131 二ヶ国防衛戦 その2
――くじら王国が攻めてくる報告が届くより一週間前のこと。
「う、嘘でしょ……くじら王国が攻めてくる?」
「神国が王国に潜ませた諜報からの報告……ってほどじゃないけど。食料を集めて、兵を集めて、ニャンタジーランド側に移動させてるからそうらしいよ。よく知らないけど」
ニャンタジーランド、君主であるクロの執務室で
クロ自慢の猫耳はぺたりと力を失っている。
「処女宮、言葉が足りないよ。それだけじゃただの軍事演習にも聞こえる」
――執務室には、クロと処女宮の他、
他国の君主の前でそんな子供みたいな仕草をする処女宮を巨蟹宮は気に入らなかったが、クロが許してるのだからと注意するのを止める。
この気安さこそが、情報を信用させるために重要なものだと理解しているからだ。
「あ、ぐ、軍事演習ってことは……攻めてくるっていうのは早とちり?」
ただ巨蟹宮の口出しにほっとしたような顔をするクロを見て、巨蟹宮は、暗愚だな、とクロに対して感想を持った。
そして訂正を入れる。攻めてくるのは確かなことだ。
「いえ、王国内で既に布告が出ています。王国はニャンタジーランドが王国商人を捕らえたことを大義名分として侵略をするつもりのようです」
「……え? あれ? あれが駄目だったの? ヴァルちゃんの言うことを聞いたから?」
ヴァルちゃん、クロが処女宮を呼ぶときの愛称。神聖なる女神アマチカから授かる称号を略すなど全くふざけている。
涙目に加えて、後悔と絶望を顔を張り付けたクロに巨蟹宮は違います、と即座に反論しようとすれば「違うよクロちゃん」と
「なんでもよかったんだよ。殴りかかる理由なんて、それは諜報に対する抗議でも、最近のニャンタジーランドの態度でも、降伏しないからでも、武器をたくさん買い取らないから、でもさ。本当になんでもいいんだよクロちゃん。だって喧嘩を売りたくて売ったんだから、売ることが目的なんだからさ。弱っちいクロちゃんを泣かせたくて鯨波くんがごちゃごちゃ言いながら殴りかかってきただけなんだから」
他国の君主相手になんと不敬な態度か、と巨蟹宮はその処女宮の言い方に微かに眉をひそめるも、何も言わずにクロの反応を待つ。
――さて、どうなる?
クロが王国へ降伏するようなら即座に巨蟹宮は連れてきた兵でニャンタジーランド首都を制圧するつもりだった。
君主のクロ、幹部である十二剣獣は不死だが、彼女たちを殺害すれば蘇生までに
その間に蘇生装置となる『大聖堂』を破壊すればこの国を制圧することは可能だ。
ユーリには処女宮の言うことをなるべく聞けと頼まれているが、この好機を前に巨蟹宮は止まるつもりはなかった。
その後は本国より神国の軍を呼び寄せて、首都の防衛力を強化する。
侵略してくるくじら王国を撃破する必要はない。
王国の弱点は時間だ。北方諸国連合が動き出すまで戦線を膠着させれば王国の軍は帰国するしかなくなる。
あとは不戦条約なりなんなりで侵略を防げばいい。
巨蟹宮がそこまで考えを巡らせたところで、クロが
「ヴァルちゃん、ど、どうすればいいの?」
「どうって、降伏すればいいじゃん? クロちゃんはそのつもりだったんでしょ?」
「え? 降伏って?」
ぐぐっと処女宮が肩を伸ばした。そしてぷはぁ、と楽しげにクロを見た。
「いやー、疲れた。結構楽しかったけど。ああ、ええと、何の話だっけ?」
「降伏って!!」
「ああ、うん。だから、降伏したあとにクロちゃんが割りかし死なないようにしてあげたんじゃん。内通してた十二剣獣は
「え? じゃ、じゃあヴァルちゃんはどうするの?」
「帰るよ? なんで? ここにいる理由ないじゃん?」
馬鹿だろう、と巨蟹宮は処女宮の態度に思う。
ここで守ってやるから降伏しろと言えばクロは素直に頷く。
帰ってどうする? ここまで時間をかけて、慈善事業をやりに来たんじゃない。
自分たちはニャンタジーランドを奪いに来たのだ。隣国の君主を助けるなど、ただの名目だ。
だが処女宮はそんな巨蟹宮の思惑とは別に、楽しげにクロに告げている。
「帰るよ、クロちゃん。神国のみんなを連れてね。帝国が来るだろうし、戦争の準備しないと。次会う時は敵かもしれないけど、私は手加減しないからね!」
「……や、やだ……」
「んんー? なんだって?」
「やだ! やだやだやだ! み、見捨てないでよう!!」
「あっはっは、クロちゃんは可愛いなぁ」
クロの君主らしからぬ態度。巨蟹宮は、またか、とぬるくなっていく空気に口の中が乾くのを感じる。
自分が神国の国盗りの決意を固めようとしているこのときに、なぜこの二人は……こんな茶番を……。
一番危険な二代目ベーアンは、おろおろと成り行きを見ていた。幹部だが、ほとんど一般人に毛が生えた程度のこの男を、この隙に始末すべきか? 巨蟹宮は懐に入れている寄生マジックターミナルを手に取ろうか迷う。
――処女宮、何を考えている……?
