211 キリルのお仕事 その7
使徒キリルの部下である文官の少年ラムゼイは、街中でその男に声を掛けられた。
神官服を来た色黒の男だ。巨体で、傍で接すると威圧感が大きい。
もっともその存在はキリルから聞いていた。だが、実際に相対すると少し以上に緊張する。
そんなラムゼイに向かって、男はにっこりと笑ってみせた。
「
「あ、はい。『事業相談室』所属のラムゼイです。今回の教皇就任祭の準備を任されています。よろしくお願いします」
バリーと名乗ったその色黒の男は、サングラスに隠れた目でラムゼイを見下ろした。
「ラムゼイ、そう緊張しなくていい」
バリーの筋肉質の身体は天蠍宮様の所属というよりも
「えっと、その……」
バリーが手を差し出してくる。握手だろうか? ラムゼイは緊張しながらもその手を取る。
「これから一緒に仕事をするんだ。仲良くやろう。ラムゼイ」
バリーのがっしりとした手から伝わるのは好意や信頼などの感情だ。
ラムゼイは、バリーが若造であるラムゼイを侮っているように見えず、安心する。
(この人はいい人……なのか?)
鷹揚に頷いたバリーは「立ち話でなんだが……密室よりこういった場の方が安心できるからね」と周囲を一度確認した。
ラムゼイも釣られて周囲を見てしまう。
周囲には人はあまりいない、というわけではないが、皆があくせくと忙しく働いているせいかラムゼイたちに注目している人間はいないように見えた。
「それでそちらの君は自己紹介をしてくれないのかい?」
周囲を確認したバリーが問いかけるのは、ラムゼイと一緒にこの場にいたツクシだった。
宝瓶宮配下の錬金兵のツクシは、ラムゼイと一緒に今回、祭の準備のために奔走している一人である。
しかし、ツクシの顔に浮かんでいるは疑問だ。
「なぁ、おっさん。どっかで会ったことがあるか?」
バリーは一瞬怪訝そうな顔をし、ツクシをまじまじと見てから「いや……ふむ? 錬金兵かな? 君は」とツクシに逆に問いかける。
「へぇ、おっさん。わかるんだな?」
「鉄筋コンクリート製の建造物を、錬金のスキルで素材に還元する際、消しきれなかった粉塵が身体にうっすらと残ることは知ってるかい? 君からはコンクリートと鉄の臭いがする。君の臭いは、君が思う以上にわかりやすいのさ」
言われたツクシは目を丸くしてから、服の袖を鼻に押し付けて鼻を動かした。
バリーはそんなツクシの仕草に苦笑を零す。
「本人が思っている以上に、臭いはわからないものだよ。なぁ君、嗅覚疲労という言葉を知っているかい? 自分の臭いに関して、人間はとても鈍感になる。君も愛しい女性と会うときには注意しなければ振られてしまうぜ?」
ツクシは暫く考えていたようだったが、挑戦的な目つきでバリーを睨みつけた。
「ああ、なるほど。わかった。あんた、帝国人だな」
ツクシの指摘に、今度はバリーが目を丸くする番だった。
「――なぜ、
「神国の軍属で俺を新兵と呼ばない奴は俺より年下か外国人だけなんだよ。で、外国人の中でも、エチゼン魔法王国の連中は女だらけだし、教区の連中は獣臭いし、くじら王国兵は馬と飼葉臭いからな。臭いがそれでもないアンタは消去法で帝国人だ……っていうか、ああ、アンタ、あれか。連合軍のときの奴か。顔は見えなかったが、その体格には見覚えがあるぜ……確か『鷹の目』だっけ?」
ツクシの物言いにバリーは目を手で覆ってから「おお、女神アマチカよ。これも我が運命ですか」と説法の上手い司祭のように天を仰いで見せてからツクシに向かって手を差し出した。
「君はあのときのモグラどもの一人か。どうぞよろしく、元帝国兵にして、今は天蠍宮様の直属の部下の、テロ対策特別班所属のバリーだ」
「モグラってなんだよ。知らねぇ言葉を使うなよ。まぁいいや、よろしくバリー。俺はツクシだ。今回の教皇就任祭の設営準備部隊の責任者の一人だ」
ツクシが手を差し出し、バリーと握手をする。
「モグラってのは、帝国の生き物だな。土の中で生きるモグラって鼠の出来損ないみたいな動物が帝国にいるのさ」
「うるせぇな。聞いてねぇよそんなこたぁ」
バリーが口角を釣り上げて皮肉そうにツクシに向け言ってみせれば、ツクシは吐き捨てるようにバリーから距離を取った。
(バリーさんが……帝国兵?)
