186 旧茨城領域征伐 その9


「……今日もボスは出てきませんか……」

 早朝、太陽が東の空から上り、夜の内に平野に作られた白銀の絨毯を照らしていく。

 雪によって反射された太陽の光が眩しく、私は目を細めた。

 シモウサ城塞の前には、大量のオーガたちが並んでいる。人間を超える、巨体の人型モンスターたちが軍勢を作っている。

 前世で見たならば映画だと思うような光景。今の世界の人間からすれば悪夢としか言えない光景。

「そうですね。ユーリ様。ボスが出てくれば雷神スライムとやらを投入できるのですが……」

 隣に立っている使徒シザース様が敵陣を観察しながらつぶやいた。

 私はそんな彼に言う。どうにも私を信頼しすぎているこの人は、雷神スライムに過度な期待を持っている。

「しかし一度見せれば敵のボスは雷属性に耐性をつけてくるでしょう。とはいえ、敵の兵力を削りきらずに殺しても問題なのですが……」

 悩ましい問題だった。

 出てきてほしいが、こうして敵のボスが籠もってくれていることも助かるといえば助かるのだ。

 初日に出てこられては恐らく全滅――いや、どうだろうか。その場合は雷神スライムを投入して、円環法をあわせて、ボスを確殺……できてたはず――はずでは・・・・ダメか・・・

(私の自信のなさも前世から直したい問題だったが……就職先を間違えて、ずっとブラック企業で働いていたことがトラウマになっているんだよな)

 私が自分を凡人だと思うのはそれが原因だ。

 こうやって前世の知識や人口の少ない国だからこういう立場に立てただけで、私という人間はやはり失敗をする。

(今回は、私の失態だ……くじら王国との戦いや、連合軍の殲滅で敵を侮るようになった。十分だと思って武具を用意してきたが、足りなかった)

 ドッグワンの部下に戦死者が出たのはそのせいだ。

 氷壁を過信しすぎていた。武具を過信しすぎた。神殿を出し惜しみするべきではなかった。

 敵の戦力を測るための偵察をもっとしておくべきだったし……いや、人が足りなかったが。

 できる限りはしてきた、とは思う。だがやはり、私は失敗をしたのだ。

(君主を滅ぼしたモンスターの固有技術が強化されてる、ということまで頭が回らなかったし、レベル80の敵個体の強さも見誤っていた……)

 雷神スライムはレベル80。敵のボスと同じレベルだが、同じ強さかと言えばそんなことはない。

 十体いようが、雷神スライムではグレーターサイクロプスを超えはしない。

 私と炎魔様は実は同じレベル帯だが、炎魔様の方が戦闘能力が高い。それと同じだ。

 

 ――同じレベルでも、種族差によって強さにも違いが出る。


 スライムや蟹は、悪く言えば安価なモンスターだ。

 スライムはどれだけ進化しても同レベルの亡霊戦車やサイクロプスと同じステータスにはならない。

 ただし、代わりにスライムや蟹は簡単に増やすことができる。状況に応じたスキルを用意することもできる。

 それがスライムや蟹の強みだ。この強みを私は活かしてきた。

 だからレベルの低い時期ならばこれで十分だった。数を揃えてぶつければ十分にスライムも戦力になった。


 ――だが、人型モンスターレベル80の領域ではこれでは足りない。


 理由は簡単で、神国にはモンスター専用の技術ツリーが存在しないからだ。

 だから強化された敵のモンスターと、正面から力比べをすれば必ず負ける。

(それに、オーガたちには他にも強みがある)

