164 九歳 その3


「これがベーアンが建造した魔法炉ですか」

 は、はい。と建設途中の魔術研究所にて、ニャンタジーランドの十二剣獣である『ベーアン』はその子供に緊張しながら返答した。

 子供。獣人ではない、人間の子供だ。

 少年は自分の息子よりもずっと若かった。

 熊の獣人であり、相応の巨体を持つベーアンにとっては小突くだけでも殺してしまえそうな子供。


 ――だがそうはならない。


 牙を剥けば、殺されるのはベーアンだろう。護衛ではなくこの子供の手によって。

(ああ、恐ろしい……怖い……なんで俺がこんな目に……)

 前ベーアンが国家反逆罪で処刑され、二代目に、ただの町の鍛冶屋だったベーアンが選ばれた。

 理由は簡単だ。熊族の多くは前ベーアンの派閥だったから。それだけだ。

 だからSRスキル『鍛冶師』を持ち、派閥に全く関係のない、町で包丁だの鍋だのを作っていた前ベーアン派閥ではない熊人のベーアンが選ばれたのだ。


 ――十二剣獣の権能を得ると、名前を失う。


 もともとあった平凡な名前は捨てさせられた。今は馴染みのないベーアンという尊い名前で呼ばれている。

 そして、こんな恐ろしい人間の部下として忠実に仕事をこなしている。

「外観は、よし、と」

 ベーアンの目の前にいるのは使徒服を着た神国の幹部たる処女宮ヴァルゴの使徒ユーリ。

 文官と武官をそれぞれ傍に置いた彼は、つい最近覚えた集中法によって、ベーアンが作りだした『魔法炉』を鑑定ゴーグルで見ながら、要所要所を確認していく。

「よし、大丈夫みたいですね。ベーアン、これを何に使うか覚えていますか?」

「え、えと……」

 魔法炉、エレメント系素材の生産を可能とする施設だ。

 エレメント素材は『火』や『水』などの生産スキルの素材に適した属性付与アイテムのことだ。

 ただ『火』なら鍛冶師であるベーアンもスキルアビリティで作れるので正直なところ、限りある国家予算を使ってこんなものを作る必要があるのかと悩むのだが……ユーリが欲しがっているのなら、作るべきという――ああ、余計なことを考えている暇ではない。

「工業化に、使います」

「そうです。この魔法炉をもっと多く建造して、ニャンタジーランドでとれるエレメント素材を神国に輸出しようと私は考えています」

「輸出、ですか」

 魔法炉を動かし、ユーリは魔法炉にアイテムを放り込んでいく。入れられていくのは『貝殻』や『獣の骨』などの廃材とされるアイテムだ。

「本当は木やもう少しレアリティの高い獣の皮などでレアリティの高い属性を取りたいんですが、そういう素材はまだまだ素材として利用しなければなりませんからね」

「で、ですが、ご、ゴミですよ? こっちの骨なんか煮たあとのもんで、カスみたいなもんでさぁ」

 魔法炉がどういう働きをするのかベーアンにはわからなかったが、かといって、こんなものが売れるとは全く思わない。

 ユーリが出したどちらも生活ゴミだからだ。

 貝殻も本来は肥料や畜産の餌に使われるものだが、ニャンタジーランドは畜産も農業も盛んではないし、国民が利用するよりゴミとして蓄積する速度の方が早い。

 ちなみにニャンタジーランドでは大規模な焼却炉がないためにゴミは都市郊外に捨てられていた。

 この悪臭問題もニャンタジーランドに存在する根深い問題だ。

「神国では生物系素材はあまり残りませんからね。この骨なんかもあっちじゃスライムの餌だなんだと結構利用法があって……っと、できましたね」

 高炉の入り口から流れ出す液体をユーリは瓶につめていく。最近ユーリがニャンタジーランドで生産するようになったガラス瓶だ。

 ニャンタジーランドでは『砂』が大量にとれるので、ガラスの材料である砂の輸出が他国に行われていたものの国内でのガラスの生産は行われていなかった。

 理由は、ガラス製造に使う高炉のレシピがニャンタジーランドでは解放されていなかったからだ。

「これが『動物』と『水生』のエレメントです。次にベーアンさんに製造してもらう『錬金炉』でこれらのエレメントを濃縮して純度を上げれば、対王国用の騎馬殺害用の特攻装備の素材に使えるでしょう」

