226 教皇就任祭 その2


 この日のために、きっちりと整備された道をパレードが行進していた。それらを見るために首都アマチカの人々は修理された大通りへと向かっている。

 しかし逆に、神国民だというのに、それらに集まっていない者もいた。

 薄暗い建物の影に数人の人影が見える。この祝祭を乱すことを目的とした者たちだった。


 ――もちろん、本人たちにその考えはないが……。


 肉やパンの焼ける香ばしい匂いが裏通りにも漂っていた。小神殿が祭りのために民に無料で配っていたものの匂いだ。

 こんな匂いを嗅げば、ぐぅ、と腹から音が鳴るものだが、男――アマチカ教ユーリ派の『芸術家』ケリケリュウスは何かを食べる気分にはならず、むしろ喉がカラカラに乾いており、腰に下げていた革袋を口に当て、がぶがぶと中身を飲む。

 集中力が低下するのと、身体が重くなるから、と朝食は口にしていない。『空腹』の状態異常は多少のステータス低下があるが、一食抜いた程度ではさほどのものではない。むしろ戦闘能力の低いケリケリュウスからすれば肉体的な不調よりも精神的な高揚感を保つ方が重要だった。

 ただし、緊張からか喉は渇く。水筒代わりの革袋に手が伸び――注意される。

「おい、ケリケリュウス。飲み過ぎだぞ。小便したくなってもその辺で済ませるわけにはいかんのだぞ」

「す、すまん」

 同志から注意される。職人街ならともかく、今いる小神殿傍の裏道でそんなことをすれば信仰心が許さないのもあるが臭いで警吏がやってくる。この祝祭では警備のために自警団ではなく、神国軍から特に鼻が効く連中が動員されていると聞く。

 取り調べられればこの企みは達成することもできずに潰えるのだ。

 ケリケリュウスはこの企みを主導する者として、捕まることも殺されることも恐ろしくないが、何もできずに失敗することだけは許せなかった。

(私が、私がユーリ様をお助けするのだ)

 使命感と緊張感で喉がきゅうと鳴る。計画を達成しようという強い意思はある。だが喉は乾くし、何より心が落ち着かなくなる。


 ――かつて奴隷が如く扱われていた己がこんな大それたことを起こすのか。


 妻が用意してくれた果実水・・・に自然と手が伸び、だがユーリへの信仰心で己を戒めた。

 この水を飲むと妻への愛か、どうしてか心が落ち着く。だから飲みたくなる。

 だがそのために今、飲み干してしまってはいざというときに困るのだ。

「おい、時間・・だ」

 スマホを注視していた男が声を上げ、ケリケリュウスはハッとした顔でその男に乾いた声で返事をする。

「あ、ああ」

 慌てて自分のスマホを取り出して確認すれば確かに実行の時間が近づいてきていた。

 今回の計画はケリケリュウスだけのものではない。他にもいくつかのグループが存在し、一斉に行動することで軍の注意を分散させるのが狙いだ。

 ケリケリュウスたちだけで行えば一時間も経たずに鎮圧されるだろう拙い計画も、こうしてみんなで力を合わせることで大きなものへと成長する。そうすれば交渉の余地も出来、目的を達成できる可能性があがる。

 心を落ち着け、手順を頭の中でケリケリュウスは再確認した。やるぞやるぞやるぞ。

「しっかりしてくれよ。アンタが要なんだからよ」

「わかってるよ」

 妻の旧知だという男が肩を叩いてくる。

 山賊出身のためだろう。彼が『隠蔽』スキルを付与したマジックターミナルを手にとって、ケリケリュウスは息を吐いた。

 これで隠蔽される瞬間を見ていたケリケリュウスたちや隠蔽を付与した人間以外にはこのマジックターミナルはただの画材・・にしか見えなくなる。強力な対抗スキルがない限り、見破られることはないのだ。