 ゴブリンなどの例外を除いて、人型のモンスターは繁殖力が低く、あまり増えることはない。

 代わりと言ってはなんだが彼らは個々の種族値が高く、武具の装備箇所が多い。

 昨日の戦闘で使われたオーガたちの武具を確認したがオーガの武具には一つ、ないし二つほどスキルが付与されていた。

 装備箇所は人間と同じだ。武器、防具、アクセサリーで複数箇所の増強ができる。

 そして問題のグレーターサイクロプスは人型モンスターだ。

 このボスが全身にスキル付与済み装備を身に着け、なんらかの特別な権能を与えられていた場合――強敵すぎる。

 私は敵陣を見ながら、自分の想像に嫌な気分になった。

 黙り込んだ私にシザース様が質問をしてくる。

「ユーリ様。それで殺しすぎては問題、というのは?」

「え、ええ、はい。ボス個体を早めに殺した場合、戦意を喪失した敵が城塞から出てこなくなる可能性がありますので、少し憂鬱になっただけです。その場合は消耗戦になるでしょうから、敵が攻めて来てくれる間に、一万以下には減らしたいですね」

 なるほど、と頷いたシザース様を余所に私は先のことを考えてしまう。


 ――ボスが強すぎた。どうしよう?


 雷神スライムは切り札だが、それだけではボスのグレーターサイクロプスを殺すことは難しいだろう。

 偵察情報で確認したが、巨人型のモンスターは総じてステータスが高い。氷壁を一撃で貫いたあの攻撃力に比例して、HPも相応に高いはずだ。

 倒すためには奇策を使うしかなかった。

 だが、円環法は見せてしまった。戦車も使っている。

 切り札が雷神スライムしかない以上、どうにか敵に通用する方法をもう一つか二つ、考えなければならない。

(いや、勝つだけなら、たぶん勝てる、と思う。いや、思うではダメなんだが……まぁできないことはない)

 ニャンタジーランドとくじら王国の国境砦に詰めている巨蟹宮様に頭を下げて援軍を派遣して貰えばいい。

 教区軍の待機組と違って彼らはきちんと耐寒スキルなどのついた装備を持っている。今回連れてきた教区軍の数が倍以上になるのならば、それだけで大きな策を練れるようになる。

 敵の全軍が攻めて来ている間に地下から攻めて、敵の食料庫を潰す策も取れる。いや、ボスが出てくればそのまま城塞を乗っ取って、氷壁を潰して敵軍を凍死させることも不可能ではない。

(だが、それだとな……)

 連れてきた十二剣獣四人の成長を挫くことになる。

 彼らが窮地に陥ったときに、まず自分たちで考えるのではなく外部に助けを求めるようになる。

 なにより私が獣人を信頼していないことになり、教区の統治が面倒に――。

(馬鹿らしい。生きてこそ、勝ってこその成果だろう。それに戦死者が出てダウナーになっているな……精神科医がいるならきっと診療して薬を貰っていたかも……第一成長もなにも、そもそも少ない軍で来た私の慢心が敗因だとはわかっているだろう)

 失敗を認めて、巨蟹宮様に援軍を要請するべきだった。

 とはいえ今から軍を要請しても、到着に一週間以上かかるだろう。

 嗚呼、誰も殺さないつもりで来たのに――遠目に見える攻城兵器を見て私は眉を顰める。攻城兵器の存在は報告通りだ。

「士気の高い敵が準備を整えてきていますね。今日は妙な策を弄さずに真面目にやりましょうか」

 私の言葉にシザース様も頷いた。

「そうですね。敵の勢いが強すぎる以上、下手に穴を開けた場合、そこから敵の勢いが増しかねません。犬族の兵は士気は高いですが、人数が少ない。連日消耗させては制圧の際の人数が足りなくなるでしょうな」

