213 ニャンタジーランド教区にて その3
本国にて教皇就任祭を十日後に控えたニャンタジーランド教区、私の執務室の出来事だ。
「ユーリ、すまん! 本当に!!」
――ここに帰ってくる直前まで私は仕事をしていた。
旧茨城領域に直接赴き、オーガサイズに作られていたシモウサ城塞を最低限人間が住めるように改築し、食料の大量移送のための準備をし、すでにやってきていた行動の早い難民を回収し(忠誠度の低下しすぎた『難民』状態では、もともとの君主もスキルは奪えなかったらしい。全員がスキル持ちであった)、戸籍を作り、難民のリーダーと魔術契約を交わし、連れて行った数少ない神国人の部下に教化を任せ、その他諸々の諸問題を十日で解決して、高速移動に特化させた
そして入った直後に、部屋の中で待っていたセンリョウ様より最初に私が聞いたのがその言葉だった。
床に膝をついたセンリョウ様。一国の君主が軽々に頭を下げるのはどうかと思うが……恐ろしいことに彼は土下座の姿勢だった。
その隣には彼の部下である女武者『毘沙門天』と私の部下であるドッグワンが並んで頭を床につけている。
私はため息を吐いた。
人に頭を下げられるのは、あまり嬉しいことではない。
自分がブラック企業の社員だった前世を思い出すのもあるが、頭を下げれば私の気分が晴れると思われるのが嫌だからだ。
謝罪はとっくに済んでいた。もう伝令で手紙を貰い、私はそれを了解した。謝罪を受け入れた。
これ以上謝られても謝罪をしたいだけの人間が自らの欲望を吐き出しているだけにしか見えない。
――もちろん、センリョウ様にそういう意識はないのだろうが……。
本当に済まないと思っているから土下座をしているのだろう。
「センリョウ様、毘沙門天様、ドッグワン、顔を上げてください」
「お、おう。怒ってないのか?」
「怒る必要が何かありますか? すでに謝罪はいただきましたし、センリョウ様と毘沙門天様にはこの教区の法に従い、牢に入っていただきました」
捕まってから私が戻るまでの間、センリョウ様たちには牢屋に入ってもらっていた。私が戻ってくるのに合わせて牢から出したのだ。
「手間を掛けさせた。本当にすまなかった」
気まずそうに私を見る彼に対し、私は執務室にあるソファーを示した。
「そちらのソファーへどうぞ。事情は把握していますが、改めて詳しい話を聞きましょうか」
気づけば一緒に帰ってきていた
とっくに着替えたのか、彼女は旅支度の枢機卿服からニャンタジーランド風の民族衣装に着替えていた。暖かくなったのか多少の薄着にも見えるその衣装は、彼女に似合っていてとても可愛らしい。
私は自分の服を見た。埃がついている。錬金術で払ってもいいが……。
「すみません。その前に着替えてきます」
そう、帰ったばかりで着替えてもいないのだ。
私は彼らに座って落ち着くように言うと、執務室の隣にある更衣室に服を着替えに向かうのだった。
◇◆◇◆◇
センリョウ様が牢に入った、というのはそう複雑な話ではない。
私が旧茨城領域へと向かった後に、センリョウ様が市街で喧嘩を起こしたのだ。
相手は熊族の男性。
手加減はしたものの、レベル差もあって、センリョウ様は相手を病院送りにしてしまった。そして接待役兼監視役だったドッグワンに捕まった。
私が帰ってくるまで留置場に入っていたセンリョウ様は、ソファーに座ったまま、本当に申し訳ない、と私に向かって頭を下げた。
「お前も忙しい中、問題を起こして本当にすまなかった。俺も君主として治安が乱れることの面倒さは知っているし、俺たちが外国人だからユーリにもいろいろと面倒を掛けただろうが……」
「別に構いませんよ。法に則り粛々と処理するだけです。とりあえずセンリョウ様に払っていただきたいのは治療費と賠償金ですね。すでに相手の男性には示談にするように
