第183話 『可愛い』を再定義した男
ぬるくなってきた水で口を湿らせて、
「少しびっくりしたかな」
僕は伊玖を見た時の感想についてそう切り出した。
「昨日、一緒に帰った時は髪が黒かったのに、今朝は桜色に変わってたからさ、「どうやって!?」って思ったよ」
絶対に美容院とか行く時間はなかったはずだ。
それを一夜で綺麗な桜色に染めてくるのはさすがに驚く。自宅でやったのかな。
伊玖は前髪を持つと、軽く持ち上げた。
「コレはね、ウィッグ……カツラなの」
「へぇ、コスプレとかで使うやつだよな。日常に取り入れられるもんなんだな……オシャレって奥深いもんだ」
僕もみんなのおかげで多少なりとも見た目に気を配るようには注意しているが、やはり生粋のお洒落生物は格が違う。
コスプレの道具も使う人が使えば、非日常感を演出するアイテムの一つになるのか。
「今日は水族館デートだったから桜色にしたのか、なるほど……。確かにコントラストが綺麗だったよ。ほら、この写真とか」
まだ見せていなかった大水槽の前で撮った例の写真を提示する。
銀色の群れに映える桜色の艶やかさは、黒髪のままでは生まれなかっただろう。
もにもにと言葉を噛む伊玖。
「……そういうつもりは、なかったけど……」
「え?」
「あの、さ……。ゲームじゃないのに、
突然のネガティブな問い合わせに、僕はパチクリと目を瞬かせた。
「こんな格好……?」
朝から見てはいたが、改めて対面に座る少女のバストアップを見つめる。
今日の伊玖は全体的に桜色をしている。
髪の毛は先程から話題に挙げている通り、華やかな桜色のウィッグがさらりと背中に流れている。その天辺にはヘッドドレスというのか、髪を抑えつつ、頭上に変化を加える小物が乗っていた。
服装はノル箱でイクハがいつも着ているゴシックロリータと雰囲気は似ているが、あちらが黒と白で構成されているのに対し、こちらは桜色と白がメインの構成だ。布の量もこちらの方が多くて、よりふわり感を醸している。
ロリータ系の服にも色々ジャンルがあることは知っている。いわゆる姫ロリとか甘ロリとか、そっちの系統なんじゃなかろうか。
ちなみにノル箱とは違って胸元は空けていない。盛っていないからか?
化粧とかはさすがに言及できるほど詳しくないが、学校で見る時よりも顔のパーツ一つ一つに存在感があった。
総合的に鑑みると……、
「こんなに可愛く決めてきてくれたのに、平凡以下の格好をしてきた自分が恥ずかしいかもしれん。リッカにジャケットとか借りて、ちょっと良い格好した方が良かったよな、ごめん」
かなり気合を入れてくれたのは理解できる。それに対して、かなり不釣り合いな服装をしている自覚がある。
スーツとまでは言わんが、せめて準ずる格好をしてくれば良かった。
「考えてみると僕は伊玖の格好にすごい見劣りするな……。急に恥ずかしくなってきた」
「――本当に?」
気付けば、伊玖の瞳が正面から僕を見据えていた。
僕が言葉を連ねている間、彼女は僕の様子をつぶさに視ていた。
いつもなら潤いのある瞳に色が無い。
……僕は、ここに来て初めて、知らぬ内に重要な回答を求められているのだと察した。
どんな理由があるのかは不明だが、僕の回答が岐路になりそうな。
何が『本当』なのか。
この場で僕が答えられる『本当』は数えられるほどしか持っていない。
「――本当だよ。最初は驚いたけど、そういう服も似合ってて可愛いと僕は思うけど」
「……嘘じゃない?」
「正直に本心を話してるつもりだが。何かあったのか?」
ファッションの講評とかいう話になると僕は無力なんだが。自分目線で可愛いかどうかしか答えられないぞ。
こうまで執拗に評価を気にする伊玖は珍しい。
『可愛い』を求める姿は度々見てきたが、その姿勢に応えてやれば満足していたのに。伊玖に対しては本音を言えばいいから簡単だと思っていたが、その簡単だと思っていたところが良くなかったか?
