217 ユーリ派 芸術家ケリケリュウス


 朝、目が覚めるといつも思う。

 この生活が夢ではないか、と。


 ――暖かな朝の光が、ベッドに差し込んでいた。


 光の刺激で目が醒める。そうして彼はいつも安心する。

(ああ、よかった……今日もきちんと・・・・起きられた)

 天井の色、布団の暖かさ、そして隣にある温もり。

 あの何もなかった農業ビルの暮らしではないことに『芸術家』ケリケリュウスは安心するのだ。

「んん……ケリケリュウスどうしたの?」

「いや、なんでもないよカーラ」

 隣に寝ていた最愛の妻カーラが目覚め、ケリケリュウスを見つめてくる。

 妻はケリケリュウスの返答に安心して、微笑んでくれる。

「そう? よかった。あなた、いつもうなされてるから……」

「ははは、まぁ気にしないでくれ。深刻なことではないから」

「疲れてるの? お仕事休む?」

 神国では日曜日以外に仕事を休むことは許されていないが、怪我や病気などの理由があれば休めるようになっていた。

 これは使徒ユーリが神国に法として認めさせた制度だ(当たり前だが健康な方が労働効率が良い)。

「いや、いいんだ……大丈夫」

 そう? と妻カーラは言う。ケリケリュウスは妻の頬を撫で、微笑んだ。

「大丈夫。この国のために働きたいんだ」

 ケリケリュウスが農業ビルにいた頃は、女神アマチカがあの境遇から救ってくれると信じて働き続けていた。

 だが女神アマチカはケリケリュウスを救いはしなかった。救ってくれたのはあの小さな使徒だった。

 境遇は変わった。信仰のために働くのではなく、働けば豊かになれると実感しているからこそ、ケリケリュウスはこうして働きたいと思っている。

 ケリケリュウスは部屋を見回した。

 廃ビルを改装した職人向けのアパートの一室だ。

 部屋数は多くなく、家具も備え付けのものばかり。

 だがベッドはあるし、布団もある。水道から自由に水を飲めるし、電気が通っているから常に明るい。


 ――それに、腹いっぱいに食べ物が食べられる。


 立ち上がった妻が洗面所に向かっていく。顔を洗うのだろう。ケリケリュウスはそれを見送りながら窓の外を見た。

 人々が起き出し、朝の支度をしている。喧騒が耳に届く。あの農業ビルにはなかった音だ。人々の陰鬱な声に悩まされることはもうない。

 パンが焼ける匂いがする。外では移動式の朝食販売の屋台が出ていた。

 都市に流通する小麦の量は国家で管理されているから家でパンを焼くことはできない。

 だが外に出れば毎月支給されるアマチカで自由に買い物ができる。使徒ユーリがケリケリュウスに与えてくれたものだ。

「ああ……幸福だ……」

 あの農業ビルのときを思い出す。粗末な衣服を着て、肉一つ浮いていない塩のスープに焼き固められたパンを浸してなんとか柔らかくして食べていた毎日。

 自分のスキルをあのときは何度も呪っていた。SRスキル『芸術家』。SRとは名ばかりの、外れスキルだった。

 だが今はその『芸術家』スキルのおかげで、あの農業ビルから這い出ることができていた。価値ある人材としてケリケリュウスは扱って貰えていた。

 いや、そうじゃない、とケリケリュウスは思い直す。農業系スキル持ち以外の神国人全員があの農業ビルから出られている。国のためにスキルを活かせている。

「ケリケリュウス。表で朝食を買ってくるけど、何がいい?」

「ああ、今日は魚が食べたいな……」

「わかった。買ってくるわね」

 魚はニャンタジーランド教区に早朝に荷揚げされた魚だ。

 それがマジカルステッキを内蔵した冷蔵車に入れられ、整備された道を高速移動に特化したワニ車や陸海老車で輸送することで神国で魚が常に食べられるようになっている。

 多少割高になるが、魚という生き物を見たことがなかったケリケリュウスも魚というものが食べられるようになった。珍しいものを知ることができた。


 ――魚……不思議な味だ。だが使徒ユーリが治める土地の味だと思うと感慨深い。


 行ってくるわ、とスマホを片手に部屋を出た妻を見送りながらケリケリュウスは幸福な人生を想う。 

(こんな私でも結婚ができた……ユーリ様)

