115 ニャンタジーランドでの生活その1


「クロちゃーん! おはよー!」

 キリルは他国の君主に気軽に声をかける処女宮ヴァルゴの様子を肝を冷やしながら見ていた。

 ニャンタジーランド建国の神獣の娘であるクロ様にあんなに気軽に声を掛けては失礼ではないのか、という気分はある。

 だがこちらも女神アマチカの巫女姫なのだ。対等、いやむしろ上なのだ、とキリルは小さな胸を張って見守った。

(処女宮様は、なんというか……すごい方だわ)

 ユーリはものすごく馬鹿にしているときもあるけれど、きっと深く考えての行動なのだろうとキリルは処女宮を畏敬の目で見てしまう。

「断りのお返事貰ったけど、お茶会来ない? いいお茶を神国から持ってきてるんだけど」

「……処女宮さん、あの、私、一応仕事が」

「え? そう? じゃあ他の人呼ぶね。クロちゃんもお仕事終わったら来てね!!」

「う、うん……」

 いやー、断られちゃった、と戻ってくる処女宮は「他の人には招待状は送ってるから、用意しといて」と連れてきた女官に声を掛けていた。


                ◇◆◇◆◇


 処女宮こと天国あまくに千花ちかの内心もそう単純ではない。

 一度ニャンタジーランド王宮より大使館に帰ってきた千花は本国から持ってきたふかふかのソファーに身を預けながらテーブルの上に足を不機嫌そうに音を立てて乗せた。

(クロちゃんはさー。楽しんでほしいんだけどなぁ。最後の晩餐になるかもしれないんだし?)

 神国大使館の窓から見える崩壊した巨大テーマパーク施設の残骸のようなものは前世でやたらと宣伝されていたアレだろう。

 千花も何度か遊びに行ったこともあるが、こうしてこの世界でも来ることになるとは思っていなかった。

 その施設跡地に木造建築を立ててほそぼそと暮らしているのがニャンタジーランドの国民だ。

 食料供給がうまくいっていないのだろう。獣人たちのやつれた有様を見ながら千花は本国よりもってきた紅茶を侍女に淹れさせながら内心でクロを罵った。

(さっさと折れればいいのに。もう、そんな場合じゃないじゃん)

 何を意地を張っているのか。

 現在進行系で、この国の価値は下がり続けている。


 ――神国と王国を天秤に掛けている場合ではないのだ。


 不戦条約はもうすぐ切れる。切れればもう降伏だなんだとはどこも言わない。

 石壁だの鉄柵だので箱を覆っただけのこんなランドは文字通り一息に潰されるだろう。

 ユーリはなんだかんだ戦力差がなんだ、降伏させたほうが、攻めきれるか、などと言っているが、現地を見た千花からすればとんでもない 甘ちゃん・・・・だ。


 ――ニャンタジーランドの防備は紙っぺらのようなものだ。


 大規模襲撃を経験している千花はなんだかんだと防御施設のレベルぐらいは目で見てわかるようになっている。

 ニャンタジーランドの首都には堀もある、塀もある。都市の軍人のレベルもそれなりに高い。種族として強くもあるだろう。

 だが、弱い・・。自分の神国の兵のほうが強い。単純に勝てるな、と思えてしまう。

(よほど出現モンスターが弱いのかな……)

 この土地の出現モンスターに詳しくない千花だが、他国と自国の間にモンスターのレベル差があることぐらいは知っている。

 他の国ではメートル単位で分厚く建てたコンクリート製の都市外壁を主砲の一撃でぶち抜いてくる戦車型モンスターが出てこないことぐらいは知っている。

 空を飛行しながら地上の生物を機銃で皆殺しにする殺人ドローンが飛んでこないことも知っている。


 ――それを鼻歌混じりに殲滅するユーリという少年がどれだけ頼もしいかも。


 そんな千花の内心はクロは説得しなくていいんじゃないか、というものだった。

 ユーリたちの話し合いの内容を詳しく理解しているわけではないが、くじら王国がここを攻めきらないのは帝国と足並みを揃えるため、なんだろう。

 北方諸国連合に喧嘩を売った以上、七龍帝国と魔法王国とは確実に不戦条約を更新したいのが王国の本音のはずだ。

 そこでニャンタジーランドを落としきってしまえばパワーバランスが崩れ周辺国全てが敵になることをくじら王国は理解しているからニャンタジーランドを生殺しに留めている。

 だからこそ、いまのうちに神国がニャンタジーランドを踏み潰してしまえばいいのに、と千花は思っているが、ユーリが無傷で欲しいというならそれだけの価値があるんだろう、となんとか凶暴な感情を押し留める。