 これを手に、ケリケリュウスは小神殿を占拠するのだ。

 息を吸い、吐く。緊張はある。恐れも。だがそれらの弱さを飲み込み、ケリケリュウスは心中で呟いた。


 ――我こそはこの腐った神国を変える尖兵とならん。


「ユーリ様に恩返しをする」

 この日のために集まってくれた同志がケリケリュウスの言葉に「おう」と返した。

 大人数が集まっていてはいらぬ注目を集めるためにこの場には少人数しかいないが、いざ実行となれば待機している位置からユーリ派が集まってきてくれる。

 ケリケリュウスは心を落ち着けながら言った。

「まず計画通りに私が最初に事を起こすから、君たちは合図を見たら続いてくれ」

「ケリケリュウス……私も――」

 一緒についてきていた妻であるカーラが心配そうにケリケリュウスに言うが、ケリケリュウスはふるふると首を横に振った。

「芸術家である私は腕っぷしはそこまで強くないが、だからこそ私を警戒する人間は少ないのさ」

 さぁ、始めるよ、とケリケリュウスはスマホの時間を確認しながらマジックターミナルを手に、表通りへと歩き出すのだった。


                ◇◆◇◆◇


「ケリケリュウスさんじゃないですか。どうしたんですか?」

 食事と酒を振る舞い終え、片付けをしていた中年の神官が画材を手に通りを歩いてきたケリケリュウスに気づき、きょとんとした顔をした。

 この画家の企みを何も知らされていない神官は(万が一気づかれて計画を変更されては困るためにだ)、周囲の修道女たちに片付けを任せながらケリケリュウスに近づいていく。

 画材を手にしたケリケリュウスはこの祝いの日にも関わらず、緊張した空気を出しており、神官は依頼していた壁画に何かあったのかと心配になる。

「え、ええ。壁画に少し気になる部分がありまして」

「こんな日にですか?」

「こんな日だからこそです!! 女神アマチカが枢機卿猊下を祝福する日に、私の壁画の出来が悪ければ女神アマチカがどう思うかと思うと、夜も眠れなくて! だからこうして!!」

「わ、わかりましたから。落ち着いてください」

「落ち着けませんよ!!!」

 まぁまぁ、と神官がケリケリュウスを手で押さえる。仕事熱心だな、という呆れが彼の顔に浮かんでいた。

 こうしてケリケリュウスが騒いでも、騒ぎは起こらない。周囲に住民はほとんどいない。せいぜいが修道女たちが何事かと見るぐらいのものだ。

 無論、先程までは大量の民が食事と酒を求めてやってきていたが、パレードが終わったことで大神殿で女神アマチカから天秤宮に教皇位の授与があると聞いて、ひと目でもその目出度い瞬間を見れないかと移動していた。

 今頃大通りは人でいっぱいになっていることだろう。

 無論、人通りが少ないからといって、皆無ではない。

 今もちらほらと残っている者たちもいるが、彼らは地面に座りながら酒を飲んでいるような呑気な人々だ。神国人はあまりこういった酔い方はしないものだが良い日のためか、楽しげに談笑をしている。

 人々が心から、穏やかに笑える日。この素晴らしき日がまた来るように努力する、これが見れただけでも女神アマチカを信仰していた甲斐があったものだと彼らを見ながらケリケリュウスの相手をする神官は思っている。

 大規模襲撃や、帝国と魔法王国の侵攻、ニャンタジーランドでの戦争、世の中に争いや不和の種はいくらでもあるがそれらを乗り切りこうして神国は素晴らしい日を迎えることができたのだ。


 ――今日は素晴らしい日に、歴史に刻まれる幸福な日になる。


 遠くから聞こえる人々の喜びの声を耳にしながら中年の神官は深くそう実感し、では、とケリケリュウスに背を向けた。

「少し待ってください。ここの片付けが終わったら壁画にご案内しますから」

 早くしてください、とケリケリュウスは言わない。神官が背を向けた隙にケリケリュウスは彼の背に近寄っていた。

 緊張でケリケリュウスの動きは硬い。だが油断していた神官の背に画材――マジックターミナルを突きつけるには十分な間。

 背中にマジックターミナルを突きつけながらケリケリュウスは言った。

 それは先程の熱量の籠もった声から一転して酷く冷たい声だった。

「動かないでください」

「な、何を!? ケリケリュウスさん!?」

 首筋にかかる画家の息にレベルがそこそこに高い神官が抵抗しようとするもケリケリュウスの続く言葉に彼は動きを止めた。

「抵抗すれば心臓を吹き飛ばします」

 腕や足を吹き飛ばされた程度ならば神国の神官は回復魔法で癒やしながら動くこともできる。部位欠損は神官レベルの回復魔法では治療できないが鎮痛魔法で痛みを抑えれば抵抗は可能だからだ。

 だが心臓を吹き飛ばされ、即死してしまえば抵抗はできない。何をもってそれができるとケリケリュウスが脅しているのかはわからなかったが、声色から本気だと察して神官は思考が硬直してしまう。

 ケリケリュウスがさっと片手を上げる気配。

 ぞろぞろと小道から人々が現れた。

 ケリケリュウスが言った。

「申し訳有りませんが、我々アマチカ教ユーリ派がこの小神殿を占拠させていただきます」


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