「そのユーリ様、俺ァうまく言えないんですが……」

「はい」

 高度すぎて、町の鍛冶屋だったベーアンにはユーリが何をしようとしているのかわからない。

「この国は、その、どうなるんですかい?」

 目をパチクリとさせるユーリ。ベーアンとしては正直、この恐ろしい少年が何を目指しているのかわからない。

 あらゆるニャンタジーランドの問題は解決し、住みやすくなるのだろう。だがベーアンの想像はそこで止まる。

 こんなにこの国を豊かにして、目の前の少年にはなんの得があるのだろうかとも思っている。

 ベーアン自身、国に対する忠誠心はあるし、教化によって女神アマチカを信仰するようにもなったが、胸には国を奪われた人間としての、虚無感のようなものがあった。

 だからこそ、聖書に出てくる女神アマチカと同じことをやっているユーリ・・・が自分たちをどこに導こうとしているのかが不安で仕方がない。

「どうなる、ですか……そうですね。とりあえず、まずはこの魔法炉で悪臭問題を片付けます。放置していて申し訳なかったとは思ってますけど、先に国内道路を作らなければ餓死者問題を防げませんでしたから」

「それはわかりやす。それでゴミを片付けて、そのゴミで利益を出すってことですかい?」

「ええ、まぁそんなものです。堆肥にもしたかったんですが、あんまりにも時間が経ちすぎてヘドロ化してるゴミもありますし、魔法炉に全部突っ込んじゃいます。今後は農業を強化するのでコンポスターなんかも各村に設置して――」

