171 ニャンタジーランド教区にて


 ニャンタジーランド教区『九十九里ダンジョン』。

 ダンジョンのせいか雪はなく、気温が低いだけの地域だ。

 一面に広がる砂浜が見えるそこで、二代目『ラビィ』たる兎族の少女が、ダンジョン内に建てられた見張り台の上から周囲を見渡していた。

「……あー、なんでアタシがこんなことを……」

 九十九里ダンジョンの第一階層であるこの砂浜には、大量の『殺人蟹キリングクラブ』がいる。

 見張り台の上から見れば、一面びっしり、というわけではないが、居すぎるほどに見えた。

 不気味で、生理的嫌悪を発生させる光景だった。


 ――もっとも殺人蟹は全て隷属済みである。


 このダンジョンは現在、殺人蟹の繁殖地として使われていた。

 この砂浜では、アクセサリの素材となる『鉄砲貝』や軽くて丈夫な甲冑の素材となる『シオマネ王子ジャック』といったモンスターが出現するが、彼らは出現した瞬間に殺人蟹に襲われて殺され、餌になっていく。

「ダンジョンをモンスターの繁殖地になんて、馬鹿みたいな話だよな……」

 それなりの家系に生まれたラビィは被害にあったことはないが、ニャンタジーランドではモンスターに襲われ、家族を失った獣人が多くいる。

 そんなラビィたち獣人にとって、ダンジョンをモンスターの繁殖に活用しようなど考えたこともない話だった。

「ラビィ様、出現したボスの討伐が完了しました。今回はユニークモンスターのドロップも回収できてます」

「あー、ご苦労。うまくやってくれ」

 副官の(ラビィにとって)いけ好かない兎族の男が報告をしてくる。

 この副官は、前ラビィ派で若手だったエリート士官だった男だ。

 前ラビィ派閥はほとんどが左遷を受けていたが、この男は上司への進言が過ぎて左遷させられていたのを、前ラビィ派の大量左遷による人材不足の波を受けて、中央に復帰させられていた。

