214 ニャンタジーランド教区にて その4


「ユーリ、差別されている獣人たちをうちで引き受けさせてくれねぇか……」


 センリョウ様のその言葉を聞き、私は目を見開いた。

「センリョウ様、本気でそれを言っているのですか? ――いえ、少し待ってください」

 言いながら視界の隅にあった机の上の鏡から、窓の外を鳥が飛んでいるのが見えた。

 私は立ち上がり、薄く隙間のあいていたカーテンを閉める。

 炎魔様からの情報でわかっているが、エチゼン魔法王国はホムンクルスや隷属魔法を使って、術者と視覚をリンクさせられる小動物の使い魔を作ることができる。

(今のが使い魔かどうかはわからないが……)

 偽装スキルを使われれば肉眼ではそれが使い魔かどうかはわからない。とはいえ注意はしておいて損ではない。

 現在ニャンタジーランド教区には冬季の雪の体温低下で勝手に死んでいた魔法王国の使い魔が、春になって暖かくなってきたので大量に入り込んできていた。

 教区の空には鳥人族の兵士を配置しているし、犬族や狼族の兵士には路地裏などを、隷属スライムに下水道などを探索させているが、排除しきれないものもある。

 また、私の執務室の窓ガラスには『迷彩』のスキルを付与し、表情や唇などをわかりにくくしているが読唇術で会話を読まれる危険もあった。

 カーテンをきちんと閉めたのはそれが理由だった。

「すみません。話を続けてください」

 振り返った私にセンリョウ様は瞳に暗い色を湛えて言う。怖い目・・・だ。

「終わったか? ああ、わかってるよ。俺がユーリを困らせているってのはな」

「人口の少ない教区から人を引き抜くことの意味。下手をしなくても敵対行為ととられてもおかしくないですよ? そこまで覚悟して言っていますか?」

「いや、そこまではない。戦争はしたくないな」

 覚悟した目には、だが引けないという意思を感じ、私を息を吐く。

 駄々をこねた子供のような主張だが、ある種のカリスマを持つ者が言い出すのは厄介だった。

 もちろん宣言通り、戦争を起こす気はないだろうが、断ればそれはそれで別の方法を探られかねない。

 下手な言い訳をして断れば、面倒なことを起こされかねない気配がある。

 さて、どうするか……元十二剣獣の人間は差別されていたりと扱いに困ることは確かだが、私の教区の人間だ。よく知らない土地の人間がやってきて引き受けますと言ったからといってわざわざ引き渡す理由はない。

「同感です。私も海を越えて兵隊を送り込んで、自国民を取り戻すようなことはしたくありませんから」

 戦争をする旨味もない。神門幕府と隣接しかねない四国の土地など欲しくない。だいたいこれ以上土地を抱えても神国にも、私にも余裕はない。

 抱え込みすぎれば全てが破滅する。今は領土の拡大は自重し、国内の安定に尽力しなければならない。

 見つめ合う私とセンリョウ様。さて、なんと言おうかと悩む私よりも先に言葉を発した者がいた。

 毘沙門天様だ。

「センリョウ様、我が国に他国の人間を抱える余裕などありません」

「毘沙門天……だが、お前、あれ・・を見て」

「その正義感が貴方の魅力であることは確かですが……かといって我が国の現状で他国の問題に口を出すのはおかしいでしょう。そういったことは自分の国をまともに運営できてから言うべきです。今も他の『護法十二天』に政務を任せ、他国に来ているのですよ?」

「大の大人が、白昼堂々小さな子どもを力いっぱいに殴っていたんだぞ! それも天下の往来で!!」


 ――耳の痛い話だ。


「ドッグワン……」

「今すぐ捕まえて牢にぶちこむように指示を出しておきます」

 私の失政だ。だが、差別などという根深い問題は政策一つで覆すことなどできない。

 それも売国などをしようとした獣人の派閥や血族だ。まともな獣人ならばけして許さない問題で、許せない問題だった。

 売国を許す獣人がいれば逆に忠誠心を疑うような話――かといって、すでに十二剣獣や近しい立場の側近などは処罰されている。殴られたのはどうせ前ベーアン派閥の重鎮の子供だろうが、親の罪を子供に波及させるなど近代国家を目指す私としては許しがたいことだ。