護衛の毘沙門天様も険しい顔をしているところであるし、毘沙門天様の顔は、悪いことは悪いと理解していながらもセンリョウ様が私に頭を下げるのが気に食わないという顔だ。自分の所の君主が他国の君主の部下に頭を下げていれば気に食わないのは確かだろう。
とはいえ、その態度はドッグワンの怒りを買うのでやめてほしいと思う。
ドッグワンは私の命令には背かないが、同時に気に食わない者を積極的に助けるような人種ではないからだ。
接待役にして監視役である彼に嫌われれば、今後不自由をするのはセンリョウ様たちだろう。
「あー、ユーリ。怒ってるか?」
「怒っていませんが、なぜこのような喧嘩を? あまり問題を起こすようならセンリョウ様と言えど残りの日数は庁舎に籠もっていていただくことになりますが」
本国の外交担当である
私はまだやることがあるのでこちらで仕事をし、遅れて本国に向かうが、教皇就任祭も近い中、外国の人間が問題を起こすのはあまりよろしくない。
彼らには言っていないが、帝国の問題もある以上、気をつけてほしかった。
しかし、そんな私に向かって毘沙門天様がその美しい相貌を歪めて「ユーリ様、あのような男をなぜ貴方は放置しているのですか」と私に向かって言ってくる。
「おい、毘沙門天。黙れ」
センリョウ様が毘沙門天様に注意する。だが私としてはそちらの話もするべきだったので構わない。
どうせ今注意しても聞かないだろう。再発防止のためには彼らがなぜ喧嘩などをしたか事情を聞くのが先だ。
「いえ、構いませんよ。そちらの話を先にしましょうか。それで毘沙門天様、あのような男とは?」
「小さな女の子を大の大人が殴っていたのです。センリョウ様はそれを諌めただけのこと。牢に入るようなことはしていません」
「法は法ですから、相手に怪我をさせたら誰であろうと牢に入れますよ。それでドッグワン、経緯は見ていたんですか?」
はい、とドッグワンは頷くと「熊族の子供が同族に殴られていただけです。別に珍しいものではありません」と私に言う。
ドッグワンの返答に、険しい顔でセンリョウ様が私に言う。
「おい、ユーリ。お前の部下はそう言ってるが……この国では、子供を殴るのは珍しくないのか?」
視線を感じた。話を聞いているのだろう。黙っているが、給湯室の方角から双児宮様の恨みがましい視線が向かってくる。
(後が面倒だな……)
双児宮様のご機嫌取りを考えながら私はここに来る前に受け取っていた事件の調書を取り出した。
改めて目を通す。被害者は熊族の男性で、ベーアンの派閥の者だ。子供の件については書いていない。そんな私にドッグワンが説明をしてくれる。
「ユーリ様、熊族の子供は前ベーアンの派閥の者です。自業自得です」
ドッグワンの自業自得という言い方は、この場ではよくなかった。
「ドッグワン。言い過ぎですよ」
すみません、とドッグワンは言うが、センリョウ様と毘沙門天様と双児宮様の視線が険しく、居心地の良いものではない。
私はこれでも小心なのだ。言い訳をするように私は彼らに言った。
「この教区の問題点ですね。私の力不足でもあります」
「どういうことだよ、ユーリ」
問いかけてくるセンリョウ様に私は説明する。
この問題は少しでも改善しようと努力していることではあるが、どうにもまだまだうまくいっていないことだった。
人の心の問題で、私には解決の難しい問題でもある。
さて、どう話そうかと考えながら私はセンリョウ様たちに説明する。
「センリョウ様、このニャンタジーランド教区が以前、クロ様という女性君主が統治していたことは知っていますね」
「ああ、歩いて回ってそういう話を聞いたが」
「ニャンタジーランドがクロ様の統治下にあったとき、隣国のくじら王国にニャンタジーランドが狙われていて、そのときにこの国の十二剣獣の前任がくじら王国に買収されていた、という話は?」
「ああ、ちらほらとそういう話は聞いている」
この話を調べるのは難しいことではない。
教区内の酒場に赴けば、前十二剣獣派閥だった者が酒に浸って過去の栄光に想いを馳せている姿を見ることができるからだ。
