051 七歳 その17
コンクリートで出来た階段を見る。地下への暗闇へと続く二階層への道だ。
「階段、二階層か」
脱獄するなら無用のルートだ。これ以上の探索は
――何事も程度が大事という話である。
スライムは強い。スマホ魔法に注意は必要だが、鉄の装備を主とする神国の兵を撃退するなら十分な強さがある。
殺傷性だって、今ので割と十分だ。
これ以上高めればどうしたって神国の兵を誤って殺してしまう恐れが増えてしまう。
素材アイテムだって、これ以上増えたところで技術ツリーの補助なしで錬金を進めていくのは難しい。
私一人では内政ツリーの発展がない以上、錬金で製作できるアイテムはどこかで行き詰まるから錬金術の素材の価値もそう増えることはない。
できることはもちろんあるが、それ以上を望むには足りないという状況。
ダンジョン探索を切り上げるなら今なのだ。
「だが……」
階段の奥に進みたいという欲が私にはある。
冒険心や物欲の類ではない。
鞄に入れたものを取り出して、もう一度眺める。
「これが……これは……一体……」
宝石や魔法チップの中に埋まっていた書類――のように見えた、いくつかの広告の束だ。
――『魔法のサプリ、アーガマで貴女の肌に潤いを』
――『永遠の若さ。美容サプリ、アーガマ!』
――『アンブロシア医療研究会より最新のサプリを紹介!!』
「聞いたことはある……」
古びた広告の束。それは馴染みある会社だった。
社畜時代に飲んでいたエナジードリンク、カフェイン錠剤、それらの生産元がその協会だった。
「医療サプリも出してたんだな」
この会社のエナドリは既存の他社製品より低価格で、さらにいえば
目が覚めるし、快眠も保証してくれるし、仕事の能率も上がった。そんな商品だった覚えがある。
私ががんばれたのはこのエナドリのおかげと言ってもよかった。
「箱で買った奴、まだ残ってたよな……」
私のアパートの一室に積み上げられたエナドリの箱、あれを回収したい。また飲みたい。私が仕事をやめたあとも――あれ? 私は仕事をやめたんだっけ?
(嫌な記憶ばかりが残っている)
魂に焼き付いているのはこき使われていたときの記憶ぐらいのもので、退職したんだかわからないが、そのあとの記憶はかなり曖昧になっていた。
上司に怒鳴られたことは覚えていても、どんな言葉で罵られたかとか怒った上司がどんな顔をしていたかなんてものは曖昧になっている。
まぁ、一年もこんな環境で過ごせば記憶も薄れていくだろう。むしろ覚えていられる奴がいたら教えてほしいぐらいだ。
「……だが、ダンジョンボスの部屋にこれがあったということは、何かこの世界に関係が……?」
広告の束を鞄に入れながら私は考える。
エナドリの会社がこの世界に関係? いや、考えすぎか?
(だが、気になる。ただの広告がダンジョンボスの部屋に?)
それもアンブロシア医療研究会、その会社の製品の広告だけが。
知りたいならもっと調べるしかない。そして調べる方法はわかっていた。
(ボス部屋に、もっと情報があるなら)
この奥に、二階層にさらなる情報があるなら。
手のひらが震える、
(キリル……君なら、どう考える?)
あの少女ならきっと、どうでもいいと答えるだろう。
この世界の人間で、この世界の子供で、まだ七歳児の何も知らない少女だ。
世界の真実などどうでもいいに違いない。
「女神アマチカの祝福、か」
この世界には謎が満ちている。
女神アマチカ、スキル、モンスター、ダンジョン、インターフェース……これにアンブロシア医療研究会が加わった。
「端緒になるかもしれない」
コツコツとコンクリートの地面を蹴る。
硬い地面の感触は私に現実感を取り戻させる。
この感触。土でも石でもなく、コンクリートの地面。
つるつるとしたコンクリート、文明の感触だ。
ここが元の世界にあったとまでは考えない。
だが、この文明の感触こそが、ここが得体の知れないダンジョンなんてものではなく、東京の地下であることを私に感じさせてくれる。
――知りたい。
なぜ私がこの身体に宿ってしまったのか。
なぜ東京はこんなことになったのか。
神国アマチカとはなんなのか。
なぜ私がこんな目にあっているのか。
知りたくてたまらない。
好奇心でも冒険心でもなんでもなく、ただ知りたい。
――納得したい。
私は息を吸い、吐いた。
下水のクソ不味い空気だが、心が落ち着いてくる。
時計を取り出して時間を見る。
多少時間を掛けてしまった。そろそろ牢に戻らなければ使徒様が来る。
(このまま探索を続けてもいいが……)
追手はスライムを使えば――いや、二階層に降りてしまえばそもそも追手は私を追うことはできない。
神国アマチカはこのダンジョンの探索を諦めているのだ。
脱出だって、わざわざ都市内、それも政庁の位置を探らず適当に都市外にあるだろう出口に向かえばそのまま外に出られる。
殺人機械たちが不安だが、スライムたちも強くなった。亡霊戦車に遭遇しなければこのままこの廃都東京から逃げ出すことも可能だ。
(……水だけが不安だな……)
清浄な飲料水の代わりになるのはポーションぐらいだが、ポーションがドロップしなければ喉の渇きで死ぬ恐れが――そうじゃない。
心が逃げ出さない理由を探していた。
手の震えに目を落とす。
――キリルか。
あの少女に心残りがあるのか?
