五章『頑張る九歳の単身赴任』

162 九歳 その1


「ユーリ様、主要街道の除雪完了しました!!」

 ニャンタジーランド教区『ニャンタリゾート』の私の執務室にて、もこもことした毛皮の兵士服に身を包んだ犬耳の獣人、十二剣獣の一人、『ドッグワン』が私に報告書を渡してきた。

「ありがとうございます。それでは……――」

 期待したような目で見られている。私よりずっと年上の男性兵士に向かって私は「よくできました」と言えば彼は嬉しそうに「はい」と返してくる。

 犬系獣人は素直だ。仕事をしたら褒める必要があるが、言葉でいいので助かっている。

「……――それでは孤立していた地帯への食料輸送をお願いします。すでに陸海老アースシュリンプ車の準備は終わっているので、道を逸れないように注意してくださいね」

「はい! ユーリ様!!」

 私の命令に嬉しげに駆けていくドッグワンを見送りながら私は窓の外を見た。

 私がニャンタジーランドに赴任して、数ヶ月が経過している。

 もう二月だ。太陽は雲によって隠れ、白い雪がちらついている。

 ニャンタジーランドは雪に包まれていた。

「軍の行動も止まるのはありがたいが……」

 季節と天候は、外部との接触がほとんどない神国アマチカでは気にならなかったことだ。

 しかし隣に好戦的な国であるくじら王国の存在する、神国アマチカの支配領域であるニャンタジーランド教区は違う。

 また他国だけではなく、自国にも影響がある。

 食料の大部分を本国である神国アマチカに頼っている以上、ニャンタジーランドにおいて主要な街道の維持は重要だった。

 放置しておいても勝手に自給自足できる神国の農業ビルなどと違うのだ。

 ニャンタジーランドでは各地の村が雪によって街道を封鎖されると冬の間に住民が餓死しかねないので、道が使えるように常に除雪しておく必要があった。

(千葉って豪雪地帯だったっけ……?)

 前世であまり都内から出なかった私には他県の天気の記憶は少ない。

 まぁ太平洋に接しているから海風は強かっただろうが……千葉の記憶はテーマパークと会社の強制慰安旅行で行った潮干狩りぐらいのものだった。

「さぁ、仕事はまだまだあるぞと」

「そうですよ。仕事はあります」

 私の独り言に反応して女性の声が返ってくる。書記代わりに使っている十二剣獣の一人、梟の鳥人である『バーディ』だ。

 鳥人……動物耳を生やし、頑丈な爪や牙を持つ獣人と違い、腕の大部分が翼に変化しているために空が飛べる種族である。

 知能やSPの最大値が高いものの、HPが極端に低く、割と簡単に死んでしまうので注意が必要な種族でもあった。

 私がこちらに来た当初は上空からの地形偵察や郵便などを頼んでいたが、この豪雪の中で空を飛ばすと死にかねないので冬の間はその高い知能値を生かして事務などをやらせている。

 もちろん獣人だけでなく、部下には神国から連れてきた人間部隊もいるが、彼らは部下につけた獣人たちの把握で私の仕事を手伝う余裕はまだない。

「ユーリ様、こちらが各地の神殿からの布教に関する資料で、こちらが新しく建てる移民村に関しての資料です。どちらも予算に関して承認を欲しがっていますのでよろしくおねがいします」

「はい。わかりました」

「……その、ユーリ様、もっとこう、目下にするようにやっていただけませんか?」

 居心地の悪そうな顔をしたバーディに対し、私は肩をすくめてみせた。

「我慢してください。皆さんの方が年上なんですから」

 はぁ、と頼りない言葉を返される。

 私はすでに概要だけは掴んでいるので、資料の数字が間違っていないことと、要点を確認してから書類に使徒印を押した。

「バーディ、移民の様子はどうですか?」

 移民というか、スライムとの交換で近畿連合や北方諸国連合と交換した種族人間だが……食料に不安のあるニャンタジーランドに移民を受け入れるのはいくらか問題があったが、現状、防諜体制の整っている神国アマチカに、明確に他国の人間だとわかっている人間を大量に送りこむわけにもいかない。

 整っている防諜体制を大量の移民で崩して情報が漏れるようになったらまずいのだ。ゆえにこちらでどんどん人を受け入れている。

 まぁ旧東京自体、利用可能な土地は少ないし、ニャンタジーランドも人口の少ない地域だったからこれが正しい形ではあるのだが、やはり流入量が予想以上の多く、少し不安も大きかった。

「ええと、まだ特に問題は起きていないですね。ユーリ様が直々に住居を作ってありますし、ダンジョンの開拓で衣服の材料の皮も手に入ってますし、女神アマチカへの改宗も順調です。ただ、港の方から移民と交換するスライムが不足し始めていると報告が入っていますね。本国からはスライムの生産が間に合っていないとの報告も入っています」

 それは、仕方がない。

 最近貿易を始めた北方諸国連合と、数ヶ月前から貿易の始まった近畿連合のスライム要求量は異常だった。

 最初はそれぞれの国の資源などと交換していたが、そのうちに資源ではなく人間を彼らは差し出すようになった。

 人対スライムの交換レートはレベル10前後のRスキルの人間五人と、レベル40のスライム一体での交換だ。

 船に満載された人間とスライムを交換するのは少しだけ心が痛む。

 とはいえ、近畿連合も北方諸国連合のどちらも、私たちに払えるものが人間しかない状態なのだが……。

 そして、スライムの生産を絞るわけにはいかなかった。


 ――私は結局、ミカドに敗北した。


 アザミのリークがあっても、あのタイミングでは何もできなかったのだ。

 情報が入ったので警告をしようと考えたものの、どうやってその情報を信用させるか悩み、できなかった。

(入手先がアザミでは、誰も信用しないだろう……)