「ラビィ様、そのようにだらけていては兵の信頼は得られませんよ」

 またこれだ、とラビィは嫌な気分になる。

 何かとこの男はこうした注意をしてくるのだ。部下のくせに。

 そもそも自分は器ではない、とラビィは思っている。

 何の因果かSSRスキル『月に至る者』を子供の頃のスキル付与で得たラビィだったが、もともとこんな高位につくような人間ではなかった。

 才覚はなかったし、根気もなかったからだ。

 選ばれたのは、前ラビィ派と遠かったからだ。

 ラビィの両親は、前ラビィ派による粛清で死んでいる。

 真面目で優しい両親だった……だがその真面目さで反ラビィ派閥の筆頭となってしまった。

 だから前ラビィによって粛清された。

 そのあとのラビィの生活は最悪だった。親戚をたらい回しにされるわ、様々な人間から罵倒されるわで、だが、その結果がこれだ。

 前派閥と関係がないSSRスキル持ちだからとラビィに選ばれた。

 ラビィは、それ自体は光栄なことだと思っていた。

 だが真面目でいいことなんかない、という気持ちか、ラビィから仕事に対する熱意を奪っていた。


 ――昔は、前ラビィを殺してやろうという熱意だけはあった。


 十二剣獣が不老不死ということはラビィとて当然、知っていた。

 だが一矢報いるために、なんて考えているうちに、前ラビィは不死性を奪われて、処刑されてしまった。


 ――復讐心も、ちゅうぶらりんだ。


「……ねぇ、あんたがラビィをやった方がいいんじゃない?」

 副官の青年に言えば、青年は驚いたような顔をしてラビィを見てくる。

 正直なところ、ラビィにはこの国を良いところにしようとか、獣人の地位向上をしようとか、そういう気持ちはなかった。

 女神アマチカへの信仰もあまりない。教化というものを受けたが、言葉は心を通り抜けるばかりだったからだ。

 ダンジョンを見る。潮臭い空気。不気味な蟹共。ドロップ品を集めては提出する毎日。

 別にこんな仕事する意味はないと思っている。熱意がないから誰でもできる仕事をさせられている感覚があった。

 同じ時期に十二剣獣になったバーディやウルファン、ドッグワンなどは様々な仕事を頼まれていると聞いている。

 だが、どうにも、やる気がでない。

「なんだか……熱意ってもんに欠けるのよね。私って……」

 ただラビィのような獣人は多かった。

 ひどい目に遭い続けてきたこの国を、どうしても良くしようという気持ちになれない獣人が。

「なれるもんならなってますよ」

 ラビィに答える副官の青年の目は冷たい。彼も彼で鬱屈を抱えている。

「そう、そうよね」

やめたい・・・・んですか・・・・?」


 ――子供の声が聞こえたのは、その瞬間だ。


 う、とラビィが見下ろせば自分の足元に少年がいる。

 使徒ユーリ。神童と呼ばれる少年だ。下を見れば護衛の兵士が見張り台の下にいる。ユーリはわざわざここまで登ってきたようだった。

「ゆ、ユーリ様……」

 ユーリの表情は、ラビィのことなどなんとも思っていない表情だった。ラビィの苦手な表情だ。

「貴女からラビィを取り上げることはできますよ? 残念ながらその際には、貴重なSSRスキルである『月に至る者』も取り上げさせていただくことになりますが……」

 スキル、という言葉にラビィが反応する。

 父母の記憶が蘇ったからだ。自分がSSRスキルを神獣様より授かったという言葉を聞いたとき、喜んでくれた父母の顔が……。

 ラビィの父母が殺され、家は売られ、家財も売られ、何もかも残らなかった彼女に対する、家族との最後の絆がスキルだった。

 だが、それを守るためにラビィをやり続けるのも億劫で……。

「スキルは、か、勘弁してもらえないすかね……」

 ラビィの力ない言葉に、ユーリはいいえ、と首を横に振る。

「『月に至る者』は貴重な移動系SSRスキルです。いまさらSSRスキル一つに頼る戦術を練るつもりはありませんが、私としてもこの国に対する責任があります。であるなら、強力なスキルは能力を活用できる人間に渡したいと考えています」

 取り上げると評判がよくないので控えているんですがね、というユーリの言葉は聞こえない。


 ――心が動揺で落ち着かない。


 ラビィは副官の青年を見た。次のラビィはこいつか? 今までの仕事振りを考えれば悪くないのだろうが。

 だが、仕方ない、という納得が身に染みる。この男はいけすかないが、ラビィよりずっと仕事ができる。

 どうにも、仕事に身が入らない。復讐心も萎えている。この国を良くしたいとも思えない。

「……わかったよ、アタシの次がこいつなら文句はない……」

 ユーリが驚いたようにラビィを見た。

「誰が彼だと言いましたか?」

 え、とラビィと副官が同時にユーリを見つめる。

「前ラビィの娘さんがいたでしょう。彼女ですよ、は」

「な? え? 冗談だろ」

 ラビィはユーリを信じられない気持ちで見る。国を腐らせた前ラビィの娘だぞ。ラビィの両親を殺した女の娘だぞ。

 ラビィの心は、そもそもあいつ生きていたのか、という感情でいっぱいになる。

「ユーリ様、前ラビィ派は粛清したのでは?」

「しましたよ。前十二剣獣で拭いきれぬ悪徳に浸った者は――ですが、前十二剣獣に関わらなかった者だけで国を回せるわけがないでしょう? 特権や悪いコネを剥がすために一時的に要職から離していましたが、それらの作業もこの半年で終わりましたので、アマチカ教への改宗具合に応じて、前十二剣獣派を要職に戻している最中です」

 戻す、という言葉にラビィは信じられない思いになる。

 あの地獄のような日々が戻ってくるのかと……この国を再び悪徳が覆うのかと……ユーリに向かってラビィは叫ぶ。

「……き、危険です! か、彼らはこの国を食い物にしてきました! ま、また民衆が飢えることになります……! わ、私だって……!!」

「真面目にやらない貴女よりは働きますよ。それに彼らも改心しています」

 真面目に、という言葉でラビィは反論を失ってしまう。だけれど……と必死で言葉を絞り出そうとすれば、ユーリは安心してください、と説明を続ける。

「私の方もこの地の有力者の懐柔が終わりました。裏でこそこそされる危険もありません。前十二剣獣派を戻す基準も決めています。勉強してアマチカ教の神官の資格を得た者たちを優先して前職に戻している最中なのです」

 もともと獣人に清廉潔白な者などいませんでしたしね、とユーリは語る。

 清廉潔白――ガチガチの宗教国家である神国の基準で言えば、獣人はそうだろう、とラビィは思ったがユーリは気にせずにラビィに向かって穏やかに語った。

「そういう具合で、現ラビィである貴女に関しては次のラビィ候補が決まるまでは様子見していたのですが……ラビィがやめたいと望むなら、次のラビィと交代させましょう」

 様子見、という言葉に副官を見るラビィ。

 この男が仕事に熱のないラビィに関して、ユーリに陳情を送り続けていたことは知っている。

 ラビィもユーリから何度か注意を受けていたが、そのたびにユーリは諦めたように笑って、ゆっくりやりましょう、と言っていた。

 そのゆっくり・・・・が、終わったのだ。

「……あいつに、あの女の娘に、ラビィを与えて、そのうえアタシのスキルをくれてやるっていうんですか?」

「ああ、安心してください。貴女もスキルがなくなるわけではありません。前十二剣獣を処刑するときに使えそうなスキルをいくつか取り上げてますので、神獣様がそこから適当なものを貴女に……」「嫌だッ!!」