 そんな私の前で毘沙門天様はセンリョウ様に彼女の道理を説こうとしている。

 それは衣食住や資源の問題。また他国人を軽々に自国に招くことで起こる問題の数々だ。

「神国アマチカと我が国は未だ国交もありません。国民の交流もありません。二ヶ国を領有している護法曼荼羅がそれぞれの国民の交流に気を配っている中、獣人などという我が国の国民が見たこともない聞いたこともない種族を招いたならば混乱は激しいものとなるでしょう! 食料は減少し、治安は乱れ、人心は荒れます!!」

「毘沙門天! うちの国民は話せばわかってくれる連中だ! 多少の混乱は起きるだろうが、俺が懇切丁寧に話すし、何かあれば俺が直々にきちんと話す。これから四国の他の二国も落とすんだぞ。多少の他国人を受け入れられないで何が四国統一だ!!」

「四国の人民は、もともと多少の交流がありました! ですが獣人とは交流がないでしょう! だいたい差別された者を招いてどうするのですか! 私は言いたくありませんがね! もともとの国で差別されていた連中なぞ心か体に何か問題があるのです! 我が国に来たところで差別が収まると私は思いませんがね!!」

「お前! この野郎!!」

 拳を振り上げたセンリョウ様が毘沙門天様を殴りつけた。

「罪を犯せば一生そのままか! 親の罪は子の罪か! 生まれたときから罪人なら、死ぬまで罪人なのか!! 人の上に立つ者としてお前は恥ずかしくないのか!!」

 唇から血を流す毘沙門天様は血を絨毯に吐き出し、言い過ぎました。すみませんと謝った。

「センリョウ様。ですが……殴られるならば殴られるだけの理由があるとは考えないのですか? 彼らの境遇を哀れだと思いますが、この国で差別される者が、私たちの国でも差別されないとは限らないでしょう? 我々とて、弱者を拾い上げる余裕があるわけではないのですよ?」

「毘沙門天! その余裕を作ってやるのが、俺たち上の人間の役目だろうが!!」

 ヒートアップする二人を見ながら、私は手をぱんぱんと打ち鳴らした。

「おふたりとも、喧嘩をするなら鍛錬場でして貰っていいですか?」

 う、と気まずそうな顔をする二人。倒れた毘沙門天様の傍に、隠れていた双児宮様が駆け寄って治療魔法を唱える。

 誰だこの少女は、という顔をした毘沙門天様だったが怪我が治ると双児宮様は再び給湯室に駆けていってしまう。

 私はそんな双児宮様を微笑ましく見守りながら、センリョウ様に改めて言った。気が変わっていた。

「――いいですよ・・・・・。連れて行っても」


 ――部屋の空気が止まる。


 ドッグワンが不思議そうな顔をして私を見る。

「ユーリ様、いいのですか?」

 私は頷き、センリョウ様に言う。

「構いません。ですが連れて行くならセンリョウ様が一人ひとり説得してください。今の生活を捨ててでも護法曼荼羅に行きたいという人間がいるなら私は止めません」

「いいのか? ユーリ」

「センリョウ様に、それだけの熱意があるのなら止めてもいずれ何かするでしょう。きちんと機会を与えた方がいいと私は考えました」

 それに損得の問題で考えるなら、センリョウ様とのつながりは持っておきたかった。

 裏でこそこそと行動して連れ去るなら敵国として接するしかないが、きちんと本人に了解をとって、スカウトという話であるならまだ・・許容できる。

「……悪い……その、俺の我儘で……お前を非難したいわけじゃなかったが……」

「いえ、ですが毘沙門天様の言葉も間違いではありません。彼らも別に真っ当で善良なだけの者ではありません。一方的にいじめられている弱者ではないのです」

 憎悪されるには憎悪されるだけの理由がある。

 もともと前十二剣獣派閥の方が主流派だったのだ。売国が表に出る前は、国民のほとんどは前十二剣獣派だったと言ってもいい。

 だから前十二剣獣派だったというだけで差別されることなどないのだ。

 現に前十二剣獣派閥でも差別されずに元の職に戻った者は多いし、有能さで活躍し、以前よりも尊敬を集めている者もいる。

 だからこの教区では、戻れないほどに悪徳に浸かっていた者やその親族が差別されているのだ。

 教区を統治する私が言う言葉ではないが、残っているのは煮ても焼いても食えない言葉通りのろくでなしのクズで、説得して仕事をさせるより放置しておいた方がマシなものが大半だった。

 無論、前政権で中枢付近にいた、それなりに使える者がいないわけではないが……。

 説明をしようとすればセンリョウ様が手を上げて、私の言葉を止めた。

「ユーリ。それは俺が自分で判断する。誤解があるようだが、俺は別に万人を救いたいわけじゃねぇよ。殴られる理由もないのに殴られる奴を救いたいだけだ。だが、まずは機会を与えてくれたことに感謝を」

