210 キリルのお仕事 その6


「はい、これ。キリルちゃん」

 キリルの執務室に入ってきた処女宮が、大量の書類を前にしてうんうんと唸っているキリルが座っている机の上に、手に持っていた大量の書類の束をどさりと置いた。

 処女宮に続いて歩いてきていたクロも「ごめんね」と言いながらキリルの机に書類を乗せる。

 この部屋にいるのはキリルと双児宮だけだった。

 現在、他の職員は教皇就任祭の準備で出払っている。

「あの、処女宮ヴァルゴ様……なんですかこれ?」

 机の前で大量の書類を前にしていたキリルは顔を固まらせた。

 教皇就任祭の準備でキリルの処理能力はパンクしていた。そこにこんなに大量の書類を持ってこられても処理ができないからだ。

 困惑するキリルだったが、傍にいた人間は別のようで、冷静に処女宮に対して問いかけた。

「処女宮……これが例の?」

 キリルの机の脇に自分の机を置き、眼鏡を(伊達メガネだ)して、キリルの仕事を手伝っていた双児宮ジェミニが処女宮に問う。

 処女宮は頷き、書類の山の上に手を乗せて言う。クロはキリルに対して気まずそうな顔をして、部屋の隅に逃げていった。

「うん、これがとりあえずテロの目標になりそうな施設と、巨蟹宮や天蠍宮が練った対策についてね」

「……えっと、その……」

「何? キリルちゃん」

「あの、何も聞いてないんですけど……テロってなんですか?」

 言ってなかったっけ? と首を傾げる処女宮の前で、キリルは「言ってなかったです」と書類の山を前に絶望的な声を出す。

 これだけの仕事をいつものように押し付けられてはキリルは何もできなくなってしまう。

「テロっていうのは、テロリズム? テロリスト? よくわかんないけど、そんな言葉ね。危険な兵器とかを街中に設置されてどかーんって爆発させられたら迷惑だし怖いでしょ? そんな感じ。悪い奴らが私たちに嫌がらせしようとするって言葉ね」

「な、なるほど。それは怖いです」

 キリルの顔に微かに浮かぶ恐怖は、テロで神国の人間に被害が出ることについてだ。かつてキリルは大規模襲撃で同級生を殺人機械に大勢殺されている。親しい人が亡くなる恐怖はキリルも知っている。

「それでこれは他には内緒なんだけど」

「はい」

「教皇就任祭に帝国の女帝様が来賓としてやってくるの」

「ああ、なるほど……そのためのてろ・・なんですね?」

 キリルが納得した表情で頷いた。

 先年神国と戦争をした帝国のトップがやってくるのだ。ならば女帝を殺害するためのテロを起こそうと考えるものがいるかもしれない。

 女帝は不死だが、鬱憤を晴らすことが目的の狂人も世の中にいる。

 女神アマチカに対する信仰を帝国の女帝を殺すことで示そうという人間がこの国にもいる、と言われればそうかも、とキリルも思ってしまう。

「じゃあ絶対に女帝様を守らなきゃ、ですね」

 キリルとて帝国を許す気にはなれないが、だからといってユーリが枢機卿に就任する祭りで騒動を起こされてはたまらない。

 がんばるぞ、と手をグーに握りしめたキリルを微笑ましそうに処女宮は見てから「違うよ。キリルちゃん」と彼女の考えを訂正した。

「え、と……違う?」

「帝国は今、とても弱っているからね。他の国はどうせ蘇生する女帝イージスなんて暗殺しなくてもいいの。まぁ女帝イージスを暗殺して神国のせいにして、喧嘩をふっかける理由にする、なんてことも情報・・がなかったら考えられたかもしれないけど」

「……えっと……あの……どういうことですか?」

 他国? 神国の人間がやるかも、という話ではないのか? 女帝をだから守るのでは?

