116 八歳 その10
相変わらず処女宮様の庁舎の、狭い事務室みたいな執務室で私は業務を行っていた。
たださすがに、この庁舎は帝国侵攻後に引っ越す予定である。
仕事の規模が大きくなってきたのでちょっと手狭になってきたからだ。
「あの、ユーリ様。
文官の一人セムリさんが私に問いかけてきた。
私は書類に向けていた視線を上げてなんのことだろう、と思った。
セムリさんは計算を任せている人だ。『数学者』のスキルを持っているエリート官僚である。
私の結構前に
私自身は国内の財務を握っているわけではないが、使徒のインターフェース情報は紙に出力できないので、会議などに使う諸々の数字を資料にするための計算をして貰っている。
一応、電卓はスマホに入っているから計算ぐらいなら誰でもできるが、数学者のスキルを持つ彼の場合、計算に間違いが発生しにくい(そもそもの参照数字を間違えればミスはでるが、それは誰でも同じだ)。
「まだ、とは?」
私はペンを机の上に置いてから、セムリさんに向けて、じっくり聞くよ、という姿勢をとった。
彼は借りてきた人材だ。丁寧に接する必要がある。
そんなセムリさんは私に向けて恐る恐るという感じで問いかけてくる。
「山賊の捕獲で増えた人口に合わせて農業ビルを増やしたり、商業を強化するために特区を作ったり、国内の日用品を効率的に作る『工場』というものまで作って、それで今度は国内の輸送効率を五倍以上に高めるワニ車まで開発しましたよねユーリ様は」
セムリさんはそれだけではなく、あれこれと私が関わった法律まで上げてくる。
治安維持のための警察のもととなる市民を使った見回り制度だとかだ(警察自体を設置するには少し人が足りなかった。ちなみに今までは軍を出動させていた)。
傍で仕事を見てきたせいか彼の言うことは正確だった。
そんなに仕事してたな、と私も感慨深い気持ちになる。
「未だ本庁には実感の薄い人たちがいるようですが数字を見ている私にはわかります。収益が去年の何倍にもいえ、下手をしたらこのまま十倍以上に増えます」
「はい。全然足りませんが」
「足りな――!? あ、あの、目標の数値とかはないんですか?」
「目標? いえ、特には。正直なところわたしにも
目をパチクリさせる彼に私は手を広げてみせた。
「どこまで備えればいいのかさっぱりなので、とりあえず手を付けられるところから手を付けている感じですね」
――技術ツリーが行き詰まっている。
細かい枝の部分は手を付けられる。だが幹に当たる基幹技術に関してはお手上げだった。
レシピの難易度とかそういうことではなく、もっと単純な問題に突き当たったのだ。
蒸気機関の導入がそうだったが『石炭』に当たるものがないだとか、もしくは船を作るための『木材』が足りないとかだ。
たとえツリーを進めてもその技術を導入して運用するための資材が足りないのだ。
(これ以上は領土の拡張が必須だ)
だから鉄道さえ作れば必要のないワニ車なんかを悪あがきのように作っている。
農業機械を作れば生産を何倍にも増やせるのに、作れないから山賊を農業ビルに押し込めている。
これらの問題もニャンタジーランドを占領すればある程度は解決できるかもしれないが……。
「あ、あの! 技術発展はもういいんじゃないですか?」
「セムリさんもそう思いますか?」
「これ以上は皆がついていけませんよ」
そんなことを言うセムリさんに私は、そうでしょうね、と頷いた。
確かにもう国内の人間は開発だ運用だで手一杯だ。新しいことが多すぎて息切れし始めている感もある。
そして私ももういいんじゃないか、という気持ちにもなっている。
神国が技術ツリーに行き詰まったのと同時に、他国の技術限界にもある程度予測がついたからだ。
一国だけを所有する隣国の戦力の上限も推測がついた(さすがに固有技術やスキルまではわからないが)
今からは資源を貯め込んで、ニャンタジーランドの占領と同時に入手できるようになる資源を使った技術開発のために余力を貯め込んでいくほうがいいとも。
それでも不安は拭えない。焦ってしまう。
(三国を領有する神門幕府はどうなっている?)