僕が自身の至らぬところを探していると、伊玖は小さくなって、語りだした。
「……この格好はね。わたしがやった失敗の象徴」
「失敗?」
こんな成功事例は滅多にないだろうに。
「わたし、中学で友達いなかったんだ。ほら、自慢じゃないけど、わたし可愛いでしょ」
「まあ本人に可愛くないよって言われた方が腹立つくらいには可愛いよ」
「……っ、そ、それですごいたくさんトラブルに巻き込まれて」
トラブルが群れを成して寄ってくるのは想像できた。僕も昨日、黒魔術の実験に巻き込まれたからな。
「決定的だったのが、文化祭の打ち上げ。一応ね、まだその時は呼んでもらえてたから」
「その格好で行ったら問題が起きたのか?」
僕が尋ねると、伊玖はこくりと頷いた。
「分からないな。他の人はみんな制服だったとか?」
「私服だったよ。でも、こういうロリータを着ているようなのはわたしだけだったから。……わたしにとって、可愛い服は戦闘服なの。仲の良いお友達を作るぞ、って気合を入れて打ち上げに参加したワケ」
ああ……心の痛い結果が言われずともすでに聞こえてくる。
「男に媚びてるブリっ子、みたいに言われて、結局お友達はできなかった。それから辛いこともあったけど、省略するね」
「うん、まあ……」
根掘り葉掘り辛いということを聞き出す必要はない。醜い嫉妬から繰り出される行為など、どう考えても楽しくはならないから。
女子のアレコレは陰湿だとも聞くし、聞き出したところでお互いが激烈に嫌な気分になるだけだろう。
「だから、これはリベンジなの」
「
対象になりそうなのは伊玖の中学関係者だが、特に見かけた覚えはない。
伊玖は一度目元を伏せて、それから顔を上げてはっきりと口にする。
「折れちゃった過去の自分……かな。全部やり直そう! ってイメチェンして、誰もわたしを知っている人のいない高校に来たんだ」
そうだったのか……。普段の伊玖からは全然想像もつかなかった。
「クラスだと人気者だし、そういう話とは無縁だと思ってたな。ぼっち、ってトコは僕が独占するものだと」
「三人も彼女作っておいてそれは無理があるよ、ロウくん」
くすくすと笑って、伊玖は続きを話す。
「わたし、高校では自分の考える可愛いは捨てて、みんなと同じにしよう、って思ってた。わたしの可愛いは、他の人にとっては正しい可愛さじゃないんだから、って。……結局、服は捨てられなかったけど」
胸元のレースをつまんでもてあそぶ。
「そうしたら、初日に出逢っちゃうんだもん。何かをする前から、わたしを可愛いだなんて言ってくれる人がさあ……」
……流れ的に僕のことだと思うが、そんなこと言ったか?
いや、言ったかもしれん。たぶん言ったんだろうな。
記憶がうっすらとして内心焦っている僕を尻目に、伊玖は告げる。
「だから自分を信じきれなかった過去の自分に意趣返し。わたしの可愛いを、全部、ちゃんと可愛く受け止めてくれる人がいたよ、っていう。……興味もないくせに、ね」
「興味がないとかそんなことは」
「ほんとに〜? わたしたちの出逢い、すっかり忘れてそうな顔をしてたけど〜?」
ば、バレてる……。
何か良さそうな言い訳を秒で思いつけ!
しかしながら思いつくはずもなく、僕より先に伊玖が唇を舐めた。
「ふー……。わたしに興味を持たないようなロウくんで良かった!」
「えぇ、どういうこと……?」
「じゃなきゃ、ロウくんのことは好きにならなかったかも、ってこと!」
「いや、興味はある、持ってます!」
「今はそうかもね。知ってるよ〜」
そう言って、伊玖は少し冷めてしまった残りのパスタに取り掛かった。
重ねて訊いてみたが教えてくれそうにないので、顔をしかめて僕もハンバーグの欠片を口に放り込む。
乙女心とは複雑怪奇で、なんとも不可思議なものだ。全く分からん。
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