そして安酒を奢ってやれば身の上話をいくらでも聞かせてくれるだろう。
「詳しくは調べてませんが、その殴られた熊族の子供というのは前十二剣獣派閥の者の子供でしょう。現十二剣獣派閥から彼らは差別を受けているのです。改善しようと努めていますがまだまだ根深い問題ですね。なにしろ国を売ろうとしていた者たちですから、こうして生活が向上しても……いえ、生活が向上したからこそ、かもしれません」
そう、滅んでしまえば気にしなくてもよかった問題である。
だが生き残った以上、しこりは澱のように残っていた。
「なんだよそりゃあ。ガキには関係ねぇ話だろうが」
つまらなそうにセンリョウ様が吐き捨てると、彼はドッグワンに向けてなじるように言った。
「ドッグワン、てめぇはそんなつまらねぇことを部下に命じてんのか? 前派閥のガキをぶん殴れとかよ」
ふん、とドッグワンは心外だと言うようにセンリョウ様に言い返す。
「他氏族は知らんが、俺たち犬族はユーリ様のお心を害すようなことはしない。犬族の長の仕事は群れの統制だ。前派閥の者たちも含め、犬族は赤子から老人まで全て俺に従っている。そう、他の十二剣獣と違い、犬族は全員がユーリ様に心酔しているのだ。子供をいじめて喜ぶような惰弱な他氏族とは違うことは知っていてもらいたいものだな」
自信満々に言うドッグワンは褒めてほしそうに私を見るが、流石に他国の人間の前でドッグワンの頭を撫でるようなことはしない。
だいたいドッグワンがいて、センリョウ様が獣人に怪我をさせてしまったのだ。あとで叱るから覚えておけよ。
私はセンリョウ様に向けて言う。
「犬族はそういうものですからね」
他の氏族と違い、犬族は強力な縦社会だ。
そしてそれはドッグワンが反発する犬族を全て殴り飛ばして理解させたから可能なことでもある。十二剣獣全てが同じことはできない。
「センリョウ様、事件になった熊族は、あまり群れを作る氏族ではありませんので現十二剣獣の命令が末端にまで行き届いていません。我々も目に映る範囲で見れば止めますが、見ていない場所でそのようなことが起きれば止められません」
特に他の氏族と違い、今のベーアンは力ある血族の者ではない。
もちろんベーアンが熊族の統制に苦労していることは知っているし、今もシモウサ城塞の改築に力を尽くしてくれている彼に、この件に関して罰を与えるつもりにはならない。
「もちろん子供を殴るのは犯罪ではありますが……難しいですね」
ドッグワンの証言があるから、子供を殴ったという男性を牢に入れることはできるだろう。
だが、そんなことをしたところで根本的な解決には至らない。どうせ見えないところで犯罪を行うだけだ。
文明を一気に進めたところで獣人の全てが道徳や法律を理解するわけではない。言語の学習や、信仰、様々なことを教える必要がある。
それでもきっとこの差別は終わらない。この国に残る根深い闇となるだろう。
私が陰鬱な気分になっていれば、センリョウ様は唸っていた。何か言いたそうに私を見て、口を閉じる。
話を変えるべきか……いや、そういえば。
「センリョウ様、先程庁舎の入り口で熊族の女の子に会いましたよ」
女の子と言っても私より年上の少女だ。女子中学生ぐらいだろうか?
「あー……助けたガキか? なんか言ってたのか?」
「お兄ちゃんを許してあげて、と」
牢に捕まったセンリョウ様を心配して、私に陳情をしに来たのだ。
ああ、とセンリョウ様は手で顔を覆った。そして何かを決心したような顔をすると私に言った。
「なぁ、ユーリ。頼みがあるんだが……」
「頼み? ですか。殴った側の男性については調べますが」
「そうじゃねぇんだ……その、つまりだな……」
彼は、言いにくそうに私にそれを言った。
「ユーリ、差別されている獣人たちをうちで引き受けさせてくれねぇか……」
と。
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