あの国はいまどの辺りにある? 戦争ばかりということは内政に力を注げないはずだがそれでも我が国よりは進んでいるはずだ。
そもそも戦争で減り続ける人口や、将軍の問題をどう解決している?
(未来ばかり見てもしょうがないんだが……)
ただ、セムリさんに私は、
「他国が、自国より劣っているなんて本当にあるんでしょうか?」
「ユーリ様?」
「いえ、違いますね。この国が他国より強い、なんてことが本当にあるんでしょうか?」
「ユーリ様!? さ、さすがにそれは」
私は数字を積み上げてなお、不安が拭えない。
技術ツリーは追いついた。追いついたはずだ。だが、
これはユーリの不安ではなく、私の不安だ。
私はこの国の弱点を一つ一つ潰してきたはずだ。
人口、経済、復興、道路、軍事力……。
――レベルの問題も解決している。
資源ダンジョンに効率的な回収システムを作る過程に軍をかませることで国内の軍人のレベル平均は40を越えた。
人間にモンスターのような
スキルの熟練度で取得するアビリティ情報なども共有できるようにデータベース化した。
だがそれでも十年の遅れは、取り戻せるのか?
私ごとき
吐きそうだ。
当初、ニャンタジーランドに襲来するくじら王国の軍を私は獅子宮様の部隊で倒すつもりだった。
そのつもりで機動鎧も増やした。スライムも大量に作った。
だが、私は不安だ。
――本当に獅子宮様は勝てるのだろうか?
インターフェースの他国の欄はほとんどが暗黒で、
指標がわからないのだ。どこまでやっていいかわからない。
神国がやられるばかりだったこの十年の間に、どれだけの力を他国を蓄えていたのだろうか?
(
不安に怯える彼女に頼られるように、私は彼女を元気づけて協力を取りつけているが、その実怯えているのは私の方だ。
地下の自衛隊ゾンビを思い出す。
あれと同じレベルの軍を他国が保有していたなら、帝国方面の防衛計画が崩れるかもしれないが……。
いや、一国の領土しかないなら、技術ツリーをどう進めても戦車の砲撃レベルの文明力は出せないはずだ。
SSR魔法スキル持ちがレベル100になった場合だけが心配だが、戦争抜きでそれをするにはダンジョンの探索が必須で、それこそ十二天座のように不死属性を持つ人間がこもり続ける必要があるし、無限蘇生できるとはいえ、蘇生による経験値喪失を考えれば軽々にできることではないはず。
だが、わからない。わからないのだ私には。だから、私は、こう言うしかない。
「セムリさん、もうちょっと
「え? へ?」
「大丈夫です。そこまで大規模な影響を出せるものではないので」
「だ、だから、ユーリ様のすることは大きな影響が」
「いえ、本当です。そろそろ私も左遷させられるので」
帝国との外交交渉の結果もそろそろ出るのだ。すぐに終わることをしたい。
そう考えると私がいなくなったあとの引き継ぎをしなければならないが……この枢機卿間の橋渡し業務を他の人はできるのだろうか?
まぁ、帝国の迎撃が終わったら帰ってこられるので消えるのは一時的だし、人間一人が消えたぐらいでどうにかなる職場なんてそうそうない。
そもそもこうやって縁を繋いできたのだ。私がいなくなってもきちんと交流は続いてくれるだろう。
――問題ないな。
左遷? という顔をするセムリさんに私は肩を竦めてみせた。
「私の失策です。なのでここにいる間に――おっと、セムリさん?」
セムリさんが私の手を掴んでいた。大人の男の力強い手に少しドキドキする。
やはり私には筋肉が必要だ。あと身長もほしい。
「……わ、我々がなんとかします!! 抗議活動をします!! これだけ神国に貢献したユーリ様が左遷させられるなど!!」
「え? あ、抗議はいいです。謹慎みたいなものです。年内には戻ってくるので」
「そ、そうなんですか?」
「はい。なので抗議は必要ないです。私の左遷も含めての全体計画が進んでいますから」
というか私が勝てなければ神国が滅びるのでそういう意味では私のほうがニャンタジーランドの策より重要だ。
そして、あの会議の場では誰も私が負けることについて心配していなかったことに私はいまさら気づく。
(なぜそこまで信頼できるのかわからないな)
八歳児だぞ、私は。
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