第93話 ねこばん屋

 紙袋が一つで済んだのは幸運であった、と言っていいのかしら。


 何を着てもガリガリの身に似合うと言い切れる服がなかったのは、百戦錬磨の女性陣と言えどいかんともしがたい。

 一時間以上も着せ替え人形になって出た結論は、とりあえずユニセックスなシルエットの出にくい服でごまかそう!

 ということで結局その手の種類が手頃に多い、ファストファッションで揃えた。


「次までにしっかり食べて人並みに肥えておきなさい」

「タンパク質と野菜と他諸々をバランス良く取るんだよ」


 などと厳命が下された次第。次があるのか……。


 次を思うと、すでにぐったりしてしまう。服を脱いで着るだけなのに、なぜこうも疲れるんだ。

 バランスの良い食事なんて全く知らないがミスターアルセーヌに聞けば男を上げる食事を教えてくれるだろうか。


 悩む頭に手を当てていると、先を歩いている伊玖が尋ねてきた。


「ロウくん、あのお店がそう?」

「……ああ、そうだ」


 気が付けば次の目的地に到着していたようだ。

 僕にとっては見慣れた、薄汚れた電飾看板が目印の古めかしい佇まい。


「ホビーショップ『ねこばん屋』。昭和から続く由緒正しきおもちゃ屋さんだよ」

「伝統ある、と呼んでいいのか悩ましいところね」


 排気ガスで汚れた看板の、小判を持ったねこを一瞥して、満輝がそんな感想を述べた。


「そんなに大きな店には見えないけど、カードの他におもちゃも扱ってるの?」


 窓に貼られている色の変わった販促ポスターを眺めながら、伊玖はそんな疑問を挙げる。


「今はカードだけだな。孫が後を継いで、リニューアルしたんだ。名前と外装は変わってないけど、中は今ドキだから安心してくれ」


 若干建付けの悪くなっている扉を押すと、ドアベルがチリチリンと鳴った。


 壁に沿って、背の高いガラスケースがところ狭しと敷き詰められ、キラキラ光るカードたちが値札を付けて飾られている。

 入り口から真っ直ぐ奥にレジがあり、カウンターの向こうに座るオッサン店員は茶を飲みながら競馬新聞を読んでいた。


 ドアベルの音でこちらに気付いたオッサンが目を瞠る。


「な……っ!? エルスが女連れ……だと……?」

「別に初めてじゃないだろう、店長」

「お前が自分から連れてきたことなんて今までなかっただろ!」


 ダン! と手に持った湯呑をカウンターに叩きつけ、熱い茶が手にかかる。


「ッチィっ!? 水、水!」


 オッサンは客の僕たちを放置して、裏にある自宅に走っていった。

 相変わらず無用心な店長だ。


 手を冷やしてから戻ってきたオッサンを二人に紹介する。


「このそそっかしいオッサンが『ねこばん屋』の店長、判場ばんばだ。店長でも、オッサンでも、負け犬でも好きに呼んでくれ」

「おい、エルス。そんな呼び方をしていいと思ってんのか」

「どうせこないだの競馬も負けたんだろう? 難しい顔で競馬新聞見て次のレースを考えている時は大体そうだからな」

「馬鹿にすんな! きっちり当ててやったわ!」

「じゃあガミったんだな」

「ぐ……っ」


 伊玖が手を上げた。


「どうした?」

「ガミるって何?」


 僕は溜め息を吐いて、ろくでなしを横目で睨んだ。


「店長のせいでいたいけな子供がギャンブルに興味を持ってしまった」

「おれのせいじゃねーだろ! つーか、いたいけな、ってトシでもねーだろが! 化粧すりゃ競馬場にいても平気そうな見た目だが」


 無精髭をいじって認めたがらないダメな大人は放っておく。


「競馬は買った馬券が当たったら、購入金額に倍率を掛けた額が戻ってくる。ここまではいいな?」

「倍率がどうやって出るのかは知らないけどね」

「そのあたりはおよそ人気とか馬券の種類で決まる。強い馬はみんなが勝つと思ってるから、みんな馬券を買う人気の馬になって倍率が低い。倍率が低いってことは当たっても、あまり良い金額は返ってこない。そして馬券は買う種類や金額に制限は無い」

「分かったわ」


 黙っておさげを撫でていた満輝が会話に入ってきた。本当に分かったのか?


