205 キリルのお仕事 その5


 宝瓶宮の庁舎内の事務所に使徒キリルからの使いがやってきていた。

 ただし空気は良くない。ぴりぴりとした空気が使いがいる場所には漂っている。

「お前な……使徒キリルからの使いだったらもう少し学べ。今回は見逃してやるが、次にその不勉強な様を俺に見せるようだったらぶん殴ってやるからな」

 筋肉質な宝瓶宮の使徒に脅され、キリルの部下である文官少年のラムゼイは、すみません、と頭を下げた。

 宝瓶宮に直接渡せと上司からまた書類などを渡され、宝瓶宮の庁舎に来ればこれである。

 ラムゼイの身分で宝瓶宮に直接話すことなどできるわけがない。

 アポを取ってない以上、それは当然だった。

 とはいえ、キリルの名前を出すことでラムゼイはなんとか宝瓶宮の使徒である使徒ウコンカに取り次いでもらうことができていた。

 ここでラムゼイが宝瓶宮の縁戚であるという事実は役に立たない。

 血が繋がっていないこともあるが、神国の利権が集中する宝瓶宮に対しては、そういった意味での取次は逆効果である。警戒されて門前払いされてしまうからだ。

「そ、それでその……人が余っているなら……その、回していただけないでしょうか?」

 馬鹿が! とテーブルに力強い拳が叩きつけられる。

「余ってるわけがないだろうが! 衣食住に、道路に、神国中のアイテムを生産してるんだぞ俺たちは! 言葉を選べ!」

 ぴぃ……とラムゼイが目の端に涙を浮かべる。子供相手に凄んでもしょうがないと思ったのか、使徒ウコンカは苦々しい顔で書類をバンバンと叩く。

「確かに、前回の食料輸送方法もそうだが、今回の提案方式で人は余るだろう。だが余所に気軽に回せるようなものではない。いいか? うちではアイテム生産に加えて、建築だなんだと人を回している他にも、新技術の開発にも人手を割いているんだ。作業が楽になったら未来への投資のために人を回す。わかるか? そこに余分な人材など存在しないんだよ」

「……は、はい……で、ですがその……」

「ですが? なんだ?」

「教皇祭の準備のために、もう少し人材を……」

「回しただろうが! ボケがッ! 円環法を使える錬金術士百名。半年あれば砦を作れる人数だぞ。たかが祭りとは言わんが、街中を飾り付ける程度ならそれで十分だろうが」

「き、規模を再計算したら、その、もう五十名ほど必要らしくて……」

「再計算!? 五十名!? なんだお前ら、何をやりたがってるんだ? そもそもそのらしくて・・・・、とはなんだ。お前、きちんと自分が何を要求しているのか把握しているのか?」

 ラムゼイは慌てて、懐から計画書を取り出す。ちゃんと読み込んできた。キリルからも頼まれている。「こ、これを」と計画書をウコンカに手渡す。震える少年の手から強引に書類がもぎ取られる。ばさばさとウコンカが乱暴に目を通した。

「教皇猊下に就任される天秤宮様のために専用の舞台つきの馬車に、道を舗装するだぁ?」

「えと、真に威厳ある者は自然と光を放つと言えど……あー」

「覚えてないなら言うな言うな。わかってるよ。天秤宮様は偉大だってんだろ。だがその威光は国民全員が理解できるわけじゃねぇから、あれこれと飾り付けるべきだってんだろ。ああ、わかるよ。てめぇが批判したいわけじゃないってのもわかる」

 だが厳しいな、とウコンカは呟いた。もちろん彼の言葉も政治批判ではない。

「教皇就任祭が国事行為とはいえ、予算が無限なわけじゃないのは理解できるか? この道は……まぁ、直してもいい。主要道路の修繕は後回しだったからな。祭りの予算を使って補修ができるなら最終的に・・・・利益は出せるだろう。だが専用馬車は、必要か? 馬だって余ってるわけじゃねぇだろ? 交配も始まったばっかりってのは聞いてるが?」

 馬の交配は去年の話だ。

 獅子宮配下になった武烈クロマグロから供出された繁殖用の馬を神国はニャンタジーランド教区内で繁殖させていた。

 それをレベリングし、バトルホースに進化させ、馬車として利用し始めたのが今年になってからの話である。

 馬系モンスターは人食いワニと違い、躾は必要だが隷属させる必要がない。また『耐寒』スキルがなくともきちんと働くことから今後の国内利用が期待されていた。

 ウコンカは筋肉質な身体には似合わない神経質さで計画書の数字を眺める。うまく調整されているが、ところどころに穴が見える。

 技術ツリーを把握している宝瓶宮から『ガソリン』が安定供給できるようになったら、国内のワニ車を徐々にガソリン車へと移行すると聞いているウコンカは、馬車は開発せず、当面はワニでいいだろうと思っていた。

