第91話 初夏の一ページ

「あら、早いわね」


 僕が学校に到着すると、ちょうど購買から戻る途中の会長と遭遇した。今日も琥珀色の縁メガネの向こうにあるかんばせは涼しげだ。

 なんだか飲み物が入っていて重そうな袋を持っている。


「こんにちは会長。あー……、持ちます?」

「いいわよ、手伝いに来てもらったお礼のつもりで買ったものだから、運んでもらうのも変でしょう」

「僕が飲むものなら、余計に僕が持たないと」

「別に重たいワケでもないから。女子の中でも力は強い方なの」

「男子女子ではなく、僕の気持ちの問題なので」


 ジェンダーの区別はともかく、重い荷物を持たせておいて僕は手ぶらというのは、なんかこう外面が良くない気がしてそわそわしてしまう。『ミスターアルセーヌの男力学』においても、他人が持つ重い荷物は男を上げる力点なり、と書いてあった。自ら申し出て男を上げるのだ。


 遠慮している会長の持ち手に「失礼」と声を掛け、レジ袋を奪い取る。重ッ!

 想定外の重量によろめきつつ、


「行きましょうか。えーと、生徒会室でいいんですか?」

「……悪いわね。生徒会室は個人情報とかもあるから、隣の空き教室を借りてあるの」


 僕の貧弱さに驚いたのか、一瞬の間を空けて言葉を継いでくれる会長。やっぱり健康のためにも身体を少し鍛えるか!!!


 ペットボトルが何本入っているのかも分からないが、相当数のお礼を用意してくれているようだ。

 とてもお礼だけとは考えられない量の飲み物を持ち、最上階の奥地にある生徒会室に到着する頃にはすでに疲れていた。


「こっちよ」


 横の教室のドアを開けてくれたので、よいしょと飲み物を運び入れる。大仕事をこなした気分だ。

 教室の後ろに寄せられている机に荷物を乗せて一息ついた。


「おつかれさま、苑田くん」

「いえ、仕事はこれからですよね?」

「そうだけど……まだ伊玖さんが来ていないから。揃ったら説明して作業を始めるから、今は休憩しましょうか。今日は日差しが強くて暑かったでしょう」


 なら仕方ないか。

 とはいえ、手持ち無沙汰だ。


 疲れたのは疲れたが、重いレジ袋が持ち辛くて疲れた、ってところが大きい。リュックで背負っていたなら、大した疲労も感じていないはずだ……と思いたい。

 解消に必要なのは手をグーパーと伸縮させるくらいで、どうせならさっさと終わらせたい気がしている。


 やる気に満ち溢れた僕に、会長は袋から薄い乳白色のスポーツドリンクを抜き取って手渡してきた。


「それとも私とは話もしたくない?」

「まさか。メインイベントは会長と顔を合わせることですから」


 マーリンたちの言葉を身に染み渡らせた僕ならば、ちょっとした台詞のストックを引き出すことなど造作もない。

 仕事なんて二の次ですよ。


 スポドリを受け取り、早速枯れきった喉を潤す。水分が美味すぎる。

 会長は緑茶を開けていた。


「そういえば生徒会の仕事なのに、会長しかいないんですか?」


 ふと気になって尋ねてみた。

 生徒会には会長の他にも、副会長と会計、書記、庶務の五名で構成されている……と生徒手帳に書いてあったが。


 お休みモードの校内には日頃の喧騒が遠く、隣の生徒会室にも人の気配は感じられない。


「えっ……、……ええ。毎日全員で集まっても仕方がないから。私達もお休みは欲しいしね。他の人たちには昨日、作業してもらっていて、私は今日それの確認をしに来たというワケ」


 なぜか動揺している会長はわずかに口籠り、それから普段の口調を取り戻した。


「なるほど。生徒会よりも優先してしまう程度にはノル箱を楽しんでもらえているみたいで良かった」

「私は元々ゲームプレイヤーなの。興味のあるゲームで大きなイベントがあるなら多少は調整もするわよ。調整の効く仕事だったのもあるし」

「それが今、と」

「今は別件の仕事ね。昨日の確認はもう午前中に終わらせたから」


 僕の頭脳に疑問符が踊った。

 手伝いが必要なほど作業量がある仕事なのに、どうして会長一人しかいないのだろう。


 会長は顔の横に垂れたおさげを揺らして、


「本当は登校日に集まってやる仕事だったのだけど、グループチャットでイチャイチャしている二人が許せなくて」

「おォい!? そんな俗い理由でわざわざ!?」

「個別でやらなかった自分を恨むのね」

「いや、僕は単にお礼のチャットを送っただけじゃない!?」


 事実を陳列してツッコむ僕に、会長はフッと微笑った。


「やっぱりそっちの方がいいわ」

「……はい?」

「ノル箱の中みたいに話していいわよ、ってこと。チャットだと受け入れられていたけど、今更取ってつけたような敬語を聞くと耳が痒くて。何なら私もLSと呼びましょうか?」