ラムゼイは帝国兵と聞かされ、バリーを改めて見直した。
だがラムゼイにはバリーが帝国兵には見えない。
帝国は神国を狙う悪鬼のごとき連中、と市井では言われているが、バリーはどう見てもそのような人間には見えないのだ。
鷹揚で、余裕がある人間に――いや、ラムゼイは気づく。サングラスに隠れているが、ツクシを見下ろす元帝国兵の目元には疲れが滲んでいる。
(彼はこの任務に乗り気ではないのか? 神国のために働くのが嫌とか?)
ラムゼイは、バリーが望んで神国のために働いているわけではないということがわかって複雑な気分になる。
「あの、失礼ですが、なぜ元帝国軍の方が? 教皇就任祭は、悪く言うのはなんですが、帝国の方が関わるのは、その……」
バリーは問いかけてきたラムゼイを見下ろしながら、穏やかに言う。
「教皇就任祭に攻撃を仕掛けてくる帝国のやり口を一番知っているのが私だからだよ。天蝎宮様に直々に頼まれたのさ。君たちは今回の帝国の狙いについて詳細は聞いているかい?」
ラムゼイとツクシは揃って聞いていない、と首を横に振った。
「じゃあ私からは言えないが、帝国は残り少ない国の余力を馬鹿げたことに費やそうとしているのさ。私は元帝国人として、それを止めなければならない。
「酷いこと……」
バリーの言葉にラムゼイは怪訝そうに首を横に傾ける。バリーはツクシを見ながら問いかける。
「ツクシ、対連合軍の防衛に参加した錬金兵の君ならわかるだろう?」
「俺が? いや、酷いことなんざわからねぇが……」
信じられない、といった様子のバリーがツクシに言う。
「わからない!? あの廃ビル地帯で、あれだけのことをした君たちが、そういう認識なのか!?」
「いや、俺は何もしてなかったし。やったことといや、せいぜいビルの間に瓦礫積んだのと、穴を掘ったぐらいだぜ? 結局、何が起こってたのかさっぱりわかんなかったしよ」
「……あの戦いで、帝国、魔法王国合わせて三万の精鋭が一人の神国人も殺せずに皆殺しの憂き目にあった。私の部下も、私の友人も、数多くがだ。そんな私にとって、
――まるで、物語の魔王のように……。
サングラスではっきりと見えないが、微かに恐れの見える様子でバリーは言った。
懇願するような口調だった。
ラムゼイやツクシに共感を得ようとしているのではなく、自身の感想として、元帝国軍の諜報兵はそういう認識をユーリに持っているようだった。
そんなバリーの様子にラムゼイがぽかん、と口を開けるが、ツクシは鬱陶しそうに頭を掻いて、
不死身の炎魔と違い、あの連合軍での戦いのときに、神国に降伏した兵は大なり小なりこういう傾向にあった。
錬金兵として様々な部署で様々な人間に会うツクシにとっては、バリーのこれは別に珍しい反応ではない。
元帝国兵や魔法王国の魔女たちからは錬金兵というだけで毛嫌いされることもあったからだ。
「ふん、酷いことね」
ツクシは馬鹿にするようにバリーに対した。
若く、血気盛んな彼にとって、戦争に対する認識は元帝国人とは違う。
ツクシにとって戦争とは出世の舞台でしかない。戦争に参加してから勝ったことしかない少年の認識はそんなものだ。
侮蔑するようにツクシは元帝国兵であるバリーに言う。
「馬鹿がよ。攻め込んできたのはそっちじゃねぇか。それを殴り返されたからって怖い怖いってビビるようなことかよ。まぁ死体の処理に参加した身としちゃ二度と戦争なんかしたくねぇってアンタの気分はわかるがな。ああ? 祖国が負けるのは怖いから止めるために動くってか? 腑抜けかよ」
そんなツクシに向かって、
