197 エピローグ 神国にて
――神国アマチカ『首都アマチカ』本庁舎
(使徒ユーリが旧茨城領域、シモウサ城塞の攻略に成功した……か)
後日、ユーリより正確な報告書が送られてくる予定ではあるが、ひとまずは連絡を、ということで緊急で十二天座に送られてきたメッセージだ。
そしてそのメッセージの内容を見て天秤宮が覚えたのは
「出陣して、七日と経っておらぬが……流石だな」
冬が終わるまでには征伐を完了するとは聞いていた。だが出兵して、対陣し、一週間と経っていない。早い。早すぎる。
「天秤宮様? どうされましたか?」
「うむ、なんでもない」
天秤宮は問いかけてきた秘書官に向かって、なんでもないと手を振ってから手元の書類に目を落とした。
ユーリの件とは関係のないものだが、書類に集中するふりをすれば秘書たちの視線が天秤宮から外れる。
考えることが多すぎて、本来の業務に専念できないようでは最上位の枢機卿として失格だ、と天秤宮は自省する。
だが皺が深く刻まれた、老いた顔に天秤宮は憂慮を浮かべた。
(征伐自体は喜ばしい。くじら王国を牽制するという意図もわかっておる……だが、ユーリよ。あと三年……いや、一年は欲しかったぞ)
これで神国は三カ国を領有する国になる。だが、神国の内実は酷いものだ。
防衛はマジックターミナル頼りで兵士は少なく。経済力や生産力は一国しか領有していないくじら王国以下の国だ。
伝え聞く帝国や王国などは開発可能な領土全てに街や村があり、様々な物品が国内を流通しているという。
(だが、あと一年あれば近畿連合や北方諸国連合との貿易で手に入れた人間を国内に定着することができた)
今の人口では、せっかく奪った旧茨城領域の維持すらままならない。
人口さえあれば――そう、人口の少なさはそのまま様々なものの足りなさを示す。
軍事を始めとして、農業商業工業その全てが神国では中途半端だ。人間が足りないので産業の十分な成長に必要な人材が足りないのだ。
そしてそれは集中法やスライムなどで補っても、根本的な人手が増えない限りはどうにもならない問題だった。
だから土地だけ増えたところで全てを有効活用できるわけではない。
いや、有効活用できないだけならそれでいい。
だが土地が広がるということはそのまま防衛圏を広げなければならないということだ。隙を見せればくじら王国は攻め込んでくることだろう。ニャンタジーランド方面だけを警戒していればよかったものが、警戒領域を広げることになり、天秤宮としても頭が痛い問題だった。
(神国全軍で首都アマチカは守れるとして……ユーリめ、何も要求してこないが一人でニャンタジーランドと旧茨城領域を守るつもりかの?)
自信過剰とはとても言えない。あの少年ならばやるだろう。
だが、個人の力であるならそこまでだ。
これから更に一国二国を奪ったとして、ではユーリの力がそこまで伸びるかと言えばそんなことはないだろう。
ユーリ自身ができても、下がついていけないのだ。
だからこそ国内の力を成長させる時間が必要だった。ユーリの戦略についていける人材を育てる時間が。
天秤宮は内心でため息を吐く。加えて問題はもうひとつある。
――旧茨城領域の処遇。
つまりは神国の政体の限界についてだ。
十二天座の合議制は旧東京に根を張る首都アマチカを中心とした領域のみでは有効だった。
だがニャンタジーランド教区に加えて、旧茨城領域までとなれば十二人での合議では無理がある。
かといって教導司祭を増やして旧茨城領域の監督をさせるのも無理があった。
一国の統治ができる人材が、神国にはいないのだ。
(かといって、ユーリに二ヶ国の土地を与えるのも問題であるしの)
国内のパワーバランスというものがあるし、そもそもそれでは自分たち十二天座の成長がない。
小国である今はいいかもしれないが、十二天座の権限を拡大しなければ今後、ユーリの指導の元、成長するだろう十二剣獣などに自分たちの権限を脅かされる危険があった。
(あまり考えたくないが……)
ユーリは優秀だ。戦争が上手い。交渉力がある。内政もできる。今の神国の発展はユーリの存在あってのものだろう、ということは理解できる。
