207 センリョウという男


 ドッグワンとの模擬戦を終えた『護法曼荼羅』の君主であるセンリョウと、その配下たる『護法十二天』の一人、毘沙門天は汗を流すとニャンタジーランド教区を視察するために街にやってきていた。

 あれこれと観察している彼らの傍にはドッグワンが立っている。

 接待役ということもあって、土地勘のない二人のために案内をしているのだ。

「センリョウ様、毘沙門天殿、この大通りを歩いた先がニャンタジーランドが誇る大神殿だ」

 現在、修復された遊具が点在する(アマチカを払えば乗ることもできる)ニャンタジーランド首都『ニャンタリゾート』の大神殿へと続く大通りを彼らは歩いていた。

 車両の通行のために、もともとあった破損したコンクリートが剥がされ、赤煉瓦が敷き詰められた見事な大通りだ。

「こりゃすげぇな……ニャンタジーランドは去年までは廃墟みてぇなもんだって聞いたがよ」

「そうだ。ここまでユーリ様が立て直してくださったのだ。ふッ、あの方は我らの命の……いや、心の恩人よ」

 大通りを見たセンリョウが思わず感嘆の声を上げれば自慢げなドッグワンが胸を張って言う。

 この大通りはもともとは雑多に住居が並んでいたただの道だった。

 だが使徒ユーリによって道は修復され、区画が整理された。

 未来を見越して道を広く作っているのだろう。赤煉瓦が敷き詰められた大通りは馬車が四台は並んで走れるぐらいの大きさだった。

 巨大な道の脇には様々な商店が並んでいる。また歩道には雑多に人々が歩いており、地元住人も利用しているのだと思われた。

「今は栄えているが、一年前はこうではなかった」

 ドッグワンは言う。かつて、この道には浮浪児が歩き、餓死寸前の人々が神に祈りを捧げていたのだと。

 だがそれらを神獣ニャンタは助けなかった。助けたのは女神アマチカが授けてくれた使徒ユーリだった。

 使徒ユーリのおかげで今、獣人は生きていられるし、胸を張って歩いていられるのだとドッグワンは言う。

 センリョウはドッグワンの瞳と言葉に宿る熱から、彼が真に信仰しているのは女神アマチカではなく、ユーリを通した女神アマチカなのだと気づく。

「ユーリ様は我々を救った。だがそれは腹を満たし、衣服を与え、家を与え、文明を与えただけではない。この道だ。この道こそがユーリ様の心なのだ。我々はかつて惨めだった。街が汚れていても、道が汚れていてもそれでよい・・・・・と思ってしまうような畜生だった。だがユーリ様はそのような我ら獣人に、このような立派な道を与えてくれた。そしてこの道のように、真っ直ぐで誇り高い生き方をせよと我らに仰ってくれたのだ」

