052 七歳 その18
「ユーリ、ここから出られる、と私が言ったら君は従いますか?」
――揺さぶりだろうか?
反省具合を確かめているのか。食いついたところを叩いて反抗心を試すつもりか……。
(それとも本気か?)
私はこの世話役の使徒様からは同情されていると思っている。
私は子供で、模範的で、反抗をしていない。
双児宮様に逆らったという罪はあるが、どうしてかこの方はその内容を知らない。
つまりはよくわからないが命令されたので閉じ込めている、という状態なのだ。
それは実際にこの方から受ける印象からでもわかる。
使徒という仕事はやはり忙しいようで、一日に交わせる言葉の数は少ないが、それでも労りに近い言葉を何度か貰っていた。
(だからといって出してくれるとは思えないが……)
仮に本気で言っていたとしても、成功するとも思っていない。使徒になったから知っているが、使徒単体でできることはそう多くないのだ(
私はにこりとした笑顔を作ってみせると使徒様に向けて穏やかな顔で言ってみせる。
「はい。いいえ、双児宮様が私にここに入れと命じられたのですから、双児宮様の許しがあるまでは私もここで女神アマチカに祈りを捧げていたいです」
「……君を……」
「使徒様? 何か言いましたか?」
「君を、ここに閉じ込めておくのは、双児宮様のためにも、神国のためにもならないと、私は……」
使徒様は私を見ながら私を見ていなかった。
私の背景でも見ているのか。
子供にはわからないとでも思っているのか、迷うように口にした言葉はとてもリスクの高いものを口に出そうとしているようにも見えた。
私の心臓が緊張でどくどくと激しくなる。手汗が出てくる。
それはブラック企業で、内容がひどすぎて誰もやりたがらなかったプロジェクトの責任者を任されそうになったときの気分に似ていた。
(使徒様、頼むから軽々しく決断してくれるなよ……)
現状、この方に頼る必要はないのだ。
出るなら出るで、もっと確実性のある手段で出るつもりなのだ、私は。
閉じ込められた当初ならともかく、双児宮様の首輪がついた使徒様に頼るほど私も切羽詰まっていないし、システムの軛を逃れるなら様々なことが試せるここの方が都合が良いのだ。
「使徒様? どうかされましたか?」
「え、あ、いえ、なんでもありません。ユーリ、何か欲しいものなどはありますか? 不自由などは?」
考えを翻してくれたのか。戸惑いながらも私を労ろうとしてくる使徒様。
――ここに閉じ込められている現状がすでに不自由だ。
だが言わない。そもそもダンジョンでいろいろなものが手に入るのだ。この方に無理をさせてまで欲しいものなどなかった。
(ただ、従順すぎても不自然か。要求ね。そうだな。何かあったかな……)
清潔な水……? 錬金素材として欲しいが理由を聞かれても面倒だな。
スマホか? だが、スマホもな。一時的には良いかもしれないが、双児宮様に報告がいけば即座に警戒されるだろう。
自由時間――使徒様がいない時間は全部自由時間だ。
(ふむ、ならば少し冒険してみるか……)
この要求は双児宮様に絶対に伝わる。これで私が諦めていないポーズにもなるだろう。
「はい。では、私が女神アマチカから貸し与えられたスマホの中に入っているアマチカを使って、奨学金を生徒たちに配っていただけないでしょうか?」
「……奨学金? それはなんですか?」
私が双児宮様に閉じ込められる原因になったものだが、それも聞いていないのか。
何も事情を聞いていないのは予想していたが、そこまで信頼されていないのか?