あの少年が持ち上げられる理由は十分にわかる。だが、だが……だ。
(だからと言って、神国アマチカは使徒ユーリの国ではない。女神アマチカの国だ)
天秤宮の神国での役割はバランサーだ。全体の幸福を考える必要がある。
ユーリに権限を与えるのもいい。教区をそのままくれてやってもいい。
――時折、ユーリに従っていれば全て正しいのでは、という気分になることもある。
だがユーリを中心とした国にした結果、ユーリがうっかり死んでしまって、そのまま国がばらばらになっては元も子もない。
ユーリに頼り切ってはいけない。それは
かと言ってユーリの排除をするつもりはない。今ユーリを失えばニャンタジーランド教区の統制ができなくなるし、旧茨城領域の維持もままならなくなるだろう。
だからユーリの権限に合わせて、他の枢機卿の権限を増強する必要があるのだが……。
(そもそも十二天座はそういう意味では一国の統治には不向きだ。一分野に特化しすぎて偏りが激しい。だから政体の方を変える必要があるが……内政ツリーにある遠隔地統治に最適な総督制度を採用するか? それとも方面軍制度か? だが下手な人物に任せると独立されかねんぞ)
十二天座は信用できる。だがこれから神国が拡大するにあたって、人材の補充のためにも様々な国の降将を扱う必要が出てくるだろう。
そのときに軍や土地を与えた優秀な降将が中央の統制を離れて独立することを考えれば、天秤宮はうかつに権力を与えることに戸惑いがあった。
(これも話し合わねばならんが……難しいな)
実際に教区を統治しているユーリの意見を聞く必要を天秤宮は感じている。
ユーリの戦略は的確だ。くじら王国と本格的な敵対を始めた神国アマチカはユーリの知略に今後も頼る必要がある。
――どうにも頼りすぎている自覚はあるが……。
全ては時間が足りないのが問題だった。
(そうだ。北方諸国連合さえ強ければの……)
全ての誤算は、北方諸国連合の弱さだった。
ユーリもこれは見誤っていた。というより、王国を始めとした帝国、魔法王国の強さをだろうか。
せめて一年耐えてくれればよかったものを。たった半年で北方諸国連合ご自慢の対王国の城塞群が抜かれかけている。
そして問題はその後だった。
隷属させた殺人ドローンを解き放ったことで、北方の地形情報のいくつかは入手できている。
北方諸国連合の対王国城塞群の先に防衛拠点はほとんどない。大規模襲撃に使うのだろう壁だなんだのはあるが、くじら王国の進撃を防ぐだけの防御施設は存在しない。
城塞群の突破で攻城戦に慣れただろう王国軍の攻勢を耐えられるとはとうてい思えない。
だから現在、王国が攻略している城塞群が抜かれれば、あとは麦の穂を刈るように北方諸国連合は一国ずつ刈り取られるだろう。
天秤宮は人口豊富なくじら王国が土地を手に入れたあとのことなど考えたくなかった。
くじら王国の国力は人口に比例して増強されるだろう。つまりは神国の滅亡だ。
(……そして今頃いくつかの国はくじら王国と降伏交渉を行っているだろうの……)
軍を動かせない冬の期間は政治の季節だ。戦争なぞしようとする人間はユーリぐらいのものだ。
そして北方諸国連合がそこまで盤石な同盟だとは天秤宮は考えていない。
戦争に負けているということもあるが、あれが七ヶ国連合である以上、必ず裏切り者がでる。人数が多いというのはそういうことだ。
だが、それを防げるのが、旧茨城領域という土地だった。
(そこまで考えて動いていたのかの、
恐らく考えていただろう。だからこそあの少年は無理にでもあの領域を奪ったのだ。
――そう、北方諸国連合の内紛も、神国がくじら王国を圧迫すれば別だ。
北方諸国連合に選択肢を与えることが重要だった。
耐えていればくじら王国を神国が倒すかもしれないと思わせること。
もしくはくじら王国からの圧力が緩むことで北方諸国連合が耐えられる時間が増えるかもしれない、ということ。
旧茨城領域を神国が得たことで、そういった期待を彼らはするだろう。
そして現在、くじら王国と内応している国は考えるだろう。
急激に勢力を拡張した神国がくじら王国を
弱小だった神国がくじら王国に勝てるわけがないと考えるだろうか?