 そして、あのアキバオタクみたいな猫耳娘め、と千花は内心でクロを罵った。

 ユーリに直々に言って交渉してこいとお願いされたからこんな僻地にやってきたものの、千花は早く安全な神国へ帰りたい気持ちでいっぱいだった。

「……思ったより面倒なことになってるみたいだね」

「え、そうなんですか?」

 そのキリルは初めて来た異国の様子に緊張している。ユーリの傍をちょろちょろ動くだけの小娘だと最初は思っていたが、この子はこの子で使える、と千花は評価を改めていた。


 ――この国における千花の生命線はキリルだ。


 傍らにいるキリルを連れてこようと思ったのはユーリから物資を引き出すためでもあったが、万が一・・・のために連れてきたのだ。

 ユーリがそうだが、あの地下の出来事もあって千花は『錬金術』にある種の信頼を抱いている。

 その錬金術を宝瓶宮よりは熟練度と知識は劣るものの、国内ではユーリの次に柔軟に使いこなせているキリルは千花のニャンタジーランドにおける切り札の一つだった。

 そして、千花はすでにキリルを活用していた。

 連れてきてすぐに大使館の地下にある密談用の部屋からのさらに地下へ、ニャンタジーランドの国外へと続く、脱出用の穴を毎晩掘らせているのだ。

 当然、探索スキル持ちに気付かれないように、ある程度の深さまで掘って。

 千花なりに生存を考えた結果である。

 君主のインターフェースは一見万能だが、こういった敵対組織アマチカが国内に掘った穴までは表示してくれない。

 クロは気づかないし、気づけない。だから掘ることもできる。

「実際に会ってみたけど、神国よりの幹部がほとんどいないんだよね。ついてきた天蝎宮スコルピオが正確な情報調べてくるまではお茶会開いて賄賂ばらまいてふらふらさせてみるけどさ」

 お茶会とはいうが、ニャンタジーランドで優雅なお茶会など開いても誰も興味を持たないので、ユーリが渡してきた肉で行うバーベキューパーティーだ。賄賂も肉である。

 もちろんこんなことを飢えた国民の前でやれば殺されかねないので、同時に周辺住民に対する炊き出しもやっていた。

 千花は戦争に勝つための方法を知らない。だが、十年以上も信仰ゲージの維持に力を注いだ手腕はここで活かされていた。

 千花は知っているのだ。

 クロに降伏を了承させたところでニャンタジーランドの幹部である十二剣獣が頷かなければ意味がないことも。

「えっと神国よりの幹部、ですか」

 その反応に素直ないい娘だ、と思いながら千花はキリルの口にお茶請けのクッキーを押し込んだ。

 ユーリであれば絶対にここであれこれと言ってくる。

 だがユーリと違って黙って素直にクッキーを食べるキリルの姿は小動物みたいで可愛らしいと千花は笑う。

「十二剣獣っていう奴らがいるのは知ってるでしょ?」

「は、はい。友好国の方々を奴らっていうのはどうかと思いますけど」

 奴らだよ奴ら、とキリルに説明しながら千花はクロの愚かさを笑う。

 十二剣獣。レベルはそこそこで小さな国では貴重な人材なんだろうが、ここまで反感を抱かれているなら一斉に処分してしまえばいいのにそれをしないのがクロの愚かさだ。

 合議制を選んだ千花と違ってクロはきちんと自分が首長である制度を選んでいる。

 だから、ある程度の強権があるなら見せしめに解任してしまえばいい。そのあと不死属性を外して殺してしまえばいいのだ。

 不死の部下は肉の盾として便利だ。だが反感を抱かれ、敵に回られるとその特性が邪魔になる。

 それが嫌なら千花のように幹部の忠誠だけは何があっても維持しなければならなかったのに。それをクロは怠った。

 死んでも自業自得だ、という冷たい感情が千花の中にはある。

 それは千花が命の危機に怯える中で染み付いた冷たい感情だ。

 もちろんその中に、ぬるい国に配置されたくせに、という嫉妬があることも自覚している。

「クロちゃんの説得もするけどね。とにかくこいつらと仲良くなりましょうっていうのがユーリくんにお願いされた私のお仕事ね。それでキリルちゃんは何をしたい?」

「何をしたいって、えっと、穴掘りとかじゃなくて?」

「それもしてもらうけどさ。せっかく外国に来たんだし。ショッピングする? 綺麗な貝とか売ってるよ。こっちだと」

 ふと周囲の女官たちに目を向ける千花。

 神国の質素なローブ姿だ。金属製のアクセサリーをつけてそれなりの格式を見せているが、これは駄目・・だな、と瞬時に判断する。

「貴女たちもついてきてよ。買ってあげるから。貝殻アクセサリー」

 ついでに獣人が喜ぶ肉だけじゃ足りない・・・・からニャンタジーランド特産の魚だの貝だのも用意しておくか、と千花は冷たい計算を働かせた。

 これは千花の女としての感覚だ。

 ニャンタジーランド幹部を呼ぶなら相手も褒めておかないとイラつくだろうな、という無意識の計算を働かせたのである。


 ――初めての異国でも千花の保身は完璧だった。


 神国大使館周辺住民の悪感情を炊き出しで治めることで暴動などで襲われる危険性を下げ、自分の周囲はニャンタジーランドの特産物で固めてニャンタジーランドへの幹部への感情悪化が起きないように注意する。

 そしてお茶会もこの一回だけじゃない。十二剣獣以外の有力者を毎日呼びつけ、お茶会と称する神国の豊かさを見せつけ続ける。

 神国大使館の要塞化も地味に進めつつ、脱出路の確保を真っ先にする。

「あ、ユーリくんにまたお肉送ってもらうように言っといてね。キリルちゃん」

「は、はい!!」

 成功させれば、あのユーリがなんでもしてくれるのだ。

 千花も本気になっていた。


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