「絶対に止めてほしい」


 何のために本名とプレイヤーネームを分けているのか意味わかんなくなってしまう。学校は対戦会場じゃないんだからな。


「それじゃあ、ロウ、ね。日本人ぽくない響きの名前ね?」

「漢字で言ったら楼閣のロウだから……どっちかと言うと中国っぽいのかな? 日本人だけどさ」


 会長は僕の説明に深く頷いた。


「納得したわ。あまりにもしっくり来る漢字だもの。確かにあなたはたかどのだわ」

「たかどの?」


 知らない単語に僕は首を捻った。名前の話をして、そういう方向に持っていかれたことがないので困惑している。


「楼閣もそうだけれど、摩天楼って言うでしょう。楼には高層建築の意味合いがあるの。四方を見渡せるくらいのね。トップ・オブ・ザ・トップのあなたにはピッタリの名前じゃない?」

「そんな大層な意味合いでは親も付けてはいないと思うが……」

「立派な名前だと思うわ。そうそう、昨日の大会は優勝おめでとう。まさか一万五千人の頂点に立つほど強いプレイヤーだとは知らなかったわ」


 話題がスプリンガー・バトルフェスに移ってホッとする。

 そんなに名前を褒められる経験がなかったので、どう反応すればいいのか困っていた。


「ありがとう。でも体験して分かったけど、次からはきちんと大会に対する作戦がいるな」

「大会に? 作戦? 対戦相手にヤマを張って対策するとかではなくて?」


 対戦相手には常にメタ張る努力をしているから、それは気にしたことがない。


「形式にもよるけど、今回の十三連戦は本当にキツかったから。プレイミスもかなりしたし。一戦一戦に本気を出すのは当然だとしても、なるべく消費の少ないデッキを組むとか、効率の良い戦い方を考えないと」

「あぁ……今後の大会も全部スイス式トーナメントだと、確かに辛い……。私も途中まで勝てたのだけど、頭を使いすぎてへろへろになってからはダメだった」

「僕とか会長みたいに、策を巡らせて勝つデッキが主体だと厳しいなー」


 僕らは手札から取り得る手段を構築して、勝利へと道を繋いでいくタイプだ。一度の対戦でかなりのエネルギーを消耗する。


「灰島――アッシュみたいに、やることが決まっているデッキだと明朗会計で悩まないんだが」


 『プレイヤービルダー』はとにかく鍛え上げたプレイヤーでパンチする、そこに手段と目的が集約される。考えることがほとんど無いから、疲労も最小限に収まることだろう。


「つまり、私たちにとっては二種類のデッキを持つのが最も簡単な対策なワケね」

「そうなるかな。幸い、ノル箱は持ち込める予備カードが多いから、一手勝ちワンハンドとメインデッキを持ち込むのは難しくない」


 大会の序盤は参加人数的にファイナルズまで残るようなプレイヤーと当たる可能性は低い。


 思考すべき内容を極端に減らし、再現性の高い『これをやれば勝てる』を明確かつ簡単な手順で行えるデッキ。一手勝ちワンハンド

 これで疲労を少なく勝ち上がっていき、中盤から終盤、対戦相手のレーティングが上がってきたところで、予備カードで持ち込んだメインデッキに切り替える。こんな戦略が求められるだろう。将棋や囲碁のプロ棋士並みの継続思考力を求められると辛い。


 もちろん、全てのカードを入れ替えるなんてことは不可能なので、ある程度の共通化を行う必要はある。

 限られたカードを入れ替える。たったそれだけで、全く別のコンセプトを持つデッキに生まれ変わらせなければならない。


 持ち込むのは難しくないが、それぞれできちんと勝てるデッキに仕上げなければならないという難易度の高いミッションだ。


「だが、それが面白い」


 ぼくがかんがえたさいきょうのでっき。

 下手するとカードゲームで一番楽しいデッキ構築の時間が単純計算で二倍になるのだから面白くないはずがなかった。


「ところで――」


 こくりと緑茶を飲んだ会長がそう切り出した。


「私はノル箱と同じように話してとお願いしたわよね」

「……だからそうしているつもりだが」

「名前」


 結露でしっとり濡れた白い指が、僕の心臓を突いた。


「私は『会長』なんて名前じゃあ、ないけれど?」

「フルナと呼べばいいか?」

「自分は拒否したのに、私はいいんだ」


 会長の口振りは不満げだったが、何が楽しいのか彼女の目は笑っていた。

 僕のドキはムネムネしているのに。多少はゲームで慣れたつもりだったが、リアルでの触れ合いはまた違う感情が飛びかかってくる。


 伊玖の時は簡単に受け入れられたことを、今は迷い悩むようになっているのは成長と呼んでいいのだろうか。

 しかし、求められているのであれば、特に断る意味もないのだから望み通りにしようではないか。


「満輝でいいのか。先輩なのに」

「あれだけボコボコにしておいて何を言ってるの。先輩を敬う気持ちが残っているなら、多少は立てるものでしょうに」

「いや、君がいいならいいんだが。他の人がいる時は気まずいな」


 それからしばらく、伊玖が登校してくるまでの間、会長――満輝はそこはかとなくご機嫌であった。

 やってきた伊玖が何らかを邪推する程度には分かりやすかった。

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