 私は頭を下げるセンリョウ様に頭を上げてくれるように頼み、ああ、と思ったことを聞いた。

「もし、私が引き抜きを許す代わりに金品や……そうですね、玉璽や人材を要求したら払いましたか?」

 くだらない質問だった。友好国となる人間としたい話ではない。だが聞かねばならない質問だった。

 そう、自分のところでいらないからと国民を他国と交換するなど虫唾の走るゲスの発想だからだ。

 少なくともまともな君主の発想ではない。

 ここでセンリョウ様がはい・・、というようならスカウトの話はなかったことにするつもりだった。

 インターフェースで人間を資源として表示されるから勘違いしそうになるが、人は人で、多い・・からと交換に使うものではない。

(山賊を連れ去って教化して国民にしたり,他国から武器と交換して移民させている身で言う言葉じゃないが……)

 だがこの男がどの程度の覚悟で言っているのかを図るのにはちょうどいい質問でもあった。

 他国の人間を救うためにどれだけ払えるのかは興味があった。

 だがセンリョウ様はまっすぐな視線を私に向けてくる。

「ユーリ、お前はそんなことを言わない」

「理由を聞いてもいいですか?」

「お前は自分のところの国民を、たかが・・・玉璽欲しさに売るような人間じゃないだろう」

 思ったよりも真っ直ぐ・・・・に言われ、なるほど、と私は思った。


 ――これが国を取れた理由か。


 本気で怒り、本気で悲しみ、本気で笑い、本気で人を褒められる。

 処女宮様にはけして言えない言葉に、私は使徒になる前だったら、センリョウ様の誘いを受けて護法曼荼羅に行っていただろうな、とふと思ってしまう。

 そしてその人を見る目のなさに呆れた。

 私はそんな上等な人間じゃない。


                ◇◆◇◆◇


 じゃあ説得に行ってくるとすぐに出かけたセンリョウ様と毘沙門天様、そしてそれについていくドッグワンを見送ったあと、給湯室から双児宮様が出てきて私に聞いてきた。

「ユーリ、あの男に自国民の引き抜きを許すんですか?」

 双児宮様の問いに頷く。肯定の意味だ。

「そもそも獣人はこの土地を離れたがりませんし、差別されている中で他国に引き抜かれて困る獣人など前十二剣獣派にはほとんどいません」

 そもそも引き抜かれて惜しいと思える、即戦力となる人材は私がとっくに使っている。

 だが双児宮様が言いたいことは別らしい。私を睨むように言う。

「他国の君主にそこまでの勝手を許すなら、本国からのユーリの評価が下がりますよ?」

「それは全く構いませんし、私を神格化しようとするユーリ派なる者が鬱陶しいので多少評価は下げた方がいいぐらいですよ」

「ではそれが引き抜きを許す理由ですか? 自分の評価を下げたくて? それとも本当に差別から救いたくて?」

 いえ、と私は首を横に振った。

 引き抜きを許したのは、センリョウ様になら私が救えない獣人を任せられるとか、差別されている獣人を残しておくより追い出した方が楽だったとかそういうことではなく。

 毘沙門天様の言葉が原因だ。似たような言葉を、散々前世で私は聞いている。

「ここでダメな人間が他でやっていけるわけがない」

「ユーリ? それは」

「私がこの世で一番嫌悪する言葉の一つです」

 憎悪すら抱く言葉だ。だから私はスカウトを許した。

 教区を治める者として引き抜きを許してはならないことがわかっていても、どうしても許すしかなかった。

 前世の上司のような人間にはなりたくなかったからだ。


 ――それだけの話だ。


「ええ、そうですね。ここで腐っている人間が他国で輝く人材になるなら、それもいいでしょう」

 人をまとめる人間に相応しい考え方ではない。だから私は君主に向いていないのだ。


 ――良かったこと探しなど愚かでしかない思考だが……。


 良い機会だ。一人か二人、自然な流れで獣人の諜報兵を護法曼荼羅に紛れ込ませることができる。

 センリョウ様は神門幕府と対立すると言っているが……近畿連合を後背から攻撃したアマゾンのように神国を後ろから刺す刃と化す恐れもある。

 獣人を自ら取り込んでくれるなら情報収集が楽になる。助かる。

(……真っ直ぐなセンリョウ様に比べ、私は利己的すぎる……だから私は……)

 自分の思考に嫌悪する。


 どうしてか、キリルに会いたくなった。


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