 処女宮にとって神国人は全て自らの手足だ。

 手足が勝手な行動をしないという考えの元に行動している処女宮にとって、自国民が命令もしていないのに女帝を害することはない、という考えがそこにはあった。

 話が読めないといった顔をするキリルに向かって、処女宮は周囲を見て、改めてこの場の全員が出払っていることを確認してから(そういうタイミングで処女宮は来ていた)、キリルに向かって囁くように言う。

「逆だよ、逆。七龍帝国が、教皇就任祭で天秤宮リブラを暗殺するつもりなの」

「……えっと……え? あの、それは」

 その言葉が、女帝自らが暗殺者として乗り込んでくるという意味かどうかわからず、キリルは口を開いては閉じ、処女宮の顔をもう一度見た。

 その困惑はなぜという意味が強い。不死の存在である十二天座の存在は他国にも知られているはずだ。

 そんなキリルに処女宮は穏やかに説明する。

「教皇になった天秤宮を殺して、その混乱に乗じて神国に帝国軍が乗り込んでくるつもりなの」

「……じゃあ、ええと、女帝さんを追い返すっていうのは? そもそも来なければ暗殺もないと思うんですけど……」

「キリルちゃん。私たちもそこは十二天座会議で話してね。わかってるぞ、って感じで追い返すより、暗殺計画を決行させて、その暗殺を防いだ方が楽ってことになったの。わかってるんだから。変に計画を変更されてわからない形で何かをされるより、やらせて労力と時間を使わせた方がずっといいってことね。失敗すれば帝国の失点にもなる。女帝は間抜けだと嘲笑って国際社会で非難の的にできる」

「それは……そうですが」

 キリルは嫌な顔をして目の前の書類を見た。防げることなら防げばいいのに、防がずにやらせるのだと処女宮は言う。

 その結果が目の前の書類の束のようだった。

「でね、この書類は天秤宮の暗殺のための陽動として、テロの標的にされそうな庁舎や重要施設なんかをピックアップしたものだね。祭りのときはこのあたりに兵を配置するし、キリルちゃんもなるべくでいいから、できることをやって」

「できること、ですか?」

「設置式の罠としてはマジックターミナルを置いておくのが一番だけど、数が少ないから全部の施設には置けない。スライムを置いてもいいけどあれらの感知能力はそこまで高くない。偵察鼠のセンサーを置いてもいいけど、全部の記録をチェックするには人数が少ない。まぁ監視自体は置くけどね。それでも決定的な何か・・が足りないから、キリルちゃんも何か考えてってこと」

 教皇就任祭までの時間は一ヶ月を切っている。祭の準備に加えて、テロ対策まで考えるのは難しかった。

「とりあえず、こっちでも対策チームを編成して動いてもらってるから。そこまでは心配しなくてもいいよ。この書類も祭りの準備のときにあれこれ勝手に動かれてキリルちゃんの予定が狂わないように、資料として持ってきただけだしね」

 処女宮の言葉に「え? キリルちゃんにいっぱい仕事を押し付けるっていうから謝ったんだけど私」とクロが処女宮に文句を言えば「ごめんごめん、クロちゃんの申し訳無さそうな顔が見たくて」と処女宮が全く申し訳無さを見せずにクロに謝る。

 そんな二人を無視して、キリルは目を閉じた。対策チーム。つまりユーリが動いているということだろうか? 目を開き、処女宮に問う。

「対策って、ユーリですか?」

「ううん、ユーリくんは動けない。今回は王国が陽動として教区側で兵を動かすらしいから、暗殺計画が成功も失敗もしなくても、防衛のためにユーリくんはすぐに教区に戻る予定になってるし、今の教区は北方諸国連合の難民や、近畿連合の亡命受け入れ準備で忙しいから、そもそもこっちに目を向ける余裕がないよ」

「北方諸国連合の難民? あれ、それって前は北方諸国連合も亡命だったんじゃ?」

「魔法王国が北方諸国連合に侵攻して、その勢いで王国も勢いづいて難民が旧茨城領域に入り込もうとしてるの」

 それも初耳だった。キリルが教皇就任祭のために忙しいからか、キリルに気を使って周りが情報を入れないようにしているようだった。

 それは確かにそうだがキリルとしては余計なおせっかいをされている気分になる。ユーリも気にせずに教えてくれれば、とキリルは考えてしまう。頼ってほしかった。頼りなくても……。

