第129話 真実はいつも一つ

 ふっ、と目が覚める。


 知らない天井だ。……いやマジで。


 時間を見ようと思ってホロホ端末を探した手が、何か温いものに触れる。

 寝ぼけた頭で妙に手触りの良いそれの輪郭をなぞる。これは端末じゃないが触っていたくなる……なんだこれ。


「んぅ……」


 僕のものではない声が上がる。


 目やにで霞む視界を擦って明朗にしてやると、現実がようやく見えてきた。


「うっ、頭いて……」


 頭を持ち上げるとガンガン頭蓋の内側から響く痛み。なんだこれ。


 側頭部を押さえながら上半身を起こす。さらりとしたタオルケットが流れ落ちる。僕の家ではこんな肌触りの良いタオルケットなんて使ってなかったぞ。

 どうやら僕は自宅じゃないところで寝ていたらしい。


「えぇ……どこだここ……」


 全然回らない頭がカリカリと回転を始めだす。


 昨日は……、リッカの家を尋ねたことは覚えている。


「それで夕飯をご馳走になったんだよな」


 そう、お店で出てくるような洋食のフルセットに気圧されたことも覚えている。


 コンソメスープはともかく、色合い鮮やかなテリーヌとか牛テールのビーフシチューが普段のメニューに出てくるはずもなく、食べ方にかなり戸惑った。食後にはチョコレートムースまで出てきた。全部手作りなのは驚きを通り越して感動した。


 問題はそこからだ。

 チョコレートムースと一緒に出てきたと思うのだが、白ぶどうの炭酸ジュースを飲んだあたりから記憶が途切れている。


 夕飯をご馳走になってから、僕は一体どうしたのだったか……。


「ダメだ、思い出せん」


 それはそれとして喉に渇きを感じる。水ぐらいは飲ませてもらっても構わないだろうか。

 ともかく、僕の家ではない以上、家主がどこかにいるはずだ。探して事情を確認しよう。水ももらおう。


 ベッドから抜け出そうと突いた手に、ぐに、とベッドらしからぬ感触。


 思わずそちらに視線を向ける。


 金髪を広げた華奢な少女が眠っており、僕の手は彼女の胸を突いていた。

 少し苦しげに表情を歪めるのを見て、シュバッと手を引き、背中に隠す。


「……順当に考えれば、疲れていた僕は食事の途中、リッカの家で眠りこけてしまったということか」


 同じベッドに眠っている理由は……きっと床に転がしておくのは忍びないというリッカの好意に違いない。


「服も乱れていないし」


 ただし、初見のパジャマに着替えていることは考えないものとする。

 リッカもなんかマンガの世界でしか見たことのないような、ベビードールだったか、薄くて豪奢な下着で横たわっている。


 ヤバい。マジで記憶がない。

 僕はナニかをしたのだろうか。


 寝起きにも関わらず、背中に冷たい汗が流れ出す。


 いやいや、交際関係にあるのだから問題はないのかもしれないが、僕は全然まだ想定していないというかそんなすぐに進展するものなのか? 全然わからん難しすぎる。


 混乱の渦中にいる僕の気配がうるさすぎたか、リッカが身じろぎをして、瞼をこする。


「ぅぅん……。……ぉはょぅ」


 リッカはか細い声でそう言うと、僕の腕を引いてベッドに転がした。

 倒れた僕の薄い胸元に頭を寄せてこすりあげる。

 それから緩んだ顔でにへらと笑った。


「へへ……」

「かわいすぎんか」


 なんかどうでもよくなってきたな。

 今この手の中に彼女がいること、それが全てなのではなかろうか。


 ふわふわしたものを撫でたくなるのは人類の性質。僕も眼の前にあるふわふわした金色の頭を撫でたくなったので撫でていく。

 気付けばふわふわあたたかい生き物を抱きかかえて再び眠りについていた。






「ロウ!」

「はいっ、すいません!」


 唐突に耳元で呼ばれた名前にビクっとして飛び上がる。

 まどろみの中から垂直起動したから、つい授業中に居眠りをした気分で起き上がったが、僕に声を掛けたのは先生ではなかった。


 弊校の生徒会長である。


 無地鳴満輝はメガネに朝日をきらめかせて、


「こんなにいい天気なんだから、さっさと起きなさい。連絡をしても出ないと思えば……まったく……」

「えっ、あれっ? どうしてここに?」


 パジャマは着たままだし、ふわふわは手元ですやすや眠っている。

 つまり、ここはリッカの家だ。


 リッカの家になぜ満輝が……。


「いつでも使っていいから、って合鍵をもらったのよ。そう簡単に渡していいものでもないと思うけど……今日は役に立ったわね?」


 満輝は僕の頭をくしゃくしゃと混ぜて、リッカの両脇に手を差し入れて抱え上げた。


「リッカさんも起きて。約束が違うじゃないの」

「ん……。……おはよ」

「はい、おはようございます」


 くしくしと顔を洗ったリッカだったが、やっぱり眠そうにして満輝の胸に頭を埋めた。僕もそれやれば良かった。


「もう……寝ないで!」

「あと一時間……」


 満輝がぐだぐだと寝起きの悪いリッカを起こしている内に、僕の意識は完全に目覚めた。そして慄いている。

 女性と一夜を明かした後に別の女性がやってくるのはいけない場面なのでは……? 三人と同時に交際を始めたとはいえ、そこについては変わらないイメージなのだが!


 しかし満輝は気にした様子もなく、リッカを起こそうと格闘していた。柔らかいほっぺたをぐにぐにと揉まれて、ようやくリッカが自立する。僕もそれやれば良かった。


「ふわ……。おはよう」

「はいはい、おはようおはよう」


 ちょっと雑になっている満輝から脱出し、リッカは僕に飛びついた。改めて感じるが、小さくて軽い。僕でも楽に支えられる。


 彼女は僕を見上げて、


「昨日は、とても良かった。またやろうね」


 僕は一体ナニをしたんだ……!?

 全然覚えていないとも言えず、苦肉の策で軽く頷いておく。


「ちょっと! 何をしたの? 私もやってもらうから!」

「添い寝みたいなもの。……ね?」


 再び頷いておく。本当に僕らは添い寝をしたのか?

 記憶は闇の中、次の機会があればそこで真実が判明するだろう。


「なるほどね……ロウ、ホテルは予約しておくから、今日も泊まりになることを伝えておきなさい」

「僕の予定は鑑みてもらえないのか」

「予定があるならリスケするけれど……予定があるのかしら?」

「ないけどさ」


 急いでやらなきゃいけないとかいうものはない。強いて言うなら追加された課題をやるぐらい。


「予定がないのなら、私に付き合っていただける?」

「まあ、構わんが……」


 先日の話し合いでは、今日は空き時間になっていた気がしたが、誘ってもらえる分には嬉しい。

 でもホテルに泊まるってどこまで行くつもりなんだ。そんなに遠出はできないぞ。


「それじゃあ、顔を洗って、着替えてきて。準備ができたら、出掛けましょう」

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