146 二ヶ国防衛戦 その17


 帝国軍の精鋭長槍歩兵に所属する壮年の兵の一人が、廃ビル地帯の大通りにて、休息用に作られた陣地で空を眺め、憂鬱そうに「頼むから止んでくれ」と天に願っていた。

 ポツポツと降ってきていた小雨がだんだんと激しくなってくる。あと一時間もしないうちに大降りになるだろう。

 雨が降れば体温が奪われ、体力が減少する。地面はぬかるむし、何より視界が悪くなる。

 休息が終わればこの雨の中、戦うことになる。神ならぬ身では、どうか今すぐ止んでくれと願うしかない。

 手で掴んでいるシチューに雨粒が入り、パンがふやけていく。憂鬱な気分になる。

「おい、ぼーっとしてねぇで『スリップ防止』のブーツは持ってきてるな? 雨で地面がぬかるめば敵の攻撃に耐えられんぞ」

「言われんでもわかってる。とっくに着替えたよ、それより奴ら、どうなってる?」

 兵は陰鬱な気分になっていたところに指図をされ、いらついた気分になる。

 隣の兵士があれこれと言ってきたのだ。

 その隣に立っていた兵士は雨で泥が跳ねる双眼鏡のレンズをしきりに布で拭きながら敵陣を眺めていた。

「攻勢が止まる気配がねぇよ。くそ、なんでこんなことになってんだ? 俺たちは神国に攻め込んだはずだろう?」

 わからん、と聞かれた兵が返せば、双眼鏡を持った兵士は舌打ちをし、自身の分の、雨の混じるシチューを飲み干した。

 雨のせいで休息だというのに濡れなければならない。

 本陣には雨除けの陣幕が張ってあるが、彼ら下っ端の兵士が雨を避けられるほどには張られていないのだ。

 やがて休息も終わる。

「おい、兵士ども! 食事と休息は済んだな! 槍抱えて前線と交代だ! 気張れよ!」

 雨具を毛布代わりに、彼らの周囲で寝転んでいた兵たちがぼやきながら立ち上がった。

 食事を含めた十五分程度の短い休息だった。

 料理アイテムでなんとか体力を回復させたものの、HPやSPとは別の部分の精神的疲労が重なっていた。

 それでも、栄えある帝国の兵として立ち上がらなくてはならない。生き残るためにもそれが重要だった。

 兵と双眼鏡の兵士も、自身の傍に置いていた槍を手に取った。

「っしゃ、行くか! 倒せなくてもいい! なんとか耐えるぞ!!」

「おう! とにかく耐えりゃ、本国から救援がくる!」

 鑑定ゴーグルで盾と槍の耐久値を確認する。『耐久強化』『防弾』『耐久値回復』のついた武具だ。まだまだ大丈夫だ。

 そうだ。なんとでもなる。うまく生き残る。生きて帰るのだ。

「国に妻と子が待ってるんだよ……」

「なんだお前所帯持ちか? へへ、俺も帰ったら結婚する恋人がいんだよ」

 よくよく見れば泥で汚れているが、双眼鏡持ちは若い兵のようだった。

 年下の兵にそんな口を叩かれてた壮年の兵だったが、怒るよりも、共感が勝った。

 機嫌の悪そうだった兵たちの顔がともに綻ぶ。

「気張って気張って気張ってよぉ、お互い生きて帰ろうぜ、なぁ!」

「おう! 帝国精鋭の力、見せてやろうぜ!!」

 こうして男たちは戦場へと向かう。


                ◇◆◇◆◇


 兵たちが気勢を上げ、前線と交代していく。

 それを見届けた帝国軍将軍、炎龍槍の使徒ドレイクマンは本陣に張った陣幕に戻っていた。

 そう、長槍歩兵を率いる炎龍槍は神国の手によって、戦場から消失したが、その使徒二人は生き残っていたのだ。

