035 七歳 その5
真っ白な髪の白い肌の美しい少女の姿をした枢機卿が慈母の笑みで私を見ている。
「どうしますか? ユーリくん。貴方がやりたいことなんでしょう? この奨学金とやらは」
私は、じっと私を見つめてくる双児宮様の視線から目を逸らしてしまう。
――私の心の弱さだ。
誰か助けを、と思うもこの図書館には司書の神官様しかいない。
だが彼が止めに入ってくることはないだろう。私が枢機卿様と話しを始めた時点で耳を塞いで隠れてしまっているからだ。
わかるよ。その気持ちは。どうしたってこの方たちは平気で私たちを消費しようとしてくる。
自分でやるしかない。
だから私は頭をひねる。なんとか言葉を絞り出す。
「あ、アマチカなら、私が、私が資金を出します。まずそれをテストケースとして」
「ユーリくん」
いっそ優しい表情で双児宮様は私を見つめる。
「そうではないのよユーリくん。私はね。貴方の決意を知りたいの。多くの子供たちの未来を、貴方は幼い身体と、大きな心で変えようとしている。そんな貴方にそんな小さなことをして欲しくないのよ。私は」
――使徒の立場は
なにしろつい先日、その使徒になって神国に住む全ての民を命を背負わされたのだ。
それを、またやれと? 私に? また私にそうしろと?
まただ。またこうなった。なんでこうなる。
奨学金なんて現代日本じゃ当たり前にあった制度だ。それを用意しようとしただけなのに。なんでこんなことに。
小さな範囲でよかったんだ。アマチカだって私が用意した。もちろん私の資金は有限だ。だから国庫に負担を掛けずに続ける方法も考えていた。
まずこの学舎の一番年長の生徒たちにアマチカを貸す、そして彼らが卒業したらその先でアマチカを返してもらう。もちろん利息を少しだがつける。それでアマチカを増やす。そのアマチカを使って貸し出す人間を増やして、そうして循環を作って――双児宮様がじっと狼狽えている私を見ている。
「そ、双児宮様にはすでに使徒様がいらっしゃるはずです。そ、それを私が追い出すような形になるのは」
「いいのよ、そんなことは。あれは貴方ほど優秀じゃない。貴方がうんと言ってくれればすぐに入れ替える。もちろん非難は受け止めるわ。私の責任だもの」
そんな軽いものではないはずだった。各枢機卿は使徒を二人ずつしか作れない。その使徒につぎ込んでいる資源と時間は膨大なものだろう。
それを入れ替える? 私と? 処女宮様のように、なぜか使徒を一人も持っていない枢機卿が緊急事態で使徒作ることとは意味が違う。
そうじゃない。私が嫌なんだ。私は、私は……。
――私には、目的がある。
外の世界を知らなければならない。この世界がどうしてこうなったのかを知らなければならない。
調べなければならない。この日本が、この土地が、
そのためには双児宮様の使徒になるわけにはいかなかった。この方の使徒になったらこの学舎で一生を終えることになる。
――私の目的を果たせなくなる。
「ど、どうしても使徒様でなくてはいけないんですか? その下の、小間使いのようなものではいけないんですか? わ、私に何かができるとは思えません。な、七歳児なんですよ?」
「馬鹿なことを。貴方がこの制度を考えたんでしょう。ユーリくん、貴方はきちんと計画書を用意してきました。現実的な範囲で、この国でも可能なように形式を整えています。褒めてあげます。すごいわ。さすが知能学習一位ね。……七歳児が用意するようなものではありませんよこれは」
そ、それは、だ、だって他人を説得するならそれなりのものがなければただの妄言で終わるだろう!
