048 七歳 その15



 牢の中で日本語の本を読みながら考える。

 探索は楽しいが、それはそれとしてこうして与えられる本もまた私の感覚を鈍麻させないために必要な刺激だった。

 もっともダンジョン発見前のときのようにじっくり読み込むようなことはしない。たまに面白い本もあるが、たいていは知っている知識だったりもするし、専門書みたいなものの場合は前提知識がないと理解ができないので読めないときもある。

 そもそも時間は有限だ。やるべきことがあるならそちらに注力すべきだった。

 私は本を机の上に置くと、畳を撫でる。

(時計があるからいいが、陽の光を浴びないと時間の感覚がおかしくなるな……)

 その時計もこうして私が牢にいる間は拠点にしまいこんでいる。

 そもそもその時間もどういう基準で時間を決めているのだろうか。

 グリニッジ標準時か。それともこの世界に独特の、基準となる数字があるのか。

 息を吐く。吸う。思考がだらけている。活を入れるために瞑想をする。

 スキルを励起状態にして行うこの瞑想は時折だが智慧アイデアを私に与えてくれる。

 エネルギーを辿った先にいる巨大な何か・・・・・も触れなければそう危険なものではない。


 ――今後の予定を考えよう。


(スライムの数は12匹に増やした。レベルアップも順調だ……)

 スライムの隷属を始めてから数日が経っている。とりあえず拠点横のスライム部屋を広げてもなおスライムで拠点がいっぱいになったので、ひとまず隷属は12匹で止めている。

 スライムたちのレベルアップも順調だ。

 そのおかげでスライムたちはそれぞれ一対一でも人食いワニ相手なら勝てるようになった。

 現在は三匹一組でダンジョン内を徘徊させている。

 通路を覚えながら行動するように命令してみたがたぶん覚えていないだろうな。迷子になったまま戻ってこなかった個体もいるし。

 ちなみに、隷属化した個体が死ねば主人である私に感覚が伝わってくる。いなくなった分は補填している。

 スライムたちの知能は低いままだ。

 前世にはアメーバが迷路の構造を覚えて踏破した、なんて話を聞いたがスライムでは無理なのだろうか?

(もう少し何か必要だろうか?)

 知能の低さを補えるもの……薬品? 薬品とかか?

(いや、無理か)

 錬金術で作れるものは現在そこまで多くない。素材が少ないからというのもあるが、神国の内政ツリーがそこまで育っていないせいで上位アイテム作成のための基礎技術が育っていないのだ。

(スライムの知能さえ上げられればな。できることも増えるんだが……)

 そう、知能さえ上がれば錬金術の励起でスキルエネルギーについての理解を与えられる。

 それさえわかればたぶんスキルのオンオフができるようになる、と思う。

 スライムたちが持つ『酸の身体』のスキルさえ停止できればワニや偵察鼠のドロップアイテムも最低位のゴミアイテムじゃなくなるし、徘徊ついでに通路に落ちているアイテムを拾わせられるようになる。


 ――そうすれば私も様々なことができるようになる。


 こうして牢に入れられる時間が増えたなら、考え方も当初と変わってくる。

 それに私の状況も変わっている。

 スライムの隷属が可能となった今、脱獄の難易度もだいぶ低くなった。

 だから、新しいアイテムは特段必要ではない。

 必要ないが、それはそれとして未来のためにも様々なものに触れておきたい。

(……最悪を考えるとどうしてもな……)

 神国に居続けるメリットは以前と変わらず大きい。

 だから神国から亡命するつもりはない。

 ないのだが、将来を考え、選択肢の一つとして亡命手段を私は持っておきたい。

(力を持ったことで欲が出たといえばそれまでだが……それでも必要なものではある)

 牢に閉じ込められたのだ。次は処刑されるかもしれない、というのは考えすぎではないと思う。

 ならば、いつでも逃げられるように準備をしておく必要はあるのだ。

(逃げられるかも、となるといろいろとこの国の至らない点に目がついてしまうな……)

 牢獄生活も長い。

 ネガティブな感情が大きくなっている。精神が不安定なのだろう。

 ただ、やはりそれは・・・それとして・・・・・、だ。

 私は今の境遇をそこまで不幸だと思わないが、事あるごとにこういう目・・・・・に遭わされるのは単純に不都合・・・だった。


 ――神国は私に期待しすぎている。


 身に余る大役を任されたり、多くの命を背負わされるのは私の精神衛生上とてもよくない。

 逃げたいときに逃げられなくなった末路は前世で十分に味わっている。

 手札を多くする必要がある。

(力が欲しい……)

 スライムどもは現状の下水道では通用しているが、それとてどこまで通用するか。

(新しいことに挑戦しないといけない)

 私は地上で新しいことに挑戦し、失敗し、こうして牢に閉じ込められてしまった。

 だが、上を目指す気概を失ってはいけない。

(失敗してもいい。失敗してもいいが、停滞だけはダメだ)

