069 東京都地下下水ダンジョン その13


「ユーリ、お主に拙僧がついていくのはお主を国の宝と思ったからだ。ふふふ、拙僧が傍にいればこそお主も生き残れよう」

 はぁ、と気の抜けた返事をしそうになって私は急いで「猊下の御厚意、感謝の念に堪えません」と返答する。

 ふむん、と満足そうに頷く眼の前の尊きお方。

「で、これは何をしておるのだ?」

 ほう、と眼鏡で禿頭で肉厚なでっぷりとした身体を持つ中年男性であるところの磨羯宮カプリコーン様は巨体を揺らして鉄橋の上から下を見た。

「明日の偵察作戦の準備です」

 私は地図を取り出して磨羯宮様に説明する。相手は枢機卿猊下なので、行きたいと仰ったならそれを押し止めることは難しい。


 ――むしろチャンスではあるのだ。


 かつて私と同じ農場出身者である子供が授かったものと同じSSRスキル『賢者』を持つ磨羯宮様は純粋に強い。

 死んでも復活できる人間が最高峰のスキルを持ち、何年もレベルと熟練度を上げ続けてきたのだ。

 それこそ本来ならば頭を地に擦りつけてでも協力を頼むべき人材。

 頭だって悪くないし、察しも良い。それは巨蟹宮キャンサー様たちとのやり取りで察することができた。

「明日はこの地点から強力な敵勢力が支配するこのダンジョンの二階層へと侵入します」

「うむ、それはわかっておる。だが階段を使わずここからなのか?」

 素材でも取りに来たことがあるのか、ダンジョンの基本構造ぐらいは理解しているらしい磨羯宮様の問いかけに私ははい、と即答する。


 ――地下下水ダンジョンの鉄橋の上に私たちはいた。


 ドルドルと音を立てて振動する機械が鉄橋の上には置かれている。

 ポンプだ。

 本来・・、ここの鉄橋の下には水が流れている。轟々と、人間一人放り込めばどうやっても泳ぐことのできない激流がだ。

 加えてその激流の中には高確率で人食いワニホワイトアリゲーターやスライムが潜んでいる。

 だから水の中で活動はできなかった。

 だが今回、その水路の一部を私たちは鉄の板でせき止め、浄水施設を作るついでに多めに作ったポンプで水を抜いた。

 今、この鉄橋の下では水を抜いたことで隠されていた水路が顕になっていた。

 結構壮観で珍しいものを見れた気分だ。

 コンクリートでできた水路の底は泥や水草に覆われ、小さな貝や蟹のような生物が見える。

 泥の中には宝箱のようなものが埋まっているのも見えたが、あれはあとで兵に回収させればいいだろう。

 私は磨羯宮様に説明を続ける。

「何度か巨蟹宮様たちが二階層に偵察にいって、敵の反撃の密度から敵拠点の当たり・・・をつけました」

 二階層のわかっている部分だけで作った地図を一階層に重ね、敵の反撃の密度で円を作る。その中心点を私は指で叩いた。

「私たちが見当をつけた敵の拠点の頭上がここです。明日の本作戦では、ここを私が錬金術で掘り抜いて、正確な場所を実際に確認します」

 もちろんここではない恐れもあった。

 そのときは下に降りて正確な場所を探索することになる。


 ――陽動部隊が敵を釣り出すとはいえ、敵は皆無ではない。命の危険はある。


 地図を持つ手が震えていた。心を落ち着けるために深呼吸する。

「ユーリ、怖いのかね?」

「それはもう、この有様です」

 前世で知っている。こういったどうにもならない感情を隠せばろくなことにならない。

 私は磨羯宮様に向けて、手の震えを見せた。

 ぶるぶると恐怖に震える手。私の死か、兵の死か。それともどちらもか。

「ふむ、確かに震えている」

 そんな私の手を磨羯宮様がぐっと握ってくる。

 ぐにぐにと手をほぐされる。大人の、頼りになる大きな手だった。

 それでもキリルほどの安心感はないのか私の手の震えは収まらない。

 困った顔をした磨羯宮様は枢機卿服に包まれた豊満な腹をぽん、と手で叩いてみせた。

「なぁに、安心したまえ。そのための拙僧なのだ。我が国の宝たる君を拙僧が守ってみせようじゃないか」

「はい。よろしくお願いします」