ムッとした顔のツクシは「うるせぇなおっさん。早く任務の話をしろよ。てめぇの人生みてぇな無駄話してる暇なんかねぇぞ。若くて未来のあるこっちはやらなきゃいけねぇことが大量にあんだよ。時間を無駄にさせんなボケ老人が」と苛立った様子で言い返す。
「ちょ、ちょちょちょ、喧嘩はまずい!!」
だがツクシの罵倒にバリーが反応するよりも早く、ラムゼイは慌てて仲裁に走った。
――ツクシの怒りも仕方がない。
最近の激務でツクシの苛立ちは頂点に達している。
人員不足のために現場での作業監督に加え、資材などの管理も担っているツクシは配下の兵が日曜日のため休む中も特別出勤し、事務所で書類仕事をしなければならなかったからだ。
もちろんその分の給金は与えられているし、ツクシにはきちんと寝るように命令が出ているから睡眠はとっているものの、最近のツクシはイライラとしていて、とにかく喧嘩っ早い。
ラムゼイはとにかく話題を変えることに集中した。バリーに突っかかろうとするツクシの前に立ち、口を動かす。
「あ、あー、ええとバリーさん? それで対テロってなにをするんですか? 俺たちは何を協力すべきなんでしょうか?」
激高したのはツクシだけだった。あれだけの罵倒を受けても、バリーの方はあまり雰囲気が変わっていない。
いや、筋肉質な巨体の印象の彼が、ラムゼイには小さく見えてしまった。
彼は、ツクシの激高にショックを受けているようだった。
「すまないな。悪意があって言ったわけではなかったんだが……よくないな……昔はもう少しうまく溶け込めたんだが……」
全体的にくたびれた様子の彼は、ツクシに向かって腰を曲げ、丁寧に謝罪をする。
「お、おう? わかったんならいいぞ」
バリーがあっさりと引いたことでツクシも溜飲を下げたようだった。
数秒の沈黙。そしてようやくバリーが本題に入る。
「テロは、複数の重要拠点に対して、放火や爆破のようなやり方で行われるだろう」
「ああ? 放火に爆破? ちッ、めんどくせぇな……」
バリーは言ってから「が、それはやらせる。そう決まっている。防ぐのは致命的な場所だけだ。重要拠点じゃない場所はそのままやらせて、本命を決行させる」と二人に言う。
「ええと、え? 対策は? 防ぐんじゃ?」
「なんだよ、おっさん。帝国の肩を持ちたいのか?」
「完璧に守りすぎる、というのはとても疲れる行為なのさ。余計な力も使う。敵も動けなくなる。本命の作戦を決行させるためには、こちらで多少の隙を作ってやらねばならない。二人に頼みたいのは、そのときまでに帝国が行うテロの標的を確定させる作業の手伝いだ。祭りの準備の際に、喧嘩や殺人、事故などが起こったら、その場所を教えて欲しい。帝国軍はまず事件や事故を起こしてから、こちらの警備の人間の動き方や数を把握しようとしてくるだろう」
「事故……喧嘩……ああ、そういやちょいちょいあったような気もするな。待ってろ。覚えてる限り書き出すから」
「頼む。街の青年団や軍でも情報はとるが、情報が多ければ多いほどこちらも推測が立てやすい」
ツクシが地図を取り出し、事件の箇所を書き込み始める。
そんなツクシを見てラムゼイは俺も、とツクシを手伝おうとするが、ツクシに「邪魔すんなボケ」と怒られてしまった。
口が悪い、とラムゼイは顔を強張らせてツクシを睨むも「ラムゼイ、ツクシの邪魔をしないであげてくれ」とバリーにまで言われてしまう。
ツクシが地図にチェックを行っていく間、バリーとラムゼイは無言だった。
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