082 東京都地下下水ダンジョン その26


「あ……ぅ……ぅぁ……」

 何が起こったかわからなかった。

 突然巨大な爆発音が起こって、今いる地面が大きく揺れた。

 土がぱらぱらと天井から落ちてきて、悲鳴や苦痛の耐えるような声がずっと続いている。

 音と衝撃が終わると、次第に脳に臭いを認識する。不快な臭いが鼻腔に集まる。今まで認識していながら嗅ぎすぎて忘れていたそれ。

 金属の焼ける臭い、不快な生物たちの蠢き、ゾンビが放つ肉の腐った臭いや奴らが使う銃が放つ火薬の臭い。血の臭い。死の臭い。

 今の私には、音と臭いが判断できるすべてだった。暗い。目が潰れたのかとも思ったがところどころでスマホの光が見える。視覚は大丈夫だ。安心する。

 倒れている私の視界に、設置した天井の電灯が地面に落ちて砕けているのが見えた。

(なにが……起こったんだ?)

 衝撃で転んでいた私は土でざらついた地面に手を当て、力を込めて立ち上がる。

 ダンジョン側はもうちょっと明るいだろうと思い、銃眼のある方向を見た。

 少し距離があるが、私の目は良い。土埃などで見えにくいが、うっすらとそれ・・が見えた。


 ――言葉が出なかった。


(なん……だ?)

 建物が見えた。見覚えのある建物だ。地上にあるはずの学舎だ。それが逆さになって、掘削蚯蚓を真っ二つに潰していた。

 まだ生命力が残っているのか、掘削蚯蚓の巨大な下半身がのたうち回り、巻き込まれた自衛隊員ゾンビや防壁の残骸が宙を舞っているのが見えた。

 掘削蚯蚓の頭は見えない。

 ただ、地面の下から巨大な掘削音が聞こえるのを見るに、シールドマシン状の頭部分が真っ二つになった衝撃で下向きになって三階層に向かって自ら掘り進めていっているのだろうということだけがわかった。

 運良く・・・、あの学舎は掘削蚯蚓に落ちてくれたようだが……。

(あれが、ここに落ちていたら……)

 ほんの少しずれただけでこの陣地の人間は全滅していただろう。

獅子宮レオ様たちは無事だろうか?)

 次第に混乱が落ちついてきたのか、広場の方から銃声や魔法の音が聞こえ始める。

 土煙や埃で視界は悪いが、味方と敵の混乱が解けて戦闘を再開したらしい。

(本来なら撤退を指示すべきだが……ッ)

 残存人員を確認し、部隊を再編成して、粛々と撤退すべきだった。

 だが後がなかった。

 神国には後がない。これだけの攻撃をして、失敗した場合、次はない・・・・

 そして次がなければあの半壊まで追い込んだ敵生産拠点は修復され、いつかはわからないが、自衛隊員ゾンビを次々と生産するだろう。

 ここで倒さなければならない。


 ――それに、なにより好機だった。


 混乱は敵味方に、むしろ防御側である自衛隊員ゾンビ側に多かった。

 掘削蚯蚓は死に、どういうわけかこちらに大きな被害は出ていない。

 そして、いくらか混乱は起こっているが、起き上がった兵たちが立て直しに奔走しはじめている。

 宝瓶宮様アクエリウスは――そこで思い出す。

 衝撃に混乱していた頭が、宝瓶宮様がいた場所を、この混乱のあと初めて確認した。

「ア、宝瓶宮様……」

 宝瓶宮様は死んでいた。蘇生のためか、ゆっくりとその死体が彼女の身につけていた装備を残して消え去っていく。

 私を守って誰かが死んだというショックで――いや、そうじゃない。今、重要なのは彼女を殺した存在がいるということッ!

