172 出陣準備 その1


 ニャンタジーランド教区の幹部にして十二剣獣であるウルファン、ベーアン、ドッグワン、バーディの四人はニャンタジーランド教区の教導司祭である使徒ユーリの執務室に呼び出されていた。

 ユーリの執務室は普段は暖炉に火が入れられていないが、今日はこの会合のためにか、暖炉に火が入れられていた。

「……あの、なんでこの四人が呼ばれたんスか?」

 一緒に呼び出されたベーアンとドッグワン、バーディにこの場で一番若いウルファンが問いかける。

 十二剣獣であるウルファンは狼族の精鋭猟兵の部隊を任されている。

 普段ならこの時間は殺人雪うさぎの討伐任務に従事しているが、今日は任務を部下にまかせてこの場に来ていた。

「珍しいっスよね」

 こうして十二剣獣の何人かが集まって、というのは珍しいことだ。

 もちろん定期会合などはあるが、四人という数が珍しい。

 ユーリは割とマメに連絡をくれるので、事前に聞かされていない集まりというのはほとんどない。

「わからん」

 簡潔にドッグワンがウルファンに答えた。答え方がぶっきらぼうだが、この犬族の男は主であるユーリ以外はほとんど下に見るプライドの高い男だからウルファンも気にしない。

「俺もわからんが……まぁ大変な仕事を押し付けられるんだろう」

 熊族のベーアンが諦めたように言う。生産スキル持ちの十二剣獣である彼は、指先が器用な熊族の特徴を生かして様々な施設建造任務などに携わっていた。

 十二剣獣における『ベーアン』の権能は戦闘的なものがほとんどだが、ベーアン自身の得意分野に沿ってか、その配下も全て生産スキル持ちの熊族である。

「北の任務でしょ」

「北ァ? なんでわかんだよ」

 梟族のバーディにはウルファンは乱暴に返答した。

 この少女とウルファンの間にはほとんど年齢差はない。

 年上である他の二人と違い、挑むように問いかければバーディは「この前、物資移動の記録を見たから」と静かに答える。

「物資移動……ああ、除雪と一緒に頼まれたな」

「神国から白羊宮アリエス様の部隊が派遣されて、道を北に向けて作ってたぞ」

 ドッグワンとベーアンがバーディの言葉に思い出したように語った。

 とはいえウルファンには、その情報がどういうふうに自分たちに関わっているのかはよくわからなかったが。

「物資移動の記録がなんで俺たちに関わるんだ?」

「大規模に食料とか装備とか動かしてたから、たぶんこの四人で兵を率いて、何かするんだと思うけど」

 バーディが説明すれば、ユーリが何かを命令する姿を想像したのか、手のひらで自分の顔を覆って、嫌だぁ、と呻くベーアン。

 ドッグワンはふん、と鼻を鳴らして「何を命令されても俺が一番うまくやる」という顔をしている。

 バーディは何かを考えているのか壁に張られたニャンタジーランドの地図を見ていた。

(兵を動かす……四人ってことは大規模だな)

 ウルファンは這いずり平野での神国軍と王国軍の戦闘を思い出し、身体を震わせた。

(俺が今度は、あれをやるのか……!)

 腕が鳴る、という感覚がある。あの戦場を思い出して訓練も重ねてきた。兵は鍛えている。

「誰が相手でも勝ってやる……!!」

 ウルファンが声を上げたとき、頼もしい・・・・ですね・・・、と少年の声がした。

 四人の上役である使徒ユーリが部屋に入ってきたのだ。


                ◇◆◇◆◇


 暖炉で薪が爆ぜる音が聞こえる。窓から見える外の景色は曇っている。まばらだがはらはらと雪が降っていた。

「すみません。お待たせしてしまいましたね。ああ、座ってください」

 ユーリが入ってくるまで部屋の中で立っていたウルファンと他の三人は、ユーリに勧められ、来客用のテーブルの傍にあるソファーへと腰掛けた。

 ユーリにいつも張りついている神国人――神国の双児宮ジェミニの分身体が、紅茶を用意しようとするユーリを制して、簡易キッチンに向かっていく。

 そうして、ユーリは抱えてきていた書類を、ソファーに座った四人の前に置いた。

(なんだか物騒な単語が並んでるな……)