 嫌だ、とラビィは叫んだ。ラビィの叫びにダンジョン内で作業をしている者たちまでもが彼女を見る。

「い、嫌だ。あ、あの女がラビィになる……? 私のスキルを持つ? い、嫌だ。そ、それだけは絶対に嫌だ」

 何より嫌なのは、前ラビィの娘であるあの女は、ラビィと学舎では同級で、凋落したラビィに対して散々嫌味を言ってきたのだ。

 そのあの女が、十二剣獣の権能を得て不老不死になったなら、絶対にあの女は、ラビィが寿命で尽きるときになってからやってきて、老いさらばえるラビィに対して、美貌を自慢しに来るだろうからだ。

 別にラビィは自分の美貌に関してはそこまで執着はないが、そんなことになったら絶対に耐えられない。

「ですがラビィ。私もあまり言いたくありませんが……現状の貴女の働きでは、近いうちにラビィを降りてもらうしか――」

「やります!!」

 がんばります、絶対に成果を出します! とラビィは叫んだ。


                ◇◆◇◆◇


 よぉし、やってやる、と叫んでダンジョンに走っていった女子高生ぐらいの少女を見送った私は息を吐いた。

 時間はかかったが、ようやく一人目に取りかかれるようになった。

 一番上が変わって、やる気を失っているのは別にラビィだけじゃない。

(まだまだあるんだよな……)

 憂鬱な仕事だった。やる気を出さなければ家族の仇を、とか政敵を復活させる、と言って回って、獣人たちにやる気を出させるこの作業は。

「ゆ、ユーリ様。ありがとうございます」

 そんな私に、ラビィの副官である兎族の青年が声を掛けてくる。

「そ、それで、その、前ラビィ派閥を復職させているというのは本当ですか?」

 これは嘘ではない。バレるようなことを言ってやる気を出させたところで意味はないから、ちゃんと根回しをして、リスクを取り払ってから、声を掛けたのだ。

「ええ、前職ほどの位置ではありませんが、貴方を左遷させた貴方の叔父も近い内に高い位置に戻します。国が揺らいで不正に走っただけで、もともと能力のある方でしたからね」

 そうですか、と安心したような顔を副官の青年はした。

「ありがとうございます。これで親族も安心して仕事に励めます」

「恨んではいないんですか?」

「もちろん恨みはあります。ですが、序列を無視して進言を続けた私も悪かったので」

 若かった、と語る彼は次はうまくやります、とラビィを遠目に見ながら言った。

「私としても今の情勢でころころと十二剣獣を変えるのはよろしくないと思っていますので、うまくやっていただけると助かります」

 必要なら行うが、スキルを奪ったり、権能を取り上げたりするのは風聞があまりよろしくない。

 国民全体の感情もそうだが、失敗すればそうなると他の十二剣獣が怯えるようになるからだ。

 体制が盤石ならそういう痛みにも耐えられるが、今は大事な時期だ。大事にはしたくなかった。

(あまりにダメなら入れ替える必要があるが……ラビィもそこまで無能ではないしな)

 それに、処女宮様もクロ様も適当に選んだわけではない。

 現ラビィは兎族の有力氏族の血族だ。

 仕事の能率としては、この副官にラビィを継いでほしかったが、兎族を束ねるだけの政治的な地盤を持たない彼を頭に据えると兎族が機能不全に陥る。

 獣人系内政ツリー技術『氏族制度』は様々な種族で構成される獣人を束ねるのにはちょうどいい制度ではあるのだが、世襲を前提とした人材制度でもあるので、いずれ解体したい制度だった。

 たが、そこに手を入れるには獣人たちの文化はまだまだ低い。

 人口を増やし、多様性を与えてからでないとうまくいかないだろう。

(とりあえず、今いる人間を大事にしよう)

 期待を込めて、私はこの部隊を実質、差配しているこの副官に頼むように言う。

「兎族部隊がここをうまく回せるようになったら、もう少し仕事を回します」

 はい、と頷く副官。ラビィに与えられたこの仕事とて、別に閑職というわけではない。

 大事な仕事で、この仕事をうまくやる方法はいくつもある。

 仕事の効率化はいくらでもできるし、実際に他のダンジョンでは私直々に効率化を行っていた。

 調べたり、頭をひねればいくらでも方法はあるのだ。

 期待を込めて、私は砂浜を駆ける兎族の少女を見るのだった。


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