「はい。ええと、ですね。学舎でも優秀な生徒たちに、ある程度のまとまったアマチカを配ることでスキルを買ったり、図書館や、訓練用の施設を利用しやすくするものです」
それだけではなく、使い方を指定しないことで、嗜好品を買うなどもできるだろう。生徒の学習意欲を促進する効果がのぞめるのだ。
「……ふむ、アマチカを……なるほど。少額では何もできそうになさそうですが、君のスマホにはそれができるだけのアマチカが入っているのですか?」
「はい。大規模襲撃やレシピの発見で得た報奨金があります。私が所属していた学舎内で行うのであれば数年は問題がないと判断できました」
もちろんそれだけでは足りないのでいくらかの利子をつけて、奨学金を貸した生徒が卒業したら少額だが利子をつけて返済して貰うことも説明する。
「面白いですね。なるほど、ただこれを私から双児宮様に提案すれば君の功績にはなりませんがいいのですか?」
「はい、もちろんです。誰に理解されなくとも女神アマチカは全てを見ていらっしゃいますから」
「なるほど。君は本当に……」
これで双児宮様には私が諦めていない、というポーズになるし、これで使徒様が叱責でもされれば私を解放しようなんて思わなくなるだろう。
成功すれば成功したでここから脱出したあとの私の利益になる。
私に一銭のアマチカも入らなくとも、奨学金というシステムが回ればそれでいいのだ。
ただ、私の返答を聞いた使徒様の顔色がよろしくないように見えた。
「ユーリ、君はそれを自分一人で考えたのですか?」
「はい。もちろんです」
「切っ掛けなどはあったんですか?」
「はい。多くのアマチカを報奨として頂いたときに思ったんです。これを自分一人で使うよりも、たくさんの人のために使いたいと。でもただ配るだけでは先々のためにならない。車輪のようにアマチカを回すことで後に続く私の後輩たちも幸福になれたらいいな、と」
使徒様が感激したように私を見てくる。心臓が少しだけ激しくなる。
「……ユーリ、君は、本当に……」
危険か? これは、まさか、評価されてしまう流れなのか?
ば、馬鹿な。今のは建前だぞ。こんな綺麗なだけの言葉を本当のことだと信じるような大人がこの世にいるのか?
就活面接のときと一緒だぞこんなもの。
美辞麗句で飾っているだけで、私の言葉など、どす黒く染まった欲望だけなんだぞ。
「わかりました、ユーリ。君の案は私がなんとしても通しましょう。もちろん本当は君をここから出して双児宮様と仲直りしていただくのが一番だと私もわかっているのです。ですが、もはやあの娘に私の言葉は――」
目の端に涙の粒を浮かべた使徒様が私にぺこりと
私は、やばいな、と思った。
あ、頭を下げられた。うぐ、吐きそうだ。畜生。なんで、あんな……私に、牢に閉じ込められた子供に向かって使徒様が
(ぐぐぐ、まただ。やりすぎた……だが、今回は、誠実に攻めることが一番強いカードだった……)
というか交渉において徒手空拳の私にはほかに手札がなかった。
ここまで効いてしまうとは予想外だった。
(い、いや、待てよ……?)
まさか、そういうことか?
(双児宮様とその使徒様の間には、溝がある?)
私の言葉が通じたのは、双児宮主従の間に不信感があるからだ。だから私の言葉に揺さぶられる。
彼女たちが完璧に信じあっている主従ならば私の言葉で影響など受けなかった。
(……いや、だがこんなことわかったところで)
彼らの仲を裂くことに専念すればいくらでも仲を裂けそうだった。
使徒様を唆して、双児宮様を引きずり出して言葉で攻め立てるだけで――ああ、違う。そんなことを私はしたいんじゃない。
(くそッ、思ったよりも今の環境に私はうんざりしているようだな)
私は別に聖人というわけではない。凡人なりに怒りと恨みはあるし、復讐してやりたいだとかひどい目にあえばいいだとかそういう思いはある。
だが、私はぐっと怒りを抑え込んだ。
(そんなことをしてなんになる?)
ただの特攻だ。共倒れになってどうする? あまりにもメリットがなかった。自暴自棄だった。
私の人生は私だけのものではない。私とユーリ、二人のものだ。
その人生をくだらない怒りで台無しにするわけにはいかなかった。双児宮主従の仲を引き裂いて彼女たちの心を傷つけたところで私の人生には一銭の得もないのだ。
一時的に心に致命傷を与えたところで、物理的な反撃を与えられるだけだ。
ダンジョンに逃げ込む暇もなく戦闘系スキル持ちに攻め立てられれば殺されかねない。
(それに、そもそもスカッとしないだろう)
白い髪の美少女の姿を思い出す。あれが泣き叫んで私を責めたところで、私の心に喜びは訪れない。
怒りも恨みももちろんある。だが、そこまであの少女は私の人生で重きをなしていない。
そうだ。せめて失敗するにしても胸を張って人生を生きたい。
――大規模襲撃での死を思い出す。
もう無理かもしれなくとも、だ。
胸を張った人生を歩みたい。
私はそう思うのだ。
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