本当に、ニャンタジーランドから撤退するのか?
それなら、ここでベーアンとクロを始末し……――怒鳴り声。クロのものだ。
クロは処女宮に掴みかかるように怒鳴りつけていた。
巨蟹宮としては処女宮が殺されても問題ないが、それを理由にクロに攻撃すべきかとマジックターミナルに手が伸び――止めた。
「ヴァルちゃんが教えてくれないと、わ、わかんないじゃん! こんなところで放り出さないでよ!! 途中で帰らないでよ!!」
「あっはっはっはっは。かわいい。かわいい」
「か、かわいいじゃなくて! 笑わないでよ! げ、鯨波くんが私を、こ、殺したらどうするの!?」
「
「そうじゃなくてぇ……」
処女宮の手が、涙を流し処女宮の足元にすがりつくクロの頭を撫でるように触れる。猫耳をくにくにと触れ、その顔に触れた。
顎を持ち上げ、唇に指を触れさせる。
「クロちゃんはさぁ、肝心なこと、私に言ってないんだよねぇ」
「こ、降伏のこと? し、神国に?」
「じゃなくってさぁ。もっと言ってほしいことがあるんだけど」
「言ってほしいって……何を?」
唇をつまみ、撫でながら、処女宮は安心させるように、クロに向かって微笑んでみせた。
「
「……た、たす……」
「うん? なぁに?」
慈母のようにも、悪魔のようにも見える処女宮の笑み。
冷静に考えれば、それが王国と敵対する答えだとわかるだろう。
だが、クロは言った。
「……た、助けてぇ……助けてよぉ……
(ちかちゃん? なんだ? 誰の名前だ?)
訝しがる巨蟹宮の前で、よし、と処女宮は満足げに頷くとクロの頭に手を置いた。
「この優しい私が、クロちゃんを助けてあげようじゃないか」
感極まって抱きついてくるクロを優しく抱き返す処女宮を見て、巨蟹宮は一瞬、
◇◆◇◆◇
「なんで降伏させなかった? あそこまで追い込めているなら、クロ様は処女宮に屈服しただろう?」
ニャンタジーランド首都にある神国アマチカの大使館にて、巨蟹宮は先程の処女宮のやり方を問いただしていた。
「え、なんでって言われてもな……ユーリくんからは私のやり方でやれって言われたし、
「それに? それに、なに?」
「昨日、私がクロちゃんをいつでも降伏させられるよ、って言ったら、ユーリくんがニャンタジーランドを降伏させるタイミングは王国を撃退してからが一番いいって」
「タイミング?」
「なんか――」
「いや、待て。考える……――なるほど、なるほど……!!」
頷く巨蟹宮の前に紅茶が置かれた、侍女として控えていたキリルだ。
静かに壁際に戻っていくキリルを気にせず巨蟹宮は処女宮に自分の推察を披露した。
「くじら王国としては神国がニャンタジーランドを獲ったなら是が非でもニャンタジーランドを取らなければいけなくなる。放置し、神国がニャンタジーランドに神国と同じようなコンクリート城壁を作り出せば攻略できなくなるからだ。ゆえに王国は早期に倒すべく、弱小国であるニャンタジーランドではなく、二国の領土を持つ神国を相手にすることを前提に兵を繰り出してくる。神国を屈服させる……なら確実に勝てるようにそうだな、二万は出兵させてくるだろうね……それに、ニャンタジーランドが敵に回るならともなく、こちらにつくなら、こちらとしても今降伏させるメリットがない。ニャンタジーランドは情勢が不安定だ。国民の忠誠も怪しい。このタイミングの降伏は反乱が怖いし、不用意に取り込めば王国との戦いのときに背後から刺される危険性がある。先に王国を叩き、我らの強さを見せつける必要があるというわけか」
「いや、話長いよ」
処女宮の突っ込みに、巨蟹宮はくつくつと笑って「よくやったよ処女宮」と言うだけだ。
「なんにせよ、王国を撃退すれば我々はこの土地を手に入れられる。君の功績だよ。これは」
「……ありがと……あんまり嬉しくないけどね」
「なぜ? 一国を落としたんだぞ? 女神アマチカも君を称賛なさるだろうさ」
「……じゃなくてさ、結局クロちゃんが詰んだ奴を私が引き受けるっていうか……」
「なんだい? よく聞こえなかったが」
「なんでもない! で、どうするの? 勝てるの?」
処女宮の質問に巨蟹宮は「ニャンタジーランドが受け入れるなら問題ないよ」と返した。
「戦争に使える全軍で叩く。
「全軍って、え? じゃあ、ユーリくんの方は? 帝国が動き出してるんでしょ? 何もしなくていいの?」
「問題ないよ。ユーリが対処するからね」
それに処女宮は「ユーリくんが言うならいいか」と詳細は聞かず。
部屋の隅で、小さくキリルが心配そうに「……ユーリ、大丈夫かな……」と呟くのだった。
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