、僕は怖くなって逃げた。逃げてしまった。

 だけれどすぐに戻ってくるように連絡がきてしまったので、施設に戻って、僕は頑張ることにした。

 だって僕は、人間なのだから。

 死体では、ないのだから。


                ◇◆◇◆◇


 土管状のダンジョン二階層でも大きく広がって広場のようになっている敵施設。

 そこに防壁を築いて戦っていた磨羯宮カプリコーンはその報告を聞き、内心の動揺を表に表さずこくりと頷いた。

「ユーリには了解した、と伝えてくれ」

「はッ! では失礼いたします!!」

 去っていく兵。周囲では魔法と銃声が響き渡り、磨羯宮が隠れる鉄と土が混ざった巨大な壁が何度も何度も大きく揺れている。

「磨羯宮様! 砲弾来ます!!」

「床にふせよ!! 耳はきちんと塞げよ!!」

 まったく悲しむ暇もないな、と磨羯宮は指示を出しながら自身も耳を塞いで、床に大きく身を伏せて、敵の砲撃から身を守る。

 フィーアゲルンは磨羯宮の配下でも優秀だった。

 よく気が付き、磨羯宮が頼んだ仕事を確実にこなしてくれた。

 彼と彼の妻を引き合わせたのは磨羯宮だ。子供が生まれたときは自分も祝福を行いにいった。

 教師の資格をとったのは、部下の子供ときちんと会話をするためだった。それを気づかせてくれたのはフィーアゲルンだった。

「お主の仇は、拙僧がとってやろう」

 この戦いに勝つのは当然だという考えが磨羯宮にはあった。訃報はその気持ちを強くさせた。

 ああ、でも素晴らしい技術に出会えたのに。

 だというのに、手塩にかけて育てた部下たちをここで失うとは……。

 悔しさから、磨羯宮は強く、強く歯を噛みしめるのだった。


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