 ユーリの語るそれは、まるでベーアンには夢物語に聞こえる。

 だが、実際にこの夢物語を現実にするのだ。この少年は。

 ベーアンは、ユーリが怖い。

 ニャンタジーランドがずっと解決できなかったことを次々と解決するユーリ。


 ――だがユーリはちっとも嬉しそうではないのだ。


 ニャンタジーランドの大きな問題は、目の前の少年からすれば、小さな問題に見えるようだった。

 そしてユーリはその小さな問題を確実に的確に片付けていく。

 去年ならばバタバタと国民が死んでいたこの季節に凍死者も餓死者も出さないというのに、この少年は、全く嬉しそうにしない。

 ベーアンより若い獣人たちはユーリをまるで神かなにかのように見ているが、ベーアンにはユーリは別の生き物に見えて仕方がない。

 背に積んだ重い荷物を一つひとつを片付けていくかのようにニャンタジーランドの多くを解決するこの少年は、何を見据えて準備・・をしているのか……。

 ベーアンはそれが不安でしょうがなかった。


                ◇◆◇◆◇


 かつてこの世界には神々しき神獣が存在しました。

 神獣ニャンタ。威風堂々たる虎の神です。

 彼の神はこのニャンタジーランドの地にはびこるモンスターの群れを一夜にして滅ぼすと、安住の地を持たず、山や森で怯え暮らしていた獣人たちにこの土地を解放しました。

 しかし、獣人たちは獣人と名が付けられていても、各部族は姿かたちがばらばらで争いは絶えませんでした。

 それを悲しんだ神獣ニャンタは神獣の娘たるクロをこの地の指導者として彼らの上に置きます。

 神獣の娘たるクロは各地の有力な十二の部族の長たちを『十二剣獣』として特別な力を与え、数百年の長きに渡って、この地を平和に統治されました。

 獣人は平和に、穏やかに生きていました。

 しかし、八年前に異変が起きます。

 獣人たちが争いもなく平和に生きるニャンタジーランドにとてつもない数の魔物の群れが襲いかかってきたのです。

 その国難に際し、全軍を上げてニャンタジーランドは危機を退けました。

 多くの勇士が死にました。ですがなんとかモンスターを退け、再びの平和を謳歌できると優しき獣人たちは信じていました。

 しかしニャンタジーランドが大きな被害を受けたことを知った隣国のくじら王国が、恫喝的な要求をしてくるようになったのです。

 一戦して退けようにも平和を望むクロはくじら王国の要求を飲むようになり、国家は困窮するようになりました。

 そして二度目の大規模な魔物の襲撃により多くの勇敢なる獣人の戦士が死にます。

 世界の恐ろしさに民は震え、クロを頼るも彼女は怯えるばかりでした。

 やがてくじら王国の要求は苛烈になり、クロによる重税に民は喘ぎ、その日の食事もままならぬようになりました。

 そんな中、神国アマチカより処女宮ヴァルゴがやってきて、クロを通してニャンタジーランドに様々な指導を施すようになります。

 それは水一滴ない砂漠で出会った湧き水のようにニャンタジーランドにほんの少しの癒やしを与えてくれました。

 処女宮が見つけた証拠により、この国難の中でも私腹を肥やしていた旧十二剣獣はクロの手により処刑され、それに対して動き出したくじら王国の軍は、神国の軍によって撃退されました。


 ――そして女神アマチカより使徒がニャンタジーランドの地に遣わされました。


 使徒ユーリ。

 彼は神国アマチカへと服属したニャンタジーランドに訪れると獣人族の勇士を倒すことで獣人を従えるに足る力を示し――「なんですかこれは」


 私は机の上に置いてあった紙を一読してから、秘書のような業務を行っている、梟族の十二剣獣であるバーディに問いかけた。

「なにって、最近獣人の間で流行っているユーリ様を讃える文章ですね」

「たたえる? それは問題ですね。禁止するように言えませんか?」

「問題なんですか?」

「女神アマチカを讃えるアマチカ教で、個人崇拝は問題です」

 アマチカ教ユーリ派、なんて言われても困る。私自身は敬虔なアマチカ教徒であるし、何か別の教義を掲げたこともないのだから。

 たとえば、獣人が問題を起こしたとしてもニャンタジーランドの獣人が問題を起こした、ではなくアマチカ教ユーリ派の獣人が問題を起こした、では意味合いが異なってくるだろう。

「ですが、女神アマチカは使徒様を敬うことを禁止されていないのでは?」

「そうですね。ただ、この怪文書は教義と結びつけているでしょう? やめさせるように布告を出した方がいいですね。女神アマチカと私を結び付けられても本国からめんどくさい指摘を受けてしまいますから」

 この場合、本国の天秤宮リブラ様に私を諌めるつもりがなくとも、そうしなければならない義務が発生してしまう。

 あまりに過激なことが起これば私の責任問題にも発展するかもしれないし……待てよ?

「くじら王国の政治工作の可能性がありますね、これは」

「……へ? くじら王国ですか?」

 目を丸くしたバーディに私は説明する。

「この怪文書、聖教語なんですが……文体と言葉の癖がおかしいんですよね。獣人にも聖教語の話者がいないとは言いませんが、王国風の文書の臭いがあります。冬の間は軍が動かせず暇だからと、神国本国とニャンタジーランド教区の政情を揺らすために放った、という辺りでしょうか? これ、最初に文章を考えた人間を調べてください。それと先ほども言いましたが、私と女神アマチカを紐付けて讃えることを禁止させてください」

 使徒ユーリ=女神アマチカなどという風聞は危険すぎる。

 私個人を慕ってくれるのは問題ないし、聖人だの神童なんだのと呼ばれるのも問題ない。

 だが、私を担ごう・・・という動きは困るのだ。

(王国もゆっくりはしないか……やはりこちらも動かなければ……)

 慌てて部屋を出ていくバーディを見送りながら私も冬の間にできることをしなければと痛感するのだった。


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