 我らが心がごとく掃き清められたこの道は綺麗なものだろう? とドッグワンは誇らしげに言う。

 尻尾を楽しげに振って言うドッグワンになるほど、と一緒に歩いていた女武者である毘沙門天が理解したような顔で頷いた。

「ゴミひとつ落ちていない見事な道路です。都市は為政者の心を反映するといいますからな。ユーリ殿は立派な方のようだ」

「毘沙門天、お前、ユーリ本人を見て警戒していたくせに……」

 センリョウの目は道の各所に置かれたゴミ箱に向かっていた。

 肥料か、リサイクルか、ゴミを利用するシステムを置いているのだな、と彼の目は都市の仕組みを推察している。

「センリョウ様。貴方を守ることが私の役目ゆえ、初対面の方相手ならば警戒はします。必ず」

 それにユーリ殿は、と毘沙門天はドッグワンに聞こえないよう小声で何かを言おうとしたが、ドッグワンの犬耳を見て彼女は口を閉じた。

 犬の獣人は耳も鼻も利く。小声で呟いても聞き取られるだろう。

 毘沙門天の視線からそれとなく察したセンリョウは視線を変える。そして興味を持つ。人の集まっている小広場が見えたからだ。

 この大通りを歩いていればそのような小さな広場はいくつか見つけられた。

 気になるな、とセンリョウが足を向ければ毘沙門天やドッグワンもついてくる。

「おい、毘沙門天。見ろよ、広場に噴水があるぜ」

「噴水ですか……限りある水資源をこんなことに使っているのですね」

「そう馬鹿にしたもんじゃねぇだろ。豊かな証だ。それに見ろよ、ここの連中は嬉しそうだし、楽しそうだ」

 頭から猫耳を生やした猫獣人の子供が噴水の中に入って泳いでいる。水も淀まないように排水などもしっかりしているようだった。

 また、噴水の傍には清涼な水の流れる水道があり、そこに壺を持った主婦がやってきて水を汲んでいる。

 大通りの裏などには商店の店主の家などがあるのだろう。従業員のアパートもあるようだった。

「なぁ、毘沙門天。あの噴水はうちでもできんのかな」

「……浄化された水のようですね。流石に我が国では……」

 センリョウの問いに、口ごもる毘沙門天。

 廃都東京は特に水の汚染された地域だが、他の地域も大なり小なり汚染された水が流れている。

 初期技術であるポンプの水はいくらでも飲めるが、それもうまいまずいでいえばまずいものだ。

「なぁ、ドッグワンよ。あの水はどうやって作ってんだ?」

「ユーリ様からはセンリョウ様に教えて良いとは言われていないな」

 へ、とセンリョウは笑った。だよな、といいながらバンバンとドッグワンの背中を叩く。いい臣下だなお前は、と。

「ならユーリに直接聞くとするよ。持ち帰りたい技術が多いな、ここは。ハハハ」

 そうやって笑うセンリョウに向けてドッグワンは言う。

「『護法曼荼羅』は林業や漁業が盛んらしいが……そうだな、ユーリ様は船を欲しがっている。」

「お? ユーリから聞いたのか? そうだが船か……なるほどな。レシピと引き換えに船か」

 なるほどな考えておこう、と返答したセンリョウは街を歩く獣人たちの顔を見た。

 豊かで、幸福そうな顔の住人たちだ。センリョウが求める理想の一端がそこにはあった。

 国一つを富ませられる内政ができて、戦争が強くて、臣下の忠誠が得られる少年使徒。

 かつて前世でアニメだ漫画で書かれていたチートそのものがこの国にいた。


                ◇◆◇◆◇


 『護法曼荼羅』の君主であるセンリョウが前世の意識を取り戻したのは、六年前のことだ。

 目覚めた瞬間、彼はおや・・、と思考を止めた。目の前が血と死で満ちていたからだった。

 センリョウは目が醒めたら山の中にいて、刀を片手にモンスターを狩っていた。嫌にリアルな夢だと錯覚するほどの臨場感で、何がなんだか最初はわからなかった。

 だからその日は山の中で寝て、寝ている間にモンスターに襲われて夜通し戦うハメになった。

 センリョウが、自分を人間型モンスターのユニーク個体と呼ばれるものだと知るのはずっとあとのことだ。彼が君主を殺し、君主用のインターフェースにアクセスし、自分の情報を見たそのときだ。

