156 戦後処理 その7
牢獄の出口に私と
磨羯宮様が持っているのは、炎魔様と交わした魔術契約の書類だ。双方の細かい条件を詰めたもので、炎魔様の大幅な譲歩で神国側にだいぶ有利なものだった。
「それでは炎魔様の教化をよろしくおねがいします」
「うむ、教化の切っ掛けは理解しようと思う心だからの。炎魔も契約さえしてしまえばもう問題はなかろう」
もっともこの際、魔術契約はそこまで重要ではない。
というより魔術契約に、契約の履行を強制する力はない。
条件をきつくすればそれこそ、契約破綻時に痛みが走るだの呪死させるだのの強力な条文を組み込むこともできるが、炎魔様にそれをする意味はない。
脅しで契約をしたところで相手が開き直ったら意味がないからだ。
重要なのは内容だ。『炎魔は女神アマチカを信仰し、神国で働く』という一点。
働くといっても奴隷労働ではない。
我々は炎魔様の基本的な人権と呼ばれるもの(現代日本ほど明確に決まっているわけではない)を保証したので本人の自由意志は、ある程度保証されている。
――引き抜きとは引き抜いたあとの方が苦労をする。
引き抜かれたものが、引き抜かれない保証なんてないからだ。
だからある程度の
私たちはそもそも炎魔様をそこまで信用していないので、口でいくら勧誘に同意したところで、まだまだ信用はしていない。
魔術契約だって別に破ろうと思えば破れる。
元の時代でだって各国で、法律を破っていた上級国民たちがいただろう。
それと同じだ。我々は法律を設定する側なので、魔術契約の穴ぐらいは理解している。
(完璧な法なんてないんだよな……)
炎魔様には力があるから、破ろうと思えば破ることができる。
では魔術契約は無駄だったのか? 我々は彼女を自由にしただけか? と言えばそんなことはない。
魔術契約は、本人の
彼女が神国に渡したのは、炎魔様の
炎魔様は、魔法王国の高官で、名前に信用がある。
その彼女が神国の引き抜きを了承したという文書が作成できたという一点。
これはどうにでも使える。たとえば炎魔様がそのまま逃亡し、魔法王国に戻ったとしても、この文書を今の帝国に差し出せば、帝国と魔法王国の仲を完全に引き裂くことができるだろう。
下手をすればそのままお互い争わせることができるぐらいの力のある書類だ。
(もちろん炎魔様が逃亡すれば神国的には損しかないので、その手段は避けたいが……)
炎魔様ほどの方がこのことに思い至らないはずがないから、逃げられると思っているなら魔術契約なんて結ばないので、その可能性はあまり考えなくてよかったが。
本題に戻るが、私と磨羯宮様が魔術契約で重視したのは、炎魔様が女神アマチカを信仰する、という部分だ。
教化は便利だが、絶対に神を信仰しないと理解している人間には通じないという弱点がある。
先ほどの交渉で私がやったのは、炎魔様の心と脳を契約によって
契約を守る守らないはともかく、炎魔様はポーズでもいいから、女神アマチカの信仰する努力をする必要がある。
全く聞く気がないならともかく、聞く気になった人間に対して話術系スキルを絡めた人間の説得は驚くほど効果がある。
炎魔様の信仰ゲージが上昇するまではスキル封印もしたままなので警戒もそこまで強めなくていい。
(もっと人を信用した方がいいんだろうが……性分だな)
それに炎魔様は、もう神国につくしかない。
我々が何もしなくとも、この情報は魔法王国に伝わるだろうから、彼女や彼女の部隊の資産は没収されるだろう。
軽々に裏切りがでないように、魔法王国はそれをしなければならない。
――彼女が神国につくと頷いた時点で、詰みなのだ。
問題は外交だが、こちらとしては残る人魔様だけでも交渉材料になるし、極論、炎魔様が使えるなら、魔法王国に関しては交渉を打ち切ってもいい。
魔法王国は隣国ではないからだ
侵攻に王国か帝国のルートを使わなければならないあの国は現状、神国に手を出すことができない。
(まぁ将来王国攻めをしたときに援軍として魔法王国が現れる危険性があるから、不戦条約を結んでおきたかったのもあるが……)
そこまで先のことは考えておきたくないな……ありうる状況を全部出せば、当然捕虜にしたままの方が得だった、という予測もでてくるしな。
「炎魔様については
「拙僧からも双魚宮に謝っておこう。アレの外交用の手札を一枚消費してしまった」
「そうですね。炎魔様を引き抜いたというのは外交的には失点ですから……」
「とはいえ軍事的にはそう悪い話ではない。神国に十二魔元帥や、十二龍師を捕らえられた場合、そのまま神国に引き抜かれる、という前例を作れたことは大きい」
「はい。それは確かに」
「忠誠が低く、無能な人間に権能を与える国家はいないからの。幹部の引き抜きは国家の十二分の一を削られたに等しいゆえ、今後は侵略軍も幹部の派遣を控えるだろう」
それは神国に有利に働くだろう。軍団情報をリアルタイムで確認できる『戦場俯瞰』持ちが大軍団を率いないだけでも神国としては大いに有利だからだ。
そして戦場俯瞰がなくとも万単位の軍勢を指揮できる武将を殺害せしめられるのならば、それこそ敵国に大打撃を与えられる。
「さて、ユーリよ。まだ時間はあるのかの? 研究所でいくつか見てほしいものがあるのだが、ユーリが持ち帰った魔法王国の武具に関しての調査記録などもあるのだ」