それとも私の指示で死んだ子どもたちに?
双児宮の怒りを思い出す。
死んだ人間一人一人に友人がいて、心配する人がいて、悲しんでいる人たちがいた。
だから背負えと?
(馬鹿馬鹿しい)
心で呟いてみるものの、なんの効果もない。
「馬鹿馬鹿しい」
言ってみてもなんの意味もない。
スライムたちが不思議そうに身体をぷるぷると震えさせるだけだ。
「馬鹿馬鹿しい!!」
叫んでも意味はない。
「馬鹿馬鹿しいんだよ! いつまで背負えばいい? 一生か? 一生背負う必要があるのか? 私しかいなかったのにか? 私だけがあの状況をなんとかできたのにか? 私だって死ぬ思いをして、私だって命をかけて、生き残ったのは運がよかっただけなのに、役目を押し付けられた私がこの罪悪感を一生背負うのか!?」
答えはない。
――前世の人々の顔を忘れたように忘れてもいいし、覚えていてもいい。
脳がそんなことを囁いてくる。
手が震える。
それはまるで罪の証のようにも思えて。
「キリル……」
私は、あの少女の名前を呟くことしかできない。
――神国アマチカは終わっている。
他国の状況を知らないが、殺人機械たちを壁にしたところで侵略を防げるのは10年か、20年ぐらいだ。
キリルが天寿を全うできる確証はない。
「私が、さらってしまえば」
そのまま国外に逃亡するのだ。強い国に仕官して、そこでキリルと暮らせば……馬鹿らしい。
首を横に振る。あの信仰心の厚い少女を誘拐しても、嫌われるだけだ。
ならこの国を強化する? どうやって? 私が大人になるまでに状況が悪化しているかもしれない国でか?
「そうじゃない。そうじゃない。逃げ出したくない理由を探すばかりに思考がおかしくなってる。なんだ、また混乱の状態異常でも受けたか?」
目的をはっきりさせろ。
私の目的は過去にあったことを知ることだ。
キリルはどうでもいいはずだ。
――キャバクラに依存していた上司のことをふと思い出す。
そうか。あの少女を、都合の良い精神安定剤として利用しようとしてるのか、私は。
「下衆め。心が不安定になっているぞ」
この精神状態で、今後の方針を決めるわけには……いや、分岐点だ。これは。
脱獄できるだけの強さを手に入れた。ダンジョンに何かがあると知れた。次の階層への階段を見つけた。
心の弱さを知れた。キリルへの執着心を知った。
今決めなければ何もできないままに、神国に居着いてしまうことになる。
それだけは避けなければならなかった。失敗するにしても自分でしっかりと決めて、そのうえで失敗しなければなんの糧にもならない。
「とりあえず、というのはやめよう」
次の好機までに、決めたことに専念する必要がある。凡人の私が横道にそれると何もかも取りこぼす。
キリルは大事だが、私の人生を捧げるほどのものではない。
――そのはずだ。
「くそ、強くなりすぎた。やりすぎた」
24匹のスライムを隷属化させたことで、私にできることが増えた。
増えた結果、選ばなければならない選択肢も増えてしまった。
「わかってる。神国を離れれば解決することは多い」
――だが、選べない原因もわかっている。
キリル? 処女宮? 育った環境? 愛着?
そうじゃない。
賭け事で初心者が失敗する理由と同じだ。
これだけコストをかけて、積み上げたから、それを崩すのを惜しんでいる。
なんだかんだと神国という立地の優位性やそこで築いたコネクションが私の行動を縛っていた。
キリルもその中の理由の一つだ。
次の場所で一から始めて、今と同じ状況を作れるだけの保障が得られないからへたれている。それだけだ。
天才ならば捨てて逃げ出し、他国でもうまくやれるだろう。
だが凡人の私は次の国でこれだけの優位を用意できるかわからなかった。
それを不安に思っている。
「前世から変わらないな……」
わかっている。わかってるんだよ。全部をうまく解決する手段は。
――
学舎の守りを捨てればいい。
七歳児でもインターフェースにユニットだと認識される方法を見つけ出せばいい。
そして使徒になればいい。
政治に参加し、私が主導で進められることを進めて、どんどん神国を発展させればいい。
だが、そんな状況に、私の小さな心が耐えられるだろうか?
「エナドリさえあれば」
広告に目を落とす。
私を勇気づけてくれる、元気の出る万能の飲み物、エナドリが欲しかった。
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