 センリョウは七龍王国やくじら王国に出現する山賊や盗賊などの人間型モンスターだった。

 いや、正確には少し違う。

 地球上を覆うエーテルの海に『人間』の概念が書き込まれ、生み出される人の形をしたエーテル塊。

 それに転生者の魂が埋め込まれた存在がセンリョウだった。


 ――人間型モンスターであるセンリョウと、この世界の人間に大した違いはない。


 そう、山賊モンスターに教化を施し、国民にするのと大した違いはない。

 センリョウはただインターフェースの種族の項目に、モンスターと書き込まれただけの存在だ。

 だからセンリョウもずっと自身を人間だと思っていた。悪い夢よ醒めろとも。早く目覚めて学校に行かなくちゃとも思っていた。


 ――だが夢は醒めなかった。


 センリョウがどれだけ祈っても彼は元の現代日本には戻れなかった。

 だからURユニークレアスキル『人魔剣』の使い手たるセンリョウは、山に蔓延る熊だの猪だのといったモンスターたちを討伐すると山から人里に降りていった。

 だが山の麓にあった村に降りたセンリョウは、最初は村を襲う山賊だと勘違いされた。

 粗末な襤褸布に、刀を帯びた見知らぬ男だったからだ。村人のそれは当然の反応だった。

 結果としてセンリョウは村人たちに追いかけ回された。

 そんなセンリョウを守ってくれたのが一人の少女だ。村に住む薬師の老婆の孫娘。

 自身を人だと思っているセンリョウは村人に反撃もできず、剣で襲われそうになるも、その娘はセンリョウをかばい、周囲の人々を説得し、センリョウの治療をしてくれた。

 センリョウが、この世界が夢ではなく現実だと知ったのはその瞬間だ。

 同時に守ってくれた少女を、守ってやらねばと思ったのもそのときだった。


 ――だが、ああ、この世が夢であればどれほど。


 例えば、センリョウが目覚めたときに君主殺しを果たしていれば。

 例えば、センリョウが最初から君主であったならば。

 この世界に対する憎悪にも似た感情がセンリョウの中にはある。


 ――のどかで、穏やかで、幸福な日々だった。


 村に居着いて、薬師の老婆と少女と共に暮らすセンリョウは現代日本で得た知識で村をほんの少しだけ豊かにして四年を過ごした。

 過ごして・・・・しまった・・・・。四年も。四年もだ。なんでもできた時間をただ安寧に浸かり、蒙昧にも現実から目を逸して過ごしてしまった。

 少女と恋仲になり、結婚をする約束までした。

 その結果が大規模襲撃だった。

 彼方よりやってきた大量のモンスターたち。万を超えるモンスターたちの暴走。

 たまたま・・・・か、運が悪かったのか。センリョウがいた村が飲み込まれた。

 センリョウはたまたま・・・・薬となる薬草を取りに山に入っていて、巻き込まれなかった。いや、巻き込まれてはいた。山にまで入ってきたモンスターと一日中戦っていた。戦って、戦って、戦いぬいて、朝になってモンスターが引き、ようやく村に入ったとき、そこには村はなかった。


 ――何もなかったのだ。


 村はなかった。人の死体もなかった。愛する少女と薬師の老婆も、追いかけ回したことを侘びて友人となった男たちも、一生を平和な村の中で終えるなんでもない村人たちの姿も。彼らの住居も。何一つ残っていなかった。

 村の残骸の前で、何が起こったのか一切理解できずに悲嘆にくれるセンリョウの前に現れたのが毘沙門天だった。

 彼女は言った。すまない・・・・、と。このコースに来るとは思っていなかった、と。避難勧告が間に合わなかった、と。

 そのあとのことは覚えていない。気づけばセンリョウは毘沙門天を殺していた。いつのまにか毘沙門天の死体は消えていたが、センリョウは気にしなかった。

 そしてセンリョウは村から出た。旅立ったのだ。


                ◇◆◇◆◇


 大通りを歩くセンリョウは遠くに見える大神殿を見上げた。立派な建物だ。

 神獣ニャンタを祀っていた――今も祀っているが格を落とされて女神アマチカの脇に控えている――大神殿だ。

「神様が、何もかも説明してくれてりゃ楽だったんだがな……」

 センリョウの呟きに毘沙門天は何も答えられない。彼女はセンリョウの事情を知っている。転生者だと知っている。

 しかしセンリョウの悲しみを癒やす術は知らない。無言で拳を強く握る。

 センリョウは呟くように言う。

「昔よ。暇つぶしに読んだ小説に神様が出てきてさ。そいつが言うのさ、事故で殺してしまったからスキルをあげよう。別世界で好きに生きていいよ、ってな。そんときゃどんだけ意地の悪い神様だと思ったもんだ俺は」

 どこぞの世界に力だけ持った化け物を産み落として、そこで好きに暴れさせるなんてよ、と。無責任にもほどがある。

「だが事情を説明してくれるだけマシなのかもな……女神……女神アマチカ、か」

 大神殿を見上げながらセンリョウは呟いた。

 それが真に女神でないことをセンリョウは知っている。

 神国の処女宮ヴァルゴが女神アマチカであることはちょっと事情の詳しい転生者ならば知っていることだ。

 ただしそれを用いて神国を批判することはできない。立証が難しいうえに、神敵扱いされて、攻め込まれる理由を作ってしまうからだ。

 かつての神国相手ならばともかく、現在の神国相手に宣戦布告することは自殺行為に等しかった。

 ドッグワンが呟く。

「センリョウ様が神を嫌う・・・・事情はわからないが……我らは女神アマチカが遣わした使徒ユーリ様に救われた」

 女神アマチカを信仰する理由はそれで十分だと、ドッグワンは言う。

「神を嫌う、か……俺は……」

 センリョウは大神殿を睨みつけながら言う。

「神を殺したいよ。こんなくそったれた世界にしやがった、神を」

 神かどうかはわからない。

 だが君主転生者にインターフェースを与えたものがいるのだ。

 大規模襲撃についても、そいつが何かをしているに決まっている。

 突き止めなければならない。なぜあの穏やかな村が滅ぼされなければならなかったのかを。


 ――センリョウはこの乱世を生き残らなければならない。


 何をやってでも。この日本をこのようにした神に会うために。殺すために。



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