「え、じゃあ、ユーリが今それを? っていうかどっちもやってるんですか? 北方諸国連合と近畿連合のどちらかが私たちで受け持つことになったんじゃ……」

 いや、と処女宮がキリルの言葉に向かって馬鹿にするように言う。

「あのねー、暗殺計画阻止以外にもやれって? キリルちゃん、現実を見てよ。どう考えてもうちの処理能力越えてるでしょ。っていうか私もね。最初は正直、北方諸国連合の難民なんか国境に兵を置いて追い返すか片っ端から殺せってユーリくんに言ったんだけどね。ユーリくんはせっかくの労働力だから受け入れるっていうし、近畿連合も自分がなんとかするからこっちは祭りに注力してくれって言ってきたのよね。ユーリくんが自分でやるっていうから受け入れたけど。キリルちゃんはそういうのできないじゃん。九歳こどもだからしょうがないけど。とりあえずやるべきことをやろうよ。祭りの準備に、そのついででいいから暗殺計画に関してもやるの。難民だとか亡命なんかじゃなくてさ。目の前のことをね」

 処女宮の言葉はきつい。彼女の普段の余裕が消えている。

 キリルは知らないが、ユーリが来る前の、余裕のない処女宮はこのような思考で物事を進めていた。

「処女宮、あまりキリルに当たらないように――」

 処女宮に向かって文句を言おうとした双児宮に対し、キリルは「いいんです。ありがとうございます双児宮様。処女宮様」と言葉を遮った。

 九歳だからしょうがない、という言葉がキリルの胸に突き刺さる。

 ユーリだって同年代なのに、自分よりずっとうまくやっている。

 キリルは能力の差を感じていた。

 レベルに対するステータスの伸びは、自分の方がユーリより高いのに、仕事に対する何か・・が足りなくて、キリルはユーリに劣っている。

 ユーリが以前にやっていた仕事を、キリルは完璧にできていない。何かが足りなくて、ユーリの足を引っ張っている。

 それに、とキリルの胸を満たすのは悲しみだ。

(暗殺計画を阻止しないと……ユーリが教区に帰っちゃうってことだよね。今の話は)

 全てを理解したわけではない。だが帝国に侵攻に合わせて王国軍が攻めてくるというのは理解できた。

 そしてその王国軍に対処するために、ユーリは教区に帰還する。

(一緒にご飯を食べたり、たくさん話をする約束をしたのに)

 キリルの帝国への憎しみが再燃する。この仕事をするに当たって、全てに対して中立フラットに考えるようにユーリに言われていたのに、憎悪が頭をぐるぐると巡らせる。

 善く思おう、善く思おうとしているのに、どうしても拭い去れない悪感情がめらめらと湧いてくる。

 帝国をどうにかしてやりたい、という感情を湧いてくる。

 同時に、処女宮たちが狙っていることもわかってくる。

(……そうか、暗殺させて、それを阻止すれば、女帝を神国の中で拘束できるんだ……)

 理由なく捕まえればそれは国際社会での批難になる。だが、理由があれば別だ。教皇就任祭には他国の外交官も訪れる。

 暗殺が成功し、そのあとの侵攻でも成功したならともかく、失敗すれば他国は帝国を庇わない。容赦なく見捨てるだろう。

 で、あるならば多少の隙を作らなければならない。

 完璧に守りすぎれば帝国は暗殺の決行を戸惑うだろう。

 しかし隙を作りすぎればそこに帝国は容赦なく攻撃してくる。

 神国に混乱を引き起こすことをするつもりなのだ。重要拠点や施設が破壊されればその復旧にはコストなどがかかる。

 神国の予算がどのように運営されているのか知っているキリルとしてはそれは避けたい。

(でも、餌はできるなら大きい方がいい……)

 キリルは思考を巡らせ始めるのだった。

 愛する少年と、祝祭を楽しむために。


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