 元山賊だったが有用なスキルを持っていたがために神国首都で働くことを許された妻。美しいがために高嶺の花だった彼女がどうして自分のような冴えない男と結婚してくれたのかはわからないが、愛すべき妻とこうして今は幸福に暮らせている。

 良い生活。良い生活だ。だが――どうしても許せないことがある。


 ――なぜ、自分を救ってくれたユーリが教皇になれないのだろうか。


 教皇になるのは天秤宮だ。ケリケリュウスに何ももたらしてくれなかった人だ。

 女神よ、とケリケリュウスは祈りを捧げた。

 天におわす女神アマチカよ、貴女はなぜ使徒ユーリを教皇にしてくださらないのか。

(あの方が……我々を救ってくださったのに)

 芸術家という使えないとされていたスキルの価値を広めてくれたのがユーリなのだ。

 自分を初めて認めてくれたのがユーリなのだ。

 だというのに……なぜ、ユーリがこの国を治めないのか。

 ユーリに治めさせれば、きっとこの国はもっとよくなるというのに。

「……いや、私が認めさせる……」

 ケリケリュウスは妻に言われた言葉を思い出す。ユーリが教皇になれないことを嘆くケリケリュウスに妻が教えてくれた良い方法だ。

 それを思うと身体が緊張に震える。だが、やらなければという使命感が心を突き動かすのだ。


 ――アパートの扉が叩かれる。


 時間だった。素早くノック三回、ノック二回。交互に鳴らされるそれに、ケリケリュウスは体を緊張させながらも扉に向かう。

 扉を開ければそこに人はいない。ただ足元に小包が置かれている。ケリケリュウスは素早くそれを拾い上げ、室内に戻った。


 ――心臓が激しく鼓動する。


 動悸する身体を鎮めるように深呼吸をし、テーブルに上にケリケリュウスは小包を置いた。

「ケリケリュウス? どうしたの?」

 いつのまにか妻が戻ってきていた。驚いたように自分を見ている。

「――ッ!? あ、ああ、カーラか」

 妻の手からテーブルの上に魚のフライとパンが置かれる。少し冷めているが揚げたてのものだ。だがケリケリュウスはそれを嗅いでも腹がならない自分をいることに気づく。緊張によってだ。

「……なにこれ?」

 妻の声がひどく冷たく聞こえ、ケリケリュウスは「作戦に使う武器・・だよ」と周囲を警戒しながら言う。

「……武器?」

「軍で使ってるマジックターミナル。知ってるだろう? ユーリ様が開発した、自動で魔法を放ってくれる武器だよ」

「どうやってそんなものを」

 緊張した妻の声に、ケリケリュウスは武器と聞いて怯えているのだろうと思いながらも「賛同してくれた軍のユーリ派が横流ししてくれたんだ」と説明する。

 小包には符号で十本だけ手に入れられた、とだけ書かれていた。うまく使ってくれとも。

「……これで君が言っていた作戦をなんとかできそうだ。十二天座にユーリ様の教皇就任を、我々が望んでいることを伝える……! ユーリ様も当日には来る! きっと我々を誇らしく思ってくれるはずだ」

 妻に向かってケリケリュウスは力強く言う。教皇就任祭の当日、小神殿を占拠し、十二天座に自分たちユーリ派がどれだけ本気が訴えるのだ。

「ええ、そうね。ケリケリュウス。貴方がこれだけ尽くすのだもの。ユーリ様もきっと貴方を誇らしく思ってくれるわ」

 ユーリを教皇にする。絶対にだ。あの人に自分たちが恩返しする機会がやってきたのだ。


 妻の声が心地よかった。



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