 そんな彼におずおずといった様子でラムゼイが言う。

「くじら王国の象徴である馬を利用することで、対くじら王国への国民の意欲を上げたい、とキリル様が……」

「使徒キリルがか? あいつ、そんな過激だったかな……っても通常の馬車もまだそこまで作れてないんだぞ。パレード用の特別製なんか作ってる暇も予算もないんだが」

 計画書に書いてあるものを、設計から始めるなれば専門の知識を持っている製作スキル持ちを貼り付ける必要がある。

 通常レシピではなく、ある程度調整したものにする以上、そういった手間が絶対にかかるのだ。

「だいたいだな。馬車を作る木材だって無限じゃねぇんだぞ。木材はニャンタジーランド教区の船の方にだいぶ取られてるからな。そこはどうなんだ?」

「ええと……それは……」

 資料を慌てて見るラムゼイだったが、言葉に詰まる。寄越せ、とウコンカは資料から該当項目を探し出し唸る。

「木材はニャンタジーランドからわざわざ送ってくるのか……まぁ、できなくもないが……失敗ができねぇなこれは」

 ウコンカが見た資料には、教皇就任のためにニャンタジーランドから祝儀という形で木材が送られてくることが書かれている。

 つまりこれを馬車に加工することで、ニャンタジーランドがきちんと服属していることを神国民に示したいと誰かが考えているということである。

 誰の考えかはわからないが再計算とはよく言ったものだ。こんな急にねじ込むなど……。

 そして恐らく、ニャンタジーランドで弓や矢の製作のために確保されていたものだ、と木材の品名を見て、ウコンカは推測した。

 前回確認した祝儀品には入ってなかった品。キリルか、処女宮か、ユーリに要請したのだろうか? 

 それともユーリ自身が言い出したことか――どちらにせよ、ユーリが関わるなら自身の主である宝瓶宮の気合の入りも変わってくるだろう。


 ――使徒ユーリの影響力の強さは彼が教区へ出ていってからも神国に色濃く残っている。


 かくいうウコンカも、ユーリに集中法と円環法を学んでいる。

 ユーリは年下の子供だが、スキル使用に関しては師に当たる。ゆえに何も思わないでもない。いいところを見せたいという考えはある。

「わかった、なんとか俺から宝瓶宮様に掛け合ってみよう。ひとまずは、あー」

 ウコンカは振り返って室内を確かめた。事務所のような用途で使われているこの部屋では様々な人間が働いているが、ウコンカはその中から一人の人間を見つけると大きく声を上げた。

「おい! 新人!! こっちこい!!」

 声を掛けられた人物は、真新しい神官服を着慣れない感じに纏った年若い職員だ。

「使徒様! お、俺は、新人じゃなくて!!」

 抗議を無視してウコンカはラムゼイに向き直る。

「あー、ラムゼイだったか。とりあえずこいつを貸してやる」

 おい、と新人と呼ばれた職員の胸に計画書が叩きつけられる。

「お前にはあとで人手を寄越してやる。とりあえず計画書通りにうまくやれ・・・・・

 ラムゼイと新人は戸惑った様子で、顔を見合わせるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ツクシと名乗ったその職員はラムゼイに開口一番言った。

「無理があるだろ。これ」

 上司が電卓片手に汗水たらして作った計画書をばさり、とテーブルの上に置かれ、ラムゼイは、となった。

 庁舎前にあった休憩スペースでの話だ。

 文句を言いかけ、共に働くのだからとラムゼイは口ごもる。

 そして昼食代わりに庁舎前に出ていた屋台から買ったパンに腸詰めソーセージを挟んだものをラムゼイはむしゃりと噛み締めた。

 腸詰めが弾けるように破れ、中から溢れた肉汁をパンに染み込ませる。肉と胡椒の風味が口の中に広がる。美味い。

 神国の麦と交換で、ニャンタジーランドから肉が入ってきてから簡単にこういったものを神国人は気軽に摂取できるようになった。

 豊かとはこういうことかと、数年前まで学舎で簡素な食事をとっていたラムゼイは豊かさの必要性を痛感している。

 その豊かさを維持するために、自分たちが働かなければいけないこともだ。

 だからこそ、黙っているのは何か違う気がしてラムゼイはツクシに自分の熱量を叩きつける。

「無理じゃない! やるべきだ!!」

 ツクシと名乗ったその職員はラムゼイの様子に面倒くさそうな顔をする。

 彼は腸詰めを挟んだパンを口に運び、庁舎の前から見える大通りを手で示した。

 貿易や軍用の道路を優先して整備しているがゆえに、神国内の道路の多くは完全に整備されているわけではない。

 特に最初から道路があった、こういった街中の主要道路だ。

 瓦礫などは除去されているが、周囲のビルの外観も含めてボロボロだった。

 神国アマチカの首都は、廃都東京にあった廃墟を利用する形で作られている。

「補修範囲が広すぎるんだよ。円環法は便利だが、資材は必要なんだぜ? この予算ならまー、できて八割ぐらいだな。どういう試算でやってんだよアンタんとこはよ」

「使徒ウコンカ様はできると言っただろう?」

「あの方は俺らとは権限が違うんだって。あの人たちは全体見て、どっかの余ってるとこの予算を流用すればとか考えちまうからな。まぁいくつか廃ビル潰してもいいなら多少はマシだろうけど。ラムゼイだっけ? 俺たちはビル潰していいのか? とりあえず資材はそういった形で集めることにするが」

「え、あ、どうだろ……」

「どうだろ、じゃねぇだろうが! さっさとスマホで上司に聞け!!」

 一ヶ月後の教皇就任祭では、この大通りを華やかに彩らなければならない。ツクシは歯噛みして、計画書を見つめている。

 ラムゼイもツクシもこの教皇就任祭で結果を出せれば大幅な出世が見込めるだろう。だが逆に失敗すれば歴史書に名前が刻まれるレベルの失態になる。

 教区から枢機卿に就任するユーリが天秤宮の教皇就任を祝いに来るというのも問題だ。ユーリの信奉者は国内に多くいる。宝瓶宮の配下にもだ。ツクシとしては職場内で恨みを買うのは避けたかった。

 なんにせよ、とツクシは呟いた。

「……チャンスが巡ってきたな……」

 ツクシはそろそろ新人呼びを改めさせたかった。


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