第133話 男は成長を志す
そろりと家に帰ると、ソファに寝っ転がってワイドショーを見ながら煎餅をかじっていた母親が苦言を呈した。
「ロウ。あんたねぇ、ご飯いらないならいらないって言いなさいよ。無駄に作っちゃったじゃない。冷蔵庫に入ってるから、昼はそれ食べなさい」
「無駄になってないじゃんか……」
「晩ごはんに間に合わせようと頑張ったお母さんのメンタルが無駄になったの。労力を無視する男はクソ野郎だからね、あんた」
「分かった分かった、ごめんって。連絡しないでごめん」
二日も無断で外泊することになったので何を言われるかと思いきや、飯作りの文句とは。
いや、作ってもらっているのに不要になったことを連絡してなかった僕が悪いのは確かなんだが。でも無断連泊してきた息子に対して、もっとなんか他に言ってくるのではないかと思っていた。
「必要ない時はちゃんと連絡しなさいよ。浮いた分で良いお肉買ってお母さん贅沢するから」
「ずるくねぇ!?」
「台所を支配しているのはお母さんだもの。当日の献立を決めるのはお母さんだからずるくないわよー」
「ぐぬぬ……」
食生活では消費しか関与していない僕が何かを言える立場ではなかった。
ぐぬぬの音しか出ない僕に、バリッと煎餅で返事をする母親。
「だいたい、あんた、お母さんがデパ地下で買ってくるより良いお肉をご馳走になったんじゃないの?」
「肉の値段なんて知らんが、まあ……美味しかったかな……」
リッカが作ってくれた牛テールのビーフシチューを思い出しながら答える。満輝とは全部外食だったし。
買い物の付き合いでスーパーくらいになら行ったりもするが、牛テールなんてそうそう見ない。そこらへんのスーパーじゃ見かけない食材を用意してくれるところから始まって、とろけるような口触りになるまで煮込んだシチューは初めて食べた。
僕の知っているビーフシチューはサイコロ状の肉か薄切りの肉だったから、新鮮で面白く、そして美味しかった。
答えてからハッと気付く。
「なんで僕が肉食べてきたって知ってんだ?」
「昨日、あんたとお付き合いしてるって可愛い女の子が挨拶に来たのよ。ほら、あんたをカードゲームの大会に連れていくと、よくお話してた子。いつの間にあんな可愛い子を彼女にしたのよ、紹介しなさいよねぇ」
「い、いつの間に……!」
挨拶に来るなんて全く聞いてないぞ。
というか、僕の家をよく知ってたな。アッシュにでも確認したのかな?
「『勝手に大事な御子息をお預かりして申し訳ありませんでした』なんて有名な羊羹持って来たの。御子息なんて立派なモンじゃないわよー、って笑っておいたけど。息子みたいので良ければいくらでも持ってっていいわよー、とも言っておいたから安心なさいね」
「仮にも息子を箱で買ったミカンみたいな扱いしないでもらっていいか?」
「馬鹿ねぇ、あんた。一山いくらの息子が、順番違っても筋を通そうとする上にお金持ってそうな子を捕まえそうなのに、親がそれを邪魔できるわけないじゃない。……あ、高校の間は避妊しておきなさいよ。しなくてもいいけど責任は取りなさいよ」
「おい、本音が漏れてるぞ! 親がいいのかそれ!?」
「やってることが犯罪じゃなくて、老後をよろしくしてくれるなら問題ないわ。よろしくー」
煎餅を持った手を振って、母親はワイドショー視聴へと意識を戻す。
ワイドショーでは芸能人の不倫騒動をクローズアップしている。身につまされる内容に、僕は溜め息を吐いた。
部屋に向かおうとして、言い忘れていたことを思い出す。
「そうだ、母さん」
「なぁに?」
「これから牛乳飲むようにしたいから、買っておいてくれない?」
「珍しいわねー。お茶かジュースばかりだったのに。身長でも伸ばしたくなったの」
「いや、これ買ってきたんだけど、牛乳で溶くと美味しく飲めるらしいから」
僕は帰りにドラッグストアで買ってきたモノをレジ袋から取り出した。
振り返った母親が、ダイニングのテーブルに並べられた購入品を見て、ソファから落ちた。
腰を押さえながら這い上がってくる。
「あいたた……。あんた、なにそれ」
「大丈夫? 腰は大切にした方がいいらしいよ。で、これはドラッグストアで薦められたプロテイン」
『MUCHI』という名前のプロテインが、店員らしき人によると今はゲキヤバでウマいらしい。成分とかも教えてくれたのだが、言っていることの半分くらいは分からなかった。
いきなり大量に買っても、味が合わないと長く続けられない、とのことで色んな味を少容量で買ってみた。
この中で美味しいやつを続けてみようと思っている。
「突然プロテインなんか……どういう心境? 彼女ができたから? あと勘違いしてるかもしんないけど、プロテインを飲むだけじゃあ筋肉つかないわよ?」
「そんなことは百も承知だよ。でも……男には負けられない戦いがある……!」
昨日から今日にかけて、自分の貧弱さを実感させられまくる機会があっただけで、いざとなると鍛えているわけでもない女性にも力負けしてしまう自分が恥ずかしくなってきただけだ。
何がとは言わないが、せめて押しのけられる程度には力を付けなければならない。
「とにかく体幹? インナーマッスルとかを鍛えるのが流行りらしくて、それの鍛え方も教えてもらったからやってみる。ベッドの上でできるらしいんだわ。腰とか背中の予防になるらしいし、教えてあげるから母さんもやってみたら?」
「体幹ねえ。あんたが続けられそうなら一緒にやってあげてもいいわよ。お母さんもあんたは枯れ木みたいに細いと思ってたから」
「枯れ木よりはマシだろ!?」
「たくさん食べさせて太い幹に育てようとしても、あんた全然食べないじゃない。プロテインも続けられるなら買ってあげるから言いなさい」
それはありがたい。
プロテインをいざ買ってみたら、意外とお値段が嵩んだのだ。
この二日ほどは支出が他にもあったとはいえ、考えてみればリッカに夕飯代も払っていないし、満輝がホテルの手続きを全部してしまったからいくら掛かったのかも知らない。
さすがにそれは申し訳ないので、せめて次回は僕がお金を出すべきだと思うが、僕の収入に対して支出が間に合うのか不安なところだった。
アルバイトでもすべきだろうか。
ともかく水で溶いても飲めるらしいので、一番強そうな味のプロテインを開けてみる。
適量をコップに入れて、適量の水で、適当にかき混ぜてみる。極彩色の蛍光ピンクが食欲を減退させた。すごい色だ。
個人的には栄養ドリンクとかエナジードリンクは中身の色が見えていると飲みづらい派閥。あんまりにもケミカルな色だと忌避感がある。ケミカルな味は大丈夫なのだが。
覚悟を決めて、グッと一口。
粉っぽさとグロい甘さ、鋭い酸味がマッチせず、口の中にだらだら残る。
「うーむ。不味い」
ドラゴンフルーツ味、飲み切るのは大変かもしれない。
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