 それは本当に、よろしくお願いしたい。

「水が抜けましたね」

 話をしている間にポンプが仕事を終えたのか。兵が一度下に降りてから私に向かって「終わりました」と報告する。

 さて、と私は水路に降りていく。磨羯宮様には泥で汚れるからとその場にいて貰うようにお願いしてからだが。

「ユーリ! ついでだが水路の泥や生物を採取してくれるかね? 素材として興味がある」

「はい、磨羯宮様」

 鉄橋の上から声をかけてくる磨羯宮様に返事をし、私は周囲の兵に泥や水草などを採取させていく。

 小さな蟹の他に、小魚なども中にはいた。

 汚染された水の中で生息していた生き物だ。食料としては使えないだろうが毒物としては使えるかもしれない。

 もしくはきれいな水で養殖すれば食べられるようになるのか。

 神国では魚を食材として見かけることは少ない。だからなんとかして――違う違う。仕事があるのだ。これから。

「さて、やるか」

 一通り宝箱などの採取も終わり、私は兵を下げさせてから泥に手を当てた。

「『還元』」

 言わなくてもいいが、言った方が周囲にわかりやすい。

 今回は他に錬金術が使える兵も連れてきているが彼らには還元作業は手伝わせない。

 慎重な作業になる。少しでも消失する箇所を間違えれば大変なことになるからだ。

(よし、こんなものか)

 私の中のスキルを使うためのエネルギーが幾分か消失し、泥とその下にあるコンクリートがその分だけ失われる。

「ええと……次はこっちか」

 地図を確認し、方位磁石で方向を確認し、還元と宣言しながら私は地面を階段状に掘り進めていく。

 私が消した地面の上を兵たちが慣らし、予め作っておいた煉瓦レンガを敷き詰める。

 ちなみにこの煉瓦は拠点を拡張するときに出た土から作られたものだった。

「『還元』」

 地面が消失する。兵がそこに煉瓦を敷く。これを繰り返す。

 地面に手を当て――。

「これは――」

「うわッ――し、失礼しました磨羯宮様!!」

 いつの間にか隣に立っていた磨羯宮様に私は頭を下げて詫びた。思わず、うわッ、とか失礼なことを言ってしまった。相手が相手なら私の命はないも同じだ。

 びくびく震えていれば、磨羯宮様は気にした様子もなく、私が作っている地下への通路を見ながら問いかけてくる。

「ユーリ、作業をしながらで構わん。ああ、兵の諸君も作業を続けたまえよ」

 同じく驚いていた兵たちは磨羯宮様の言葉でおずおずと動き出す。煉瓦を持ってくると地面に敷き、コンクリートに似た『聖道』の素材を隙間に流し込んでいく。

 私も緊張しながらだが、地図を見ながら地面を消失させていく。一応、こことは関係ない場所を一度試し掘りして二階層の深度は確かめているが、そこそこに気の長い作業だった。

 それを知ってか知らずか磨羯宮様が気にした風もなく問いかけてくる。

「これは疑問なのだが、開通させた先に敵の拠点があった場合だ」

 はい、と私は頷く。磨羯宮様は錬金術を使える兵が物質固定で壁を固めるのを見てから壁をこんこんと叩いた。

「ここに上でせき止めている水を流し込むことはできないのかね? さすれば一網打尽にできると思うのだが」

 それは、私たちも一度は考えたことだった。

 せき止めた水を今は別の水路に流してしまっているが、この通路ができたなら、その水をこの通路に流して、敵の拠点の水没させる方法が使えるようになる。

 いわゆる水攻めという奴だ。

 敵は全滅。私たちは戦わずして勝つことになる。


 ――とはいかないだろう。


「それは考えました。真っ先に」

 私が安全にワニを倒し、スライムを隷属化させた方法を聞いたときに巨蟹宮様や獅子宮様はそれを別に応用できないか考えた。

 二階層の攻略にそういった手法を使えないか考えたのだ。

「ですが問題点が二つありました」

「二つ? 二つもあるのか」

「はい、まず一点は、敵を倒した確認ができなくなることです」

 水攻めをして奴らが素直に死んでくれるならいい。だが逃げられたらどうする?