「て、敵がッ!!」

 宝瓶宮様の死は、地中にばかり気を取られていたせいで、上から坑道を掘られて、敵が来るということに気づかなかった私の失態だった。

 むしろ下の坑道を大規模に作ることで、敵は下から来るという印象を私に植え付け、それ以上の対策を取らせなかった敵が上手かったのか。

 どちらでもいい。結局、私はいいように敵にやられてしまったというそれだけのこと。

「敵が指揮所内にいます! 侵入されました! 全員、警戒態勢ッ! 敵は透明です! 見えない敵が宝瓶宮様を殺しました!! 全員、警戒態せ――ッ」

 言葉の途中で、私はその場を跳ねた。子供とは考えられないほどに疾く動く。

 これは高いレベルによって与えられた高いステータスが為せる技だ。

「ここだ! ここにいます!! 神聖魔法で攻撃してくださいッ!!」

 この指揮所を舞う土煙と埃によって、透明人間のような、敵の姿が浮かび上がっていた。

 そいつは私に向かって爪を振り下ろした格好のまま停止している。

 子供だと侮っていたのか、なんとも単純で単調な攻撃。中学で柔道の選択授業をとっていた私には簡単に避けられたぜ。

(いや関係ないか。単純に、敵の動きが鈍いというか躊躇のようなものが)

 柔道とかいつの話だ。くそ、前世の記憶が、どうしてか一瞬浮かんだ。なんでだ? 何か、懐かしい気配・・のようなものが。

(しかし、こいつ、なんだ……?)

 ぶつぶつと透明人間は何かを言っている。モンスターの言葉はわからないが、この音の多い戦場でも聞こえる不快なノイズだ。

 そんなことをしている間にも、この騒ぎを聞きつけた兵が周囲から走ってくる。

「ユーリ様! 大丈夫ですか!!」

「大丈夫です。それよりあいつを!」

「は、はいッ! 総員、攻撃せよ! 透明だが、土埃で見えるぞ! 一斉攻撃!! ユーリ様が言うように神聖魔法で攻撃せよ!!」

 兵士の一人が私を抱えて走っていく。そんな私たちと交差するように、銃眼側から兵たちが一斉に遠距離攻撃型の神聖魔法『光の矢』が放たれる。

 神聖魔法を指定したのは、この混乱した指揮所で火だの氷だのと撃ち込まれれば誤射で人が死ぬと思ったからだ。

 その点、神聖魔法に属する攻撃呪文は高い信仰心を持つ神国国民には通用しない。全く効かないというわけではないが、誤射での死の危険は低い。

 火や水と違って施設などの破壊効果が低いのが攻撃において難点の魔法だが、その分ここでは敵以外を破壊しない利点が輝く。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「くそッ! ユーリ様、抑えきれません!! 逃げてくださいッ!!」

「なッ、なんだあいつはッ、れ、レベルがちが――」

 囲んだ兵たちが透明人間に次々と倒されていく。爪の一閃で、精鋭とも言える彼らが死んでいく。

(レベル60越えか!? なんでそんな奴がこんなにいるんだッ!?)

 そして理不尽にも私を追って、兵の囲みを抜けて走り出してくる敵。

 私を抱えていた兵が私を放り出して敵に飛びかかっていく。

「ユーリ様、お逃げくださッ! こ、これは――おらぁッ!!」

 突如、拳に『祓魔術エクソシズム』が付与された兵が気合を入れて敵と組み合った。


 ――付与の神聖魔法!?


「ゆ、ユーリくんが殺されちゃうッ! 守ってッ!! あれを倒してッ!!」

 医療所として指定されている場所から走ってきた処女宮ヴァルゴ様だ。

 彼女は周囲の兵に『祓魔術エクソシズム』を付与して敵に向かって突っ込ませていく。

 兵は次々と向かっていってはダメージを与えて撃退されていく。怪我を負ってもその都度処女宮様は治療して、戦線復帰させていく。

 ここまで来ると私を守るためというより、あの敵は生かして帰すわけにはいかないという気持ちになるが。

(だがあの敵、透明な、なんだ?)

 兵たちの必死の攻撃で、纏っていた透明ステルス装備らしい服が破壊され、奴の正体があらわになっていく。

 血色の悪い肌。赤黒い目。鋭い牙に爪の人間型の怪物だ。

(祓魔術が効いているってことは、不死者だろうが、なんだ?)