 一人は戦場で兵を統率し、もうひとりの使徒であるドレイクマンは本陣にて地図を睨みながら全体指示を出しているところだった。

「ドレイクマン様、炎魔からの援護が消えましたが……」

「もとより期待していない。それより人魔が突撃したあと、消えたそうだな?」

「はい、殺人機械に囲まれたのち、敵陣から姿が見えなくなってます。殺されたのでしょうか?」

「十二魔元帥がうちの十二龍師と同じなら、今頃本国だろうな」

 ドレイクマンは外を見ながら難しい顔をする。

「雨は嫌だな。殺人機械どもにはさほどの影響がないだろうが、兵たちのコンディションが最悪になる」

「はい。雨具は用意していますが、体温の低下、視界の悪化など、悪影響を数え上げればきりがありません」

「そうだな。それをなんとかしてやらねばならんが……それより根本的な部分か。本国への救援要請はどうなっている?」

 難しい顔をするドレイクマンの質問に対して、兵の一人が表情に喜色を浮かべ、応えた。

「はい! それは大丈夫です! 建築スキル持ちがビル壁を破壊し、偵察スキル持ちが罠を解除し、横壁から抜けました。壊した穴も塞いで殺人機械の侵入も防いでいます」

 そうか、と作戦通りに進み、険しくなっていた顔を弛緩させるドレイクマン。

「炎龍槍様ならば、自身が指揮を取れなくなっている時点で自害なされているだろうし、復活には一日かかるだろうが、かならずや本国にこの窮地をお伝えなさるだろう。その場合、我々の救援要請は無駄になる可能性は高いが、やっておいて無駄ということはないからな。スマホの通じないこの現象はおそらくこの廃ビル地帯だけだ。ここを抜け、本国へと救援を出せば殺人機械など敵ではない」

 今の状況は最悪だが、最悪の中にも良かったことがいくつかあった。

 その一つ、帝国軍が、長槍歩兵と山岳歩兵の間に千名の補助兵を置いていたのが幸いしていた。

 一番最後に彼ら補助兵を置けば、おそらく最初の攻撃で補助兵は全滅していただろう。それを防げたのだ。

 ドレイクマンは生き残ったこの補助兵を全力で運用していた。

 建築スキル持ちにこの本陣を設置させ、料理スキル持ちに兵の体調を少しでもよくするために料理を作らせた。

 鍛冶スキル持ちには大きく壊れた兵の武具を修理させ、医療スキル持ちには負傷兵を治療させるなど、万全の体制で兵をバックアップしている。

 その中には当然偵察兵も含まれており、救援に送ったのはその中でも凄腕とされる人物だった。

「しかも本国へ救援に向かったのは名高き諜報兵、『鷹の目ホークアイ』です! 必ずやこの困難な任務を達成なさるでしょう!」

「『鷹の目』か。奴とは何度かモンスター討伐で一緒になったことがある。奴ならば確かに、必ず本国にたどり着くだろう。しかし、こんなことなら時間をかけてでも道中の山賊を討伐しておいた方がよかったな……山賊どもが鷹の目の邪魔にならなければいいが」

「ドレイクマン様、たかが低レベルの山賊など、疲労していても鷹の目の敵ではありませんよ!」

「ははは、確かにそうだな」

 笑いながら頷いたドレイクマンは、さて、と地図を睨む。

 炎魔が回復するのを待っていてもいいが、ここは一つ、前線に建築と錬金術のスキル持ちを送り、兵が楽になるように防壁を作らせるのがいいだろう。

(何日でも、何週間でも粘ってやるさ。我が長槍歩兵の真髄、崩れぬ防陣を見せてやる)

