037 宝瓶宮の怒り


「なぜだ? なぜユーリから返信が来ない?」

「ユーリくん、行方不明・・・・らしいね」

「なんだと? おい、処女宮ヴァルゴ。それはどういうことだ」

 処女宮の屋敷である改修済みの廃ビルに二人の枢機卿がいた。

 宝瓶宮アクエリウスと処女宮である千花の二人である。

 ただし客間ではない。

 そして処女宮の自室でもない。

 そこは床も天井もコンクリートの密閉された空間だった。

 ただしが窓がある。外には青々とした草原が広がっている――ように見える。

 ただしそれは外の景色ではなかった。窓も草原も装飾イミテーションの背景だ。

 なぜなら外は草原ではないからだ。

 外には土が詰まっているからだ。


 ――処女宮の緊急避難地下シェルターに彼女たちはいた。


 ユーリの存在は二人にとってある種の弱みだった。

 処女宮の屋敷は最低限の掃除夫やメイドしか雇っていないとはいえ、話を聞かれるわけにはいかないために彼女たちはここにいた。

 宝瓶宮の使徒すらこの場にはいない。彼らは地上部分で主を待っている。

 処女宮は自分で絞った果実のジュースを宝瓶宮の前に差し出しながら、スマホの画面を宝瓶宮に見せた。

 そこには千花がユーリの様子を知るためにアドレスの交換をした、キリルという名前の、ユーリの学友である少女との通信記録が表示されている。

 宝瓶宮が眉をひそめる。キリルからの報告はとんでもないものだった。言語道断の事態であった。

 ユーリが誰にも何も言わずに消えてしまったこと。ろくに捜索も行われずに行方不明として処理されてしまったこと。

 それは枢機卿同士の定時会議でも報告されなかった情報だった。

 生徒一人の情報が枢機卿会議で上がることがない? それはあるかもしれない。

 だがユーリという少年の価値を考えればそれは有り得ないことだった。

 元使徒だった、というだけでなく、ユーリは技術ツリーを進めたという功績がある。

 ゆえにこそ注目していた枢機卿も多かった。

 だから、双児宮はユーリを失ったならば報告しなければ、隠蔽ととられ彼女の失点となるのだ。

 枢機卿同士の政治的争いは当然この国でもある。双児宮はそれをわからないほど愚かではないはずだった。

 そもそも行方不明?

 平時の学舎ではそんなことはあり得ない。

 有り得ないのだ。


 ――全ての学舎を統括する双児宮ジェミニの権能は国内においてとてつもない強力さを誇る。


 スキルが存在するこの世界において、双児宮の権能はある意味、軍を司る獅子宮レオに匹敵する強力さを持っていた。

 その証拠に二人の枢機卿の表情は恐るべき敵に相対した戦士がごとくに険しくなっている。

「奴が管理する学舎で生徒が行方不明だと、ありえるわけがないだろうそんなことが」

「そう、ありえない・・・・・。子供とはいえ学舎には数百人、ううん、国内の全学舎を合計すれば数千の『スキル』を持った子供がいるんだよ。そいつらを使って探させれば……死体・・ぐらいすぐに見つかる」

 死体、と口にする千花の表情は99%それはないと思っていても、1%の可能性を考えて険しいものになっていた。

「つまり双児宮は隠しているわけだ。ユーリを。次期宝瓶宮を」

「宝瓶宮、ユーリくんは私の使徒だよ」

「話を進めろ、処女宮」

 権能で生み出された使い魔が宝瓶宮の青い髪を支えている。

 千花は舌打ちをして、目の前の皿に盛り付けた菓子を鷲掴みにすると乱暴に口に運んだ。

 むしゃむしゃと食べ、ごくごくを果実を絞ったジュースを飲み干し、げふっ、とゲップをすると断定するように言った。

「双児宮は国家を・・・裏切っている・・・・・・

 あまりに乱暴な結論だった。だが二人の枢機卿はその言葉を疑わなかった。

「ユーリは国家の財産だ。双児宮にあずけておいたのは奴の管理する学舎にわが適していただけにすぎない」

「内政ツリーを後回しにしてきたツケだねこれは。もうちょっと教育方面に力を入れて、子供にも干渉可能にするべきだったよ」

 ユーリをどうにか自分のものにしたいという千花の欲望は、内政ツリー内の技術に未成年に干渉可能な技術があることを妄想させている。

 実際にあるとしてもそれがあるかどうかわからなければ妄言にすぎない。だが宝瓶宮もその言葉を疑わなかった。

 今は重要なことが他にある。

 それで、どうする? と宝瓶宮が問いかけた。

「双児宮の解任動議を行うか?」

「難しいね。双児宮は宝瓶宮あなたと違って失点が少ないから、他の枢機卿の同意を得られるか難しいかな」

「成果は出しているだろうが! それに復興事情ではかなり役に立っているだろう!!」

 だいたい、と処女宮を睨む宝瓶宮。

処女宮おまえが仕事をしていたらよかったんだ」

「それは……」

 口ごもる処女宮に強い口調で言葉を重ねる宝瓶宮。

「いい加減仕事をしろ処女宮。使徒を作り、神殿を管理し、手駒を作れ。神殿に関しては天秤宮リブラと処女宮の管轄だろう。学舎内の神官とて、お前が仕事をしていたら掌握できていたんだ。双児宮はともかく双児宮の使徒の動きが把握できればユーリの現在位置もわかったはずだ」