 ターンアンデッドで一撃で殺せそうだが、あの近接戦闘能力の高さは亡霊戦車と違ってここに残っているターンアンデッドが使えそうな、処女宮様や磨羯宮様では接近戦ができそうにない。

 宝瓶宮様を最初に殺したことといい、指示を出した私を狙って攻撃してきたことといい敵には十分な知能が――じゃないッ。馬鹿か私はッ。

「奴が装備しているマジックターミナルを破壊してくださいッ! 奴は物理攻撃しかしていないッ!! マジックターミナルを破壊しだい、スライムで仕留めますッ!!」

「はいッ!!」

 私の指示で兵たちが敵のマジックターミナルに向かって集中攻撃していく。レベル差はあるが、一部位だけでも壊すだけならばッ。

「ユーリ様、壊れましたッ!」

「スライムッ! 奴を包み込めッ!!」

 発想を思いついた時点で私はスライムに向かって走っていたし、準備をするように指示を出していた。

「いけ! やれ!!」

 兵が囲む侵入者に、私の指示に従って天井から強酸スライムたちが落下していく。

 見た所物理攻撃しかできない奴はこれで詰みだ。

 物理耐性を持つスライムに取り込まれた侵入者が、爪で攻撃するも、スライムたちにはそこまで効いている様子もない。

 それでもここで逃がすわけにはいかない。

「処女宮様ッ! スライムに回復魔法の援護をッ!!」

「う、うん!!」

 兵士たちに囲まれていた処女宮様を呼び寄せ、スライムに回復魔法を掛け続けさせる。

(よし、終わりだ)

 あとはもう勝手に死ぬ。

 念の為の予備として指揮所に残していた十匹の強酸スライム(強酸スライムは最初の爆破作戦には使わなかった)に取り込まれた以上、奴はもうあそこからは出られない。

 ドロップアイテムは残らないが、欲を出せば壊滅するのはこちら側だ。

 私は侵入者への処置が終わったことを確認すると地面を強く踏み、天井の坑道を塞いだ。これでこれ以上の侵入はない。

「応急処置的だが天井の穴は塞いだッ、磨羯宮カプリコーン様は今……!?」

 これだけのことが起きているのにあの方は何を、と磨羯宮様がいる方向へと私は走っていく。

 百人単位での収容を考えて拡張し続けたこの陣地は狭いようで広い。子供の身だから移動も時間がかかる。

 それでも一生懸命走り、いまだ倒れたままの兵士が他の兵士に治療されたりしているのを他所に、私は銃眼前に設置された簡易指揮所に飛び込んだ。

「磨羯宮様ッ!!」

「お、おおユーリか。騒ぎがあったようだがどうなっておる?」

「宝瓶宮様が殺されましたが収めました。それよりどうなってますか?」

「宝瓶宮がか。わかった。それでユーリ、今こちらは敵が一斉に攻めてきておって動けなかったのだ。奴ら、どうも焦ってるのかそれともそちらであったことに関係しておるのか。無策に突っ込んでくるぞ」

「宝瓶宮様を殺した奴への援護だったんでしょう。わかりました。掘削蚯蚓は死に、敵の攻撃は失敗しました。こちらも踏ん張り時です。獅子宮レオ様、巨蟹宮キャンサー様と連携して攻めましょう」

 そのとき、ぴこん、と私の頭に誰かの声が届いた。

 それはまるで天啓にも似た、聞いたことのない、だが触れたことのあるような気配・・


 ――おめでとうございます! 転生者の殺害に成功しました! システムの操作権限が上昇します!

 ――現在の権限レベルは『1』です!


「ユーリ? どうした」

「い、いえ、なんでもありません。通信兵を呼びます。まずはお二方が無事かどうかを確認します」

 うむ、という磨羯宮様の声。

 私は通信兵を呼ぶべく、兵の一人に声を掛けながら、視界の端に立ち上がったポップアップしたインターフェースにも似た、謎のウィンドウに目をやり――そっと視線をらした。

 私には、まるでそれが不吉さそのもののようにしか見えなかった。



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