ほ、本気なんだぞ私は。私は本気でこの国を成長させる気なんだぞ。
だいたいかつてのブラック企業で私は散々罵られて学んだんだ。口だけじゃなくて体を動かせって、口だけじゃなくて行動に移せって、だ、だから、わ、私は……。
――
さぁ、と何か、奇妙な感情に
(ち、違う。なんか、なんかおかしい。頭がぐるぐるする。なんで私はこんなに
吐き気がする。どこに行っても責任を負わされようとしているからか? そうじゃない。そうじゃない。
膝をつく。倒れそうになる。見上げれば双児宮様が私を微笑んで見下ろしてくる。
これは、これは――。
――これは
いつも肩に下げている鞄に私は手を突っ込んだ。取り出したのは『ミント』だ。神殿で雑草取りをしたときに手に入れた『雑草』を錬金して作り出した低レベルの状態異常を治療する、精神系バッドステータス用の治療薬。
「おや、おやおやおや」
ミントを噛みしめれば私の脳がすっと鎮静される。
双児宮様が嗤っていた。不気味な顔で、膝をついている私を見下ろしてくる。
「な、何をしたんですか?」
「迷っていたようですので少し決断しやすくしてあげただけなんですが。ふふ、面白いですね。抵抗しましたか。やっぱりユーリくんは優秀です」
額を手でおさえながら私は立ち上がる。抗議しようかと思った。
だが、私には何も言えない。
(今、『ミント』を見られた。
甘く見ていた。せめてキリルや他の神官様を先に説得して連れてくるべきだった。
まさか
処女宮様や宝瓶宮様が私に好意的だから勘違いしていた。
――十二天座は化け物だ。
不老不死の怪物。国の頂点。私など彼らからしたら木っ端に過ぎない。
学舎という閉じられた施設を支配するこの方は、まさしくこの
「ですが傷つきますね。使徒という立場を誤解していませんか? 私の使徒は結構いい生活ができるんですよ? たとえば一人部屋。たとえば豪華な食事。たとえば豪華な衣服。もちろんお小遣いもあげますし。
そして、と双児宮様は私に微笑む。
「君がやりたがっていることも。奨学金という制度を作るにせよ、他の制度を作るにせよ、私の使徒になればだいぶやりやすくなりますよ?」
口を動かそうとして、動かない。恐怖だ。恐怖で私の口が回らないのだ。
――七歳児の私は無力だ。
せめて筋肉があれば、と思った。身長と筋肉があれば肉体が圧倒しているという優越感で口が回ったのに。
「君がやりたいことを私が支援しましょう。そして君がやるなら処女宮も宝瓶宮も君を支持します。ほら、すごい。これで三票です。十二天座の会議では七票取れれば提案を成立させられます。残り四票。日和見の連中を説得すればすぐです。ね、ユーリくん? ユーリくん?」
額を小突かれる。双児宮様は嘲笑っている。
「何か言ってください。ねぇ、ユーリくん。君がやりたいと言ったことですよ? それをこんなにも支援して上げるっていうのにどうして嫌なんですか?」
そして囁いてくる。私しかいないこの場で、私の耳に唇を寄せて言うのだ。
「ねぇ、ユーリくん。
どういう……どういう意味だと思った。
「キリルは助けて、神官たちも助けて、獅子宮も巨蟹宮も双魚宮も助けて、私は助けないんですか? この国を助けながら
なんだ。こいつは。この化け物は。
――そして、と双児宮様は言う。
「君が連れ出した子たちを、どうして助けなかったんですか?」
ねぇ、処女宮の使徒、と双児宮様は言って、私を冷たい目で見下ろした。
そうして溜息をついて、打ちひしがれる私に彼女は言葉を重ねた。
「使徒にしてあげる、と優しく言ってあげた。だけど嫌だと私を拒む。ねぇ、ユーリ。自分の都合だけで事が進められるわけがないでしょう」
そして彼女はインターフェースを表示すると、私に向けて、罰を与えるように言った。
「ローレル村のユーリ。スキルの無断使用、アイテムの不正所持の罰として、貴方に無期限の入牢を命じます」
調子に乗りすぎよ、と双児宮様は嘲るように私に言うのだった。
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