「すみません。このあと
私の言葉に磨羯宮様は苦笑してみせた。鷹揚にわかったと頷いてくれる。
「主の機嫌伺いは大変だの」
「戦争よりは楽なので、大丈夫です」
違いない、とお互い頷きあうのだった。
◇◆◇◆◇
ニャンタジーランド教区降伏の功績で新しく大きなビルを貰ったらしい処女宮様の執務室は広くなっていた。
とはいえ人材がいないので処女宮様と、
前いた人たちは全員、人材派遣の後任の方に引き継がれている。
「ぴぃッ!? なんで!?」
メイド服と掃除道具を持ったクロ様が私を見てから部屋の隅に走って隠れてしまった。
「クロ様を連れてきたんですか?」
「うん、かわいいし。お仕事欲しいっていうからメイドにしたの」
外交問題になるのでは? とも思ったが権力を持っていた旧十二剣獣がいない以上、そこまで大きな問題ではないか。
むしろ下手な役職につけた方が問題なので、メイドでいいならそれでいいだろう。
「それで私に見せたいものがある、ということでしたが……」
「それより! ね! ね! ユーリくん!!」
「なんですか?」
そこそこある胸を張って私を見る処女宮様に私は、首を傾げた。
「ユーリくん! 私! ほら!! ね! ね?」
胸を張りながら、ちらちらとクロ様を見る処女宮様。まぁ思い当たらない節がないでもないが……。
「そうですね。がんばりましたね、処女宮様」
「うん、それで?」
「よくできました。見直しました。すごいと思います」
「ふふ、で、他には?」
「さすが処女宮様です。ナイスですね。グッドです」
褒めてみるも効果は芳しくない、というより、ちらちらと見る処女宮様は私の口から言わせたいようだった。
(仕方ないな)
私は懐から紙とインクを取り出すと錬金術で錬金して、はい、と処女宮様に渡した。
「よくできました。正直、ここまで見事にこなすとは思いませんでした」
「でしょ~~。私ってやればできるからさ~~」
嬉しそうな処女宮様が私が渡した紙をひらひらと自慢そうに振ってみせた。
それは『ユーリがなんでも言うことを聞く券』だ。
「なんでも言うことは聞きますが、可能な範囲ですよ」
「うーん、何しよう? 何したい? ユーリくんは」
「処女宮様が決めてくださいよ」
「えへへ、うふふ、なにさせようかな~~」
さて、と茶番を終わらせた私は視界の端に見え隠れするクロ様を放っておいて、本題に入ることにした。
「それで、私に見せたいものとは?」
「見せたいって……あー、はいはいはい」
はい、と処女宮様が執務机の上に、黄金の虎の像を置いた。
力は感じないが、神々しい、風格のある黄金像だ。
「……これは?」
「ニャンタジーランドの『
「玉璽、ですか」
鑑定ゴーグルで確認すれば、レアリティがURに設定されているアイテムのようだった。
「あとで大聖堂に収めるけど、クロちゃんと十二剣獣の不死性の管理権限とか蘇生地点の設定とか、ニャンタジーランドの固有技術ツリー解放権限とか、そういうのがこれで手に入ったの」
私は神獣像に手を触れてみた。特別な力は感じない。ただの像だ。壊すのは容易だろうと思われる。
「ユーリくんには前に説明したっけ? 私たち君主を殺すには、各国の神殿に納められてるこれをまず壊す必要があるっていうのは」
「聞いた覚えはあります」
神国の玉璽『女神像アマチカ』。私は見たことがないが、そういうものが大聖堂に納められているらしい。
「ち、千花ちゃん、い、言っていいのそれ?」
おずおずと部屋の隅に隠れているクロ様が問いかければ「だって知っててもらわないと、ユーリくんが守ってくれないじゃん」と処女宮様は言った。
「まぁ、守りますがね」
つまり最悪、土地を奪われても、これを渡さなければ国家は存続できるというわけか。
「ただちゃんと正常に稼働させるには大聖堂に納めないと効果を発揮しないんだけどね。これを手に入れた時点で任命権とか解放されたけど玉璽をちゃんと納めないと黒塗りで使えないし、っていうかさっき炎魔が手に入ったけど、どうしたの? ユーリくん」
処女宮様がインターフェースを見せてくる。炎魔様の蘇生地点は神国アマチカの大聖堂になっているが、他の君主用の操作権限のほとんどは
「勧誘しました。信仰ゲージの維持をお願いします」
はいはいさすユーさすユー、と頷く処女宮様に、私は信仰ゲージの維持をお願いした。
教化が成功すれば信仰ゲージが最低五割はいくが、信仰を約束させただけなので、彼女のゲージはまだ一割にも満たない状態だ。
この状態では何も仕事を任せることはできないし、裏切りを警戒する必要がある。
あれこれと与えて彼女を満足させる必要があった。
「で、ユーリくんってお仕事まだあるの? うちでご飯食べて行かない? 今日は私とクロちゃんで作るけど」
「ええ!? そ、その子くるの?」
なぜか私を見て、クロ様がびくびく震えているが、私はゆっくりと首を横に振った。
「このあと小神殿の増築作業に向かいますので」
「えー、なにそれー、ユーリくんの仕事なの本当にそれ?」
「いえ、私の仕事ではありませんが困っているようでしたから」
「この仕事人間! 休みなよ、もう!!」
私は頭を下げて執務室から出ると、入り口に待機していた護衛の兵の方と街に向かうのだった。
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