 ブラック企業時代ぜんせを思い出せ、あの屈辱の日々を。毎日をただただ空虚に生きてしまった日々を。

 ああ、わかっているさ。


 ――新しい人生で後悔するぐらいならブラック企業だとわかった時点で退職を決意すればよかったのだ。


 私はそれができなかった。その後悔があるからこそ、今強くあろうとすることができる。

 強くなれ。他人に頼るな……。

(ああ、そうだ)

 双児宮様の顔が脳裏にちらついた。

 そうだ。いつかはわかってくれる、なんてことを考えるな。

 この人は本当はいい人なんだ、なんて思うな。

 酷い奴は酷いし、いい奴はいい奴でしかない。

 他人に甘い期待を寄せるな。

 期待していればいつかやってくれるなどと思うな。今やるべきことをやらない奴はどれだけ時間を与えようがやることはない。

 世界は自分に甘くないし、私には才能はないし、そもそも他人は私が思うほど私を気にかけていない。


 ――だからこそ、現状維持を続けてはならない。


 舌に広がる苦い味。胃がきりきりと痛くなる。

 前世の屈辱を思い出して私の闘志は燃え上がる。

(前に休んだのが痛かったな……)

 畳を撫でながらあのときの感情を思い出す。

 疲れた、という理由で休んでしまったことを思い出す。

 私はユーリの心と身体に変な癖をつけるところだった。とても危険な行為をした。

 私は凡人だ。凡人が疲れて休めばうずくまって何もできなくなる。

 一度でも休めばずるずると理由をつけて休むようになる。

 だからこそ、こうして未だにがんばれていることは奇跡だと言ってよかった。

(よくやった。ユーリ。よくがんばった)

 だからこそ、だ。

 だからこそ、私はこの奇跡を長続きさせなければならないのだ。


                ◇◆◇◆◇


 スライムが育ってから、探索は毎日行うようにしている。

「行け、四号」

 四号スライムが私の指示に従い、鉄橋の上から跳ね上がって下水が流れる水路にぼちゃんと落ちた。

 流れた先には人食いワニがいる。鼻先を水中から突き出しているのが見えたのだ。

 そこに四号スライムが水流を流れつつ、ぶつかった。

 人食いワニが衝撃を受けて暴れるも、身体を拘束するように巻き付いた四号スライムはそのままワニを窒息させつつ『酸の身体』でワニの肉体をどろどろに溶かして消化していく。

 一見グロい光景だが、まぁ連日やっていれば慣れてくる。

 ふと思う。

(ドロップから肉を取るよりもそのまま溶かして食べた方が摂取量は多いのか?)

 わからないな。皮や内臓や血もまるごと食べているから摂取量は多いのかもしれないが、ただ、なんとなく錬金術の法則から考えるとそれはないように思えた。

(私が鉄橋から『鉄』を取り出すときが良い例だ……)

 私が鉄橋から『鉄』というアイテムを作るときに必要な鉄の量は実のところ質量が釣り合っていない。

 梯子を作ったり鉄棘スパイク形を変える・・・・・のならともかくアイテムとして抽出する場合、どうしても必要な最低量というのがある。

 錬金で『鉄』を作ると、要求される鉄橋の量が多いのだ。できあがる『鉄』に比べて、どうしても。

 雑草から作成できる『ミント』が元の雑草の量と比べると少ないのと一緒なんだろう。

(アイテムが保有する属性値みたいなものを満たさないといけないんだろうな)

 そういう意味ではワニからドロップされる肉は一つでワニ一頭分の属性値を保有していたりするのかもしれない。

(まぁ、どうでもいいんだが……)

 ワニが完全に息絶えるのを見て思考を探索へと切り替える。

 どうにも元の地球になかった法則を見ると適当な理屈をつけてしまいたがるな。

「よくやったぞ。四号」

 ワニを始末して這い上がってきた四号スライムを指示棒代わりに使っている鉄の棒でぐいぐいと撫でてやれば、四号スライムはぷるぷると震えて喜んだような仕草をした。

 ……喜んでる、よな?

 スライムの感情表現はわからない。もうちょっと質の良い鑑定ゴーグルが作れればな。

 処女宮様のインターフェースにあったように、感情を数値に変換できるなら、進化したゴーグルでも好感度のようなものがわかるかもしれない。

(それともそれは堕落か?)

 他の生物の感情を数値に置き換えることを受容してしまっている自分に嫌悪が少しだけ浮かぶ。

 こうして私はこの新しい法則が埋め込まれた地球に染まっていくのだろうか……。

「それは嫌だな」

 ああ、嫌だ。とても嫌だ。

 新しいものに慣れることは適応なんだろう。

 だが、どうしても我慢できないことはある。

 立ち止まった私を、どうしたの? とでもいうようにスライムたちが寄り添おうとしてくるので、それぞれ鉄棒でつついて離れさせる。

(お前たちに触れられると私が溶けることをそろそろ理解しような?)

 まったく、いちいち軽傷治癒ポーションで治療するのも大変なんだよ。


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