 だがドレイクマンのその目論見が崩れるまで、そう時間は掛からなかった。


 ――亡霊戦車リビングタンクが一輌、戦場に到着したのだ。


                ◇◆◇◆◇


 廃ビル地帯の地下にて円環法を行使したツクシは、はぁ、はぁ、と荒い息を吐いていた。

「ユーリ様抜きでもうまくできるようになってきたな」

 ユーリがいないため、今回、全体のSPの先導役を担っていた兵長タラノメが安堵の息を吐く。

 もちろんまだまだユーリほどの安定感はないが、彼らも穴を開けたり閉じたりするぐらいならできるようになっていた。

「それで、今度は何を落としたんですかい?」

 待機していたところ、突然移動しろとの命令を受け、ワニ車に乗って地下道を移動した彼ら宝瓶宮アクエリウス部隊第二十五班の面々は自分たちより先に来ていた天蝎宮スコルピオ配下の諜報部隊の兵に問いかけた。

「落としたのは帝国兵だ。廃ビル地帯を抜けて外に出たのが確認できたからな、そいつをお前たちに落とさせた」

 ツクシはそのぶっきらぼうな言い方にかちんとくるものの、諜報部隊の階級は自分たちよりもずっと高い。

 だから兵長もへぇ、と頭を下げたまま、質問が返ってきたことに多少の驚きを見せている。

 おそらく、ユーリが丁寧に接するように彼らに言い含めているのだろう。

 ユーリがいなかったらおそらく「知る必要はない」で終わっていたはずだ。

「ただ、穴を開けて落としただけだからな。生きていれば情報が引き出せていいんだが……」

 言いながら諜報兵が円環法を行っていた部屋の外に移動していく。

 自分たちもついていっていいのか悩みながらも、文句を言われないのをいいことに兵長が移動していくのにツクシたちもついていく。

 諜報兵は隣室の前で立ち止まっていた。ツクシたち二十五班の面々に説明する。

「この部屋に落としたんだ。おい、敵兵の無力化は終わっているのか?」

「終わってるぞ。ついでだが生きてた。やはり帝国兵はレベルが高いな。この高さで落ちても即死していない」

 他の班の錬金術スキル持ちが土壁に穴を開けているのが見えた。そこから足の折れた敵兵が神国兵によって連れ出されるのも見える。

「通常の捕獲部屋はスライムを入れてるからそれで落下衝撃は抑えられるんだよ。今回は予定外の位置だったからただ落としただけだがな」

「へぇ……そうなんですか」

 説明してくれる諜報兵に兵長が感心したように言う。捕獲一つにもいろいろと考えがあるようだった。

「あれって大丈夫なんですか? 暴れたら?」

 腕を背中に回される形のベルト付きの服を着させられ、頭に呼吸用の穴がある布袋を被せられた敵兵を見てツクシが問いかけた。

 ここには非戦闘員が多い、武器を持っていないとはいえ、戦争に来るような兵士が暴れたら、自分たちで相手にできるとは思えなかった。

「問題ない。装備とスマホを取り上げたあとに、スキル封じの指輪に、衰弱と暗闇の指輪、鈍足の指輪に全能力低下の指輪、拘束衣に耳栓、アイマスク、とどめにズタ袋をかぶせて、気絶魔法、混乱魔法、錯乱魔法と様々な魔法を重ねがけしてる。それで動ける奴もいたが……そいつは敵の幹部だったからな」

 その動ける、というのがつい先程あったかのように疲れた表情をする諜報兵だったが、他の兵から捕まえた男の素性を聞き、驚いたように問い返した。

「帝国の『鷹の目』だと? おいおい、あいつが来ていたのか!! すごいな!!」

「すいません、鷹の目ってのは?」

 兵長の問いに諜報兵は興奮して語る。

「帝国の伝説の諜報兵だよ。この戦いに来てたんだな。それを捕獲できるとは思わなかった。天蠍宮様が喜ぶぞ、これは」

 諜報兵の喜びようにツクシたちはついていけない。だがどうやら自分たちが神国にとって重要なことを為せたのは確かなようだった。

 諜報兵がツクシたちに言う。

「生産スキル持ちはたいしたもんだ。よろしく頼むぞ、お前たちがこの作戦の要だ」

 自分より遥かに階級の高いエリートに言われ、第二十五班はどこか力強い気分になりながら、はい、と応えるのだった。


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