 ウルファンは、書類の表紙に書かれている旧茨城領域征伐計画書、という文字を読み取ってそう思った。

「ユーリ様、今日はどういったご用件でしょうか?」

 冊子には目を向けず、緊張した様子のベーアンが聞けば、ユーリは「まぁまぁ、そう緊張なさらず楽にしていてください」と茶菓子の用意を始める。

(相変わらず、細々とした世話をさせる人間を置かないんだな……この人は)

 獣人を信用していないわけではないようだが、どうでもいい細かいことまでやりたがる人間だ。この少年は。

 ウルファンは知らない。

 ユーリが、セクハラパワハラモラハラお茶くみの禁止、という言葉によってその手のことを人にやらせたくない、ということを。

 またこれには、わざわざ雑務のために貴重な人間一人を拘束するのはどうなんだろう、というユーリの考えもあった。

 この国はなにかと人が足りないのだ。

「どうぞ、私が作ったものですが」

 ユーリにナッツの混ぜられたクッキーを差し出されて、ウルファンたちはそれぞれ皿から取り始める。

 もちろん、ただのクッキーではない。ユーリが錬金した+3のボーナスが入っているクッキーだ。

 クッキーの効果だろう。身体に溜まっていた疲労が消え、ウルファンはなんだか落ち着いた気分になった。

 双児宮の淹れた紅茶がテーブルに置かれ、全員が口をつけ、それでようやく何かを話す空気になる。

「ユーリ様、この旧茨城領域征伐、というのはどういう意味でしょうか?」

 口火を切ったのはバーディだ。計画書を手にしながらユーリに問いかける。

「言葉通りの意味です。貴方たち四人に五百名ずつ率いて、行ってもらいます」

 沈黙。ベーアンが顔を手で覆い、わかりました、と泣きそうな声で返答する。

 ドッグワンは精悍な顔に自信だけをみなぎらせて「了解です」と言った。

 年配の同僚二人の反応はわかっていたとおりだが、ウルファンとしては死にに行くようにしか思えない。

 先ほどまで体中に充満していたやる気が、みるみる抜けていくのを感じる。

「あの……俺たちだけで、ですか?」

「いえ、私も神国兵千名を率いて向かいます。ほそぼそとした輜重や雑務を別に、人間は総勢三千名ですね」

 三千名。今のニャンタジーランド教区にとって大部隊と言えば大部隊だが、旧茨城領域と言えばウルファンでも聞いたことのあるモンスターが溢れる魔境だ。

 かつて人類国家が存在していた土地。その地のモンスターの脅威をウルファンは年寄りたちから何度も聞かされていた。

 ニャンタジーランドは、そうならないように努力しなければならない、と。

「おい、ウルファン。ユーリ様が共に来てくださるなら問題ないだろう? 何を不安がっている」

 そう言うドッグワンはなんとも思っていないのか自信満々で、ウルファンとしては逆に不安になる。

 この犬耳男は優秀だが、ユーリを信じすぎていた。

このガキユーリが、すげー奴ってのはわかってんだよ俺だって……)

 ニャンタジーランドをたった半年で立て直したのはユーリの手腕だ。

 だが、計画書には敵の予想兵力四万と書かれており、三千名で挑むのは、どう考えても正気ではない。

「ユーリ様、鳥人部隊を連れて行ってもまとになるだけだと思いますが?」

 ウルファンが悩む間に、バーディが疑問を投げていた。

 計画書には弓や投石を使うモンスターの情報が載っていた。

 敵が矢系の必中スキルを持っているなら、バーディたちがどれだけ必死に避けても当たってしまうだろう。

 そしてレベル差や種族差を考えれば体力の低い鳥人は一撃で殺されてしまう。

 そんなバーディの質問にユーリはなんでもないように答える。

「物理耐性に加え、耐遠距離攻撃や矢避けの加護などの、物理系遠距離攻撃に対する防具をバーディの部隊用に用意しています。代わりに魔法には弱くなってますから注意してください」