 結果、近畿連合は岐阜の『アマゾン』から攻撃を受け、大打撃を受けたと聞いている。

 滋賀を治めるブショー様の湖城国は国土の多くを侵されているとも。

 ゆえにここで私自身が援軍の手を緩めるわけにはいかなかった。

「そうですか……それで、殺人蟹の養殖はどうなっていますか?」

 スライムの対策も取られ始めたと情報が入っていた。

 まだレベル差でなんとかなっているものの、近畿連合は新しい戦力を欲しがっている。

「殺人蟹の養殖は……あの、本当に大丈夫なんですか?」

「スライムと対して変わりありませんよ。隷属させ、スキルを厳選し、成長させ、輸出する商品・・です」

「ニャンタジーランドでは、このモンスターに年に何百人も、いえ、何千人も殺されることがあります」

「知っていますが、このモンスターが一番効率が良いので」

 国民感情を無視して強行すると忠誠値が下がるのだが、結局殺人蟹を選ぶしかないのだ。

 理由は、殺人蟹の生育スパンがとにかく短いからだ。

 生育スパンが短いということは、生まれて増えるまでが早いということ。つまりスキル厳選が手早く終わるということだ。

 そう、この殺人蟹と呼ばれるモンスターは現実に存在した蟹と違い、一ヶ月に二、三回ぐらいの間隔でバンバン卵を生んでしまう。

 そのため、漁村地域では要警戒モンスターとされるぐらいに危険なモンスターだった(私がニャンタジーランドに赴任した直後は実際に殺人蟹に占拠されている地域もあった)。

 とはいえいくら増えるといっても、条件を整えれば最大で倍々で増えるスライムよりは増えないが、私はこの殺人蟹を他国への輸出商品に考えていた。

「バーディ、貴女の故郷が殺人蟹の群れに襲われて壊滅したことは知っていますが、大局的な視点で見てください」

 私は壁に張り付けた日本地図を示す。本国からの食料輸送の日程や、今月来るだろう貿易船の到着予定日が書き込まれている地図だ。

「……ブショー様の湖城国は近いうちに落ちるでしょう……」

 冬の要塞戦は辛いのか、北方諸国連合が構築した要塞群の攻略を途中で停止したくじら王国と違い、冬の間でもミカドは攻撃を続けている(アマゾンは力尽きたのか休戦中だ)。

 我が国もスライムだけでなく武器などを送ることで援軍を続けていたが、ここまで押し込められていると戦線を保つのは難しかった(人間と違って、レベルが高くてもそう多くのことはできないのだスライムは)。

(何もできなかったか……)

 近畿連合に対して警告ができなかった私ができたのは、スライムの生産量を上げることと取引量を増やすことだけだった。

 わかっていてもどうしようもないことは多い。

 私が有能であればきっと、事前に神門幕府とアマゾンの動きを掴んで、その情報を近畿連合に流しても信用して貰えるだけの根拠となる物的証拠を手に入れられただろう。

 いや、あちらに乗り込んで防衛指揮をとっていたかもしれない。

(……考えても仕方ないんだが……)

 神国に諜報の手は足りなかったからアマゾンの動きなど掴めるわけがないし、私が近畿連合に乗り込んだところで兵の指揮権は得られなかっただろう。


 ――意味のない妄想だ。


 だが、もしもの可能性ばかりがちらつく……だが、結局はできることしかできないのが人間だ。

 なのでできることをやろう。

「事前に決めていた戦略は、近畿連合に時間を稼いでもらうことでしたが……神門幕府単体だけならともかく、他の国の攻撃があるとなれば破綻は近いでしょう。なのでなるべく神門幕府に人を取られないように、近畿連合の人材を吸収したい、と私は考えています」

 近畿連合は、今は奴隷や困窮した市民のような必要性の低い人間を取引として使っているが、おそらく半年もしないうちに国家運営に使うような人材を取引に出してくるはずだ。

 それは近畿連合だけではなく、北方諸国連合も同じはずで――彼らが追い詰められるほどに、替えの利かないものが吐き出されていくのだろう。

 日本列島を激しい戦乱が覆い尽くしている気配を私は感じている。

 アリスのお茶会に新規メンバーは入っていないが、私の耳に入っていないだけで、すでに滅んでいる国もあるのだろうか?

 日本地図を前にして、私は苦悩してしまう。

「どうにも、ここからできることは少ないですね」

「ユーリ様は十分やっていると思いますが……」

 年上の女性であるバーディが気を使うように言ってくるが、私の感覚としては部下に気を使わせてしまった、というものが先立つ。

 彼女を不安にさせてもしょうがない。

「お茶でも淹れましょうか。少し気分を変えた方がよさそうだ」

「私が淹れます。ユーリ様は座っていてください」

 バーディに言われて私は執務用の椅子に深く座った。

 窓の外には雪がちらついている。

(神殿は作った。聖書の配布、学舎の建造も終わっている。春になったら移民たちに畑を作らせ、麦を育てさせる。農具を冬の間に揃えて……木材、鉄、ダンジョン……考えることが多い。この教区はとにかく成長途中だ。何をやっても成長するが順番を間違えないようにしなくては……)

 そして可能なら……あそこをりたいな。

 北方諸国連合と王国の戦いが春に始まる。冬の間に動いておきたい。

 日本地図を見ながら、私は使える兵の数を数えていた。


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