 今回の敵は賢い。防衛に専念しない可能性があるのだ。

 そもそもモンスター相手の水攻めの場合、敵が死んだかも、敵が逃げたかもわからなくなるのだ。

 一体、二体が逃げるならいい。単体での奴らはそう驚異ではない。

 だが集団を逃してしまって、それこそ三階層に逃げられたらどうするのだ、という議論があったのだ。

 私の説明にううむ、と磨羯宮様が唸った。

「水攻めにはそういったデメリットがあります。もちろん私たちが確認していないだけで他に敵の集団がある恐れはありますが、神国の安全を考えるならば、確認できている分だけでも確実に倒しておかないといけません」

「それだけなら流してしまってもいいだろうに」

 とりあえず危機は去るだろう、と納得しかねたような顔をする磨羯宮様。

「はい。そういう意見もありました。ですがもう一点、我々が水攻めを諦めたのは、どちらかというとこちらの問題の方が大きいです」

 ほう、という顔をした磨羯宮様は、続けてくれと私を促した。

「スライムを覚えていますか? 進化の際に、環境に応じて耐性をつけるという話を」

「うむ、覚えているぞ。あれは素晴らしいものだった」

「ありがとうございます。それです。環境に応じて耐性をつける。それが水攻めで起こった場合です」

「どういうことだ?」

「まず、ゾンビたちは生存に酸素を必要としないので、水中でも活動できることは確かです」

「酸素? ああ、いい。進めてくれ」

 私を含めた多くの兵が、自衛隊員ゾンビが水中で溺れずにワニと戦っている姿を見たことがあるのだ。泳いでいるという風情ではなかったが。

 重要なのは、ゾンビは溺れ死なない、ということだ。

 だがここならば水で殺すことができる。この激流を流せば、水流で身体が引き裂かれたり、中に混じった硬いもので身体を粉々にして殺すことができるだろう。

 だから実際に水攻めをすると仮定したなら、私たちは細かく引き裂いた鉄を大量に流すことになる。

 それはそれとして問題は進化だが。

「現在のゾンビは泳げませんが、水攻めの際に奴らが同士討ちでレベルアップをし、進化された場合、水中に適応した個体が生まれます。ついでに言えば進化した個体から生まれた個体は高確率でスキルを遺伝します」

 今回は敵に指揮官がいて、レベリングを理解していたのでそういうことも在り得る、と私は説明に付け加える。

(相手指揮官の正確な知能ステータスは、おそらく処女宮様より上だろうな)

「ふむ? だからどういうことだねそれは」

 全部可能性の話だ。そうならない可能性もある。

 だが、我々はモンスターのことを知らなすぎた。

「その場合、水攻めをしたルートから、奴らが逆に攻め上がってくる恐れがあります。一度水を流せば穴を塞ぐことは難しく。そのまま一階層の水路を強力な自衛隊員ゾンビが自由に泳ぎ回ることになります」

「なるほど。水中から自衛隊員ゾンビが攻撃してくれば、やられるのはこちら。ゆえに一階層が占拠されるか」

 もちろん我々にはスライムがあるが、奴らの生産拠点が下にあると判明した以上、スライムで駆逐しきるのは難しい。

「はい。ついでに言えば、下が水で埋まれば奴らの生産拠点が仮に水に耐えきった場合、我々は奴らの拠点に手を出せなくなります」

 下はパイプで、上下左右に曲がりくねっている。最悪、水が引かずに水没したままになる。

 その場合、敵拠点は水に沈んだまま水中に適応したゾンビが生産され続けることになるのだ。

「だから正攻法か」

「はい。確実に潰さなければなりません」

「わかった。なるほどな。なるほど」

 ぶつぶつと呟きながら磨羯宮様は鉄橋へと戻っていく。

(急ごう。牢に戻る時間が近づいている)

 私は地面に手をつけると二階層近くまで掘り進めるために、錬金術を使うのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る