第180話 伊玖のお誘い
世間は梅雨に入り、じめじめと蒸し暑い日々が続く。
この時期は何ともつらい。最近は「梅雨?」とばかりにゲリラな豪雨がライブを度々開くので、気分も上がりにくい。
例年であれば雨対策は必須だった。
『カオティックムーン』のカードを持ち歩いていたから、湿気や雨でカードが被害を受けぬよう、細心の注意を払っていたからだ。
だが今年からは電子の存在たる『ノルニルの箱庭』でプレイしているので、カードやられの対策をしなくても済むのが嬉しい。地味に乾燥剤とかで金が掛かってたからな。
出力した分のカードのケアは必要なので乾燥剤はデッキケースに入れているけど、前よりは必要な数がグッと少なくなった。
と、まあ、湿気でカードも人間も、もんやりするような季節である。
本日も朝から曇ってむんむんとした空気が蔓延ってもんまりしている。金曜日、と翌日が休みでなければ自主的な休みも辞さぬ者が現れそうな日だ。
ところが伊玖にとってはそうでもなかったようだ。
「時は来た!」
伊玖曰く、時が来たらしい。
登校するなり、駆け寄ってきた伊玖の第一声がそれであった。
「おはよう。いきなりどうしたんだ?」
「ロウくん、おはよっ! 行こう!」
「いいけど……どこに?」
妙にハイテンションな伊玖に尋ねると、彼女は両手をぐっと握った。
「もちろんデートだよ!」
「なるほど」
もちろんデートらしい。
誘ってもらえるのは嬉しいが……。
「今日の帰りに行きたい店があるってこと?」
伊玖とのデートは大体がこうやって学校の帰りに寄り道をするような形になっている。
満輝は生徒会の活動が多いし、リッカは大学生で生活のタイミングが違う。土日のお休みを二人で過ごすことが多い代わりに、平日は伊玖と過ごすことが増えている。
とはいえ、改まってこうデートに誘われることは珍しい。
最初はお互いにどこか照れながら誘い合っていたが、半月もしたら特に何も言わず一緒に帰るようになったし。たまに灰島が混ざってカードショップに行ったりもするけど。
僕の食量増加月間も兼ねて、伊玖の好きな食べ物を教えてもらうことが多い。
クレープとかドーナツ、カロリー爆撃の飲み物みたいな、甘いものが主な行き先だった。肉が付くより先に糖尿病になりそう。
「行くけど、それはそれとして、デートしよ?」
「えっと……これまでのはデートじゃなかったってこと? 僕はずっとデートだと思ってたんだけど……」
「デートだよ! これまでのは下校デート! でも一日かけてデートはなかったでしょ。だから明日、おでかけしよ?」
「そういえば……確かに一度も朝からっていうのはなかったな」
週五以上に現実とノル箱で会ってるから、ずっと一緒にいるような気がしていた。
けれど考えてみれば、お休みに一日かけて伊玖とデートしたって記憶はない。
当たり前か、満輝かリッカとデートすることばかりなんだから。……今更ながら罰当たりなスケジュールだ。
土日の予定は、三人で話してもらって、僕に予定が無ければ空いている人と会おう、ということにしている。
満輝曰く、三人もいたらなるべく予定を立てて会うようにしないと、偏りが発生して大変な大惨事になるそうだ。今のところ、僕の土日に彼女以外の予定が入ることはノル箱以外ではほとんど無いので、スケジュール管理まで任せてしまっているような感じだ。ちょっと申し訳ない。
「でも明日は満輝の日じゃなかったっけ?」
「みっさん、明日は用事ができちゃったって。グループチャットに来てたよ」
チャットを遡って確認すると、僕が寝た後の深夜に「ごめんなさい」と来ていた。雑談で流れてしまっていて全然気付かなかった。
「それでリッさんに予定を抑えられる前に、直談判に来たの!」
「了解。それじゃ、明日デートしようか」
「うん!」
嬉しそうに笑ってくれる伊玖を見て、僕も自然に笑えた。
そこで会話が終わるのを見計らってくれていた、伊玖のお友達が伊玖を呼んだ。
手を振って離れていく伊玖を見送る。
「さて、と……行くか……」
お手洗いに向かおうと立ち上がった僕の両肩に重量が加算された。
「どこに行くんだ? 付いていくぜ」
「オレらともOHANASHIしようぜ」
佐藤と鈴木である。両肩に掛かる圧の強さに、振り返って表情を確認できない。
逃げられなかった……ッ!
「いや、ちょっと僕は今一人になりたいな、と」
「そんなこと言うなよ」
「苑田とOHANASHIしたいのはオレらだけじゃねぇしな」
「でしょうね」
教室の中はおろか、廊下の方からも殺気に似た視線が飛んできてたからな。
毎度のことではあるが、伊玖が学校中から人気のある女子だということを再確認させられる。
そんな女子が気の迷いから僕などを好いてくれたこの幸運、どんな手を使ってでも逃してはならない。
今後もこういうことは付き纏うだろう。伊玖だけでなく、満輝やリッカもこの手のトラブルを呼ぶのは目に見えている。
であれば、泰然自若として真っ向から戦える姿勢を魅せるべきだ。
僕は柔らかく両肩に置かれた手を外し、
「仕方がない、OHANASHIとやらを聞こうじゃないか。体育館裏か? それとも屋上か? 好きなところを選んでくれ」
「チッ、えらく潔いじゃねぇか」
「彼女たちに恥じない男にならなきゃいけないからな」
「一端のオトコ、気取りやがって……! 黒魔術研究同好会の部室に行くぞ!」
「えっ?」
悪魔召喚の生贄にされるのか?
想定外の場所に連れ去られていく僕を、伊玖は「男子も仲が良いね~」などと言いながら見送ってくれた。
僕が僕のまま生きて帰ってくることを祈っておいてほしい。
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