「一つのレースで勝ち馬は一匹。色々な種類の馬券を買っても、的中するのは少ないということね」

「おお……ちゃんと分かってる……」

「どういう意味かしら」


 僕は手をひらひらと振った。他意はありませんヨ。


「ガミるってのは、そうやって馬券を色々買った結果、見事的中させたはずなのに総購入額が払い戻しを上回って赤字になっていることを指す。つまり、店長は先週も負けたってこと」

「うるせえな先週は負けてねえよ!」

「ああ、負けたのは先々週の桜花賞で、先週は自重したのか」

「やめろ、おれの行動を読むんじゃねー!!!」


 競馬新聞を破りかねない勢いで店長が頭を抱えた。

 よほど桜花賞で負けた金額が痛かったようだ。


「仕方がない、売上に貢献しようじゃないか。ノル箱のデッキ出力を頼む」

「あぁ? また出力すんのか?」


 店長は訝しげにしながら、椅子に深く腰掛ける。


「カオティックムーンに使う金が減ったと思ったら、今度は三日と空けずに出力しに来やがって。タダじゃねぇし、お前も金稼ぎできなくなったんだからちったぁ使い方考えろよ。せっかくこんなかわい子ちゃん並べてんだから、なんとかなんとかフラペなんとかでも奢ってやれ」

「それは何?」

「カフェに置いてあんだろ?」

「僕に分かるのはコンビニの品揃えくらいだぞ」


 そこで肩を叩かれる。

 振り返ると、思ったよりも近くに顔があってビビった。


「どうした、イクハ」

「いやー。店長さんとすごく仲が良いね、って」

「店長とは物心ついてから、もう十年ぐらいの付き合いだからな」

「こいつはおれの……いとこかはとこか、忘れたが、まあ一応親戚なんだよ。それはそれとして、年上に敬意を払えとは思うが」

「親しみを感じていられるだけ感謝してほしいよ。うちの母に競馬でスッた生活費を借りに来たことまだ覚えてるし」

「何年も前に一度だけだろ! いい加減に忘れろ!」


 玄関で土下座した情けない姿は網膜に焼き付いていて、あと十年は忘れられそうにない。


「あんまり身内が入り浸っててもアレかなと思って、呼び方だけは店長と呼んであげているが、君らはダメおやじと呼んでやればいい」

「カスとかをお望みでいいのかしら?」

「そこまでは言ってない」


 ナチュラルにそれが出てくる満輝の予測変換が恐ろしい。

 乱暴な言葉遣いの中でも瞬発力だけで殴ってくるやつが使いがちな単語だよ、それは。サジェストが暴言で埋まっていたらどうしよう。


 そこで思い返したが、そういえば店長をこき下ろすだけこき下ろしておいて、二人のことを紹介していなかった。


「店長。こっちの可愛い女性がイクハ、それからこっちの綺麗な女性がフルナ。ノル箱プレイヤーだから、今後来ることもあると思う。よろしくしてくれ」

「おま……! ……まあ、いい」


 僕の台詞に驚愕している店長。あまりの成長ぶりに言葉を失ったようだ。


 ゴホン、と気を取り直し、


「彼女だか、友達だか……関係性はなんでもいいが、こいつのこと、よろしくしてやってくれ。何かあったら言ってくれたら、おれからこいつの親に伝えておくからよ」

「おい! それは禁止カードだろうが!!!」


 声を荒げる僕を押しのけ、伊玖が前に出る。


「早速伝えてもらいたいことがあります!」

「いいね、エルスに何かされた?」

「婚約者なのに認知してくれないんです」


 店長が理解できない獣を恐れるような目で僕を見た。

 冤罪だ!

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