第35話 春はあけぼの、穏やかであれ
入学から早くも二週間が経ち、浮ついた雰囲気も落ち着いたこの頃。
僕もすっかり新しい教室に馴染んで――は、いなかった。
朝、僕は小鳥の囀りをBGMに、朝日の温もりを楽しみながら登校する。まだ朝練をする部活も動いていない時間だ。
この静謐な時間が好きだ。
一日が始まる寸前のわずかな空隙。
世界が回りだす、スイッチを入れる直前のときめく雰囲気は家の中にいると感じられない一瞬。
ぼうっとしていた頭がすっきりするよう。
教室に着く頃には、はっきり目も覚める。丸い壁時計のちかちかと動く音を聞きながら、ついに現れた日々の課題をこなしておく。余裕があれば予習も。
放課後のゲーム時間を確保するためにも朝の勉強は重要だ。
『ノルニルの箱庭』にハマりすぎて最近は生活リズムを崩していたが、あと半月もしたら中間試験がやってくる以上、そろそろ本来のリズムに戻しておかねば困るのは自分。そうして深夜のプレイを自重しているのである。
灰島は全く気にせずプレイして、今頃はまだ寝ているだろう。
部活の朝練が始まり、学校に活気が出てくる。
決まった時間に学校の見回りをしているらしい上級生がドアのガラス部分から顔を覗かせる。最初は驚いたが、お互いに軽く視線で挨拶をしてお別れだ。こんなに朝早くから生徒会も大変ですね。
登校してくる生徒が増えてきたら勉強を止める。単純にうるさくて集中もできないので。
始業の鐘が鳴るまでホロホを開いて、デッキ構築を考えたり、動画を見たり、あとは本を読んだりしている。
「おはよっ、ロウくん!」
不意に掛けられた声でホロホから視線を剥がすと、そこには学年でも話題の美少女が立っていた。
地味なブレザーの制服だが、それが逆に少女の清楚さを際立たせている。濡れたようにしっとり纏まって地に向かう黒髪が教室の光を跳ね返していた。
「おはよう。伊玖」
僕が挨拶を返すと、伊玖はにっこり笑った。
彼女はホロホを立ち上げると、スクリーンを僕に見えるように向けて訊いた。
「ロウくん、新しいデッキ組んだんだ! どうかな?」
「ふむ、拝見しよう。……悪くはないな」
スクリーンに表示されているのは有志のデッキ構築アプリ。ノル箱をプレイせずとも、デッキ構築をシミュレートできる。
そこに伊玖の組んだ仮デッキが詳らかに並んでいる。
僕と灰島の対戦を観戦して、何が伊玖の琴線に触れたのかは知らないが、あれからすぐに伊玖もノル箱を購入したのだ。オンラインゲームはおろか、ゲームと名の付くものはトランプとかオセロぐらいしか経験がないというにも関わらず。
もっとも、まだ対戦をしたり、ダンジョンへ行ったりと一緒に遊んだことはない。僕は構わないのだが、彼女が初心者すぎると遠慮を感じているらしい。
一緒に遊ぶならもう少しゲームに慣れてから、ということになっている。相談はこうして学校でも受けられるし、好きに遊んでもらって大丈夫だとは伝えている。
貴重な新規プレイヤーでもあるし、相談はなるべく受けるとも。面白く思ってもらえれば嬉しい。
しかしながら、プレイヤーとしては初心者だが、発言の真意を巡る探求者としては僕よりも上手の人だ。
しゃがみこんで机の縁から僕の眼の、奥の奥まで見透すかのように、そのつぶらな瞳で覗き込んでくる。
「悪くはない……けど良くもない?」
僕の無難な回答から、伊玖が裏に隠した言葉を見つけだす。
「あー……、まあ、端的に言えば」
「どのあたりが? 具体的に教えてよ」
「このデッキは欠点なくバランスよく考えられていると思う。初心者のレベルなら十分だろう。これが悪くない理由」
「ほむほむ。良くない理由は?」
「バランスがいい代わりにストロングポイント――決め手がない」
伊玖の組んできたデッキはどのサーヴァント、神秘を手札に入れても問題なく動くもの。利便性や再現性、万能性といった言葉に代表される対応幅の広さはあるが、その代わりにほどほどのシナジーしか得られない。
「決め手?」
小首を傾げる伊玖。黒髪がしゃらりと流れる。
この二週間で色々と勉強してはいるようだが、カードゲーム用語を覚えきれてはいないようだ。専門用語でも何でもないが。
「必勝パターンとでも言うのかな。この場面でこのカードを出して、こう動かせば勝てる。そういうデッキの要になる戦術とかカードが無いのが良くないね」
「えーっ? でも一つにこだわるより、手広くどっしり構えていた方がいいんじゃないの?」
「相手が何してきても全部受ける、っていうのはもちろんあるけど、それはきちんと反撃の手段を用意してるから。相手のリソースを全部使い切らせて何も出来なくなってから、反撃で一気に叩き潰す準備をするんだよ。じゃないと、ずっと殴られっぱなしで負けてしまうだろ。勝利への道筋を立てるのが大事なんだ」
僕の説明に、伊玖は机に顎を乗せて頬を膨らませた。
数秒の後、ふすーっ、と空気が抜けていく。
「ふうん……。確かに『敵の攻撃は全部止めてやるー!』と思ったけど、そこからどうやって勝つのかは抜けてたかも……」
「僕は『ラビット』と『妖精』、二本立ての高行動力サーヴァントでプレイヤーを削るのが主軸。高打点の強いサーヴァントは神秘で対処する。逆に灰島はプレイヤーを強化しまくって戦うタイプ。強化自体が防御であり、決め手でもあり。切り札の叙事詩サーヴァントも脳筋だし、引き次第で序盤から手が付けられないタイプだよ」
「へえー。そういう考えがあって、たくさんうさぎとか入れてたんだー」
僕も別に入れたくてうさぎを数多く入れているワケではないのだが。
「持ってるカードの中で、妖精とシナジーあるのが【ガーデンラビット】だったんだよ。そのあたりはあまり見せられなかったけど……。今後の入手カード次第で入れ替えていくつもりだ」
妖精の入手に全力投入したら資金が瞬く間に溶けていき、安売りされていた【ガーデンラビット】のシリーズぐらいしかまとまった数を確保できなかった。という理由は隠しておく。さすがに恥ずかしい。
「てっきり可愛いから入れてるのかと思ったけど違ったのかー」
「好きなカードを使うために戦術考えて無理やり組み込むやつもいるが、僕はたまたま条件に合うのがそれしかなかったから。伊玖も何か好きなカードがあるなら、そいつを軸にしてもいいかもな」
「分かったよー。また考えてみるね。ありがとー」
「どういたしまして」
スクリーンを消すと伊玖は自分の席に戻っていき、そしてすぐに近くのグループに囲まれていた。
僕はと言えば、再び読書に精を出す。話しかけてくる人はいない。
わずか二週間で授業を除けば、灰島と伊玖しか話すことのない体制が整ってしまった。
僕の寡黙なハードボイルド加減がどんどん増していく。けして友達がいないとかではないのだ。
「ほーら、もうチャイム鳴るからな。席に着けー」
しばらくしてからやってきた担任の声で騒がしさが一段落ちる。
今日も一日、がんばっていこう。
そして昼休み。
僕は校舎裏に呼び出されていた。なんで?
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