「はい……それなら、大丈夫です」

 いつからこの計画を用意したのか、ウルファンは少し気になって問いかける。

「ユーリ様、随分用意がいいんスね……」

「用意していましたから」

 おい、とドッグワンがウルファンを怒鳴りつけた。

「不満があるなら早く言え。お前のくだらない質問でユーリ様を煩わせるな」

 注意され、唇を尖らせてしまう。そしてユーリを見ればなんでもない顔だ。

 彼は、どうぞ、という顔でウルファンを見ていた。質問してもいいらしい。

「あー、えっと、その、なんで旧茨城領域に行く必要があるんスか? まだまだ国内は大変じゃないスか」

「なんでって……ああ、そうですね。説明を忘れていました」

 ユーリは壁に張ってあった地図を取り外し(すかさずドッグワンが手伝った)、地図を机に広げる。

 そしてユーリはウルファンたちに、この旧茨木領域征伐の意図。つまりくじら王国の領土拡大を掣肘し、北方諸国連合を助ける理由を説明していく。

 かなり噛み砕いた丁寧な説明だったが、ウルファンには意味がわからなかった。

(……ぜんっぜんわからん……)

 なぜ北方諸国連合を助けることで、ニャンタジーランド教区の安全に繋がるのかがわからない。

 あの強大なくじら王国がたった一回負けただけで神国を警戒する理由もわからない。

 首を横に傾げたままのウルファンは、なんだかめんどくさくなって、あとで自分の副官にユーリが言った内容をそのまま教えて、解説してもらうことに決めた。

わかった・・・・。わからないことはもういい)

 とにかく攻めることが決まったなら、今、聞くべきは別のことだった。

「それでユーリ様、俺らが旧茨城領域に行ったあと、殺人雪うさぎの討伐とかはどうするんですか?」

 それだけではない。

 ドッグワンがやっている除雪作業や、ベーアンがやっている国内産業の活性化なども重要な任務だ。

 未来のために戦争をするのは構わないし、戦える場を用意してもらえるならウルファンとしては全力を尽くすだけだ。

「殺人雪うさぎに関してはウルファンがこちらに残していく五百名の兵に任せます。ただ人数がさすがに足りないでしょうから、前十二剣獣の狼族部隊で部隊を増強します」

「え、奴らにスか?」

「はい。先日復職させましたので。何か問題はありますか?」

「あ、いえ、別に……」

 驚いただけで問題はない。

 あまり言うことを聞かなかった前ウルファン贔屓の兵たちも、ウルファンはこの半年で力関係をわからせ・・・・ていた・・・

 短期間なら、教区内からウルファンがいなくなっても騒ぎを起こすことはないだろう。

「除雪に関してもこちらに残すドッグワンの部隊に、前ドッグワンの部隊を加えてやらせます」

 そうユーリが言えば、お任せください、とドッグワンが自信満々に言う。

「ベーアンに関しては、前部隊が生産とは関係のない武闘派部隊ですからね。私の部下の神国兵が一時的に任務に当たります」

 はぁ、とベーアンが嬉しくもなんともなさそうに頷く。計画書ではベーアンの負担は相当なものだったので今から胃を痛めているのだろう。

「バーディに関しては前バーディの部隊を復職させました。とはいえ国内部隊用の耐寒装備は整ってませんので偵察任務以外を任せます」

 はい、とバーディが頷いた。

 丁寧で、緻密な手配だった。

 ここまでの準備を、ただの少年が整えていたことはウルファンにとっても驚くべきことだ。

 もっともわからなかったこともある。

 戦いに行くのに前ベーアン部隊を国内に残すのはなぜかだ。

「あのユーリ様、他の十二剣獣、ボーアンとかバイソンとか、荒事向きの奴らは連れて行かないんスか?」

「彼らは物理系前衛ですからね。今のレベルでオーガと戦わせたら何もできずにすり潰されてしまいますよ」

 代わりに全滅してもいい殺人蟹を三千体連れて行く、とユーリは言った。

「皆さん、雪が残っている三月中に征伐を完了させます。大丈夫ですね?」

 ユーリの言葉に、了解、とウルファンたちは頷くのだった。


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