「……それは、そうだね。私のせいだ……」

「女神アマチカの言葉を伝えるお前の役割は重要だがな。だからといって……――いかんな。同じ枢機卿に説教をするつもりはないんだよ私は」

「宝瓶宮は大人じゃん……」

「お前だってもう立派な大人だろう。加齢をしないだけで経験は重ねているんだぞ私たちは」

 とにかく、と宝瓶宮はいらだちをぶつけるように指先で机を叩きながら言う。

「双児宮をどうする? 私はユーリを取り戻せるならそれでいい。わざわざ奴をどうこうしようとは思わない」

 というより双児宮へ攻撃することで、ユーリが傷つくかも、と考えてしまう宝瓶宮は双児宮に攻撃ができない。

 国内学舎へ搬入する資源を止めるなどやろうと思えばできることはあるが、それとて結局将来的に苦しむのは神国なのだ。

 千花もまた同じだ。双児宮からユーリを取り戻すなら、双児宮を攻撃して信仰ゲージを下げるよりは、双児宮を満足させて信仰ゲージを上げ、それで勅命を使ってユーリを取り戻すのが一番安全なのだ。

 現状、双児宮の好きにさせるしかないのである。


 ――ただし、千花がそれを我慢できるかと言えば別だった。


「なんとか解任させたいな……」

「それは構わないが……難しいぞ? 処女宮おまえ宝瓶宮わたし以外は全員反対するだろうしな」

 双児宮の仕事はわかりにくい、教育による子供の管理は判定が難しい。

 学舎施設は年々地味性能を上げているから卒業する子どもたちのステータスも向上を続けている。

 だから褒めることは容易いが、貶すことがとても難しい。


 ――双児宮はうまくやっている。


 ゆえに、功績がいくらあろうとユーリ一人が消えた程度では双児宮を解任させるのは難しい。

「下手をすれば私たちが……いや、私だけか。私が逆に解任させられるだろうな……」

 処女宮が持つ『神の声を伝える』という力は権能ではない。

 それは千花が持つスキルであると宝瓶宮は伝えられている。

 十一人の枢機卿が持つこの共通認識によって千花は自国内で高位の位置にいられている。

 もちろん女神アマチカは千花自身なのでそんな力はまやかしだったが。

 だがこれは君主である千花が持つ最低限の権利の一つだった。

 千花がどんなに無能であってもそこに疑問を持つことを神国の住民は許されていない。


 ――だからといってこういった政体の国を選んだ千花に絶対権力は与えられていないが……。


 権力を分散することでやらなければならない仕事の数は減ったものの、同時に千花の持つ権力は脆弱になった。

 ゆえに千花が気分で双児宮を解任することはできない。最低でも七人の枢機卿の賛成票が必要なのだ。

「何もできないのかな、私は……」

 千花の溜息に宝瓶宮は侮蔑で返す。

「情報を得られたのは助かったが……やはりお前のことは好かないよ私は」

 何もしない人間は嫌いだ、と宝瓶宮は言った。

 そして、帰る、と宝瓶宮が去っていく。

 私も貴女のことは好きじゃないよ、と千花はシェルターのハッチを開けて外に出ていく宝瓶宮を見送る。

 ユーリくん、と千花は呟いた。

「なにをしてるのかな、今頃」

 千花はかつてのことを思い出す。

 それは10年前のこと。千花が双児宮の権能をとある少女に与えたときのことだ。

 神国の初めに『敏腕教育者』というSSRスキルを持った少女がいた。

 とても賢く、美しい少女だった。

 ただしそのときには未だ学舎も建てておらず、千花にとって子どもたちとは街中を歩き回る生体オブジェクトの一つでしかなかった。

 子供は生きているし、喋るし、レベルも持っているけれど、インターフェースで干渉のできない、人間ではない存在だった。

 ある意味本当に人間らしい人間で、千花はその事実をとても喜んでいた。

 とはいえ『敏腕教育者』というスキルは放置しておくにはもったいなかった。

 この少女が成人するまでそのスキルは使えないのだから。

 思いついたのはそのときだ。

 十二天座の権能は実のところなんにでも与えることができる。

 コミュニケーションができないと困るので犬猫に与えることはしないが、子供であれば、と千花は思った。

 十二天座は特権だ。十二天座という存在にすることで、システムにそれをユニットとしても認識をさせることができる。

 それに、その少女は、可愛らしかった。危険ではないと思った。

 千花は良い案だと思った。


 ――そう、思ったのだ。そのときは……。



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