否だ。くじら王国は一度、神国に負けている。
そのことを他国は知っているし、そのときに神国が七龍帝国とエチゼン魔法王国の連合国の侵攻を退けたことも、以前、各国の仲違いを誘うために故意に流した偽報から知られているだろう。
――そう神国の内実はともあれ、戦争が強いことは知られている。
とはいえ、神国が三ヶ国を保有し、くじら王国への圧力を増やし、そして北方諸国連合と接したことで起きる他国の反応は正直なところ天秤宮には把握しきれない。
ユーリもそのときが来るまではわからないとも言っていた。
北方諸国連合と強力な貿易関係が築けるかもしれないし、くじら王国が対外侵略を諦めて自国の殻に閉じこもるかもしれない。
もしくは最悪、周囲の国全てが敵に回り、包囲網を組まれる危険性すら存在する。
――しかし戦争が強い、というのは最強の手札だ。
包囲網を組まれたとしても、そこまでの不安を天秤宮は覚えていない。
(双魚宮が外交がやりやすいと言っていた理由もわかるな……)
戦略を考えるとユーリという、どの局面に投入しても必ず勝てる軍事力があることの頼もしさに天秤宮は気分が楽になる。
そう、たとえ周囲の国全てが敵対国家となったとしても、それは神国にとって不利ではない。
神国は耐えるのは得意だ。耐えて耐えて生きてきたのだから。
そして耐えていれば神国は余った土地を利用して成長していくことができる。
むしろ対神国にくじら王国の戦力の全てが向けられるならそれでもいい。
危険なのはくじら王国に弱国を食い荒らされて手のつけられない巨大国家に成長されることだからだ。
そして、その状況であるならユーリが率いるニャンタジーランド教区軍をくじら王国に当てれば、少なくとも負けることはない。
残りの方面は神国軍で耐えればいい。
(――なるほどな、天下国家の戦略は面白い……)
こうして絵図面を描くのは少々悪趣味であるし、天秤宮の柄ではないが。
天秤宮はこうして戦略を簡単に考えてみたが、それは別に彼がそのように差配するためではなかった。
あくまで天秤宮は十二天座会議のまとめ役だからだ。
何も意見がなければこういった考えを口に出すかもしれないが、皆が意見を出すなら口を閉じたままにするだろう。
――天秤宮が考えるのは、無策よりマシ、という状況にするためだけのこと。
今は若い者が育っている。自分の考えよりもよく考えた意見を出してくれるだろう、という期待が天秤宮にはあった。
(そもそも来年は戦争をやっている暇はないだろうしの……)
天秤宮は、そっと自身のスマホに目を落とした。
――ユーリよりさきほど枢機卿全体に送られてきた緊急のメッセージがある。
『言語学』スキル持ちの兵が解読した、シモウサ城塞のオーガ
(大規模襲撃が、来年か……)
もちろん明確に大規模襲撃とは書かれていない。
だが一年後に大規模に兵を移動できる期間が発生するために、シモウサ城塞の拡張とオーガの兵糧になるゴブリンの養殖を指示する命令書がシモウサ城塞より発見された、ということだった。
(一年、大規模襲撃の期間が短くなるのか……つまりは来年に殺人機械が襲撃してくるというわけだの)
この情報をユーリは今年の神界会議に提出するとメッセージに記していた。
神国からの情報だ。くじら王国は信じないかもしれないが、もしかすれば人類全体が手をとってモンスターと戦うことができるかもしれないと。
(そうなればどれだけ良いことか……)
理想論。むしろこの情報を悪用される危険すらあるだろう。天秤宮の顔が厳しいものになる。
「天秤宮様? どうされましたか? 険しい顔をしておられますが」
秘書官を務める神官に声を掛けられ、天秤宮は顔を緩めた。
「いや、なんでもない。次の裁判について考えていただけよの――む」
「天秤宮様?」
「……少し、離れていなさい」
険しい天秤宮の声に、秘書官ははい、と下がっていく。
ユーリからの連絡だった。隷属させた殺人ドローンから送られてきた情報を添付していた。
その情報に、天秤宮は旧茨城領域の征伐は正解だったと深く実感した。
――それは神門幕府の攻勢により、近畿連合の一角、湖城国のブショーが討たれたとの報告だった。
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