 方針は決まった。そして、用意の整った敵が進軍を始める。


                ◇◆◇◆◇


 オーガ軍の攻撃は、攻城兵器による攻撃から始まった。

 整然と行進するオーガたちからは先日の勢いは感じられない。しかし、そこから戦意が消えたわけではない。

 全身から殺意を放つ、暴虐の軍勢がそこにはある。


 ――本当に恐ろしいのは、勢いばかりの軍ではなく、こういった軍だという典型だった。


 進軍するオーガ軍から牽制とばかりに移動式の投石機にセットされた巨石が放たれた。

 鳥人部隊によって、石弾が大量にぶつけられて軌道を逸らされるも、それだけで防げるものではなく、氷壁に次々と巨石がぶつかっていく。

 遠隔錬金によって巨石が消失し、罅に向かって水が掛けられる。

 氷結蟹たちによって次々と氷魔法が放たれ、氷壁が修復されていく。

 オーガの部隊がじりじりと進軍する。

 攻城兵器だけではない。オーガの集団の手には長い梯子や先端を鉄で覆った丸太などが握られている。

「おい……あれ、昨日と同じ軍か?」

 氷壁の上に立つ十二剣獣が一人、狼族を率いるウルファンは額に脂汗を浮かべて、副官の老兵に問いかけた。

 彼は何もしていないわけではない。迎撃の矢を放っているが、オーガ部隊が掲げた盾によって弾かれていた。

 先日のような勢いばかりの突進ならば隙も大きいが、こうも守備を固められると難しい。

 氷壁の上に並ぶ教区軍の兵士からは昨夜の戦勝気分は吹き飛んでいた。

 遠い距離からゆっくりと攻城兵器の歩みに合わせて近づいてくるオーガの軍団三万の圧力は、凄まじかった。

 それに敵の姿形にも変化がある。

 前日よりも強力な呪術による加護があるのかオーガたちの身体からは異様な黒いオーラが立ち上っている。

 教区軍全体にも神殿からの加護があるものの、呪術特有の、犠牲を払った強力な、それこそ加護を受けたものの身体が崩壊しかねないほどの強化は傍目から見ても異様だった。

 副官の老兵が怪訝そうに敵を観察して呟く。

「敵の指揮官が、変わったのでしょうな……」

 そう、まるで敵の将軍が変わったのかと思われるほどに敵の攻め方が変化していた。

 敵からは慢心を捨て、勢いも捨て、堅実に、絶対に氷壁を落とすという覚悟が感じられる。

 正直、昨日の方がやりやすかったぐらいだ。

「これは長引きますぞ。ウルファン様、五十名ほど遊軍として残した方がいいでしょう」

「余らせていいのか? 全力で敵を受け止めるんじゃないのか?」

 ウルファンの言葉は若い指揮官ゆえの経験不足だ。

 老兵はウルファンに言い聞かせるように進言する。

「ウルファン様、遊軍は余らせているわけではありません。元気な部隊を残すことでどこかが崩れそうなときにそこに兵を当てることができます。これは攻撃にも言えることで――いえ、これはこの戦いが終わってからお教えしましょう」

 老兵の言葉に、ふん、とウルファンは鼻を鳴らしながら弓を放った。なんとか見つけた盾の隙間を狙ってオーガを撃ち抜いたのだ。

 しかしオーガの様子に変化はなく、敵はじりじりと近づいてくる。矢一本で殺せる敵ではない。

「『ノックバック無効』……昨日の対策をきっちり立ててやがるぞ」

「呪術でしょうな。円環法もなく、三万もの軍勢に装備の付与はできませぬ」

 確信を持っていう老兵の言葉に、ウルファンはなるほど、と納得した。

「よし、遊軍とやらを選出してくれ」

「はい。了解しました」

 ウルファンは少しだけこの老兵に感心していた。

 かつて自分の上司だった者たちもそうだが、やはり年齢による経験不足がウルファンの兵には目立つ。

 若いだけに可能性もあるし、勢いも良いが、いくらか思慮が足りない部分がウルファンの部隊にはある。

「ニャンタジーランドに戻ったら……」

「はい?」

「いや、なんでもねぇ」

 熟練の兵士を入れてもいいかもしれない。今ならば邪魔だと退けていた経験を経た兵士たちの言葉も、素直に聞けるような気がしたからだ。


 やがて、オーガの軍が氷壁の傍まで来る。

 彼らは雄叫びを上げると、引き絞られた矢のように、氷壁に向かって駆け出した。

 総勢三万の軍が、氷で作られた砦に向かって、突進してくる。


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